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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:合意について)

合意についての重要性と確認方法

old_shoの回答

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  • old_sho
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回答No.8

feedersさんは「科学」ということでお考えのようですが、それを自然科学と人文科学とに分けて、「客観性」・「妥当性」を両科学分野で異なるものと見るものかどうか。feedersさんは異なる方に傾いて居られますが、科学理論の妥当性ということの意味に検討する余地があるようにも見受けます。 今回のご質問では、一つ前のご質問でベストアンサーにお選びになった回答の文中にある、 >科学は、...、とりあえずこれでいきましょう、という合意のもとで機能しているのは間違いありません。 という文言に連なっているかに見えますが、如何でしょうか。この回答者の場合は「科学が機能している」ということに関して「合意」が言われているのですね。「科学理論の妥当性」ではないですね。日常用語では「妥当」という言葉は、たとえば、「まあそんな所が妥当な線だろう」という調子で「妥協」みたいに使われたりして、曖昧なものを含むかのように使われます。然し、科学においてあるいは哲学において「妥当性」というのはそういう意味ではないでしょう。今回のご質問での回答に見られる「合意など必要でない」という見解も、一つにはそれに関係すると思われます。「科学の妥当性」というのは大きな話なので横に置いて、「或る理論の妥当性」というのは当該学問の体系の中で言われるもので、それは多数決で決まるわけではない。妥当だと判断する者にとっては、他人が否定したとしても、多くの人が否定したとしても、それの妥当性は揺がない。他人に否定されて揺ぐような判断を、妥当性の判断とは言わない、というのが「科学者」ではないか。つまり多数意見が妥当性を生むのではなく、妥当であるからそれが多数意見になり得る、ということでしょう。 ---以上は単に「妥当性」という言葉の問題に過ぎませんが。 当該学問の体系の中で理論の妥当性を検証するという件でも、「検証された」ということを、さらに合意によって検証するというのは、意味が通らないのではないか。実際上では、「検証された理論」を、いやそれはまだ不十分だと言う反論のあるケースがあるでしょうが、その場合であっても、それを多数決で決めるわけではないでしょう。検証されたと見なす者にとっては他人の意見は関係はない。「妥当性を検証」という言い方をすると「妥当」と「検証」が別物と見えますが、切り離れないのではないか。検証されたと見るから、妥当と判断するわけで、検証されないなら妥当という判断は下せない筈でしょう。ですから「理論の妥当性を検証する」という言い方は単なる強調で、「理論を検証する」と同じ意だろうと思います。 ---以上は検証ということが可能な科学に関するものですが、人文系では検証し難い事柄についても科学性を主張するというケースはありますね。「歴史科学」などといえば、そもそも検証など考えていないのに「科学」を名乗っていることになります。そのような場合は、その「科学」の方で何を以て科学的と称するかを規定しているものではないでしょうか。 >正しさを主張しようとすれば無限遡行が起きる可能性が常にあるように思います。 というご疑問は、あり得るものであるとは言え、実際に科学性を主張している人文系の分野を挙げて、具体的に追求されるべき事ではないでしょうか。無限に遡行するなどということは原理的にあり得ないことなのですから、誰かが何かを科学であると主張している限り、何かを「基盤」としているわけですからね。---こういったことを一般論として論じるのは、個別科学の多数の事例を念頭にする必要があるでしょうから、私の任ではないのでこんな所で。

feeders
質問者

お礼

--回答ありがとうございます。返事が遅れて申し訳ありませんでした。  私は「妥当」という言葉は、完璧に正しいとは言えないものの、まあ、これだったらそこそこの確信が持てるなと思えるような状態だと思います。(もちろん、多数決で決まるようなことだとは思いません。)そういう観点に立てば「客観性」・「妥当性」を両科学分野で異なるものと見ることにはなりにくいと思うのですが、基盤の設定の仕方に相当の違いがあるように思うのです。 自然科学であれば、基盤というか前提というか、そういうものを設定して論理展開してゆくわけですが、社会科学と比べると「妥当性」が得られやすいように思います。ところが、社会科学の場合、果たして、妥当性を見いだせるような基盤が得られるのかなと思うわけです。もちろん、無限背進に陥るようなものであってはならないわけですから、基盤は論理的に求まるようなものではないはずです。  でも、私自身としては、何らかの基盤がなければ社会科学はやってゆけないと思うのです。かといって基盤が実際に得られるものなのか疑問に思ったりもします。   --当該学問の体系の中で理論の妥当性を検証するという件でも、「検証された」ということを、さらに合意によって検証するというのは、意味が通らないのではないか。--ということですが、全くその通りです。ご指摘ありがとうございました。

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