OKWAVE コラム
みんなの悩みや疑問が解決したQ&Aをもとに、日常生活や専門分野で役立つノウハウ記事をコラム形式でご紹介。
誰でも気軽に学べる情報をお届けします。
  1. TOP
  2. OKWAVEコラム
  3. 学問・教育
  4. 江戸は世界有数のエンタメ都市!?誰もが楽しんだ娯楽文化とは?

江戸は世界有数のエンタメ都市!?誰もが楽しんだ娯楽文化とは?

現代の私たちにとって、映画や音楽は欠かせない楽しみの一つ。
実は400年前の江戸時代も、負けないくらい豊かな娯楽文化にあふれていました。

いま放送中の大河ドラマ『べらぼう』では、江戸の出版界を賑わせた蔦屋重三郎が描かれていますが、彼が生きた時代、江戸は「世界屈指のエンタメ都市」だったのです。

OKWAVEにも、「江戸時代の文化や娯楽はどうだったの?」という素朴な疑問が寄せられています。
今回は、寄せられた質問をもとに、江戸っ子たちの意外なエンタメ事情をのぞいてみましょう。

なぜ江戸時代に文化が花開いたのか

江戸時代は、ただの「鎖国して引きこもった時代」ではありませんでした。
むしろ、経済の発展とともに庶民文化が大きく花開いた時代でもあります。

OKWAVEにも、こんな疑問が寄せられています。

(以下Q&A引用)
「江戸時代なんて鎖国して引きこもっていたどうしようもない日本」と先生に言われましたが、私は、江戸時代に文化やインフラの基盤がしっかり築かれていたからこそ、明治維新が成功したのだと思っています。皆さんはどう思いますか?(「江戸時代の文化発展」質問より)

実際、江戸時代の日本は、世界最大規模の都市・江戸を擁し、寺子屋での教育により庶民の識字率も非常に高かったと言われています。
海外との交流も、完全に断絶していたわけではなく、オランダや中国との交易、オランダ風説書によるヨーロッパ情勢の情報収集などを通じて、世界の動きを的確に把握していました。

さらに、平和な時代が続いたことも文化発展の大きな要因でした。
戦乱のない安定した社会の中で、農業生産力が向上し、都市経済が発達し、町人文化が花開きます。
学問、芸術、娯楽といった精神文化が、庶民層にまで広がっていったのです。

江戸時代の「文化的な豊かさ」は、明治以降の急速な近代化を支える土台にもなりました。
技術やインフラだけでなく、人々の生活の中に「学ぶ・楽しむ」という土壌がすでに育っていたからこそ、日本は世界の変化に柔軟に対応できたのです。

江戸っ子たちが夢中になった娯楽とは?

では、そんな豊かな文化の中で、江戸の庶民たちはどんな娯楽を楽しんでいたのでしょうか。
OKWAVEにも、こんな素朴な質問が寄せられています。

(以下Q&A引用)
江戸時代の代表的な娯楽というと、どんなものがあったのでしょうか?
素人の私が思いつくのは歌舞伎や浮世絵、本(小説)、落語くらいです。(「江戸時代の娯楽」質問より)

実際には、江戸の町にはさまざまな娯楽があふれていました。

代表的なものの一つが「芝居」です。
中でも歌舞伎は庶民から武士まで幅広く人気を集め、江戸三座(中村座、市村座、森田座)を中心に大盛況を博しました。
当時のスター役者には、荒事を得意とした初代市川団十郎や、粋で華やかな舞台姿が評判だった坂東三津五郎などがいます。
彼らはまさに、今でいうところの「トップアイドル」的存在だったのです。

また、寄席では落語や講談が楽しめ、ちょっとした気晴らしに立ち寄る人も多かったそうです。

(以下Q&A引用)
隅田川の花火大会では、「玉屋」「鍵屋」が競い合い、仕掛け花火で庶民の人気を集めました。
また、寺社の境内では大道芸や動物の見世物も盛んでした。(「江戸時代の娯楽」回答より)

花火大会は夏の風物詩。
特に隅田川では、打ち上げ場所を競う「玉屋」「鍵屋」の花火合戦が大人気となり、毎年多くの見物客でにぎわいました。

この隅田川の花火大会は、江戸時代から続く伝統行事として、現代でも「隅田川花火大会」として受け継がれています。今では日本を代表する夏の風物詩となり、毎年多くの人々を魅了しています。

境内では曲独楽(コマ回し)、軽業、異国の動物の見世物など、好奇心を刺激する催しが賑わいました。

著者自身も、かつて新宿・花園神社の酉の市で見世物小屋を目にしたことがあります。奇妙でどこか懐かしい雰囲気が漂い、江戸時代から続く庶民の娯楽文化を肌で感じました。
実はこの見世物小屋、2024年も花園神社の酉の市で催されておりました
今年はどうでしょう??

さらに、江戸の庶民は旅行も楽しんでいました。
伊勢参りや富士登山など、今でいうレジャー旅行に出かけ、旅先での食事や風景を満喫することも一種のエンタメだったのです。

こうした娯楽は、特別な富裕層だけでなく、一般の町人たちにも手が届くものが多かったのが特徴です。
まさに江戸の町は、誰もが楽しめる「エンタメ都市」だったといえるでしょう。

江戸を彩った絵師たちの世界

江戸の娯楽文化を語るうえで欠かせないのが、アートの存在です。
庶民は芝居や花火だけでなく、目で楽しむ美術作品にも親しんでいました。

OKWAVEにも、こんな質問が寄せられています。

(以下Q&A引用)
浮世絵のような庶民向けの娯楽ではなく、狩野派などのお金持ちが楽しむ絵を描いていた画家について、江戸で活動していた人を知りたいです。(「江戸で活動していた画家」質問より)

この質問に対し、OKWAVEの回答では、以下のような画家たちが紹介されていました。

(以下Q&A引用)
矢野良敬、矢野良勝、杉谷行直、福田太華、森一鳳、宋紫山、紫岡宗琳といった画家たちは、屏風絵や掛軸など本格的な作品を手がけていました。(「江戸で活動していた画家」ベストアンサーより)

また、別の回答では次のような絵師も挙げられています。

(以下Q&A引用)
菱川師宣や英一蝶といった浮世絵に近いスタイルながら、格式ある作品を手がけた画家たちも江戸で活躍していました。(「江戸で活動していた画家」回答より)

編集部で、当時の富裕層や上層階級に向けて本格的な絵画を手がけ、美術史にも名を残した絵師たちについて調査しました。

これらの絵師たちは、庶民向けの浮世絵とは異なり、格式高い依頼主に応じて豪華な屏風や障壁画を制作し、江戸時代の上流階級の「美の世界」を支えていました。

こうしてみると、江戸の町には、庶民向けの浮世絵から武家・上層階級向けの本格絵画まで、多様なアート文化が共存していたことがわかります。

絵を「飾る」「見る」という楽しみも、江戸っ子たちの日常の一部だったのかもしれません。

まとめ:江戸の娯楽文化は、今にも通じるエンタメだった

江戸時代は、単なる「鎖国の時代」でも「閉じた社会」でもありませんでした。
豊かな経済基盤と平和な時代背景のなかで、庶民たちは芝居を見て笑い、花火を楽しみ、旅に出かけ、アートに親しむという、今に通じるような娯楽文化を花開かせていたのです。

OKWAVEに寄せられた質問からも、江戸の文化発展や庶民の楽しみ方、そしてアーティストたちの活躍に対する興味が伝わってきました。

いま放送中の大河ドラマ『べらぼう』では、そんな江戸の文化を支えた人物・蔦屋重三郎の生き様が描かれています。
この記事を通じて、少しでも「江戸時代のエンタメって面白い!」と思ってもらえたら嬉しいです。

400年前も、そして今も――
人は「楽しい」を求める生き物なのかもしれませんね。

前の記事 🙀中高生の8割がiPhoneを利用!?買いたくない親と欲しい子供のリアルな本音!
次の記事 【PR】教えて!gooがサービス終了!?移動先にOKWAVEを選ぶべき3つの理由とは?