ura_22398のプロフィール

@ura_22398 ura_22398
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  • 登録日2016/01/20
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  • 都道府県東京都
  • できればクリスチャンに聞きたいです。

    クリスチャンじゃなくてもいいです。 話を聞いてくれるだけでもよいです。 本当に個人的な事なので。 私は神様の救いを信じていて、 神様に救われたり計らってもらったりする時もあるんですけど、 どうしても、家族への苦手意識が抜けません。 聖書には「家族を大切に」としっかり書かれてあるので、 こんな事言ったら怒られるかもしれません。 でも、どうしても駄目で、 自分でも、家族のことも大事にできないクズで心が乾いてて、 人を愛したり優しくしたりする心が乏しいのかもしれないと思ってしまいます。 神様に今まで何度か、「人を赦します。家族を赦します。家族親戚一同が早く神様のところへ戻られますように。家族との関係が上手くいくように計らって下さい。」と祈ってきました。 でも、私としては赦しているつもりなのに、 しばらくすると、また家族の粗を探し出して怒りに支配されてしまうんです。 特に父親と兄に対しては過去のの恐怖心と怒りから、そうなってしまいます。 私は小さい頃から、私が泣いたらヤクザみたいに怒鳴ってくる父親が怖くて苦手でした。 小1、2くらいの時に、私が反抗して怒らせた時は、躾として自らガスコンロに火をつけ、その中に腕を引っ張られて青ざめた事もあります。 あの時の父の大きな手の感触が今でも忘れられないんです。 最近、今まで溜めてたものが爆発して、もういい大人なんですけど母の前で「怖い!止めて!」と恐らく人生で一番の大泣きをしてしまい、衝突してしまいました。 兄と兄の友達からは性的な嫌がらせを一方的に受けて笑い者にされたこともあります。 だから、そういう事が原因で男性恐怖症みたいになってた時期もあります。 もちろん、私にも悪かったところはたくさんあります。 私も家族を傷つける事を10代の頃とかはたくさんやってきました。 だから、自分が赦してもらいたいっていうのもあるし、 だったら私の方も相手を赦さなきゃと思ってて、 でも上手く許せなくて、 やっぱり私は愛する心が乏しいのかな、同級生たちはなんで親と普通に話せるんだろって 思ってしまいます。 でも、神様がもう私がそのようにならないように計らって下さってるのも解るんです。 事実、もう家族の誰も私を傷つけるようなことはしません。 といいますか、まず会話がありません。 私は母くらいしか家族と会話できていません。 父とは中学か高校の時に、あるきっかけ以来、口を聞いていません。 それは私が悪かったんですけど・・・。 ちゃんと質問になってませんでしたね。 すみません。 でも、こういうことで悩んでて自分でもどうしようもないんですけど、 なにか助言していただけませんか?

  • 人間が神を揚棄する。あなたはどのように棄てるか?

     次のような《神のことば》を人間の命題――判断内容――として表わすにはどうすればよいか? という問いです。  ▲ (イザヤ書1:18~26;2:1~4)~~~~~~~~  論じ合おうではないか、と主は言われる。   たとえ、お前たちの罪が緋のようでも  雪のように白くなることができる。  たとえ、紅のようであっても  羊の毛のようになることができる。  お前たちが進んで従うなら  大地の実りを食べることができる。  かたくなに背くなら、剣の餌食になる。主の口がこう宣言される。  どうして、遊女になってしまったのか 忠実であった町が。  そこには公平が満ち、正義が宿っていたのに  今では人殺しばかりだ。  お前の銀は金滓となり  良いぶどう酒は水で薄められている。  支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり  皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。  孤児の権利は守られず  やもめの訴えは取り上げられない。  それゆえ、主なる万軍の神 イスラエルの力ある方は言われる。  災いだ   わたしは逆らう者を必ず罰し 敵対する者に報復する。  わたしは手を翻し  灰汁をもってお前の滓を溶かし  不純なものをことごとく取り去る。  また、裁きを行う者を初めのときのように  参議を最初のときのようにする。  その後に、お前は正義の都 忠実な町と呼ばれるであろう。  ・・・  アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。  終わりの日に  主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち  どの峰よりも高くそびえる。  国々はこぞって大河のようにそこに向かい  多くの民が来て言う。  「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。  主はわたしたちに道を示される。  わたしたちはその道を歩もう」と。  主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る。  主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。  彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。  国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ たたき台です。  (α) われわれは 一人ひとり 白紙に戻る。タブラ・ラサとなる。神という観念についてエポケーする。もっと言えば 能天気となる。  (β) 《オシへをいだく・守る オシへを説く者にしたがう》 こういったナラハシから自由になることではないか?  ローマ教会の権威は ゼロであると宣言すること。  神を持ち出して 同じ人間をさばくことから自由になること。  人間の名で・自分自身の考えで 自分をも他人をもその思想について自由に批判し合うこと。  (γ) 人間と人間との話し合いが すべてではないか。神は すでに・そして初めから 普遍神であるのだから もういっさいわれわれの人間どうしの話し合いには――待ったなしの場合などを別として――出さない。出す必要がない。  ☆ けっきょく神のことばは 或る意味で――非思考の庭にあって・主観としては――受け継いでいるのだと思いますが 果たしてみなさんはどうでしょう。

  • 人間が神を揚棄する。あなたはどのように棄てるか?

     次のような《神のことば》を人間の命題――判断内容――として表わすにはどうすればよいか? という問いです。  ▲ (イザヤ書1:18~26;2:1~4)~~~~~~~~  論じ合おうではないか、と主は言われる。   たとえ、お前たちの罪が緋のようでも  雪のように白くなることができる。  たとえ、紅のようであっても  羊の毛のようになることができる。  お前たちが進んで従うなら  大地の実りを食べることができる。  かたくなに背くなら、剣の餌食になる。主の口がこう宣言される。  どうして、遊女になってしまったのか 忠実であった町が。  そこには公平が満ち、正義が宿っていたのに  今では人殺しばかりだ。  お前の銀は金滓となり  良いぶどう酒は水で薄められている。  支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり  皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。  孤児の権利は守られず  やもめの訴えは取り上げられない。  それゆえ、主なる万軍の神 イスラエルの力ある方は言われる。  災いだ   わたしは逆らう者を必ず罰し 敵対する者に報復する。  わたしは手を翻し  灰汁をもってお前の滓を溶かし  不純なものをことごとく取り去る。  また、裁きを行う者を初めのときのように  参議を最初のときのようにする。  その後に、お前は正義の都 忠実な町と呼ばれるであろう。  ・・・  アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。  終わりの日に  主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち  どの峰よりも高くそびえる。  国々はこぞって大河のようにそこに向かい  多くの民が来て言う。  「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。  主はわたしたちに道を示される。  わたしたちはその道を歩もう」と。  主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る。  主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。  彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。  国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ たたき台です。  (α) われわれは 一人ひとり 白紙に戻る。タブラ・ラサとなる。神という観念についてエポケーする。もっと言えば 能天気となる。  (β) 《オシへをいだく・守る オシへを説く者にしたがう》 こういったナラハシから自由になることではないか?  ローマ教会の権威は ゼロであると宣言すること。  神を持ち出して 同じ人間をさばくことから自由になること。  人間の名で・自分自身の考えで 自分をも他人をもその思想について自由に批判し合うこと。  (γ) 人間と人間との話し合いが すべてではないか。神は すでに・そして初めから 普遍神であるのだから もういっさいわれわれの人間どうしの話し合いには――待ったなしの場合などを別として――出さない。出す必要がない。  ☆ けっきょく神のことばは 或る意味で――非思考の庭にあって・主観としては――受け継いでいるのだと思いますが 果たしてみなさんはどうでしょう。