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環境破壊がいけない理由

serpent-owlの回答

回答No.23

 No.10への補足を拝見しました。ありがとうございます。  で、早速なんですが、 >そんな必要ないと思うのですが。 >たとえば野生動物には、快適に生存する「権利」があったのですか? >そんなものないと思います。 >権利とは人間(被抑圧者とか)が発明したものではないですか? >人間以外の外部、たとえば生物に対して、人間と同等の権利をみとめることは >できないのでは。 という箇所について。  イマイチ通じにくかったでしょうか。「いちおう唯一の主体たりうる人間が配慮してやる必要がある」というのは、生物種が生存しつづけられるように、というだけの意味です。彼らに「権利」を認めるという意味ではなくて。はっきり言っちゃうと、「人間が資源として利用しつづけるために、その生物種が存続できるよう、人間として配慮する」ということだったのです(No.10でも「持続的に利用可能なように」…に続けて書いております)。だから、gattoさんが「人間中心主義の枠の中で、人間として配慮するのならわかる」と仰っているとおりの意味です。  が、文字通り本当に「動物に生きる権利を認めよう」という主張もあります。ついでですから紹介しましょう。すでにちらっと言葉は出してあります。「アニマルライト」。オーストラリアはシドニー大学、「the革靴なんて絶対履かない人」ピーター・シンガー教授が最初に提唱したものです。この立場に関する書籍には『動物の解放』『動物の権利』(工作舎)がありますが、残念ながら絶版になったそうです(買っといてよかった…)。その後再版されたかどうかは確認できておりません。  それはいいとしまして、内容です。その主張を一言でまとめれば、上に書いた通り「づ物に生きる権利を認めよう」になります。この立場から、彼らは動物実験、産業畜産、肉食、皮革製品、動物園などについて廃止すべきと主張し、運動しています。  理論的骨組みも軽く押さえておきます。土台となっているのはジェレミー・ベンサム(18世紀の人、倫理の教科書的には「功利主義」の代表的思想家)の思想です。いわく、「苦痛を感じる能力を持つものは固有の利害を持つ、固有の利害を持つものは、その利害を調停される権利を持つ」。  ちょっとわかりにくいかもしれませんが、「苦痛を感じる能力を持つ」ということは、言い換えれば「自分がやってほしくないことを持っている」ということです。だから「自分がやってほしくないことを他人にするな」という相互承認の対手でありうるのだ、と。そしてその点において、人間も動物も何ら変わりはないのだとまで、彼らは言い切るのです。  『動物の権利』、こちらはシンガー氏編著の論文集なのですが、これに寄稿しているトム・レーガンという人の論文はなかなか過激です。「人間とは何か」という人間の定義、これを思いつく限り挙げていって、そのすべてを完膚なきまでに解体してしまいます。「どのような定義をとっても、必ずその定義にしたがって除外されてしまう《人間》が出てくる」と。  こうして彼らは、人間と動物との間に線を引こうとするあらゆる考え方を拒否し、両者を連続的に捉えようとします。そして結論。「権利において人間と同等の動物を、人間が一方的に利用してよいと考える根拠はない、ゆえに、道徳的に正しくない」。  このような考え方から、アニマルライトは「肉食うな、動物を実験に使うな、動物園なんかやめろ」と主張してくるわけです。  ご覧になるとわかると思いますが、この立場はかなり極端と映ります。なので、実は諸々の環境保全運動家の間でも少々「浮いて」いる思想でもあるのです。理論的な骨組みは意外としっかりしており、なかなか侮れないものなのですが、ちょっとついていきにくい。  私もアニマルライトは支持しません。「人間中心主義者」ですから当然そうなります。アニマルライトは「人間だからと言って動物たちの中で特別な存在ではないのだ」と考えるわけで、反・人間中心主義を代表する考え方の一つですから。  とりあえず「こんな考え方もあるよ」ということで紹介しました。反・人間中心主義を代表するもう一つの考え方に「ディープ・エコロジー」があります。実はこれ、私自身、一時期傾倒していたものだったりします。この次くらいに紹介しましょう。

gatto
質問者

補足

ご親切な説明をありがとうございます。 >イマイチ通じにくかったでしょうか。 ・・・ >わかる」と仰っているとおりの意味です。 はい、勘違いしてました。すみません。  >アニマルライト アニマルライトの思想の論理性については、一部鋭いものがあると 感じました。 >「どのような定義をとっても、必ずその定義にしたがって除外 >されてしまう《人間》が出てくる」 から >両者を連続的 にとらえるところなど。 しかし ・動物と他の生物との境界の根拠が甘いのでは?  →(野菜を食べるな、と言うこともできてしまう。苦痛を感じる能力を    判定する科学的根拠が疑わしいから) ・ある動物が他の動物の「権利を侵害」したら、罰したりしちゃうわけ? など、理解しにくい点があります。 「極端」と言うより、いい加減に見えます。 >とりあえず「こんな考え方もあるよ」ということで紹介しました。 ありがとうございます。ここまでしていただいて大変感謝です。 また、自身の立場とされる「人間中心主義」の根拠や、 「ディープ・エコロジー」なるものについても よろしければご説明いただけませんか? また、no.10での私の補足のうち、コメントなさらなかった部分 について、どうお考えかよろしければお聞かせください。 いろいろ要求してばかりですね・・・。 もう少し整理する力を身につけたいと思います(自己反省)。

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