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文法疑問
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- 英検 3級 並べ替え
今年、英検3級を受けようとします。 今、準備していますが、並べ替えが難しくて苦手です。 どのように勉強すればいいのですか? よろしくお願いします。
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- makoto1997
- 回答数2
- 6・3・3制が今の子に合ってない理由とは?
学制の6・3・3制が議論されていますが、 現行の区切りの今の子に合ってないとする理由は、どんなことが言われているのですか? 簡単で結構ですので教えてください。 よろしくおねがいします。
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- 教育問題
- noname#205166
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- 文の構造が分かりません よろしくお願いします
中学の問題です。 「But we haven't decided what kind of pet we should get.」 この文の decided より後の分の構造が分かりません。 what kind of pet と we should get がそれぞれ目的語+目的語になっているのでしょうか。 それとも we should get が関係代名詞節で pet にかかっているのでしょうか。 それとも全く違う解釈があるのでしょうか。よろしくお願いします。
- 下記文にknowにitが付かないのは何故でしょ
中3の英語教科書でこのような文があったのですが、knewの後にitが付かないのは何故なのでしょうか。 「 These days, many foreign sumo wrestlers can speak Japanese quite fluentiy. But most of them knew little when they came to Japan. 」 彼らの多くは(日本語を)ほとんど知らなかった(a little じゃなくってlittleだから)、と言う意味合いで良い、と思うのですが、それならば日本語を指す代名詞「it」が必要なのではないだろうか、と言う疑問です。 この文を見て、「そう言えばknowを使った文ではたまにitを抜いたものがあるなぁ」と気付いたのですが、よくよく思えば他の動詞ではこのような前の文の代名詞を抜いたものって無いのでは?knowって特別な用法でもあるのかしら?とどんどん深みにはまっております。 そこで、質問なのですが (1)なぜ上記文でitは不要としているのでしょうか。 (2)knowで、指示代名詞(今回ならit)を抜いてよい時の見抜き方 (3)knowと同じように指示代名詞を抜いて使う動詞は他にありますか? の3点です。 ご教授頂けますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
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- 英語
- ukiukisaku
- 回答数4
- 資格?試験集中の勉強は、語学力の妨げか?
以前は、多読したり、文法の確認したりしていました。 結構の量の英語に触れていたので、頭も英語になじんでいました。 この度、英検を受けるために1か月、過去問を入念にやりました。 まだここまでは、長文を読むので英語になじみます。 次は2次試験で、短いパッセージを読んで、自分の意見等を言う訓練をしています。 圧倒的に英語に触れる量が減りました。音声もほとんど聞いていません。 個人的事由により、疲れるので他の事は出来ません。 2次に受かるためにはそのことに絞った学習準備が必要ですが、 英語を読む、と言う点においては、少し鈍ってきたかもしれません。 2次のパッセージは簡単なので。 つまり、TOEICにしても、TOEICの勉強ばかりしていては、語学力そのものの上昇率は、 多読や多聴に時間をかける(TOEIC学習=問題集を解く)時より、小さくなるのではないか? と思いました。どう思われますか? つまりは、いつものように英語に接しているなかで、 受験前に頭を試験に慣らす程度の受験勉強にした方が、 総合的な英語力は付いていくのかも、と思いました。 英検は、合否がかかっているので、懸命に的を絞ってやるしかない、と思いました。 そのせいで、ここ2か月弱に触れた英語の量は、半年前と比べると、 圧倒的に少なくなりました。これって時間の無駄だったのかなぁ。
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- 英語
- noname#205789
- 回答数1
- 「事故に起きられる」は迷惑の受け身で通じますか
たびたびお世話になっていますが、今回もよろしくお願いします。 受動態のひとつとして「迷惑の受け身」というものが存在します。「雨に降られる」「子供に泣かれる」などがその例です。それと同様の意味で「事故が起きる」を「事故に起きられる」と書き換えることはできるのでしょうか。 この場合の「起きる」は自動詞ですが、迷惑の受け身の形であれば受動態にすることができるはずです(文法理論のみで言うならば)。 そもそも「事故が起きる」の意味での「起きる」の受動態は何でしょうか(存在しますか)。 「事故に起きられる」という表現に、少し違和感を覚えてしまうのは私の考えすぎでしょうか。 例によって外国人にそれに類する質問をされて迷っているのですが、「起きるは受け身にすることができない動詞ではないか」という友人さえもいます。はっきりしたことがわかりませんので、皆さんのご回答をお待ちしております。
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- 日本語・現代文・国語
- Mister0413
- 回答数14
- 次の英文の構造を教えてください。
「恋愛小説家」という映画で、別れを決意した女性の心を、主人公が覆す言葉です。文の構造が分からなくてモヤモヤしています。ピリオドの位置は、不正確かもしれません。特に"how you say" 以下が分かりません。"being"が使われている辺りも、お手上げです。どなたか、構文的な説明と日本語訳を教えてください。 I might be the only one who appreciate how amazing you are in every single thing that you do and in every single thought you have and how you say what you mean something that’s all about being straight and good.
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- 英語
- teachmeright
- 回答数3
- 文法をお教えいただけないでしょうか。
以下の文の文法をご教授の程宜しくお願い致します。 I am certain that I have what it takes to bring the same dedication to the job. (1)what以降の穴はどこでしょうか? whatあるとその後の文のOが抜けると理解していましたが、the same dedication とOがありますのでどこが穴かわからないです。 (2)thatは何節でしょうか? certainという形容詞の後にくるとわからなくなりました。 平易にお教え頂ければ幸いです。
- 英語の日本語訳について質問です。
この二文なのですが、日本語訳はこれであっていますか? 間違っていればご指摘お願いします。 You're not from around here, are you? あなたはこの近辺の出身ですか? You're not saying that we should go all the way back to the hotel, are you? わたしたちがホテルに戻るべきだとあなたは言っているのですか? それと、この日本語訳を教えてください Would you like some help with your luggage? よろしくお願いします。
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- 英語
- noname#189162
- 回答数6
- 英作文で関係詞節を作る時
どういう状況下で制限用法や非制限用法(継続用法)を使って説明文を作るかを練習中です。 ☆1)There's a woman living next door to me. She's a teacher. ⇒(1) The woman who lives next door to me is a teacher. (2) The woman, who lives next door to me, is a teacher.「その女の人、(その人は)私の隣に住んでいるんだけどね、そのひとは 先生なんです。」 (2)の文は おかしいですか? 非制限用法は使えないですか?何故ですか? ☆2)A job was advertised. A lot of people applied for it. Few of them had the necessary qualifications. ⇒(1)Few of からはじめます。Few of the people who applied for the job had the necessary qualifications. (2)Few of the people who applied for the job, which was advertised, had the necessary qualifications. 「その仕事に応募した人々のわずかは、(その仕事は)広告されていたものだったのですが、必要な資格をもっていませんでした。」 ・・・・・この(2)の、which was advertised, のwhichが不適切なのは 前文を先行詞にしてしまえる可能性があるから。(Few of the people who applied for the jobがwas advertisedになってしまえるという意味。)で この場合の正解は (2)' Few of the people who applied for the advertised job had the necessary qualifications. である。この考え方はあっていますか? ☆3)Kate has a son. She showed me a picture of him. He's a post officer. ⇒(1)Kate showed me a picture of her son who's a post officer. (2)Kate showed me a picture of her son, who is a post officer. この場合は、whoが 前文中のどの人をさしているのか わからなくなっているから不適当。カンマはいらない。 この考え方はあっているのでしょうか? すみません。よろしくお願いいたします。
- 古代のギリシャとインド哲学の関係について
古代世界におけるギリシャとインドについていくつか質問があり、自分の手に負えないため皆さんの知識を拝借したいです。 1 「ミリンダ王の問い」という本があるように、アレクサンドロス大王がインドまでやってきてから古代ギリシャとインドの哲学者達は少なくとも接触はあったはずなのに、どうしてその後お互いの交流が途絶えてしまったのでしょうか?ヨーロッパで仏教がちゃんと紹介されたのは1800年頃だと思います。なぜ古代中世の西洋にはインド思想の影響が見受けられないのでしょうか。 2 インド思想(仏教など)は急速に東アジアに広まりました。東に広まったのなら、同じようになぜ西には広まらなかったのでしょうか?インドの哲学者たちはわざわざ中国まで出向いて経典や教えを授けてきた歴史があります。それならなぜ西側にも向かおうと思わなかったのでしょうか。 3 古代ギリシャ哲学の影響力はギリシャだけに留まらず全ての西洋世界の根底になるほどの影響力を与えました。それに比べてインド哲学は古代ギリシャに比肩する高度な論理体型を構築していたのに、宗教面では大きな影響を及ぼしたもののアジアの中心哲学となることはできませんでした。なぜインド哲学はギリシャのようにアジアの中心哲学になることができなかったのでしょうか? 4 これは私が勉強した上での認識ですが、古代世界において古代ギリシャと並ぶ高度な哲学・論理学を構築したのはインドだけです。なぜギリシャとインドだけが宗教ではない高度な論理体型を構築しえたかについて、この二つは両方ともインド・ヨーロッパ語族に属しています。そして印欧語族というのは文法の格変化がとても豊富なため、私はこの点に共通性・そして根拠を見いだせると推測しているのですが、専門家の方がいらっしゃいましたらご意見をお伺いしたいです。 5 五番目の質問は全く根拠がない推測なのですが、ブラフマー(梵)とアブラハムは音がにていると思いませんか? Brahma 、Abraham ブラフマーのお尻の文字だけを頭に持ってくると「a」Brahmとなります。これはただの偶然でしょうか?語源的な知識をお持ちの方がいれば解説をお願いしたいです。 古代、インドにやってきたアーリア人はメソポタミアの地方からやってきました。つまりインドに侵入したアーリア人は元々の段階でメソポタミアの思想の影響を少しは受けていてもおかしくないと思うのですが・・・ 皆さんのお知恵を拝借したいです。よろしくお願いします。
- ローマ教会の欺瞞
○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ イエスは 神の子キリストとして 自由勝手にハリツケになったのであるが――なぜなら おまえらのためにおれが自分の命に代えてその原罪をあがなってやる ありがたく思えなどと言うわけがない―― これをいけにえにされたのだと捉えて わざわざ後からその犠牲となったイエスを聖なるものとした。 これは 理論ないし思想としては ただのルサンチマンを煽る馬鹿げたものであり その欺瞞をただしいものとして押しつけるのは 或る種の犯罪行為である。そのオシツケに屈する人びとのよわさは やはり共犯である。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この命題を問います。 《第三項排除――つまり第三項として犠牲を作り出すという内容――の理論》があります。 自分たちの集まりや社会の中から 《異質〔と見なした者〕を排除する》といううごめきについてです。 今村仁司が理論づけました。『排除の構造――力の一般経済序説』(1992)です。 この理論にもとづき イエス・キリストがその排除された第三項であるという見方 これを提出して問いの趣旨を説明します。 § 1 まづ人には《承認欲望》があると言う 人は 存在として人びととの関係において 社会的である。 しかも主観は 独立した歴史知性であるゆえ 自由な関係を希求する。 しかもその自由の実現を 特に社会集団としては まちがって追い求める傾向もあると言う。 簡単に言うならば 集団の中の一人だけを例外つまり除け者にして あとは互いにひとしく自由や平等をたのしむといった傾向であり むろん間違った道筋であるというものです。 一人ひとりは独立した主観であっても基本的に人間は 社会関係的な存在であるからには 互いによる承認を喜ばしいものとして受け取る。人からみとめてもらえれば うれしい。そのときややもすると この承認を 自分から 追い求めて行く傾向を持つ。たとえ誰か特定の一人の人をワルモノや除け者にしてでも。・・・ § 2 承認欲望が 模倣欲望をうながす。 この承認欲望が衝動のごとくにさえおのれの身にはたらくと 《みんなと同じでありたい願望》=《模倣欲望》を持つ。みんなと同じであれば 安心するという習性。つまり 承認されていると思うことがたやすくなる。 そしておそらく この模倣が世の中全般に行き届いた段階でも その一様性つまりは《全員による同じ歌の大合唱》という情況だけではまだ 相互の承認が完成したとは見なさない。こういう気難しい一面もあると言う。 § 3 模倣欲望は 承認欲望が満たされていちど安心したのもつかのま なおまだ不安が潜んでいるようなのだ。 そこで これなら安心だという一定の判定基準を持とうとする。 この誰れにとっても見やすい共通の基準となるものが 《第三項》である。具体的には 《のけ者》と言えば早い。 除け者を除け者とする同じひとつの態度を共有するなら もう何が来ても安心だということであるらしい。 § 4 第三項とは みんなから隅へ追いやられるものである。 追いやられ仲間ではなくなるという意味で 第三項と称される。 このときその〔小単位としての〕社会は 《一》対《他の皆》という構図をつくる。《一》となった第三項は たしかに《除け者》として扱われる。 つまりは第三項を皆で排除する構造が出来て初めて 人としての互いの承認が実現するというわけだと言います。そうしてこそ 人びとは安心して 安定した《仲良し》状態となり 《秩序》を楽しむと言うそうな。 このような傾向をじんるいは 悲しいかな 残念なことに持っているのだと。 § 5 もっとも そもそもにおいて《自由》を前提していたように その自由への変身を人びとが成しうるとも説いています。 それは 第三項やあるいは《異者》の 受容をとおして わたしたちは獲得することができるとも言います。 また 模倣欲望を実行している最終の過程で その互いに互いを模倣するという《流行や ファッション》の現象においてもその反面にはつねに起こると思われるように それつまり 《みんなと違いたい願望》が これもじつは同時に はたらいてくれるとよいし はたらくだろうと考えられてもいます。 非模倣ないし反模倣つまり みんなと違っていたいという欲望 そしてそれと並んで 《異者》を受け容れるという行為 これらによって 自由への変身を人びとは勝ち取れる。その道はのこされている。 § 6 排除された第三項は 歴史的にキリスト・イエスであるとも言い あるいは 資本主義社会における貨幣のことであるとも論じていました。 第三項は それがいわば見事な排除であった場合には 排除し切ったあとで ぎゃくにそれを人びとは《聖化》すると言います。 人びとからは呪われて去ったと見なされたその除け者を 今度は排除の成功のあとにはぎゃくに偉大な生け贄と見なし それに聖性を付与する。 それによって なお人びとは 安心するというその仕組みなのだと。 つまり 十字架上に去って行った者を 絶対の聖者として こんどは一転して崇めるようになるのだと。 したがってつまり今度は 除け者の第三項を《聖なる第三項》として みなであがめる。 このことを通して あらためて集団ないし社会における秩序と安寧をたしかなものにするのだと。これで人びとは安心するということらしい。 たとえば菅原道真は 聡明で真面目な人間だったらしくしかもワケもなく左遷されたらしく その死後には 天神様として生前における《のけ者の第三項》扱いが《聖なる神》としてまつられるという扱いに変わったという。そんなカラクリであるらしい。 § 7 言いかえると イエス・キリストの事例に見られるような《聖なる除け者(第三項)》といった扱いは これも まちがいであると考えられるのに かなり有力なかたちでその歴史が続く。 なぜならそこでは 死後にひるがえって評価を《聖なる者》と見なすようになったあとでは この《聖化》――つまりは そういう通念ないしクウキ――に対してもし否定するような動きがあったなら今度は あたかもすでに条件反射のごとくに 反動のチカラがはたらくということらしい。 前からもうしろからも オモテからもウラからも 《第三項排除》の歴史は 完璧を期してつづけられる。 反動のチカラは 出る杭を打つとなって現われる。つまりその――今度は 聖化されたイエスを悪く言うかたちで――新たに現われた異端分子を やはり第三項と見なしてその排除にかかる。 異端分子が 人びとの《心の――じつはただうわべにおける心理的な――安心と安定のみなもと》としていだかれたキリストなる観念の共同に ただ否定的なだけではなく 真っ向から敵対するかたちとなり ひとつの勢力さえ形成してきたときには 当然のごとくそれを 単に除け者とする手段では間に合わなくなれば 明らかに迫害や戦争にまでも発展させる。 ときに社会はこぞって容易に その戦争に飛びつくことがありうる。そのよわさは 共犯を構成する。 § 8 《自由への変身》は 異者の受容によるか? ひとりの偉大な《聖なる者》をいただくひとまとまりの社会 これも じつは そのまま間違いである。 その《聖なる者》をいただくか否かで区分した規定じたいがすでに 除け者をみづから作ろうとしている。ただちに排除しようとして 異端分子の起きることを待ち構えている。 だから他方で《ひとと違っていたい》という欲望においては 外の異者を受け容れよと言うのであるが おそらくそれは――その今村理論に逆らってでも―― まだコトの本質には迫っていないように思われる。(異者の受容そのことが わるいわけではない)。 内外の区別ということ自体が そしてそもそも《偉大なる聖なる第三項》をいただくという方式じたいが どこまでも除け者を作り出そうとする模倣および承認の欲望のなせるわざである。世に言う《宗教》なるものの為す何たる自己欺瞞 ! § 9 どこまでも《話し合い》によるしかない。 模倣は 反模倣の動きがあるように 安心感のよりどころではない。承認されたいという欲望は かなり強いらしく 人間にとっては 或る種の仕方で根源的なものであるかにさえ見える。 ならば とことん互いに話し合うことではないだろうか? 話し合いによるしか道はないのではないか? 仲間意識の感覚 あるいは それの判定の基準は あくまで一人ひとりのこころにある。ここでは 《主観》が主役である。あてにならないおのおのの主観が それでも 主役である。 ならば互いに だめでも話し合う。それでも話し合う。いやでも話し合う。(ただし 待ったなしの障害があるときには 別である。相手の状態が 話し合いに耐えない様子であるなら しばらくは無理である)。気長に話し合う。もっと話し合う。まだまだ話し合う。もういやというほど話し合う。 まづは ローマ教会の欺瞞について始めるのが 有効で有益ではないだろうか。
- 受験について
受験について 現在、愛知県立大学/国文学部/歴史文化学科志望の浪人生です。 センターまで残り50日近くとなりました。 現在の成績が 英語/130 リスニング/30 国語/70,25,35 数学1・A/50 数学2・B/50 日本史/60 生物/50 倫理/50 ぐらいで安定しています。 第三回のマーク模試では判定はギリギリCでした。 理科,社会,数学はまだあげる余地があると思います。 しかし、英語と国語がなかなかあがらないです。 残り日数で何をしたらいいかわからないです。 今まで国語は現代文は問題を演習のみ,古文は文法,漢文は句形をパラパラ見てました。 数学は、ひたすら演習。日本史は去年やった分+αの知識。 倫理は中国と日本の思想のみ。生物は苦手な遺伝と他をパラパラ。 英語は演習のみ。という手法でした。 何かアドバイスを頂けないでしょうか? 批判等は聞き入れないのでご容赦ください。 回答よろしくお願いします。
- 締切済み
- 大学受験
- gsennjyonomao
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- この付加疑問文は正しいのでしょうか?
ある英会話教材の一文です。 「今日は水曜日だっけ?」の英訳が「Today is Wednesday, is it?」となっています。 この場合、正しくは「~, isn't it?」ではないのでしょうか? もしくは、こういった言い回しもあるのでしょうか? 付属のCDでも確かに最初の通りに発音されているので、印刷ミスということではないようです。 お分かりになる方、ご回答をいただければ幸いです。 よろしくお願い致します。
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- 英語
- noname#224548
- 回答数5
- tell とtell about
ある問題集に”If you just honestly tell someone how you have felt..” は不可で、 ”If you just honestly tell someone about how you have felt...."なら可とありました。この二つはどのように違うのでしょうか。教えてきださい。
- dont youの念押し以外の使い道
I wish we could hire new lowyer, dont you? という文があるんですが、訳が、そう思いませんか? って書いてありますが、 文末のdont youはyou like this book, dont you?という念押しだけじゃないんですか? しかも、思うなんていう単語がないのに、思うの意味として使えるんでしょうか? この問いかけの答えが、 That would be helpfulで、 このThatは質問文全てを指しているということですか? そうだった場合、誰かに質問をされて全ての内容を指す時は、I agree thatのような形が 全文を含む内容になるんでしょうか?
- 数詞について分からないこといくつか
ウィキペディアの定義ですと 「数詞(すうし)とは、数を表す語である。言語及び数詞の種類により、名詞、形容詞、限定詞などの下位の品詞に分類されるが、その性質は独特である。文法上の数とは異なる。」 に沿っていくつか分からないことがあります。 (1)「語」は「数」と分けられると思いますが、この定義では「語」となっています。 日本語では、「数」に対する品詞がつけば、「語」となるのでしょうか? (2)「単独の基数詞は一般に名詞である。」と述べられていますが、数に品詞がついた数詞も、名詞となるのでしょうか? (3)「言語及び数詞の種類により、名詞、形容詞、限定詞などの下位の品詞に分類される」とありますが、名詞、形容詞、限定詞を具体的に挙げてください。 たとえば数についた形容詞がどうしてもイメージできず、さらに限定詞がどういうものかも分かりません。 よろしくお願いします。
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- 日本語・現代文・国語
- noname#206454
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- この文を英語に翻訳するとどうなりますか?
英語上級者(ネイティブレベル)の方にお願いします。 「どのシャツの色とどのシャツの色を(あなたが)比較するのか教えてください」 (「あなたが」は使わず、「…色が比較されるのか」でもいいです。) 英語ではこの場合whichを2回使わないと思いますが、日本語の「どれとどれを」というニュアンスをはっきり出したいです。よろしくお願いします。
- 洋書で英文法書を読むことについて
英文法書を洋書で読む話を何度か聞いたことがあるんですが、 高校生レベルの文法+もう少し細かい語法等はマスターしている人が、 洋書で文法書を読むことは、何か利点はありますか? 物語などを多読する方がよほど利点がありますか? 読む気があるなら、上記のレベルの人でも洋書で文法書を読むことも有意義ですか? ちなみに、アメリカ英語の文法書でお勧めの洋書はありますか?
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- 英語
- noname#205789
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