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村上春樹現象は 異常ではないでしょうか?
新しい作品が 異常な売れ行きだそうです。 けれども かれの小説をもし大事に読むとすれば それは 哲学の観点から言って 異常ではないでしょうか? ここで哲学の観点というのは 《わたしが生き わたしたちが共に生きる》を至上命題とするという意味です。 ○ 村上春樹の文学作品には 人間が出て来ません。 ○ 死の状態で面白可笑しく生きる。死んだようにして さまよいつつ生きる。大いなるもやもやの中に いつも いたい。――といった情況を描いているのみである。 小説を材料とすると 主題が拡散しますから 今年にかれがおこなった例の《〈エルサレム賞〉受賞演説》を例にとります。 ▲ (村上春樹) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php ・・・私の心の壁に刻まれているものなのです。 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、 私は常に卵側に立つ」ということです。 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか? この暗喩が何を意味するのでしょうか? いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。 そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。 私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわちここで ○ 卵であるわれわれ一人ひとりが 壁をつくり支えているという現実を なぜ 見なくてよいのか。 ○ そうだけれど 変えて行くと言いたいのなら そういう趣旨で 表現しなければいけない。 ○ われわれは 卵であるのだから ただ 卵である自分の側に立つというだけでは おもしろいはづがあろうか。 より一層妥当性のある評価を問い求めます。ご見解を明らかにしておしえてください。
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補足
amaguappa さん ご回答をありがとうございます。ありがたいですね。かゆいところに手が届く式で 講義を受けることが出来るわけです。みなさんに感謝!! いろいろしゃれたお応えが出来ないものかと 或る程度考えましたが 今回は ありがたく啓蒙をしていただいたとお受け取りするのみです。 ★ うん、ホフマンもそうですが、1830年以降に多く描かれだしたディスコミュニケーションや個の世界、室内の系譜ですね。 ☆ 思えば 最近【Q:オタクは 他者性を避けているか】を問いましたし いまも【Q:日本人は 死んだのでしょうか】を問うています。 オタクという社会現象もおそらく この新しい――と言ってももう二世紀近くですか――思潮の系譜にあるということでしょうか。あるいは 後者の質問にて もうあからさまに言いますが どうしても理解し得ず応答の仕方について見当がつかない内容の投稿をもらっています。 その以前にも一例あったのですが 一般化してそれは相対主義であるように感じました。(独我論がからむかどうか)。今回は 相対主義につけ加えるところの礼儀と道理の尊重 でしょうか。礼節はできるだけ重んじ実際にそう努める。けれどもひとの思いや考えは いっさい相対性のもとにあるから 世の中のことについて分かったようなことは決して言うな。でしょうか。 ★ 繋がっており、断絶している群衆の存在 ☆ 自由につながり 自由に断絶しているのなら 自由に話し合っていけるとも思えますが うまく行かない部分も出てくるというところでしょうか。 ★ 室内という意識によって独特に醸される宇宙 ☆ が居心地のよいと言う人びとも 類型を成して現われた(?)。 ★ 個という人間〔が〕捏造され ☆ 自由を自由に使えないと言いますか 自由に使い過ぎているというのでしょうか。 ★ ディスコミュニケーション ☆ わたしが憶測するには だとすると 話がずれていても 自由につなげることを知っており 話がまともに返って来た場合にも 自由に断絶させるすべを知っている。自由電子は動きまわっているが 相手との間で 結合することもなく分子とはならない。 ★ これを自己の問題と受け止める読者の感性も同様に培われたということです。 ☆ もう出来あがっているのですね。 ふうむ。こちらは浦島太郎状態ですか。 でも いまのわたしをつらぬくしかないでしょうね。つらぬくなら 変わるべきところは変わることができるでしょう。 村上作品に違和感をおぼえるひとが ここで二人いらっしゃったのですから。 ですから ★ この系譜では、ご質問の要点にある「人間を描く」という視点そのものが手段を変えたというところでしょうね。 ☆ の変わった手段によって 浦島太郎次郎・・・たちと同じ視点同じ中身が描かれ伝えられたと了解し得ればよしということになるでしょうか。(中身は 完全に変わり得ないということでもないでしょうけれど)。 ふうむ。 ★ 1830年以降 ☆ ですか。追い追いすすみます。ありがとうございました。