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環境破壊がいけない理由

serpent-owlの回答

回答No.22

 反論めいた言い方に見えてしまうかもしれませんが、「行動」の背景にはそれを決定するある種の「思想」が動いているはずです。それ自体は「哲学」と呼べるほど大仰なものとは限りませんが、これに関しては、やはり哲学・倫理学的な考察対象になりえます。  たしかに行動は大事です。それがなくては何も解決しませんから。ただ、その行動方針を決定する思想に反人間中心主義的な傾向のものを採用している場合、結果的にその行動が「うーん、それでいいのかなぁ?」っぽいモノになってくることがあります。  例えば、アメリカに“The Earth First!”という環境保護団体があります。団体名自体、直訳すれば「地球を第一に!」ってことですから、なんかもう、名が体を表しております。この団体が採っている「戦術」として有名なのが、森林伐採阻止を目的とした「ツリー・スパイキング」です。木の幹に、釘をたくさん打ち込むんです。もちろん、木そのものの生命には影響ないように。  で、こういう木をチェーンソーで切ろうとするとどうなるか。チェーンソーの刃が粉々になって飛び散るわけです。当然、チェーンソーを使っている人に危害が及びます。今までのところ、死者が出たとは聞いていませんが、負傷者は現実に出ています。  他にも、行動が過激なことで知られているものに「シーシェパード・コンサベーション協会」があります。船でクジラ密漁船に体当たりして「撃沈」してしまったという実績を持っています(船沈めるのって、環境破壊じゃないの…?)。  ちなみに、グリーンピースなんてのは非常におとなしいもんです。せいぜい「威力営業妨害罪」スレスレの線までしかやりませんから。(GPに関しては、農林水産省およびマスコミにより誤解が巷間に流布されているようです。クジラ問題についても同様で、少なくともオフィシャルな声明では「かわいいから、頭がいいから」とか「食べてはいけない」とかいう根拠は掲げていません。むしろ基本的には「資源としての持続的な利用継続のために保護すべし」という立場です。)  要するに、方針を決定する「思想」の持ち方一つで、行動の様相は「テロ」にもなりうるということです。この場合、それがテロであるから、殺人罪であるから、傷害罪であるから、威力営業妨害罪であるから、などなどの法律的な議論だけでは問題の根本を押さえたことにはならないでしょう。「いかなる目的であれ、罪のない人を傷つけるのはよくない」という考え方で対抗すれば、いくらか倫理の問題になってきますが、しかしテロリストの方々はそんなセリフは聞き飽きています。「大義の前に多少の犠牲は…」という「思想」を突き崩すことは困難です。  少々「環境問題」から離れてテロリズム一般のハナシになってしまいますが、「テロはよくない」の一言で済ませてしまうのではなくて、それを生み出した問題の根源まで遡って検討しなければ理解も解決もできないと考えます。自爆して自分が死んでもいいから相手を殺したいというほどの憎悪と怒りというのは、生半可なものではないです。  話が逸れましたので戻します。  哲学・倫理学の問題として考えると、やはり「人間中心主義」が一つの考究すべきポイントになってくると思うのです。人類の生存を優先させるか、自然を優先するか、はたまたあるいは、人間と自然とを切り分ける問題の図式そのものを批判・検討するか。こうした問いの立て方をすれば、それは哲学の問題になってくるでしょう。

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