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人はなぜ別れを悲しむのか?

disasterの回答

  • disaster
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回答No.4

 卒業式で泣くかどうかは、国によって違うのかな?日本は仏教が多いですから、輪廻転生を信じているはずなのに、なぜ卒業式で泣くのか?実際にまた会おうと思えば、たぶん会えるのに。  これは、信じられる存在を失うかもしれない事を悲しんでいるのです。そうなることを理解できているから悲しむのです。同じ空間で楽しい時間を過ごした友達が別々の道に離ればなれになることで、あるいは信じられない存在になるかもしれない事を悲しむ。  悲しむことで、相手の事が好きであるという事を今だけでも伝えたいわけです。  親子の死別の問題については、これは教育や教養、人間の賢さによるものと思います。自分の親が親であり、子供が子供であり、その事が何を意味するのか、つまり血縁という概念や「親が自分を可愛がって育ててくれた」ということを理解できる、記憶できる、知ることができる、知能が備わっているから、人は家族の死を悲しむようになったのだ思います。  生き返らせることができるなら、嫌いな人でもたぶん生き返らせるでしょう。間違いを正したいと願うからです。無駄なものは一つもないと、知っている。  ある意味では野性動物というのは、輪廻転生の摂理の中にあり、ヒヨコが最初に見たものを親と信じこむのは、その証明なのかもしれない。  フランケンシュタインのように「私のただ一人の父親だった」と、人造人間だったにも関わらず博士の死を嘆いたという描写もありますが、それこそが知性の証であるという考え方の例ですね。  自分を信じてくれる存在、自分が信じられる存在。それがいなくなってしまったとき、悲しむのですね。  そして平和というのは必ず、自らを産んでくれた親を尊ぶ人々のなかにだけ、存在するもの。信じてくれる最初の存在が親だからであり、次に家族だから。

kohichiro
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >卒業式で泣くかどうかは、国によって違うのかな?日本は仏教が多いですから、輪廻転生を信じているはずなのに、なぜ卒業式で泣くのか?実際にまた会おうと思えば、たぶん会えるのに。 そうなんですよね。理性で考えれば不思議なところもあります。 >同じ空間で楽しい時間を過ごした友達が別々の道に離ればなれになることで、あるいは信じられない存在になるかもしれない事を悲しむ。  悲しむことで、相手の事が好きであるという事を今だけでも伝えたいわけです。 そうかもしれません。毎日会っていた友人との愛情を、別れをきっかけに確かめ合うというサインなのかもしれません。 >血縁という概念や「親が自分を可愛がって育ててくれた」ということを理解できる、記憶できる、知ることができる、知能が備わっているから、人は家族の死を悲しむようになったのだ やはり、別れの悲しみとは、人間のすぐれた記憶と知性の産物なのでしょうか。でもひどく(知性とは別物であるはずの)感情が揺れ動かされることが不思議です。

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