マルクス・アウレリウスはどうでしょう。
彼の場合、質問者さんがお書きになった心境に留まるのではなく、みずからを省み、みずからを励ましつづけた人であったようですが。
たとえば『自省録』の一節のこんな箇所。
「1:人の考慮すべきは、ただに、わが生涯の一日と費やされる残る部分はますます僅かになりつつあるということのみではない。かのこともまた考慮すべきである。――人あってこの上さらに生きるとして、さてその者の精神が、事物の理解に、神々のこと人間のことに知悉すべき観照に、よく堪えるだけのものをいぜん変わることなくなお保持しつづけるであろうかどうか、それこそわかったものではないということをも。
つまり人は、老いぼれ始める場合、呼吸し、栄養摂取をし、表象し、事を欲求する、その他その類のことが消滅してゆくことはあるまい。しかし、己を活用し、自分としてなすべき務めのかずかずを正確に算え上げ、眼に映ずるもろもろの現象を明晰に分析し、また、いまは己が命を絶つべき時に立ち至っているのではないかというほかならぬこの一事に対し、さらにはそれと同じ類いの、錬成された思考を大いに必要とする諸事に対し、心眼を据えて見張るこの働きは、かのものどもに先だって衰滅するものである。
されば、生の歩みを速めねばならぬ。それは刻一刻死へと近づきつつあるがゆえのみではない。事物の省察と本質探求の働きが死に先立って停止してしまうからである」(p.37-38『自省録』鈴木照雄訳 講談社学術文庫)
お礼
回答ありがとうございます。 >みずからを省み、みずからを励ましつづけた人であったようですが。 まさに、そういう人物の存在を精神的支柱として求めていました。