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「江戸前」とはどこの地域を言うのでしょうか?

江戸周辺ですか?

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noname#224207
noname#224207
回答No.10

「江戸前」という言葉は元々は漁師の漁場の呼び名でした。 つまり、地域ではなく、海域の名称です。 範囲は時代とともに広がりました。 現在は東京湾一帯の海域を指します。 皇居の前身である江戸城は江戸時代の初期に拡張されるまでは、東京湾(江戸湾)の奥にある双子の島でした。 江戸という地名は現在の増上寺の付近にあった漁村の名称でした。 神田のあたりから日比谷交差点付近まで砂州が半島状に突き出していました。 この砂州は江戸前島と呼ばれていました。 この江戸前島の周辺から隅田川の河口にあった佃島周辺の海域が元々の江戸前と呼ばれる漁場でした。 江戸城が拡張される際に埋め立てらてほぼ現在の地形に近い状態になりました。 つまり、江戸城が拡張されて江戸の市街地ができるまでは、皇居前広場から日比谷公園にかけての一帯から新橋・浜松町にかけての一帯は海の底でした。 埋め立てが終わった以降は、芝から葛西沖までの海域を江戸前と呼んでいました。 江戸が東京になり江戸湾が東京湾となり2005年に水産庁が江戸前というのは東京湾全域の海域を指すこととするとしました。 蛇足 この海域で採れた魚介類を江戸前のものと呼ばれていました。 やがて、埋め立てや市街地の造成に従事していた人達が鰻をぶつ切りにして串に刺して焼いたものを特に江戸前と呼ぶようになりました。 江戸前で採れた鰻を焼いたものという意味です。 1760年(宝暦10年)の『評万句合』という川柳に 「江戸前に のたをうたせる 女あり」 というのがありますように、江戸時代の中期までは江戸前と言えば鰻料理のことを意味していました。 一方江戸時代に良質な食酢が入手できるようになり、これを米飯に混ぜて一口大の刺身をのせたものが屋台で売られるようになり、上方のなれ寿司に対して江戸寿司と呼ばれるようになりました。 現在のにぎり寿司は高級食品ですが江戸時代には屋台で売られるファーストフードでした。 この刺身が新鮮であることを強調して江戸前で採れた刺身を使った寿司ということになり、やがてにぎり寿司のことを江戸前とか江戸前寿司とよぶようになりました。 鰻はぶつ切りを焼くだけであったのものがやがて開いてたれをつけて焼いた蒲焼になり、にぎり寿司よりも高い食べものとなりました。 これと同時に鰻に関しては江戸前という名称は使われなくなりました。 江戸時代(中期以降)でも鰻の蒲焼は高級料理でした。 かけそばが16文の時代に鰻の蒲焼は200文しました。 にぎり寿司は1貫が4文でした。 このような経緯からしますと、外洋で採れたマグロのにぎり寿司を江戸前寿司と言うのは些か問題あり、ということにはなります。

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回答No.9

江戸湾で上がった魚介類を使ってるものは 江戸前と言う

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回答No.8

お江戸日本橋七つ発ち https://www.youtube.com/watch?v=jfvnMevjJbA 端唄、聞いてごらんなさい。お江戸ですよ。 まぁ新内は今回はおいておいて。 後ね、幕藩体制も落ち着いてくるとどんどん開発が進む。 与力同心は受け持ちが広くなる。しかも表通りの大店がないところが増える。 朱ぶさをちらつかせて雪駄の音。大店の敷居をまたぐ”どうだかわったことはねぇか”。 番頭:”○○さまだ、お茶を”、”ご苦労様で”。糸底にそっと二朱金を隠クしてお茶を。 与力同心はそっと紙入れを出して口を拭いながら二朱金を財布に。 というお店がないところが増える。 奉行を差し置いて、お江戸の範囲を若年寄のうかがう。 若年寄:”大川の真ん中までをお江戸とする”。 お江戸は隅田川を境にしていたのですね。北斎の葛飾の郷って墨田区当り。

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回答No.7

スルーして戻りました。 うぅん。何か文月さんの回答で全部言い尽くしているみたいだなぁと思いましたので ありがとうと支持をクリックしました。 石松代参では、"江戸っ子だってねぇ”、"神田の生まれよ”、"そうだってねぇ、食いねぇな”ってありますので、神田とその周辺でしょうね。 いろはの町火消しでいくと、芝で生まれて神田で育ち、いまじゃぁ火消しの纏持ち ですね。1937年浅草生まれ。戦災で多くの人が大川(隅田川)を越えて移り住んだ。 小3、近所にろ組の一番筒のおじさんがいた。可愛がられた。昭和20年。 お尻とおちんちんを残して彫り物。刺青ってお江戸の言葉じゃ罪人のするもの。 子どもだから川から上がって銭湯にいく。おじさんも早くから来る。 うめるんじゃぁね。キンギョガ泳いでらぃ。って蛇口を閉める。 ”○○ちゃん、煎餅食いにおいで”っていうんで、路地を入った二軒長屋に行く。 長火鉢からいろんなものを出してくる。傍で鳥追いの小母さんが三味を調律している。 日比谷の最初のメーデー参加のお話、次郎物語。安倍次郎。読書家でいろいろお話してくれた。今の私の素地ですね。おじさんのろ組って縄張りは浅草寺あたりだったようです。新門辰五郎のね。 もう一つ、お伊勢参り:お江戸日本橋七つ発ち あれわえさのさ。 っていうわけであのあたりを中心にしたところ。

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回答No.6

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 どなたかの薀蓄は大変素晴らしい回答だと思います。 しかし、少々、ズレがあるようですので・・・。 ★まずは、確かに広い意味では「江戸湾」で獲れた魚をネタに使ったものを「江戸前」と呼びました。 ★そして、「寿司」に限っての言葉でした。 ★魚やナマズが獲れたからと言って、それを「江戸前魚」とは言いませんでした。 ★また、文化年間(1804~)頃からは、現在のように港区とか中央区などと言う境はありませんでしたので、極端に言えば江戸府内で提供される寿司の全体を指して良いと思います。 ★江戸の魚河岸で水揚げされた魚介類は、皆さんが考えている以上のスピードで、例えば、現在の豊島区とか練馬区、中野区辺りまでも、その日の朝には魚屋の店頭、または、ボテフリ(天秤棒を担いで魚などを売り歩く者)が売り歩いていたのです。 ★そして、この文化年間頃からは「京の着倒れ」「江戸の食い倒れ」と、実は、江戸は食文化の中心だったのです。 ★その頃から、江戸っ子のセッカチな性格に合わせて考え出されたのが、「江戸前寿司」でした。 ★つまりは、握った酢飯の上に「煮魚」を乗せて提供したのです。 ★しかし、現代のようにスマート?な一口サイズではなく、お稲荷さんを更に一回り大きくしたような握り飯の上に煮付けた「アナゴ」「イカ」「エビ」などを乗せて食べていました。 ★また、寿司屋は屋台が専門で、現代のように店を構えたりはしませんでした。 ★さすがに江戸っ子でも、お稲荷さんを一回り大きくしたような握り飯でしたので、2個か3個食べれば十分満腹になったのです。 ★ちなみに、「コハダ」「アジ」などを寿司ネタとするようになったのは、幕末頃からです。 ★どなたかが、白魚の話をされていますが、白魚が寿司ネタとして食べ始められたのは明治も後半頃からでした。 ★ただし、寿司ネタ以外では色々な工夫がされて白魚は食べられていました。 ★また、「マグロ」も同じく明治に入ってからでした。しかも、当初の頃は煮付けても味が染みない、と言うことで、「トロ」や「大トロ」は捨てられていたのです。(モッタイナイ) ★寿司が現在のようにスマートになったのは、極端に言うと昭和の戦後と言っても過言ではありませんでした。 ★その頃から、寿司職人が屋台から店を構えるようになったのです。 (よもやま話) ★「すし」には「寿司」、「鮨」、「鮓」などの字をあてられますが、本来は「酸し」(すし)から派生して文字を当てたのです。 ★保存食であり、旨みを出すために自然発酵(自然熟成)させたものでした。江戸の鮨も初期の頃は「熟(な)れずし」でした。 ★現在、琵琶湖周辺で名物の「鮒(ふな)ずし」同様に、塩漬けにした魚介類を飯の上に乗せて、重しをして長時間かけて発酵させたものでした。 ★琵琶湖周辺では、現在も「鮒ずし」が販売されています。ただし、非常に匂いがキツイ。しかし、鼻を撮んで食べると、これまた絶品の味がする。(筆者の個人的感想)

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  • hue2011
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回答No.5

東京湾に接しているところが「江戸前」です。 ですから、練馬区だとか豊島区なんていうのはすでに江戸前ではありません。 文京区も同じです。 港区中央区という程度のところです。 ここでとれたコハダや白魚を寿司にして出したのが江戸前ずしです。 神田あたりの寿司屋がうちは江戸前でいと威張るのは、江戸前でとれたネタを使っていて鮮度が違うという意味です。 白魚をとってきて醤油に入れるんですね。そうすると、白魚は呼吸するために水を体にいれますから、透明な胴の中に細い醤油の筋が入ってみえるようになる、そういうものを飯に乗せて出したのです。醤油で少し死にかかっていますけど、いきているから口の中で跳ねる。こういうものを自慢にしたのが江戸前ということです。 ただ、コハダを酢でしめてだしたりするのなら、別に中央区でなくたってできるわけで、長野県に江戸前ずしの店ができたりします。それでも無理に東京湾でとれたものを運んでくることは不可能ではない。 しかし、大阪で江戸前ずしといったらもう不可能です。 ここで言っているのは、新幹線以前の話ですよ。 大阪でそういう言葉を使うときは、なんとか風、という意味で使うんです。 おでんのことを「関東炊き」と呼んだりするのは、本来はこんにゃくや豆腐を煮て味噌をつけたものを田楽として売っていてそれを上品にお田楽、さらにおでん、というようになったものですが、練りものやがんもどき焼き豆腐なんかを醤油のダシで煮て売ったものもおでんというようになった。そのとき、こんにゃくを期待してきた客に文句を言われないように「カントダキ」というようになったのです。醤油で煮ているからです。 それと同じで、押しずしではないにぎりずし一般を、江戸前ずしというようになったのです。 玉子焼きやかっぱ巻きが江戸前ずしというのは、語源的にはありえないことです。 そこまでいい加減な使い方になると、そもそも東京湾ではとれないような、たらだのマグロだのカツオだのを寿司飯で握ったものもできてきて、これも関東風に握ったから江戸前ずしだというようになって、今日にいたるわけです。 だけどそれらをすべて包括して、にぎりずしのことを江戸前ずしといっていいという文化ができていると思われます。

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  • takuranke
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回答No.4

江戸城の前とも江戸前島という半島ともいわれています 由来は、 江戸城の前にあった日比谷入り江などの埋め立てのさいにウナギが大量にとれたので、江戸城前のウナギが江戸前ウナギとなった。 江戸前島で取れたウナギで江戸前ウナギとも。 ちなみに、むかしは日比谷公園あたりは海で、 今の日本橋から銀座、新橋あたりまで伸びていたのが江戸前島です。 同じ場所といえばそうなんですけどね。 江戸前島で捕った魚介類というのが江戸前すしの語源というのも見ますが、握り寿司が発明されたころには江戸前島はなくなっていました。 江戸前すしの江戸前は江戸流の仕事を指していたと思います。

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  • oska2
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回答No.3

>「江戸前」とはどこの地域を言うのでしょうか? 他にも回答がありますが、江戸湾(東京湾)でとれた魚介類をタネ(業界用語では、ネタ)としていますね。 相模湾とか千葉方面でとれた魚介類では、江戸前とは言いません。

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  • tpg0
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回答No.2

こんにちは。 江戸前寿司は「東京湾で獲れた魚介類」を握った寿司と寿司店を経営する義兄(姉の夫)から聞いてますので、江戸前とは東京湾のことを指すのではないでしょうか。

NRLVKKHOP
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  • 1951715
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回答No.1

「江戸前寿司」と言うのをよく聞きます。これは、おもに、握りずしで、具は、江戸湾(東京湾)でとれた魚介類をネタにして握った寿司という事だそうです。

NRLVKKHOP
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