dorachanako の回答履歴

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  • 一人暮らしと反抗期の大学生(僕の半生聞いて下さい)

    長いので一番下のまとめ推奨で… 実は今年の大学二年の夏から、一人暮らしすることになりました。もうすでに部屋も借りて、家具も少しずつ自分で揃え始めています。しかし、なかなか実家から出られないんです。後ろ髪をひかれるというか…。 タイムラインを書くと(かなり前からになりますが) 高1でヘルニアの病気。入学式の日に窓から桜を見送りながら手術。病気や入院時に受けた肉体的苦痛・精神的苦痛から、メンタル的にかなりへたり、ぶっきらぼうで偏屈な性格に(元からのものもがさらに歪んでひどくなる。斜に構えるところがあったので。今もそうですが)。 なかなか高校生活を楽しいと思うことができず、常にピリピリしたような感覚に。同時に社会と切り離されたような感覚を覚え、孤立。以後三年間孤独な日々を送る。(2ちゃんが日々の友達。女兄弟の中で育ったので男子校の雰囲気が合わなかったのもあるかも)。 ↓ 大学に入って、いろいろな刺激を受け、というか気の合う仲間と出会えるのが増え、少し活発に。(地方出身者や留学生に多い。てかやっぱ高校時代が自分の性格的に合わなかったんかなーと。) 今までモノクロだったトーンに少し色が散って入った感じ。しかし、高校時代の慣性で仲良くなれそうなやつを見つけても、意地悪をしてしまったり人間関係の距離感がつかめず、少しやっぱり孤立気味に(絶対に2ちゃんのせいがあると思う!) ↓ また、付属だったため高校三年間で堕落しきってたため、一年目はその慣性でまただらだらと過ごす羽目に。もともと家が自営業なため、自立的で流れに逆らうような性格だったのですが、高校三年間のうちに周りに流され、なあなあの性格に。授業も友達と合わせて取る、みたいな。周りに合わせようとしてたんですよ。(楽で馬鹿で利益の上がりやすい方法だったけど、自分の性格や価値観には合わなかった。生きる牙を抜かれる、みたいな。) ↓ このままではよくない、と二年目は自分の興味ある授業や団体、サークルに参加。途中でやっぱり合わないやとか思ってやめることはありつつも、なんとか続けるものも。 すこし、視界にも色がついてきたが、まだ心のつかえは取れず、詰まっている日々。 ↓ 秋に失恋。着いた傷がなかなか消えない。その後遺症?で授業も次々と切る羽目に(単位数は足りてる程度に)。 このまま三年になって、仲間を作り就活やゼミをするのはとても無理だと思ったので、親にドゲザ‐して留年させてもらうことに。 ↓ そして今年に入って、やはり自分の心を占めているのは、大学楽しい・大学以降の人生も楽しみたい、という気持ちではなく、失恋のことも含めて自分の心の傷についてだったんだと思い、学校付属のカウンセラーに尋ねる。 ↓ 最初はああいたほうがいいこうしたほうがいいといわれるのかと思って、また半ば若干そんなことを期待して行っていたのですが、そんなことはなく、先生は僕の言いたいことを言い、聞いてくれて、少し休まる。まだピリピリするところもありますが。 ↓ んでカウンセラーの結果、今までたまってたもんが出始める。それが一つずつ少しずつ終わるたびに少し心が正常な考えに(心の働きに)戻っていくような気がする。感情がほんの小さじ一杯程度ですが、戻った気がする。 無理なものは無理、やな物はや、というような好き嫌いが出始める。(今まではそういうのはよくないと封じてた。人のこと第一。優しくいい人でいなくちゃ、みたいな。「いい人」って結局都合のいい人なんですけどね。) ↓ ンでそうすると、いままで家にどれだけ縛られてきたのかってことがわかってくるようになる。 家の自営業がつぶれたときも、高1の病気と時期が重なってたため、自分のわがままを通すわけにもいかず、ストレスを発散するわけにもいかず、むしろ家族やじいちゃんばあちゃんを気遣うような真似をしていたわけで。 ↓ 反抗期発症。 いままでは、親(はは)を気遣い門限までに帰ってくるような子だったので。 母は自営業で父と共に働いておりますが、根っからの本好きオタクのクソババアで忙しい、私は大変なんだといいつつ、家のテレビの前でだるそうにテレビを見てるデブさんです。趣味は本を読むことで、運動らしい運動はせず、日々ぶつくさぶつくさ文句を言っています。小さいころの写真や、大学時代の話を聞く限り、ダサいメガネの女子って感じで、しっかり働く気骨はいいのですが、とても大学時代におしゃれしてたようには見えません。醜かったと思います。恋愛らしいものをしたことがないと思います。 ↓ 反抗期発症とはいうものの、最初はターゲットは父親でした。 父親は、小さいころの離婚寸前騒動以来家族の輪を乱す埒外の悪者でしかなかったし、家族の悪口を言うとしたら父親でした。少し田舎者で、人の木がわからないところ、要うするに癇に障ることをするのが多いので、よく問題が起こっていました。 まあその流れで父親と取っ組み合いのけんかになり、血を流したわけですが、「家の環境が悪い」ということで(高1の妹もいるので)、その時の母が下宿もアリだよ、と言ってきてくれました。 話は変わりますが、僕は貯蓄家で預金残高は学生ですが100万くらいあるので、留年したあたりから一人暮らしもアリかなと悩んで周りの友達に意見をうかがったりしていました。しかし、一人暮らしを始めれば、援助なしでは、すぐに100万の資金が底をつくことも見えていたので、どうしたもんかと悩んでもいました。 なので渡りに舟という感じで、下宿を進められた時は母に感謝の井を伝えました そんで、母の助けもあり(母は一応不動産の大家をしていた時期もあったので)、 ていうか母がそういう「息子が…」みたいな話をしてかるーく仕事相手の不動産屋から事情を探ったら、あっちも商売なのですぐに抜け目なく物件の情報を持ってきて、そんでそこに部屋探しで「あんまいいのないのな~」とか言ってきた息子がいたもんだから、「実はね」みたいな感じでその不動産屋が紹介した部屋の情報を提示してきてそれがあまりにいいもんだから「ちょ、ちょっと見に行くか」とかいって試しに一緒に見に行ったら(やっぱりこういうときは大宅してた母の眼は光るものがあると思ったので)、めっちゃきれいで安くていい物件で人気だったので取られたらいやだってことで、速攻で決めたんですが。 ここまでは、母は味方だったんですが、そのあと俺が父と敵対してるのでいい気になったのか カーテンの色や、メールは週一で必ずしろとか、部屋がどうのだとか、まるで自分はこの息子の理解者だとでもいうようにべったり甘えてくるような指図を出してくるようになり、僕はまるでテリトリーを侵された動物のように警戒し、威嚇するようになったのですが。 そんで先日、母を殴ってしまいました。その前日帰省した姉と二人で俺を追い詰めるような真似をしたので。(姉も姉で自分が大学生のときは家庭も顧みず遊びまくってたくせにに社会人になって一人暮らしするようになってから突然、お母さんの言うこともただしいとか正論言い出しやがって。そんなん前から俺が言ってたじゃん。それを六に聞かなかったくせに、お前はドウだんたんだよ、自分のこと棚に上げて都合よく忘れてんじゃねえこの能天気あたまのクソメスブタが!って感じです) 理屈では自分のやっていることは完全わがままの頓珍漢だって、「頭では」わかっているのです。しかし、それとは関係ないのです。感情的なのです。言葉であーだこーだ言われても反感を買うだけなのです、自分の中の。 そんで、そのなかでテレビを壊したりしたので「もうでてってよ!」とか言われたのですが 何か引っかかるのです。でていけないのですこのままだと。 何かもう一つくらい母親に言わなくてはならないことがあるのですがそれがなんだかわからないのです。 それがなんなんでしょうか? ちなみに父とは少しなぐり合って理解しました。てか母と敵対したら次は父と話し合うようになりました(今までそんなことあんまりなかったのですが)。ちちはさすがに母のようにべったり細かく口を出してこなくて、まさにお父さんて感じで、それでこっちの要望だった「もうちょっと父親として頼らせてくれよ!」的を少し実践してくれているので、手伝ってやる的なことを言ってきているので(あまり手伝ってもらうことはありませんが)僕としては、父との関係は精神的に少し落ち着いている感じになっています。 まあ簡単にまとめますと 高校時代、病気だ自分ちの店がつぶれたで反抗できなったー! ↓ 大学でカウンセラー通うようになったらいろいろ元気が出てきた分今まで我慢してた親に反抗するようになった‐! ↓ 最初は父親とけんかー! ↓ 母の助けもあって一人暮らしGET! ↓ だがしかしもともとべったりだった母親はいろいろ口うるさくいうので母親とけんか‐! ↓ もう部屋はとってあるので、いつでも家を出れるんだけどなんか後ろ髪ひかれるー!父親とは和解したが、もう少し母親にいってやらなー!でもそれがなんだかわかんないー!てかお母さんってやっぱ自分の中だと逆らえない鬼門のようなもんだし、好きなとこもあるしー! ↓ でも言ってやらな!いわないとだめや勇気を振り絞るんや!でもなんていえばいいのー! ヘルプー! てな感じです。 もし本当にここまで読んで下さった方がいらっしゃるなら、僕にアドバイスください! いま暗中模索状態です! 「親になんてことを」とか「甘ったれ」とかそういうのはいいです。 先日まで僕もそっち側の意見だったんで。 理屈じゃなくて感情なんです。 まことに勝手ですが、よろしくお願いします!