哲学の真価:超越する者と破壊する者

このQ&Aのポイント
  • 人間を超越し、高次元に立ったときにはじめてかつての命題に対する回答をいともたやすく導くことができる。
  • 超越する者となることによって、その者は人間と呼ばれていた時に抱えていた問題に対していともたやすく結論を出すことができる。
  • 超越する者になるためには、己を破壊する者の存在が不可欠である。破壊する者によって初めて人間は危機感を覚え心の底からの昇華願望を持つ。
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超越する者と破壊する者

超越こそが哲学。 現在の自身の位置では答えを見出すことのできない命題に、 どれだけあがいても答えを出すことはできない。 人間を超越し、高次元に立ったときにはじめてかつての命題に 対する回答をいともたやすく導くことができる。 人間のままでは自分の抱える問題に立ち向かうことができない。 人間を超え、人間が神や悪魔と呼ぶ存在に近いもの 超越する者となることによって、 その者は人間と呼ばれていた時に抱えていた問題に対していともたやすく結論を 出すことができる。 それこそが哲学の真価。 人間を超えるには、精神が肉体を超えること。 自ら苦難と苦痛と絶望に身を置き、限界まで脳と肉体を酷使し、 それを乗り超える修練を積むことでしか肉体の楔を断ち切ることはできない。 従って怠惰こそが哲学の宿敵であり、全ての禍の元凶である。 超越する者になるためには、己を破壊する者の存在が不可欠である。 破壊する者によって初めて人間は危機感を覚え心の底からの昇華願望を持つ。 怠惰を捨てて、神や悪魔に近い存在へと生まれかわることができる。 そう思いませんか?

  • sohcon
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質問者が選んだベストアンサー

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  • 0fool0
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回答No.14

>矛盾に気づき答えが思い浮かぶのであれば 貴方は真理を得たと言う。 それなのに「外」に進化と破壊者を求めている。 貴方の唱える進化が必須ならば、そもそも真理等は有っても無くても進化の訪れる其の時まで変化に値しない。 何故なら進化の内容に依存はするが、おそらくは到達した真理もその根拠を維持し切れないであろうからだ。 何故なら貴方は「進化が必須」だと定義しているからだ。 少し優しく言いましょう。 貴方は高邁に振舞う事を望みすぎてはいませんか? 「進化」ではなく「成長」であれば、言葉上の矛盾は全て無くなります。(それでも真理には遠いですが) 背伸びをしなければ「己」を守れない環境で生きてきたのかもしれませんが、度のキツイ色眼鏡を掛けていやしませんか?

その他の回答 (12)

  • kurinal
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回答No.13

sohcon様、こんばんは。 もっと考えてね

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 その一言のみだと類推しかできないのでもう少し具体的に書いていただけませんか。

  • 0fool0
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回答No.12

>何とも答えがたいのでとりあえずお礼だけします 何なら答が思い浮かぶまで、コピペしましょうか? 自分の言の矛盾を認めなければ、前には進みませんよ。 『>私は心理にたどり着いているのでその問いかけは否ですね。 “文明と同じように人間自体にも進化が必要なんですよ。 より高次元の課題と戦うはず。 それを実現してくれるのが破壊する者。 ” 真理にたどり着いたんじゃないの?w』 それとも真理ではなくて、ホントに心理? ただ、そうだとすると文意が崩壊しますが。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 コピペによって私が矛盾に気づき答えが思い浮かぶのであればコピペをお願いします。

回答No.11

 No.10です。  もし次のような図式で《超越論的領域――非思考の庭――》が理解しうるものならと かかげてみます。  ○ 《非知》とは ~~~~~~~~~~~    経験事象      可知        既知        未知      不可知(知り得ないと知り得た)    非経験の場      非知(知り得るか知り得ないかが知り得ない)    ○ (非知なる非経験の場(神)⇒わが心なる非思考の庭)~~~   非経験の場 (非知・絶対・無限・つまり 神)  _______________________   非思考の庭(クレド=しんじる。心の明け。ヒラメキ):信仰  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   思考の緑野(コギト=かんがえる。⇒田園および都市):宗教   感性の原野(センスス・コムニス。直感かつ直観)  ________________________  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《非思考の庭》は 精神(思考の緑野)も身体(感性の原野)をも超越しています。しかも わたしなる人間の内にあると想定されます。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 非思考の庭について調べてみます。

回答No.10

 お礼をありがとうございます。  ★(No.6お礼欄) ~~~~~~~~~~~  我欲を離れた所に真理はない。  我欲の定義とは何でしょうか。  魂の成長に対する欲求を我欲と呼ぶのであれば真かもしれませんが、  金権力セックスに真理は感じません。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしが思うに 問題は ひとを その独りとしての存在の全体として捉えることにある。のではないでしょうか。  《魂の成長に対する欲求》と《生活のためにはたらくときのもろもろの欲求》とを分けて ひとを捉えることはないし そうしては むしろいけない。こういうことではないのでしょうか。  生活のために仕事をするというときに 我欲が・つまり我欲も はたらく。  おそらく ふつの勤勉とがり勉とを こんどはこの場合には分けて 捉えるとよいと思われます。  がり勉にまでなれば 行き過ぎであろうと。  ふつうの勤勉なる仕事および生活の態度にも ある程度の我欲がはたらくかに思われます。  すなわち 他人(ひと)よりもわれを先にし われの欲望を満たそうとする部分があるかに思えます。  それでも そういう部面をもふくめた全体としての人間 これを基本として 真理を問い求める。つまり ここから離れては 真理を問い求めようにも それは 無駄である。  こういう意味に解しています。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 人間から離れては真理を求めることは無駄であるという 主張は理解できました。 ということは私の主張は無駄だったわけですね。

回答No.9

#5の者です。 >自己存在の本質とは何でしょうか。 量子論的世界像において、存在的有限性(宇宙)は、 認識される事で派生している。 逆に言えば、自我仮説(時間的流れ記憶=過去=超光速) と時空仮説(空間的広がり=予測=未来=光速下)は、 無(=不確定性無限)の潜在としての認識可能性(感受 表面=光速)から相補分化しているという事だ。 自己成立のための必要として環境は生じている時、 その法則性=物理は、「自己存在の本質」である。 人は、存在を自己の外のものと考え、物理とは『どこか 遠くで勝手に底を支えている無味乾燥なもの』と思い、 その上に自由に哲学や価値観が作れると考えているが、 その実、物理の探求において、自動的に導かれるのだ。 そこに、超越者のスタンスなど不要だ。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 やはり難解でよく理解できませんでした。 自由に哲学や価値観が作れるのではなく、 物理の探求のみからしか導かれないということでしょうか。 物理は万有引力の法則とかそうゆうやつであって、 その上に自己が成り立っていると思われます。 なんにせよ、人間を超えることを意識して思考することは罪である 主張は理解できました。

  • 0fool0
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回答No.8

>私は心理にたどり着いているのでその問いかけは否ですね。 “文明と同じように人間自体にも進化が必要なんですよ。 より高次元の課題と戦うはず。 それを実現してくれるのが破壊する者。 ” 真理にたどり着いたんじゃないの?w

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 何とも答えがたいのでとりあえずお礼だけします。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.7

>文明と同じように人間自体にも進化が必要なんですよ。 貴方の発想ではサルと人間を比べたら、人間の方がより「至高」に近い存在だと思っているようですね。 >より高次元の課題と戦うはず。 現在の人生での宿題の方を頑張りなさい。 今の貴方に解けない筈は無い。 逃げているから解けないだけ。 >それを実現してくれるのが破壊する者。 超人思想に末法思想・・ 容易く新興宗教に絡め捕られる思考タイプです。 「何か秘訣がある筈だ」「まだ見つかっていない真理が何処かにある筈だ」「何時か師が現れる筈だ」 これらに当て嵌まる思考形態では、本質にはたどり着けません。

sohcon
質問者

お礼

> 「何か秘訣がある筈だ」「まだ見つかっていない真理が何処かにある筈だ」「何時か師が現れる筈だ」 > これらに当て嵌まる思考形態では、本質にはたどり着けません。 私は心理にたどり着いているのでその問いかけは否ですね。 > 現在の人生での宿題の方を頑張りなさい。 > 今の貴方に解けない筈は無い。 > 逃げているから解けないだけ。 現実は一介の社会人にすぎないので心配ご無用です。 憂さ晴らしです。

回答No.6

 こんにちは。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~  人間を超越し、高次元に立ったときにはじめてかつての命題に  対する回答をいともたやすく導くことができる。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ おそらく 超越論にかかわるようなヒラメキならば こちらから迎えにいかないほうがよいと思います。  思考を重ねて 推論をいくつかにみちびくという場合の問い求めでは そういった解についての考えを尽くすまでにすすめるのでしょうが 《高次元》のもんだいは あまり外へあるいは上へと出かけないようですよ。  参考資料です。  ▲ (中村元:龍樹)~~~~~~~~~~~~~~~~~~   《わがもの》という観念を離れ 自我意識を離れたものなるものは   存在しない。《わがもの》という観念を離れ 自我意識を離れたも   のなるものを見る者は 〔実は〕見ないのである。     (『中論』第十八章 アートマンの考察 第三詩)  という。これは驚異的な発言である。われわれは平生は我欲に悩まされているから 我欲を離れた境地に到達したいと思う。ところが我欲を離れた境地というものが別にあると思う人は 実は真理を見ていないのである。      (中村元『龍樹』2002 pp.225-226)  ▼ 〔親鸞:自然法爾(じねんほうに)章〕 ~~~~~~~  自然といふは  自は おのづからといふ 行者のはからひにあらず    然といふは しからしむといふことばなり。    しからしむといふは行者のはからひにあらず   如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。    * 爾(に・じ):しかり。そうである。  △ (道元:現成公案) ~~~~~~~~~~~~~  自己を運びて万法を修証するを迷とす。  万法進みて自己を修証するは悟りなり。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 我欲を離れた所に真理はない。 我欲の定義とは何でしょうか。 魂の成長に対する欲求を我欲と呼ぶのであれば真かもしれませんが、 金権力セックスに真理は感じません。

回答No.5

宇宙の起源が自己である時、真理とは、超越者の 視点ではなく、自己存在の本質(物理)の自覚に ある。 むしろ何も分からないのに、肉体的自己や認識 とは独立した外的存在を当然のように受け入れる 常識者の方が、よほど超越している(狂気の方に)。

sohcon
質問者

お礼

ありがとうございました。 自己存在の本質とは何でしょうか。 旧来から、哲学とは自己存在を見つめることという考えが主流のようですが、 人を超越するには高次元の生命体とは何であるかを見つめる必要があります。 生物が進化するきっかけは危機に対する変化対応。 絶望と闇が人類を襲う時、人は危機を感じ変化に目覚め進化するのだと思います。 貴方様の人生の中でも自分を真に成長させたのは最大の危機に陥ったときではなかったですか?

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.3

こういう言葉があります。 物質的世界よりも、精神的世界の方が静まっている。精神的世界よりも、消滅のほうが静まっている。 精神が肉体を超えると表現されているのを聞いて、思い出しました。

sohcon
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 精神が肉体を超えた訓練によって肉体が破壊・そして再生され、 結果的に肉体も向上していきますが、 消滅が静まっているというのはよく分かりませんね。 無に価値はないと思います。

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