hakobulu の回答履歴

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  • 「この仕事を通じていい勉強をした」は、正しい?

    「この仕事を通じて、いい勉強になりました」とか「この仕事を通じて、いい勉強をしました」などは、正しい文なのでしょうか。 個人的には「通じて(つうじて)」ではなくて「通して(とおして)」とするべきだと思っていますが、現実には「つうじて」を使用している例も散見されます。それは私がこれまで誤解していたと思うべきなのでしょうか。 手元にある「大辞林」を見ると次のようなことが書いてあるので、混乱して自信がなくなってしまいました。この機会に、使い分けなどをご教示いただければ幸いです。 ○通ずる(「…を通じて」の形で) あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を通じて面会を乞う」 ○通す(使用例としては「通して」しか載っていない) 人を仲立ちとして、また、物を隔ててそのことをする。「先生を通して頼む」「レンズを通して見る」

  • 「この仕事を通じていい勉強をした」は、正しい?

    「この仕事を通じて、いい勉強になりました」とか「この仕事を通じて、いい勉強をしました」などは、正しい文なのでしょうか。 個人的には「通じて(つうじて)」ではなくて「通して(とおして)」とするべきだと思っていますが、現実には「つうじて」を使用している例も散見されます。それは私がこれまで誤解していたと思うべきなのでしょうか。 手元にある「大辞林」を見ると次のようなことが書いてあるので、混乱して自信がなくなってしまいました。この機会に、使い分けなどをご教示いただければ幸いです。 ○通ずる(「…を通じて」の形で) あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を通じて面会を乞う」 ○通す(使用例としては「通して」しか載っていない) 人を仲立ちとして、また、物を隔ててそのことをする。「先生を通して頼む」「レンズを通して見る」

  • 「この仕事を通じていい勉強をした」は、正しい?

    「この仕事を通じて、いい勉強になりました」とか「この仕事を通じて、いい勉強をしました」などは、正しい文なのでしょうか。 個人的には「通じて(つうじて)」ではなくて「通して(とおして)」とするべきだと思っていますが、現実には「つうじて」を使用している例も散見されます。それは私がこれまで誤解していたと思うべきなのでしょうか。 手元にある「大辞林」を見ると次のようなことが書いてあるので、混乱して自信がなくなってしまいました。この機会に、使い分けなどをご教示いただければ幸いです。 ○通ずる(「…を通じて」の形で) あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を通じて面会を乞う」 ○通す(使用例としては「通して」しか載っていない) 人を仲立ちとして、また、物を隔ててそのことをする。「先生を通して頼む」「レンズを通して見る」

  • なくね?

    「Aでなくね?」と「Aでなくないですか?」は同じ意味ですか? 「なく」=「ね」=「ない」=NOT ならば二重否定でAと同じ、つまり「Aでなくね?」=「Aでなくないですか?」=「Aである」になりそうなのですが上記2例がいずれも「Aでない」の意味に使われるのはなぜですか?

  • 「この仕事を通じていい勉強をした」は、正しい?

    「この仕事を通じて、いい勉強になりました」とか「この仕事を通じて、いい勉強をしました」などは、正しい文なのでしょうか。 個人的には「通じて(つうじて)」ではなくて「通して(とおして)」とするべきだと思っていますが、現実には「つうじて」を使用している例も散見されます。それは私がこれまで誤解していたと思うべきなのでしょうか。 手元にある「大辞林」を見ると次のようなことが書いてあるので、混乱して自信がなくなってしまいました。この機会に、使い分けなどをご教示いただければ幸いです。 ○通ずる(「…を通じて」の形で) あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を通じて面会を乞う」 ○通す(使用例としては「通して」しか載っていない) 人を仲立ちとして、また、物を隔ててそのことをする。「先生を通して頼む」「レンズを通して見る」

  • なぜ・・・反語

    質問1. 「なぜAなのか」=「Aではない」 となるようなAには何か条件はありますか?いいかえると、「なぜAなのか」という言葉を強制的に「Aではない」と反語として解釈して不都合ありますか? 質問2. 「なぜAなのか」と問う場合(AかAでないかの選択) 問う者自身はAであるとは思っていないしAでないとも思っていない。さらにAであるかもしれないしAでないかもしれないが甲乙つけがたいという場合にどのような問い方をするべきでしょうか?質問された側が「ああこいつはAではないと思ってるんだな」などと予断を与えないような方法があるかということです。 質問3. 「なぜAなのか」と問う場合(Aの原因Bの探索) 問う者自身はAなのかAでないのかを問題にしているわけではなく、Bという原因があってBによってAが生じたというようなBは何かを問いたい場合です。「Aではない」と解釈させたいわけでもなくAかAでないかを選択させたいわけでもない。聞き手が「ああこいつはBを探してるんだな」と強制的に解釈させる方法についてです。

  • 「この仕事を通じていい勉強をした」は、正しい?

    「この仕事を通じて、いい勉強になりました」とか「この仕事を通じて、いい勉強をしました」などは、正しい文なのでしょうか。 個人的には「通じて(つうじて)」ではなくて「通して(とおして)」とするべきだと思っていますが、現実には「つうじて」を使用している例も散見されます。それは私がこれまで誤解していたと思うべきなのでしょうか。 手元にある「大辞林」を見ると次のようなことが書いてあるので、混乱して自信がなくなってしまいました。この機会に、使い分けなどをご教示いただければ幸いです。 ○通ずる(「…を通じて」の形で) あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を通じて面会を乞う」 ○通す(使用例としては「通して」しか載っていない) 人を仲立ちとして、また、物を隔ててそのことをする。「先生を通して頼む」「レンズを通して見る」

  • 「この仕事を通じていい勉強をした」は、正しい?

    「この仕事を通じて、いい勉強になりました」とか「この仕事を通じて、いい勉強をしました」などは、正しい文なのでしょうか。 個人的には「通じて(つうじて)」ではなくて「通して(とおして)」とするべきだと思っていますが、現実には「つうじて」を使用している例も散見されます。それは私がこれまで誤解していたと思うべきなのでしょうか。 手元にある「大辞林」を見ると次のようなことが書いてあるので、混乱して自信がなくなってしまいました。この機会に、使い分けなどをご教示いただければ幸いです。 ○通ずる(「…を通じて」の形で) あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を通じて面会を乞う」 ○通す(使用例としては「通して」しか載っていない) 人を仲立ちとして、また、物を隔ててそのことをする。「先生を通して頼む」「レンズを通して見る」

  • 「この仕事を通じていい勉強をした」は、正しい?

    「この仕事を通じて、いい勉強になりました」とか「この仕事を通じて、いい勉強をしました」などは、正しい文なのでしょうか。 個人的には「通じて(つうじて)」ではなくて「通して(とおして)」とするべきだと思っていますが、現実には「つうじて」を使用している例も散見されます。それは私がこれまで誤解していたと思うべきなのでしょうか。 手元にある「大辞林」を見ると次のようなことが書いてあるので、混乱して自信がなくなってしまいました。この機会に、使い分けなどをご教示いただければ幸いです。 ○通ずる(「…を通じて」の形で) あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を通じて面会を乞う」 ○通す(使用例としては「通して」しか載っていない) 人を仲立ちとして、また、物を隔ててそのことをする。「先生を通して頼む」「レンズを通して見る」

  • 文章は簡潔明瞭がいいと思います。

     以下、同サイトに質問した内容です。  質問の題目は:      「HomeキーとEndキーを使用するに当たり切り替え」   (OkWebは25文字以内限定です。)    パソコンはノートタイプです。HomeキーとEndキーがテンキー内しかなくて、NumLockで解除して  使用しないと使えないタイプです。 テンキーはよく使うので、いちいち解除して使用していると作業効率が悪くなります。  なにかキーを組み合わせることで、HomeキーとEndキーの代わりになるようには、ならないでし ょうか!?  よろしくお願いします。    以上の文章ですが、内容が誰にでも伝わるのかは、いろんな分野の方  に見ていただかないと自分では判断できないと思いましす。   もし以上の質問内容を分かりやすくするにはどんな文章にすればいいでしょうか?    よろしくお願いします。  参考URLです。  http://okwave.jp/qa/q8797736.html

  • 何分の1も言えなかったというじゃない?について

    ↑「言いたいことの3分の1も言えなかった」という言葉と似通った意味ですが、この言葉をまったく理解できない生主がいました。かろうじて「男が初デートで言いたいこと全部言えますか?」と聞いたら「言えないと思う」と、これは分かったようです。そこで「何分の1も言えなかったというじゃない?」を一般的に分かりやすく言うにはどうしたらいいですか?ちなみに続きを加えて言いたかったことを書くと「何分の1も言えなかったというじゃない?でも言いたいことほぼ全部言えたよ」となります。

  • 「Aですが、B」「Aのですが、B」両方ありますか

    日本語を勉強中の中国人です。文Aと文Bをつなぐ時に「Aですが、B」より、「Aのですが、B」のほうが多いような気がします。両方正しい接続方法でしょうか。その違いは何でしょうか。私の理解では、後者の場合、逆接関係を表すだけではなく、文Aの強調にもなるかと、前者なら、単なる逆接関係を表しているだけで、文Aを取り立てて言う意図がないかと思われます。 質問が漠然としすぎて、申し訳ありません。最近目にした小説の一文も例に挙げさせていただきます。あるプロジェクトに参加してくれないかという上司の話に、社員が「本部長のお考えは素晴らしいと思いますが、優秀な方が社内にはたくさんいらっしゃるかと……」と答えました。もし「本部長のお考えは素晴らしいと思う【のです】が、優秀な方が社内にはたくさんいらっしゃるかと……」に変えたら、ニュアンスはどのように変わるのでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 国語の助詞の選び方

    「幸い植木鉢の破損のみで他に被害がありませんでした。」 という文章があります。 私は何となくこの文章に違和感を覚えます。 そして 「幸い植木鉢の破損のみで他に被害はありませんでした。」 とした方が滑らかに感じます。 単に好き嫌いの問題なのでしょうか? 国文法を習ってから五十年以上経ってしまい、参考書も手元にありません。 私の感じた違和感の理論的な説明が、あれば教えて頂きたいのです。

  • 現代語の意味と文法について

    「着る」「着られる」「着せられる」「着させられる」の意味について、それぞれ品詞分解して、どのような意味なのか教えて下さい。

  • 「~だこと」/「~ですこと」について

    日本語を勉強している外国人です。「~だこと」/「~ですこと」について質問があります。 私の印象によると、「~だこと」/「~ですこと」は女性用語です。男性は決して「いいお部屋ですこと」/「いい匂いだこと」などを言いません。それは正しいでしょうか。 もう一つ質問があります。「~だこと」/「~ですこと」と「~なこと」は入れ替えられるんでしょうか。例えば、「いいお部屋なこと」/「いい匂いなこと」は正しい表現でしょうか。 どうか教えてください。

  • なからざるべからず~その2~

    まだ閉め切ってなくて寝かしておいた質問の件で新たな側面から疑問が湧いてきました。 その元の質問は下記のものです。 http://okwave.jp/qa/q8757695.html 教えて!gooは古い質問をそのまま再開してもそのカテゴリーで活動している多くの人の目には留まらないシステムだったと思います。←間違っていたらその旨即座に指摘して下さい。間に合うようならこの質問を削除し、元の質問ページで続きを進めたいので。 ですので、新たに質問を立てるという形にしました。 まずこの質問を始めるに先立ち、元の質問ページはまだ解決していない、ということをここで明言しておきます。元のページを解決済みにしなかったのは、いろいろと事情があったからなのですが、6件くらい回答がついた時点で複雑さが増し、私の脳が拒否反応を起こしたほどなのですが、やがて理解が進み、7割方納得しました。その後もありがたいことに追加説明の回答や他の方の便乗質問で深みを増して頂いていましたが、私としては6件くらい回答を頂いた時点で一旦満足したものの、解決したわけではありませんでした。寝かしておいたと書きましたが、無理に解決済みにする必要もなかろうと放っておいたという方が正しいのかもしれません。 さて本題ですが、前ページの続きとなる新たな質問は、 「~なからざるべからず」は、ある点において「ぞっとしない」と類似の構造をとっているのではないでしょうか、ということです。 ここで、「ぞっとしない」について軽く説明書きしておきます。 この表現は、「ぞっとする」の否定表現です。「ぞっとする」には、恐怖で体が震える感じがしたり寒気を感じたりすること、美しいものに出会って身体を駆け抜けるような感動を覚えること、または文字通り寒気で体が震えること、といった意味があります。その否定表現である「ぞっとしない」の昔からの意味は、驚きがない、面白くない、あまり感心しない、いい気持ちがしない、となります。 一方、現代ではその本来の意味ではない意味、つまり「恐ろしくない」という意味で使う、または解釈する人がいるという国語問題があるとのことです。 ここでのポイントは、本来の用法は、「恐ろしい」といった意味の否定だから「恐ろしくない=平気だ」という恐ろしさの対極の意味になるのではなく、「恐ろしくない=恐ろしさはない=とりたてて何もない」というニュートラルの意味になっているという点です。 閑話休題、「~なからざるべからず」について考えてみます。 永井荷風 一夕を例に取ると、「およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。」は、世態人情の観察は細微を極むるものであってしかるべきだ、という意味です。 これを「観察細微を極むるもの」+「なからざる」+「べからず」と分解しますと、問題の 「なからざる」+「べからず」の部分は、「でないことはない」+「なんて曖昧なことではいけない」という感じの解釈が浮き上がってくるわけです。 この解釈はまだあくまで可能性であり、ですから質問を続けている次第だということに注意して下さい。 この解釈は、文脈上の実際の意味も矛盾無く説明できていますし、前ページ(qa/8757695)でkine-oreさんから提示していただいている肯定の強意表現という役割とも大枠で矛盾せずに沿っていますし、前ページのNo7-8で物議を醸している「ぞ+あり」から来た「ざり」という説の信憑性に関してもクリアされます。 再度この解釈を説明します。 「なからざる」を「でないことはない」の二重否定の意味で使うことで部分肯定とでもいいましょうか、つまり完全に肯定せずに可能性を込めたあいまいな表現にします。 そして、「べからず」でそれを否定することで、しかもベシを使った否定をすることで、部分肯定であることを否定して完全肯定へ持ち上げて強意にしている、というのが新たに出てきた解釈の仕方であり、これは私個人が仮定しているだけであり、その是非をここで問わせていただく次第であります。 よろしくお願いします。

  • ボランティア 自主的?

    ボランティアの意味は、”自主的”に無償で社会活動などに参加し、奉仕活動をする人を指す。 となっていますが。 この”自主的”と意味ですが、 私は主体的を使うべきと思っています。 自主的と主体的の違いは、(ネット辞書で調べると) 自主的:「やるべきこと」を他からの指図や干渉によらずに、自分の意思に基づいて行うこと。 主体的:「何をやるかは決まっていない」様々な状況下においても自分の意志や判断で行動すること。 ボランティアは、「やるべきこと」が決まっているのでしょうか? 私は決まっていないと思います。ですから、主体的な奉仕活動という意味だと思います。 自主的を使うなら、ボランティアをしない人は、「やるべきこと」をしないダメ人間(極端ですが)となってしまいます。 私の考え(道筋)は間違えっていますでしょうか? よろしくお願いします。

  • Aさんの息子とBさんの娘が結婚した

    Aさんの息子とBさんの娘が結婚した場合、AさんとBさんの関係はなんと言いますか たしか4文字の言葉があったと思いますが度忘れしました ご存知の方よろしくお願いします

  • なからざるべからず~その2~

    まだ閉め切ってなくて寝かしておいた質問の件で新たな側面から疑問が湧いてきました。 その元の質問は下記のものです。 http://okwave.jp/qa/q8757695.html 教えて!gooは古い質問をそのまま再開してもそのカテゴリーで活動している多くの人の目には留まらないシステムだったと思います。←間違っていたらその旨即座に指摘して下さい。間に合うようならこの質問を削除し、元の質問ページで続きを進めたいので。 ですので、新たに質問を立てるという形にしました。 まずこの質問を始めるに先立ち、元の質問ページはまだ解決していない、ということをここで明言しておきます。元のページを解決済みにしなかったのは、いろいろと事情があったからなのですが、6件くらい回答がついた時点で複雑さが増し、私の脳が拒否反応を起こしたほどなのですが、やがて理解が進み、7割方納得しました。その後もありがたいことに追加説明の回答や他の方の便乗質問で深みを増して頂いていましたが、私としては6件くらい回答を頂いた時点で一旦満足したものの、解決したわけではありませんでした。寝かしておいたと書きましたが、無理に解決済みにする必要もなかろうと放っておいたという方が正しいのかもしれません。 さて本題ですが、前ページの続きとなる新たな質問は、 「~なからざるべからず」は、ある点において「ぞっとしない」と類似の構造をとっているのではないでしょうか、ということです。 ここで、「ぞっとしない」について軽く説明書きしておきます。 この表現は、「ぞっとする」の否定表現です。「ぞっとする」には、恐怖で体が震える感じがしたり寒気を感じたりすること、美しいものに出会って身体を駆け抜けるような感動を覚えること、または文字通り寒気で体が震えること、といった意味があります。その否定表現である「ぞっとしない」の昔からの意味は、驚きがない、面白くない、あまり感心しない、いい気持ちがしない、となります。 一方、現代ではその本来の意味ではない意味、つまり「恐ろしくない」という意味で使う、または解釈する人がいるという国語問題があるとのことです。 ここでのポイントは、本来の用法は、「恐ろしい」といった意味の否定だから「恐ろしくない=平気だ」という恐ろしさの対極の意味になるのではなく、「恐ろしくない=恐ろしさはない=とりたてて何もない」というニュートラルの意味になっているという点です。 閑話休題、「~なからざるべからず」について考えてみます。 永井荷風 一夕を例に取ると、「およそ小説と称するものその高尚難解なると通俗平易なるとの別なく共に世態人情の観察細微を極むるものなからざるべからず。」は、世態人情の観察は細微を極むるものであってしかるべきだ、という意味です。 これを「観察細微を極むるもの」+「なからざる」+「べからず」と分解しますと、問題の 「なからざる」+「べからず」の部分は、「でないことはない」+「なんて曖昧なことではいけない」という感じの解釈が浮き上がってくるわけです。 この解釈はまだあくまで可能性であり、ですから質問を続けている次第だということに注意して下さい。 この解釈は、文脈上の実際の意味も矛盾無く説明できていますし、前ページ(qa/8757695)でkine-oreさんから提示していただいている肯定の強意表現という役割とも大枠で矛盾せずに沿っていますし、前ページのNo7-8で物議を醸している「ぞ+あり」から来た「ざり」という説の信憑性に関してもクリアされます。 再度この解釈を説明します。 「なからざる」を「でないことはない」の二重否定の意味で使うことで部分肯定とでもいいましょうか、つまり完全に肯定せずに可能性を込めたあいまいな表現にします。 そして、「べからず」でそれを否定することで、しかもベシを使った否定をすることで、部分肯定であることを否定して完全肯定へ持ち上げて強意にしている、というのが新たに出てきた解釈の仕方であり、これは私個人が仮定しているだけであり、その是非をここで問わせていただく次第であります。 よろしくお願いします。

  • 続【「ので」と「ため」の違いについて】

     以前下記のスレッドが立ちました。 【「ので」と「ため」の違いについて】 http://okwave.jp/qa/q8625598.html  何がなんだかわからないうちに話が終わった気がします。  その後いろいろ調べて、わからないなりにいろいろ考えました。  現段階では、下記くらいに考えています。 【「だから」「なので」の違い その2 「~から」「~ので」「~で」「で」「から」「ので」】 http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11932114478.html ==============引用開始  とりあえず、【ので】の制約は5つありそうだ。詳しいことはわかりません(泣)。 1)「~のは~{から/ので/ため}だ(です)」の文型だと「ので」が×になる 例 3 遅刻したのは、電車が遅れた{から/×ので/ため}です ※語順を入れかえるとOKになる 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻しました 2)「だろう」の後にはつかない(ほかの推量ならOKのときもある) 例 4 明日は晴れるだろう{から/×ので/×ため}洗濯をした ※前件が推量でもOKの例 明日は晴れそう{だから/なので/なため}洗濯をした 3)後件が命令形(OKのときもある) 例 5 よい子{だから/△なので/×のため}おとなしくしなさい 例 6* お願い{だから/△なので/×のため}静かにしてください ※後件が命令形でもOKの例 あの子はよい子{だから/なので/×のため}仲良くしてあげなさい 4)理由は不明。後件が推量だと×になることがあるのかも。 例 7 あれほど繰り返すの{だから/×なので/×ため}、本当なんだろう ※後件が推量でもOKの例 電車が遅れた{から/ので/ため}遅刻したのだろう 5)デスと相性が悪いのかも 例 9 期限はあしたです{から/△ので/×ため}お忘れなく ==============引用終了  不明な点があまりにも多くて……。   何かわかりやすい解説をしている文献はないでしょうか。  辞書・サイト・論文など、教えてください。  なお、↑のリンク先に書いたように、下記の3点の説明には、個人的に強い疑問をもっています。ネット上で見られる論文などは、ほとんどがこういう考え方を否定しているように読めます。下記のような考え方をしているサイト・論文などがあるのでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17210/m0u/%E3%81%AE%E3%81%A7/ ==============引用開始 「ので」は、前件と後件との間に客観的な因果関係が認められる場合に用いられやすい。==============引用終了 http://kotobank.jp/word/%E3%81%AE%E3%81%A7?dic=daijisen&oid=14449700 ==============引用開始 デジタル大辞泉の解説 ので 【ので】 (中略) ◆ 近世中ごろから用いられ、明治に入って一般化した。また、前件が理由となって後件のような結果の生じることが、だれの目から見ても当然と思われるような場 合に用いられるとされる。「から」に比べるとあらたまった感じを伴うが、くだけた表現の場合、「あまり暑いんで閉口した」のように「んで」となることもあ る。 ==============引用終了 ==============引用開始 大辞林 第三版の解説 ので (中略) 〔理由・原因を表す接続助詞「から」との相違について。「ので」は因果関係が客観的事実に基づいているような場合に用いられるのに対し,「から」は,推 量・禁止・命令・質問など,話し手の主観に基づくような場合に用いられる。一般に,「ので」は,「から」に比べて,条件としての独立性が弱い場合に用いら れる〕 ==============引用終了