毎度くだらない質問です。
日本の英語教育って文法と訳読に偏っていますよね。 しかし、私たち自身、日本語の文法を体系的に知っていないし、知っていたとしても 英語と日本語ではあまりにも構造の違いが大きいので 対応させるには無理があります。 皮肉なことに、日本語の文法に英文法用語を持ち出す人もいるほです。
さて、例えば「どこに行くの?」は英語で “Where are you going?”であって “Where do you go?”
ではありませんよね。そして「分った?」は“Have you understood? ”であって、“Did you understand”ではありません。また、「誰が旗を持つの?」は “Who will hold the flag?”であって、“Who has the flag?”ではありません。 こういうのって、現在進行形とか現在完了とかの文法で説明されても分かりにくいし、
また、訳読に頼った学習法だと 自分で少し変な英作文をしても どこが変なのか気付きにくくなると思います。 そして、文法と訳読に偏った学習法は結局は逆に遠回りしているように感じます。 メリットと言えば、同じ方法でフランス語やドイツ語を勉強した場合 短期間で荒削りながら 難しい文章を読めるようになることくらいでしょうか。
そこで質問ですが、日本の英語教育はどうして 文法と訳読の偏向から抜け出せないのでしょうか?
毎度くだらない質問です。
日本の英語教育って文法と訳読に偏っていますよね。 しかし、私たち自身、日本語の文法を体系的に知っていないし、知っていたとしても 英語と日本語ではあまりにも構造の違いが大きいので 対応させるには無理があります。 皮肉なことに、日本語の文法に英文法用語を持ち出す人もいるほです。
さて、例えば「どこに行くの?」は英語で “Where are you going?”であって “Where do you go?”
ではありませんよね。そして「分った?」は“Have you understood? ”であって、“Did you understand”ではありません。また、「誰が旗を持つの?」は “Who will hold the flag?”であって、“Who has the flag?”ではありません。 こういうのって、現在進行形とか現在完了とかの文法で説明されても分かりにくいし、
また、訳読に頼った学習法だと 自分で少し変な英作文をしても どこが変なのか気付きにくくなると思います。 そして、文法と訳読に偏った学習法は結局は逆に遠回りしているように感じます。 メリットと言えば、同じ方法でフランス語やドイツ語を勉強した場合 短期間で荒削りながら 難しい文章を読めるようになることくらいでしょうか。
そこで質問ですが、日本の英語教育はどうして 文法と訳読の偏向から抜け出せないのでしょうか?
毎度くだらない質問です。
日本の英語教育って文法と訳読に偏っていますよね。 しかし、私たち自身、日本語の文法を体系的に知っていないし、知っていたとしても 英語と日本語ではあまりにも構造の違いが大きいので 対応させるには無理があります。 皮肉なことに、日本語の文法に英文法用語を持ち出す人もいるほです。
さて、例えば「どこに行くの?」は英語で “Where are you going?”であって “Where do you go?”
ではありませんよね。そして「分った?」は“Have you understood? ”であって、“Did you understand”ではありません。また、「誰が旗を持つの?」は “Who will hold the flag?”であって、“Who has the flag?”ではありません。 こういうのって、現在進行形とか現在完了とかの文法で説明されても分かりにくいし、
また、訳読に頼った学習法だと 自分で少し変な英作文をしても どこが変なのか気付きにくくなると思います。 そして、文法と訳読に偏った学習法は結局は逆に遠回りしているように感じます。 メリットと言えば、同じ方法でフランス語やドイツ語を勉強した場合 短期間で荒削りながら 難しい文章を読めるようになることくらいでしょうか。
そこで質問ですが、日本の英語教育はどうして 文法と訳読の偏向から抜け出せないのでしょうか?
毎度くだらない質問です。
日本の英語教育って文法と訳読に偏っていますよね。 しかし、私たち自身、日本語の文法を体系的に知っていないし、知っていたとしても 英語と日本語ではあまりにも構造の違いが大きいので 対応させるには無理があります。 皮肉なことに、日本語の文法に英文法用語を持ち出す人もいるほです。
さて、例えば「どこに行くの?」は英語で “Where are you going?”であって “Where do you go?”
ではありませんよね。そして「分った?」は“Have you understood? ”であって、“Did you understand”ではありません。また、「誰が旗を持つの?」は “Who will hold the flag?”であって、“Who has the flag?”ではありません。 こういうのって、現在進行形とか現在完了とかの文法で説明されても分かりにくいし、
また、訳読に頼った学習法だと 自分で少し変な英作文をしても どこが変なのか気付きにくくなると思います。 そして、文法と訳読に偏った学習法は結局は逆に遠回りしているように感じます。 メリットと言えば、同じ方法でフランス語やドイツ語を勉強した場合 短期間で荒削りながら 難しい文章を読めるようになることくらいでしょうか。
そこで質問ですが、日本の英語教育はどうして 文法と訳読の偏向から抜け出せないのでしょうか?
日本語で何度も何度も嫌になるほど聞くことを「耳にタコができる」と言いますが、英語ではどう言うのでしょうか? 手元の和英辞典では このような例文があるだけでした。
その話は耳にたこができるほど聞いた。
I have heard enough of the story.
もっと気の利いた表現があるかもしれませんね。しかし、ちょっと悪ふざけした次のような言い方です。
「あんたの十八番は耳にタコができるほど聞いたよ。ほら、本当にタコができて痛むくらいだよ。」
これ、どなたか英語に訳せます?
日本語で何度も何度も嫌になるほど聞くことを「耳にタコができる」と言いますが、英語ではどう言うのでしょうか? 手元の和英辞典では このような例文があるだけでした。
その話は耳にたこができるほど聞いた。
I have heard enough of the story.
もっと気の利いた表現があるかもしれませんね。しかし、ちょっと悪ふざけした次のような言い方です。
「あんたの十八番は耳にタコができるほど聞いたよ。ほら、本当にタコができて痛むくらいだよ。」
これ、どなたか英語に訳せます?