oyajimomoのプロフィール

@oyajimomo oyajimomo
ありがとう数3
質問数1
回答数1
ベストアンサー数
0
ベストアンサー率
0%
お礼率
80%

  • 登録日2011/08/15
  • 憎悪との付き合い方

    理解はされないだろうと思いつつ、試みに意見を求めてみます。 悩み相談をする人のほとんどは、 「つらい、さみしい、死にたい」 というような文脈の方が多いようにお見受けしますが、私は、そういう形で悩んでいるのではありません。 「怒り」を忘れられないのです。 確かに、気分が落ち込むこともあり、自尊心も低く、また長い間、不要な人間として扱われてきたこともあり、何事もうまくいかない現実に悲観することもありますが、それは私にとっては、あまり大きなことではありません。 「やられたのに、やり返していない」 という無数の現実が、私の中で、納得できないのです。 他はもう、どうでもいいのです。 よく「恨みなんか、抱えてるだけ損だよ」という人がいます。 やれるわけもないですが、そんな言葉を聞くと、鉄拳をお見舞いしたくなります。 この痛み、屈辱感をたっぷり味わってから、同じ台詞を私に言ってみろ。 今すぐ私の憎しみの全てを浴びせてやる、と。 勿論、そんなことを言う人は、私の切迫した気持ちなど、これっぽっちも理解していないので、説明しても無駄なことが多いのですが……。 「相手は、他人を傷つけることの重大性に気付かない愚者だ、哀れんでやれ」 「許す、という行為ほど、尊いものはありません」 現実のすり替えだ、としか思えません。 相手が愚者でも賢者でも、手を上げれば私が傷つくことなら知っています。 それが人間の行為である以上、過失ではなく、故意なのです。 そして、私が許そうが許すまいが、私の手が敵の首にかからない限り、私の敵はそんなことは、まったく頓着しないのです。 そもそも、相手を罰する力を伴わずに「許す」のに、何の意味があるのでしょう? 「お前だって過ちを犯したことがあるはずだ」 否定はしません。 でも、もし私から不当に害を受けたというのなら、訴えればいい。 私がその事実に納得したら、自分から謝罪に赴くでしょう。 事実があるのに私が謝罪しなければ、報復を受けるかもしれません。 それは好ましくないですが、当然のこととも理解しています。 「神を信じれば」 宗教を否定する気はありませんが…… 人間から受けた害悪で積もり積もった憎しみを、神に後始末させるのですか? それしかやり方はないのですか? 「感じ方次第だよ」 では、やっぱり鉄拳を見舞ってあげましょう。 あなたの体に普通の神経が通っている限り、感じるのは苦痛以外にありません。 私が息切れするまで殴ってあげますから、どう感じたかを教えてください。 「愛する人がいれば」 いい考えです。 ただ、憎悪の奴隷を愛する人がいるでしょうか? 私のほうでは、心の中は別のものでいっぱいなので、人を愛する気持ちには、鍵がかかっていて、外に出てきません。 泥を浴びせる相手に、真水を注ぐ天使が、どこにいるのでしょうか。 「君、もしかして不幸なのが好きなんじゃないの?」 どこの成功哲学の本を読み漁ってきたか知りませんが、痛みを知らないようなので、やっぱり味わってからコメント願います。 死ぬ寸前まで痛めつけて、大事なものも全て奪って、それでも恨みを思わず、明るい未来しか考えないというのなら、納得しますが。 ……といった具合です。 よくよく考えて、胸の中に渦巻く怒りを納めるのに、三つの手段を思いつきました。 相手からの謝罪を受け入れるか、 相手からの被害が気にならないほど強くなるか、 相手の血を流すか、です。 しかし、謝罪は相手の意思が伴ってこそ意味があります。 そして多分、自発的な謝罪は、永遠にやってこないでしょう。 力で屈服させて謝罪の言葉を引き出すのは、復讐の一種に過ぎません。 そして、復讐は、社会の許す形で行おうとするならば、相手以上の十分に大きな力を持たなければ、犠牲を伴う(例えば、社会のルール内では勝てないので、しばしば非合法な手段を選ばざるを得なくなるでしょうから)か、失敗します。 そこで、私は、今までの恨みが小さく見えるほどの勝利を目指して、そのためだけに生きています。 ですが、そのことがまさに、壁になって私の行く先を阻むのです。 私はもう、ほとんど何事にも快楽を見出しません。 何を食べても同じ味しかしないし、異性の体に触れてもクッションと大差ありません。 朝の爽やかな空気も、ドブ川の腐臭も一緒です。 映画や小説を目にしても、感動して涙が落ちることさえないのです。 つまり、共感する力が、あまりありません。 ほとんど全てが色あせた、退屈なものに思えるのです。 しかし、一般的な仕事での成功を目指すのであれば、他人の協力は、どんな形であれ、必要になってきます。 勿論、仕事に必要な業務を外部に発注する場合などには、可能な限り、相手の条件や利益、作業環境に配慮します。 好ましい結果が出たら、自分より先に、仲間に配分しようとさえ思います。 それでも、ただただ私が魅力的ではないために、しばしば致命的な損失を蒙ることがあるのです。 私が魅力的でないのは、わかると思います。 幸せそうな顔をしていないのですから。 怒りに囚われているのは自覚していますが、だからといって、この恨みを忘れるくらいなら、死んだほうがマシです。 勝利や成功を手にすれば、私にも余裕が出てくるかもしれません。 過去の恨みも、その時の私から見れば、小さなことになるからです。 でも、今は勝利していません。 だから、恨みは忘れられません。 それでも、ある程度は人の力は借りなければいけません。 ……もう、私は、あまり待てません。 二十年前に、あることがきっかけで、心と一緒に体を病みました。 一日中、ある種の苦痛が体を襲います。安眠さえできません。 生きているだけで幸せとは、誰が言ったのでしょうか。 生きれば必ず苦痛という代金を支払わねばならないのに。 あと三十年後に勝利できると言われても、そこまで待てません。 今、ここで勝てなければ、また惨めさが積みあがるのです。 それくらいなら、せめて、一人でも多くの敵を血に染めて、自分も死んだほうがいい……そう思います。 苦痛を感じるたび、毎日この思いつめた気持ちが甦ってきます。 怒りを思い出すと、指先が震えだしさえします……目の前に、私を脅かす敵がいなくても、です。声もかすれ、言葉も思いつかなくなります。 それでも、一度納得できる成功を収めれば、惨めさを拭うことができれば、安眠できるようになる気がするのです。 しかしながら、勝利の最大の障害が、私自身の目的、憎しみのようなのです。 どこかで心に鍵がかかっていて…… 例えば、昔は好きだった音楽も、今では人前で演奏することはありません。 私に対して無関心だったり、敵意を抱いている連中に、私の真心を届けてどうしようというのでしょうか。 とにかく、どうあっても、自分と他人とを問わず、許せないものは許せないのです。 しかし、幸せになる人というのは、普通は、心から他人の幸せを願える人なのでしょう。 私の限られた個人の力の範囲内で、 ・怒りから解き放たれる方法があるのならそれを ・なければ、仕事に差し支えないよう、表面的にでも好ましい関係を築く手段を 教えてください。 (仕事仕事、と言っていますが、少なくとも、社会で仕事をする限り、善意に基づいて、社会に好ましいものを提供することで利益を得よう、というスタンスで動くつもりでいます。儲かるなら何でもいい、などとは、あまり考えていません) でも、そんなものはない、というのなら、それはそれでおっしゃっていただいて結構です。 その時は、このまま成功を目指して、それでダメなら、あとは流せるだけの血を流して、自分も死んでいくだけのことです……。 よろしくお願い致します。