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お経について

日本でお経というと、中国からはいって来たこともあってか音読みしますね? 日本語訳にすらなってないので、お経を聞いても、知ってる人しか、意味が分からないし、何を唱えているのかすら、よく分からないのが、日本のお経のような気がするんですが? 海外でも同じでしょうか? 同じ仏教の国というと、中国やタイがあります。 中国やタイのお坊さんも、一般の人には理解できない言葉で、お経を唱えてるのでしょうか?

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  • senbei99
  • ベストアンサー率55% (876/1588)
回答No.2

お経は元々はパーリ語(古代インドの言葉)で作られ、大乗仏教でサンスクリット語(これも古代から中世のインドの言葉)になっています。 これらが中国に渡り漢訳されたお経になったのをそのまま日本で使っていると言う訳です。 タイを始めとした東南アジアでは、パーリ語のお経を使っているようです。従って、現地の人には意味はわからないのではと思います。 中国については、中国本土はほとんど仏教徒はいないと思いますが、台湾で漢訳されたお経を使っているのでしょうが、これが日本のものと同じかどうかはわかりません。 (漢訳されたお経にも色々あるので) ただ、台湾の人は字を見れば意味はわかるのでは無いでしょうか(日本人でも音では全く何かわかりませんが、字を見ればわかりそうな部分はありますよね。般若心経しか見たことないですけど)。

hanimaru55
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 東南アジアで唱えられているお経も、現地の人は聞いただけで、意味が解ってないんですか? 意味が解らないのに、宗教として、拝まれているなんて、仏教って不思議ですね。

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  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.5

言葉が判らないどころか、マニ車というものをぐるぐる廻してお経を読んだ事にしてしまうという、ほとんど意味不明なことで済ませていますよ。日本でもニュースでお経の本をバラバラっとやって読んだことにしてしまうやり方があります。 このほか、落語でも有名な四万六千日という日があり、この日にお参りすれば46000日お参りしたことになるとか。 いやいやお坊さんは商魂逞しい。 とは言うもののそんな雑念を取り去っても、お経そのものは意味が判りませんけど、むかしは読経と説法がセットになっていて(今でもそうやってるお寺さんもあります)読んだお経の内容を教えてくれるので大丈夫なんですよ。 私達が意味も判らずに横文字の歌を歌っても何てことないですけど、悲しい歌だと聞いてから歌うと涙が出てくる。 歌詞そのものの訳詩でなくても、意味を知ってから歌ったり聴いたりすると感情がこもるのと同じです。 但しきちんと内容を知らされなければ、わけも判らずありがたがるってこともありますけどね。 般若心経などは悟りに至る事を書いてあるのに、邪霊を打ち払う呪文の如く唱えるなんていうのはこの典型ですね。 世界唯一の平和な君が代を、軍国主義だなんていうのも同じことです。 知らないで唱えるのは、意味ないことだと思います。

hanimaru55
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.4

>お経の意味が伝わらないのに、宗教として存続しているという意味で、仏教というのは、不思議に思います。 日本においての仏教は、日蓮宗や浄土宗の出現によって、今の形になっていきました。つまり「南無妙法蓮華経」とか「南無阿弥陀仏」と祈れば、何も分からない人々でも仏さまが救ってくれる、という考え方です。これによって、一般的な日本人は仏教経典に書いてあることにあまり関心を持たなくなりました。 これは、キリスト教でカソリックが免罪符を売ったのににて、それを利用して神の許しをえるようになった庶民は聖書などまったく読まないで、ただ日曜日に教会に行き、司祭の話を聞いて祈ったと同じ行動様式です。 なぜそうなるか、というと、当時のヨーロッパでも日本でもそもそも文字を読める識字率が非常に低かったからです。 日本においては鎌倉時代の頃に日蓮宗や浄土宗・浄土真宗のような庶民に向けた宗教がでてきます。日本への仏教伝来は、最初は国教として導入し僧侶は役人であったのが、応仁の乱の頃までには武士階級にも広がっていました。それが鎌倉時代になると庶民にまで広がったのですが、庶民向けの仏教は「とにかくナミアムダブツと唱えれば仏様がすくってくださるから、とにかく一生懸命となえなさい」というものであり、知識階級であった武士は、教義と修行の体系がしっかりとした禅宗に傾倒していくことになります。 禅宗はいまでも、教義などが比較的しっかりと教えられる仏教のひとつであるといえます。 また、私の知り合いに僧侶はたくさんおりますが、修行を得て僧侶になる人々は、ちゃんとお経の意味も知っていますし、宗派にもよるでしょうが、サンクスリット文字なども習うそうです。 ということで、文字を知らない庶民は意味も知らずにお経を唱えるようになったわけです。 しかし、識字率のことをいえば、むしろ日本はまだマシなほうで、世界中を見渡せば今でも識字率50%程度の国もたくさんあります。それが昔であればもっと多かったでしょう。 つまり、世界中のあらゆる宗教が、聖典があっても読める人は多くなかったであろう、と推測できるわけです。 特にチベット仏教などの上座部仏教では、マニ車とかお経を書いた旗などを立て、それらが1回転したり、1度翻るごとに「1回お経を読んだ」ことになるそうです。 つまり、必ずしもお経を理解して読んでるわけではない、と言うことです。 また、コーランの世界でも今でこそアラビア語を読めるひとはたくさんいるでしょうが、50年前はそんなに識字率が高くなかったので、聖典をよむことができない人も多かったでしょう。 ですから、今でもイスラム経では、1日5回ある祈りの時間ごとに、高い所からコーランを暗誦して人々が集まるようにしているのです。

hanimaru55
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。

noname#224207
noname#224207
回答No.3

No.1です わざわざお礼を記入して頂き有難うございます。 お礼の中にご質問された動機が記されておりましたので、追加で説明をさせて下さい。 >他の仏教国でも、日本と同じように、聞いただけでは意味の分からないお経を唱えているのかな?と、不思議に思って、質問してみました。 他の仏教国、すなわちタイやチベットなどでは、現在も仏教が生活の中で重要な役割を果たしています。 タイの場合には男性の人生の通過儀礼として出家があります。 サラリーマンなどでも、出家をすると言えば長期休暇扱いとなり、復帰の際にはお祝いされます。 出家修行の経験がないと半人前のようです。 又一族の中から僧侶が出れば一族全員が救われるという考え方も根強くあります。 チベットでは、最高指導者であるダライ・ラマは観音菩薩の化身で、今生の肉体が滅びても又新たな肉体を得て生まれ変わりを続けている仏身即ち仏様であると考えられ、社会的、政治的に強い影響力を持っています。 結果として、お経はキリスト教徒の聖書やイスラム教徒のコーランのように極めて身近なものです。 このことからすれば、日本人のように、お経はお寺のもので、あっしらにゃ縁のないものです、という感覚とはほど遠い存在です。 日本とは違い、諸外国では、宗教というものは結構身近なものだと御理解下さい。 アメリカ大統領も聖書に手をおいて就任の宣誓をします。

hanimaru55
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 お経の意味が伝わらないのに、宗教として存続しているという意味で、仏教というのは、不思議に思います。 宗教と言うよりは、生活習慣に近いのでしょうかね?

noname#224207
noname#224207
回答No.1

>日本語訳にすらなってないので、お経を聞いても、知ってる人しか、意味が分からないし、何を唱えているのかすら、よく分からないのが、日本のお経のような気がするんですが? ご指摘の通りかと思います。 音読みと仰られておられますが、実はこの音が曲者です。 仏教が初めて日本へ入って来たころに伝わったのが呉音と呼ばれる音です。 現在の中国でも途絶え、わずかに福建省の一部に方言として残っているだけの音です。 遣唐使やその後に中国から伝わってきた音は漢音と呼ばれる音です。 現在でも、漢和辞典には、漢、呉と二つの音が併記されています。 日常的に使われている音が漢音ですから、お経を聞いてもいよいよ判りません。 なんで、素直に漢音で読まないのですかね~ 観音さまをかんおんさまと言ったら御利益が落ちるのですかね~ 更に、お経の読み方には、声明と呼ばれる独特の唱えかたがあって、リズム優先でお経の文言を寸断したり端折ったり、付け足したりします。 般若心経の観自在菩薩も文字で書くと「かんじィぼうさ」と唱えます、これを独特のリズムでやられては、解れ!という方が無茶です。 元々は中国から伝わったのでしょうけれども、おそらく現在の中国のお坊さん達の唱え方とは違うでしょう。 漢字は元々彼等の母語ですから、現在の音で読むのではないのでしょうか。 日本でも万葉集や古今和歌集を奈良時代や平安時代の音では読みませんよね。 タイやチベットも元々読んでいるお経の文言は同じでも、発音はタイ語化、チベット語化しているのではないのでしょうか。 神主さんの祝詞は和文ですが、これもよく判りませんよね~ タイやチベットでも一般の人は、いきなり聞いたのでは判らないのではないのでしょうか。 お経の内容そのものは何処の国同士でも通じるのだそうです。 尚、曹洞宗には、和文混じりのお経があります。 ただ、独特のリズムでやられるので、よく聞いていないと、和文の部分なのか漢文の部分なのかが判りません。 なにやら有難そうに唱えるからお経も祝詞も御利益があるのでしょう。 NHKのニュースアナウンサーのように読まれたら、多分興ざめでしょう。

hanimaru55
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 日本では、興味を持って、知ろうとしないと、意味も分からないお経ですが、他の仏教国でも、日本と同じように、聞いただけでは意味の分からないお経を唱えているのかな?と、不思議に思って、質問してみました。 仏教が日本に渡って来た時代と、今とは、仏教の存在意味自体も違うのかもしれないですね。

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