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天に口なし、人をして語らしむとは?
- 天に口なし、人をして語らしむとは、預言者や巫女の口から天意が語られることを指す古い諺です。
- この言葉は古典文学によく登場し、民主主義や儒教的革命思想を表現する際に使われることもあります。
- 具体的な用例は正確にわかっていませんが、中国の『文選』(6世紀)に最も古い用例が存在する可能性があります。
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