syouhouzanのプロフィール

@syouhouzan syouhouzan
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  • 登録日2009/06/14
  • 「血脈」が見つかりません

    私の家は曹洞宗ですが、祖母(存命中)は祖父が亡くなったときいっしょに戒名をいただき、墓石にも朱入れした戒名が彫られています。戒名があるということは、「血脈」も戴いていることになると聞きましたが、その「血脈」がいくら探しても見つかりません。祖母本人からは「血脈」という言葉を昔よく聞いたのですが、今は入院中で意識がありません。父も少々痴呆っぽくてよく覚えていないとのこと。又戒名を戴いた住職も既に亡くなり、今は近くの寺の住職に兼務してもらっています。 血脈がないと戒名を戴いている証明にならないのでしょうか? 又、血脈には戴いた戒名が書かれているものなのでしょうか? 祖母の命が尽きようとしています。至急お教え下さいお願い致します。

  • 「血脈」が見つかりません

    私の家は曹洞宗ですが、祖母(存命中)は祖父が亡くなったときいっしょに戒名をいただき、墓石にも朱入れした戒名が彫られています。戒名があるということは、「血脈」も戴いていることになると聞きましたが、その「血脈」がいくら探しても見つかりません。祖母本人からは「血脈」という言葉を昔よく聞いたのですが、今は入院中で意識がありません。父も少々痴呆っぽくてよく覚えていないとのこと。又戒名を戴いた住職も既に亡くなり、今は近くの寺の住職に兼務してもらっています。 血脈がないと戒名を戴いている証明にならないのでしょうか? 又、血脈には戴いた戒名が書かれているものなのでしょうか? 祖母の命が尽きようとしています。至急お教え下さいお願い致します。

  • 禅での「悟り」と「智慧」

    私は今、禅について学んでいるのでが、 「悟り」と「智慧」の違いが分かりません。。 「悟り」(般若)というのは、勿論言葉では表せないものだと書いてありましたが、あえて言葉に表せば、自分自身が「空」であるといった自分の本質を知り全ての「苦」から解き放たれるもの というように解釈しています。 ですが、「智慧」も基本的には「空」である認識?で同じような意味なのではないでしょうか? 後道元禅師の事について記述されているページに 「悟りを背にして、仏の光に照らされて修行すること、「修証一等」「本証妙修」といわれる。修行して仏になるのではなく、悟りを背にして、仏の光に照らされて修行するのである。したがって、その修行は、すでに仏であることに気づかされた本証の上の修行ということになる。」 とありました。 しかし、悟りを背にするとはどういうことなんでしょうか? 自らが仏である、という概念は分かるのですが、それに気づいたのなら何故修行する必要があるんでしょうか?。。(道元はそれを探しに中国まで行ったという話は読んだことがあるのですが、未だに理解出来ません。。) 参考「禅の入門 禅 滴」愛知学院大学 禅研究所 http://zenken.aichi-gakuin.ac.jp/word/text/12.html

  • 「血脈」が見つかりません

    私の家は曹洞宗ですが、祖母(存命中)は祖父が亡くなったときいっしょに戒名をいただき、墓石にも朱入れした戒名が彫られています。戒名があるということは、「血脈」も戴いていることになると聞きましたが、その「血脈」がいくら探しても見つかりません。祖母本人からは「血脈」という言葉を昔よく聞いたのですが、今は入院中で意識がありません。父も少々痴呆っぽくてよく覚えていないとのこと。又戒名を戴いた住職も既に亡くなり、今は近くの寺の住職に兼務してもらっています。 血脈がないと戒名を戴いている証明にならないのでしょうか? 又、血脈には戴いた戒名が書かれているものなのでしょうか? 祖母の命が尽きようとしています。至急お教え下さいお願い致します。