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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:アメリカの奴隷制度の実態について)

アメリカの奴隷制度の実態について

このQ&Aのポイント
  • アメリカの奴隷制度の実態とはどのようなものだったのか調査してみました。奴隷制度廃止前の黒人の生活実態や雇用形態、労働市場などについても解説します。
  • アメリカでの奴隷制度は、黒人が労働力として奴隷として使われていた時代です。黒人は賃金や労働条件を決めることができず、制度上は所有者の所有物として扱われていました。
  • しかし、すべての奴隷が同じ扱いを受けていたわけではありません。一部の奴隷は比較的自由度の高い労働環境で働いており、所有者との関係も対等な場合もありました。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • phj
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回答No.3

アメリカの奴隷制度を語るためには、古代からつづく地中海世界の奴隷制度を確認しておく必要があります。 紀元前の時代から「奴隷制度」というのはありふれた制度であったといえます。奴隷の多くは、アテネなどの都市国家から離れたアフリカ大陸や未開なゲルマン民族やスラブ民族であったものの、都市国家間で戦争がおき、負けたほうの市民が奴隷として売られることも多くありました。 また海賊などが船を襲ったときに、人質となった人々のうち金持ちは地元から身代金を持ってきてもらって引き換えに開放されたのですが、身代金を払えない人々は奴隷商人が買い取って、地中海から離れた中近東などに売っていたようです。 これらは1世紀ぐらいには、かなり高度に組織化されており、ローマ帝国の奴隷にはアフリカ出身の肉体労働者から、ギリシャ出身の教師の奴隷や医者の奴隷なども居たようです。また、奴隷には賃金がある程度払われており、それを元手に儲けあるいは宝くじを当てるなどして、主人にお金を払い奴隷身分から開放されたようです。    またプランテーション的な農業が多かった地中海世界では、奴隷は労働力として必要だったものの、積極性は皆無だったため、馬牛などを使った場合の生産性と奴隷を使った場合の生産性について議論した同業経営書などもあったようです。 いずれにしても「奴隷」の地位は、主人の所有物であり、馬や牛などの家畜と変わらない存在でした。3世紀ぐらいの奴隷の価格は30万円前後であり、家畜を飼うほうがいいか奴隷を飼うほうがいいか、というものだったと思います。 時代が下がって中世のヨーロッパにも奴隷性が残っていました。この奴隷性の特徴はほぼ古代と変わらないのですが、供給先がアフリカとスラブ民族に変化していきます。また、当時のヨーロッパは相対的に貧しい地域でしたので、中近東などから宝飾類やスパイスなどの輸入に対して、奴隷を代金代わりに払っていたようです。 アラブ諸国では、白い肌が珍重されるために特に女性は高値で買われていたようですが、これは現代のニュースにも同じ側面が出ています。 わずかな金額で買われる少女予たち:http://japanese.ruvr.ru/2012_11_29/96332677/ アメリカ合衆国が独立すると、ほぼすぐに黒人奴隷が供給されるようなります。このときに供給したのはヨーロッパに存在する奴隷商人だったことでしょう。 アメリカは広大な土地があったため、労働力がいくらでも必要だったからです。 奴隷制度そのものもヨーロッパの制度とほぼ変わらなかったと思います。重要なのは ・奴隷は主人の所有物であること ・奴隷の子供も奴隷であること ・奴隷の生殺与奪権は主人にあること です。 先ほど書いたように、奴隷の労働力を向上するためには多少の娯楽必要になりますので、小遣い程度の賃金を与え、日常的な楽しみは享受できた、という場合も多いようです。 しかし、アメリカ南部のなにもないプランテーションで働く奴隷には、娯楽もなにもなく掘っ立て小屋で寝起きをする暮らしの人々もいました。  これらの処遇は、主人の資質によるところが大きく、それは古代から同じでした。 アメリカの奴隷制度を特長つけているのは、黒人法という法律でしょう。アメリカには独立当初からわずかですが自由人としての黒人がおり、また奴隷から解放された黒人もわずかながら増えていきました。  ヨーロッパでは(実際に差別がなかったとはいえませんが)、肌の色で差別する法律は無かったのですが、アメリカには黒人法(black code)が制定されていました。 この法律が制定されたのは、皮肉なことに奴隷解放を是非とした南北戦争の後のことであり、憲法で奴隷制を廃止したのにも関わらず、黒人法で差別することになっていったのです。 つまり、私たちの知っている奴隷制というは、南北戦争までの「主人が所有する」という奴隷性と、戦後の黒人法による実質的な差別の二つに分かれます。 以後は黒人法による「実質的な奴隷制」の継続の根幹です。 黒人法は多岐にわたる法律の総称なのですが、その内容は ・選挙権の実質的な剥奪 投票税などで黒人の投票権を縛った ・異人種間の通婚の禁止 白人と黒人が結婚することを禁止した ・教育の分離      白人と黒人は教育する場所を厳密に分離された。 ・公共施設の隔離    鉄道・バス・レストランなどの場所を分離した。 ・武器の所持や夜間外出の禁止 ・徒弟法        黒人が労働する際に、お礼奉公を義務つけるなど、実質的な職業の自由を奪った。 これにより、黒人は白人とは違った「2級市民」の扱いをうけ、特に南部の奴隷出身者は、実質的にそのまま主人の元で働くことを余儀なくされました。 また、黒人が自立して働き、個人の権利を確立することはかなり難しかったと思います。特に教育で差別され、賃金や選挙権で差別されているのですから、実質的に奴隷と同じだったといえます。 ただし、元々自由民だった黒人も少数ながらいましたし、北部では(黒人が元々少ないが)かなり自由に生活が出来ていたといえます。 これらの黒人法は1866年(南北戦争終戦の翌年)から数年で公布され、南部11州で常態化していきます。 これが解消されるのは1964年の公民権法が施行されてから、ということになり、この法律が施行されてからまだ50年たっていないことになります。 今でも黒人差別は南部が激しく、北部は比較的穏やかです。しかし、それ以外にも黄色人種差別やヒスパニック差別などもあり、白人優位主義が消えたわけではありません。  

mkfdh
質問者

お礼

詳しい回答ありがとうございました。解説は大変参考になりました。1964年まで黒人法という差別法が存在していたことに大変驚きました。 僕は歴史に詳しくないので飽くまでも素人の疑問なんですけど、ほんの50年前まで法律で差別されていることに当の黒人達は怒りや疑問を感じなかったのでしょうか?なぜ大々的な抗議や暴動が起きなかったのでしょうか? 僕のように現代日本で生まれ育った者の感覚では差別などあってはならないというのが常識的感覚ですけど、でも当時のアメリカのように、差別をする法律がある社会環境の中で生まれ育つと、やはりそれが常識として国民に受け入れられていたのでしょうか?

その他の回答 (3)

  • phj
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回答No.4

#3です。お礼ありがとうございます。以下補足です。 >ほんの50年前まで法律で差別されていることに当の黒人達は怒りや疑問を感じなかったのでしょうか?なぜ大々的な抗議や暴動が起きなかったのでしょうか? アメリカの黒人たちは当然怒りも疑問も持っていましたし、暴動も数多く起こっています。 怒りについては、たとえばびりー・ホリディの「奇妙な果実」という歌があります。果実というのは木になるものですが、奇妙な果実とは白人にリンチされ木に吊るされた黒人の痛ましさを歌った曲です。 また、アメリカにはソウル・フードというのもありますが、これは黒人が粗末な食料をなんとかおいしく食べようと工夫したものですし、ジャスもアフリカから連れてこられた黒人たちが自分たちの音楽を継承して作り出したものです。 これらにはすべて「虐げられた黒人の怒り」が込められています。 しかし、実際のところ暴動を起こしてもなにもできなかったが実態でしょう。白人は銃を持っているのに対して、黒人奴隷には武器はほとんどありませんでした。また、暴動を起こすにしても、兵器や戦術などの知識を持った黒人奴隷はいませんから、結局、警察隊などに鎮圧されて終わりになるわけです。 しかし、黒人法制定後、散発的に暴動は起こっているはずですし、それが史実に残っているものはほとんどない、といえます。 しかし、1945年に太平洋戦争が終わると、アメリカ国内でも自立という考え方に転換期がきます。日本とアメリカが戦争をした地域が積極的に独立をし始めるからです。 アメリカはソ連とのイデオロギー戦争で民主主義国家を増やしたいために、独立を支援していきました。 そのアメリカ国内で黒人を差別しつづけているのでは、独立したアジア人国家や黒人国家から見て、非常に矛盾に見えたたため、アメリカ国内でも「植民地と同様の搾取が行われているのはおかしい」という考え方が広がりはじめました。 黒人法は、黒人だけでなく有色人種をすべて差別する法律ですから、独立したアジア人がアメリカ国籍を取得すると、また差別されるという矛盾があったからです。 そこに力を得たのが、公民権運動と呼ばれる黒人を中心とした(もちろん白人の知識層も後押ししていきます)運動で、有名なのはルーサー・キング牧師などの運動ですが、さすがに公民権運動を説明すると長すぎてしまうので、そのあたりはwikiなどを参照してください。 >僕のように現代日本で生まれ育った者の感覚では差別などあってはならないというのが常識的感覚ですけど、でも当時のアメリカのように、差別をする法律がある社会環境の中で生まれ育つと、やはりそれが常識として国民に受け入れられていたのでしょうか? そもそも「人は生まれながらにして平等」という考え方自体が16世紀の啓蒙主義の後のことです。 それ以前は、王族・貴族・庶民と階級が違うのは当たり前、信じる神が違えば「同じ人間」とはいえなかったですし、そもそも民族が違えば「人」として扱うこともありませんでした。 これは異民族同士が争い、様々な宗教が入り乱れている大陸では普通の考え方だったといえます。 ですから、以前書いたように古代から力の弱いものは奴隷だったわけです。奴隷なら実際にはまだいいほうで、戦争があれば「勝者の権利」として、負けた民族を滅ぼすこともできたのが古代の戦争だったからです。 ですから、現代でも世界的には「差別」があるほうが普通です。日本人は島国で、せいぜい在日特権を批難程度の軋轢しかありませんが、どの国でも「すべての人は平等」という概念はあっても、実際には差別が残っています。 在日差別のことを言えば、最近日本でもヘイトクライムの問題が出ていますが、それを罰する法律がなかったほど差別が少なかったといえるわけです。 ちなみに、日本人だって差別されます。アメリカやオーストラリアには、いまだに有色人種を嫌う白人がいます。理屈ではなく感覚で嫌いなのです。 そういう人も、一応「どの人も平等」という概念はありますので、社会で生活する分には、それを隠していますが、アジア人がレストランに入ると席を立って出て行くとか、酔っ払って因縁つける、とかいろいろな人がいます。 外国(白人の国)に住んだ経験があれば、一度ぐらいは誰でも経験しているでしょう。ちなみに私もアメリカ滞在経験がありますので、そういう経験があります。

mkfdh
質問者

お礼

回答ありがとうございました。差別が世界中に存在していて、むしろ歴史的経緯から見れば差別は常態化していた(している)ことが分かりました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2
回答No.1

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