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皇室
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- 成人式の着物の白いフワフワはいつから始まったのか?
毎年成人式のニュースが流れると振袖姿の女性が映ります。 多くの女性が振袖に白いファーの襟巻を付けていますが、あのスタイルはいつから始まったのでしょうか? なにかきっかけやコーディネイトの決まりなどはあるのでしょうか?
- 「イギリス王室の」と付けるのは何故ですか?
ウィリアム王子来日のニュースでは必ずと言っていいほどどのニュースでも「イギリス王室のウィリアム王子」と言っています 「イギリスのウィリアム王子」と言わないのは何故ですか? 他国の王族が来日したときはわざわざ「○○王室の~」とは言わずに「○○(国名)の~」と言います 英国のプライドか何かでしょうか?
- 神道非宗教論の論理
「神道は宗教ではない、日本人の倫理だ」と言われたり、「神道は祖先への尊敬の念の自然な現れだ」と言われると、確かに納得はしてしまうのですが、論理的には脆弱な気がします。 神道が宗教か否かの問題は何も現代の靖国公式参拝問題に始まったわけではなく、それこそ明治維新のはじめからの問題のようです。 不平等条約の撤廃のためには信教の自由を憲法で定める必要があったが、神道とキリスト教を併置するわけにはいかないと。 そこで神道は宗教ではない、という神道非宗教論が唱えられたわけですが、新書や解説書を読むと神道が宗教ではないとされる理由は以下の三点です。 1、神道は祭りの儀式であって、「宗教=布教・葬式」ではない 2、神道は祖先を崇拝しその祭祀に従うことであってあくまで国家の掟である(or 先祖への自然な愛である or 自然な愛国心である) 3、神道は国家興隆の源であって、個々人が選択するような宗教とは格がちがう。 明治政府は「宗教=布教・葬式」と定義していたようで、それならば確かに神道に宣教師はいませんが、しかし神道行事は布教的効果も否定できないと思います。 そして祖先への自然な畏敬も、祖先の魂という観念が多かれ少なかれあってそれを祀り、自分自身や家族、日本国を見守ってもらおうというものだと思います。愛国心の表れとはいえ、神道的な礼拝は死者についての観念を含んでいるのではないでしょうか。 それとも例えば靖国参拝は「英霊を慰める」という側面は全くなくて、死後の世界など全く関わらずに単なる慣習・風俗として行われていると言えるでしょうか。 わたくし個人は、神道的な観念に非常に愛着を覚えますし、靖国問題も出来るだけ良い形で解決して欲しいと願っていますが、靖国参拝は宗教行為だと言われて調べてみても、確かに納得はできませんでした。 神道は宗教であるという方からも神道は宗教ではないという方からもお知恵をお借りしたく思います。
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- theharukamber
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- なんで皇族には「様」を付けるの?
日本国民統合の象徴である天皇は天皇陛下 他は〇〇様ってつけますよね 敬称でいいなら ○○さんでいいんじゃないの? 僕は様なんてつけない 「ちゃん」か「さん」のどちらか
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- sundegasuki
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- 眞子さま、小室さんの立候補の可能性
明日は記者会見の日です。眞子さまと小室さんの。 それに関連してふと思いついたんですが その眞子さまや小室さんが選挙に立候補する可能性はありますか。 結婚した後思いがけない事情が出てきてつまり生活上の必要にせまられて国会議員や地方議会議員、自治体の首長の選挙に立候補する可能性がまったくなくもないと思うんです。あの小室さんは法律の知識はあると思うし政治家に必要な図太い神経も十分持っていると思いますよ。どうでしょうか。眞子さまが立候補するなら小室さんは黒幕になるでしょうね。
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- katakana1956
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- 天皇制は今後も必要ですか?
天照大神という架空の存在を中心に置いたのは、科学技術が発達してなかった時代、やむを得なかっただろうと思うし、 今でも科学技術により解き明かされていないことだらけなので、 今後も天照大神を崇め奉って構わないだろうと、私は思います。 しかし、なぜ天皇という生身の人間を真ん中に据えたのか、そこが理解出来ません。 天皇家には庶民のような自由は無いんですよね? 庶民感情で見てみると、個々人の性格で安住出来ると思う方も居れば、一刻も早く飛び出したいと思われる方もおられると思います。 それをじゅっぱひとからげで軟禁状態に置くのはいかがなものなのでしょうか? 今回の眞子さまの結婚がその典型的な例だと思います。 増して、血が濃くなるということで民間から嫁ぐということを容認しているということは、一般庶民の感覚と何ら変わらないと思うのですが、その辺どういう理屈の上で庶民と一線を画しているのでしょうか?画さないなら天皇制の大義名分は?
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- torahige1923
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- 高貴な姫と下衆なマスコミ
秋篠宮真子様と小室圭さんの結婚記者会見を見ました。 とても、高貴で凛とした声、決意の固さを感じる会見で胸がスッとする 思いになりました。 小室さんのNY滞在と留学について、真子様が小室さんにお願いした。 という下りは殺到していたマスコミが唖然としたであろう真実だと 思います。 下衆なマスコミはNYまで小室さんを追いかけて何を探ろうとした のか? 週刊誌が勝手に作ったシナリオが有名無実なことに、なんの反省も ない。しかもテレビ各社も小室さんがNYで勉強三昧なのを論い 「なにかあるのでは」という憶測で動いたのは現地のアメリカ人に どのような影響を与えたのか? とても、印象の悪い日本のマスメディアというレッテルが日本人全体 にも悪影響を与えている。と思えてならないです。 その点、どう思いますか。
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- taikobowmeido20
- 回答数8
- 小室圭さまが弁護士試験をご不合格におなりあそばされ
小室眞子さまと小室圭さまのご結婚につきまして、NY弁護士試験のご合格を「前提」とした報道や世論に違和感を感じ続けてきましたが、やはりご不合格がご実現あそばされまして、お二人さまの今後のご行く先に懸念が持たれておるのでございます。 1、チミは小室圭さまがご不合格になる可能性をどれほどに見積もってましたか。 2、その他。
- 「武烈」とか「継体」とかいう天皇の「名称」は???
現在の「令和天皇」というのは、126代のようです。明治以降の「天皇の名称」というのは分かりやすいのですが、そもそも126代の天皇の名称は、いつの時代、何によって決まったのでしょうか??? 現代では、「令和天皇」という呼び方も、即位する時には決まっていますので、特段の違和感がないのですが、まさか、「武烈」とか、「継体」とか、「名は体を表す」ような名前が、当時、即位したときから、使われていた、呼ばれていたとも思えないのですが。 あまりにも単純でばかばかしい質問なのかも知れませんが、よろしくお願いいたします。
- お見合い断られる
33歳初婚独身女性で2月から結婚相談所に入会していて婚活中。36歳の国家公務員にお見合い申し込みし、引き受けてくれました。 この連休中対面でお見合いしましたが相手から断られてしまいました。 10分前に席に座っておくことになっていましたが10分前過ぎてきました。 最初からうつむき加減ではきがない感じでした。ノリが悪いかんじでした。なんか暗いというか。旅行、映画、料理の話をしましたがなんか盛り上がりませんでした。お見合い時間は1時間なんですが50分くらいで終わりました。 なんかしっくりこないというか・・合わない感じでしたね。 これは感触悪いなと思いました。 生理的に受け付けないかぎりは仮交際申し込もうと思って申し込みましたが予想通り断った。 一回のお見合い代5000円かかってます。 お見合い時間は、お昼の11時からでお見合い場所から遠いからわざわざ朝早く起きて電車に乗って化粧も頑張りました。 相手の国家公務員は、お見合い場所まで自転車で15分だそうです。 以前も収入の高い男性に断られたことがあります。 収入の高い男性と結婚したいのにそういう人が好かれないのかもしれなくて悲しい。 お見合いは3回目です。1回目と2回目は自分から断りました。 来週末、42歳の会社経営者とお見合いを控えてますがこちらも大丈夫かなと不安になってきました。 親にこのお見合いのことを言ったら貶されました。 だから一刻も早く結婚してやると思いました。 セレブ婚して退職の原因を作ったお局や独身だと馬鹿にした奴らを見返してやりたい!! 貧乏独身生活から一刻も早く抜け出したい!! この思いから結婚相談所に入会しました。 30歳までにセレブ婚してる人って人生の勝ち組ですよね。 高収入はどんな女性を好みますか?
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- dreamtorip
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- 北京原人の化石の行方について
人類の進化史に関する本を読んでいて、下記のような文章が気になりました。 記 北京原人の化石についてもっとも残念なことは、日中戦争の最中に実物の化石が行方不明になってしまったことです。太平洋戦争がはじまる直前の1941年、安全のために化石をアメリカに一時保管することが決められ、港へ輸送しようとするその過程で、化石は消えてなくなってしまったのです。その後、多くの捜索活動が行なわれましたが、化石の行方は依然わかっていません。 以上 それで、2件ほど、ネットで調べてみました。該当の部分だけを抜き書きします。 【Wikipedia】 (研究史) 1940年ごろにはロックフェラー財団に支援を受け、北京に設立された北京協和医学院で保管されていたが、日米関係の悪化によりアメリカへの移送が計画された。1941年12月5日、秦皇島からプレジデント・ハリソンに乗せるためアメリカ海兵隊の警護を受けつつ港へ移動したが、真珠湾攻撃により戦争が始まったことでプレジデント・ハリソンが拿捕され計画は失敗した。北京原人の骨に関心を持っていた日本軍も捜索したが発見することは出来ず、この日以降行方不明となっている。 (骨の行方) 1941年以降に行方不明となった骨の化石については、「日本軍に押収されたが空襲で焼けた」「中国の何処かに隠されている」「不老長寿の薬として使われた」など多くの仮説を生み謎のままとなっている。 中国政府では、 ・移送前の北京協和医学院での目撃例 ・アメリカ軍が駐留していた天津市にある病院の地下室で頭蓋骨を詰めた可能性がある箱の目撃例 ・皇居の地下室に保管されている を有力情報として捜索を継続している。1977年には日本軍に押収され阿波丸で輸送中に撃沈されたという説を元に、潜水調査を行ったが発見には至らなかった。1970年代にはオーストラリアの実業家が情報提供者に15万ドルの懸賞金を出すと公表すると、骨らしきものがシドニー美術館に持ち込まれたが、本物と断定するには至らなかった。 【その他のネット資料・中国観察】 (経過) 1941年の暮れ、日中戦争の激化を受けて北京原人の化石を中国から持ち出し、米国内で一時保管することが決まった。米軍軍医の名前を記した2つの大きな箱に化石を詰め、北京から鉄道で河北省秦皇島の港に運び、そこから貨客船プレジデント・ハリソン号で米国へ向かう-という計画が立てられた。 そして41年12月5日早朝、2つの箱は米海兵隊員とともに北京を出発した。8日午前には計画通り秦皇島に到着したが、北京原人の化石を乗せるはずの貨客船が港に来ることはなかった。 おりしも12月7日(日本時間8日)、遠く離れた米ハワイ・オアフ島で真珠湾攻撃が起きたためだ。プレジデント・ハリソン号は上海付近の海域で日本軍が拿捕。化石の護送任務に当たっていた米海兵隊員も日本軍の捕虜になった。そうした混乱の中で、北京原人の頭蓋骨などの化石は行方が分からなくなってしまったのだ。 (取り沙汰された仮説の数々) 戦後、中国では北京原人の化石捜索が行われた。移送前に化石が保管されていた北京協和医学院、米国施設跡地、日本、果ては周口店の化石発見地まで探したという。だが、ようとして行方は分からなかった。これまでに取り沙汰された主な「仮説」には以下のようなものがある。 ○化石の価値が分からない日本兵により捨てられた ○戦争による被害に巻き込まれて破壊された ○戦中に米軍により撃沈された日本の貨客船に財物などとともに積まれていた ○秦皇島か天津のどこかに今も隠されている ○北京市中心部の公園に密かに埋められた ○日本に運んで隠された。持ち主は東京帝国大学(現・東京大学)、元日本軍人… ○元米軍人の家族が保管している これらはほんの一部だが、納得感のあるものもあれば、小説のような出来過ぎたものもある。いずれも現時点では真偽不明だ。 私は、日中戦争・太平洋戦争がはじまったころの事情には、まったく詳しくありません。教えていただきたい、あるいは推理していただきたいのは下記の2点です。どちらか一つでも構いません。 1 上記の「化石の行方に関する仮説」のうち、当時の事情からして、「これは、ないだろう」とか、「これは考えられない」という仮説を挙げてください。 2 現在も行方不明であることは承知のうえで、当時の状況なども推理のうえ、「北京原人の化石の行方」について、私見を披露していただければありがたいです。
- なぜ靖国神社は人殺し戦犯を祀っているのか?
戦没者だけを祀るのなら納得しますけど なぜ人殺し戦犯を祀っているのでしょうか? だからこそ中国、韓国が抗議してくる厄介な問題になってしまっています。 人殺し戦犯を祀るのはおかしいと思うのですが? 例えていうなら、死刑囚と犯罪犠牲者を同じ所で一緒に祀っているようなものでは?
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- その他(社会問題・時事)
- soridasu
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- 天皇・帝が弔問のために足をお運びになるのはいつから
桂宮様が薨去されました。謹んでお悔み申し上げます。 そのニュースの際に、天皇皇后両陛下が弔問に訪れなさった、と聞きました。そこで一つ疑問です。 天皇陛下が直々にお出かけになるというのは歴史的にはたいへんな重みがあると思うのです。我々一般人がお通夜に駆け付けるのとわけが違い、身分として最高位にある場合には、基本的に「周りの者が馳せ参じる」のが普通であって、陛下にお越しいただく、というのはよっぽどの栄誉である、という感情を自然に抱きます。 もちろん今回の悲しいニュースにおいては、「こちらから出向く」ことができないのは当たり前です。しかし、いくら人が亡くなったとはいえ、勅使を使わす、などの方法で「天皇らしい」儀礼の尽くし方もあったのではないかと想像いたします。 そこで歴史や天皇家に詳しい方々に質問です。 ●陛下が他者の弔問に足をお運びになるのは、いつから普通だったのでしょうか。 ●陛下が他者の弔問に足をお運びになるにしても、相手の位によって直々にいらっしゃるか勅使・弔電にするか、線引きはどの辺にあるでしょうか。 一般人の社会でも、通夜に行った場合には葬儀には参列しない、という場合がありますね。今回の場合、血縁としては いとこ にあらせられるわけですから、一般でいう「通夜」と「葬儀」(正式には何の儀、何の礼というか知りませんからこれでけっこうです)の両方にご参列されることもあり得るわけです。 でも、陛下が通夜と葬儀の両方に2回もお出かけになる、というのが、本当に普通のことなのでしょうか? 軽いフットワークで通夜に駆け付けなくても、葬儀だけで充分、とは言えませんか? 大震災のときですら、現地を訪れるのは何か月も後でした。まああれは「何県を最初にするか」とか「受け入れ体制の内容なたいへんな時期に行っても逆に世論の反感を買うのではないか」とか放射能の問題とかご高齢の陛下に衝撃的な現状を見ていただきたくはないとか、いろいろな政治的要素があったかも知れませんが。 でもご親戚、皇族や宮家が亡くなっても、「社交上の身分の上下」もありますから、そう簡単にお下りになることはできないでしょう? 一般人がいとこを身近に感じているのとはだいぶ異なるのではないですか? これを言い出すと、では最近テレビによく出ている竹田家で不幸があったら陛下は「ご親戚だ」と行って「亡くなった当日に即座に」駆け付けるのか、というバランスの問題が生じると思います。 こう考え始めると、苦内庁の 「できるだけ一般人の風習に合わせよう」「できるだけ世論の反感を買わないようにしよう」 という判断が働いたのかな、と思わずにはいられません。「一昔前ならあり得なかった」けれども「現代風にルールを変えて、『本日お亡くなりになりましたので、急ではございますがお出かけください』 と予定を組むようにした」 という推測で合っていますでしょうか。 一部の人が、「テレビで流される映像の順番も、活字にされた記事も、最初に両陛下が訪れてその後に他の方々も訪れた、という演出になっているが、これは印象操作だ」 と言っています。苦内庁にとっては 「いとこの(葬儀だけでなく)通夜に駆け付けるのも(テレビに使ってもらえるのがわかっているし)大事な印象操作」 であって、「天皇はそう簡単には出かけられない」 とも言っていられない、という時代の流れなのでしょうか。それとも私が堅苦し過ぎるのですか? 外交儀礼上などでは弔問に訪れることは多々あると思いますよ。3日も4日も待ってもらうわけにはいきません。それに、国事行為の中には 「なんでこんなのにわざわざご参列されるのだろう」 という格の低い行事もあるでしょう。 ただ、普段、東宮ですらそう簡単にはお近づきにはなれない身分であらせられますし、その東宮にも秋篠宮様ですらそう簡単にはお近づきにはなれない身分であらせられると聞きます。 太古の昔から いとこ の不幸に出かけるのは例え天皇陛下といえども当たり前のことだったのですか? 天皇が嫌いだから、とか、イデオロギー的な、「議論」に発展しそうなご回答は望みません。純粋に歴史的な経緯が知りたいです。 よろしくお願いします。
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- ohmy-pasta
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- 日本のパスポートはなぜ信用があるのでしょう?
こんにちは。 わたしは日本に生まれて良かったと思う一人です。 嬉しいのは日本のパスポートが信用があること! ここまで信用を築いてくれた先人に感謝です! さて質問、 皆さんはなぜ日本のパスポートは信用があると思います? 日本の信用でもかまいません。 よろしくお願いします。
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- noname#198340
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