- ベストアンサー
お坊さんのお経
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
手元に、「般若心経」「金剛般若経」「観音経」の原文があります。 これを見ると、だいたい漢文になっております。 参考URLの本では、書き下し文がついていて、 日本語としても読めるようになってます。 だいたい漢文ですが、そうでない所もあります。 般若心経の終わりの方の「ぎゃーてー、ぎゃーてー、はらぎゃーてー」 などの部分はサンスクリット語そのままなので、 漢文としては意味が通りません。 それから、お経に限らず仏教関係の漢文は、独特のクセがあります。 クセは用語だったり語順だったり、いろいろあります。 漢文として読むと読みづらいです。 お経の内容を書いた本が無いわけではありません。 ただし、あまり一般的ではありません。 はっきりいってつまらないのです。 たとえば般若心経などは「無だ、無だ」と言っているだけだったり、 観音経は 「観音様を拝むと怪我をしないよ。命が助かるよ。 危害を受けないよ。嵐が静まるよ」 と言っているだけのものです。 内容はたいしたことがないのです。読むとガッカリします。 仏教(特に禅宗)では言葉や教典を重要視せず、 本当の意味は、日々の修行の中に求められるという立場です。 教典は単にきっかけにすぎないという位置付けだと思います。 宗派によっては違うかもしれませんが。 仏教文献で面白いのは、お経ではなくて、 「臨済録」や「碧巌録」などの公案本です。(禅宗に偏るけれど) あと、聖書のように一般的にならないのは、 お経の数が多いこともあるでしょう。 涅槃経やら法華経やらいろいろあり、宗派によって重視するものが違います。 少数にしぼることができず、 かといってぜんぶまとめると大量になりすぎます。
その他の回答 (2)
- Diogenesis
- ベストアンサー率49% (859/1722)
お経の現代語訳は出てますよ。 「経典 現代語訳」で検索すればたくさんヒットします。 私のお薦めは 東京書籍から出ている 中村元氏による「現代語訳大乗仏典」です。
お礼
早速のご回答有り難うございます。
- Reffy
- ベストアンサー率32% (1317/4014)
漢文という(レ)などをつけて読む文章ではないと思います。元々サンスクリットのお経の「音」を漢字の「オン」に従って漢字の文字に置き換えたのがいまのお経と聞いたことがありあますよ。だから白文のように漢字だけで書かれているお経を、文字として読もうと思っても文章にはなっていないものが多いはずです。 漢文風に読むといえば「如是我聞のにょーぜーがーもん」という言葉がたくさんでてきますが、これはお釈迦様がとか高弟のだれかが「~と言ったと聞きました」という定型句だそうです。ここなんかは漢文と言えば漢文かな? 識文率は日本ではむかしからかなり高かったですが、教典を理解するまでの人は一般庶民にはいなかったみたい。 江戸時代にあったもので「めくら経」という絵文字つなぎのお経を見たことがありますが、これはまるで、絵を繋いで描いた判じものみたいでした。 いまから普通の日本語のお経を作るのは難しいんじゃないかな。
補足
早速のご回答有り難うございます。 今、日本のお坊さんで、お経のいみを理解し説明できるお坊さんはいるのでしょうか、お願いします。
関連するQ&A
- お経の日本語化の是非?
仏教における経は、サンスクリット語から中国語に音写され日本に入ってきたようですが、仏教自体が当時、貴族上でのものであったようで、それで一般民衆に理解されるような日本語翻訳はされず今日まで来たと聞きます。その話を知り合いのご住職に話したところ、「中国語の音写のほうがありがたく聞き取れ、ありがたく感じられるということもあるでしょうからね」とおっしゃってました。 しかし、私の考えでは日本語に訳したほうがお経の伝えたい事が理解でき、そうして仏教に関心が広がるのではないのかなーとも思います。その証拠に般若心経の解説本が心の整理整頓、癒し系書籍で出版されていたりもしています。 ただ別な見方からすれば、中国語音写を解読して少し苦労するほうが、確かにありがたく感じられる とういことも言えますが、他国にくらべ、日本の仏教は行事的な意味合いの時にのみ活動する傾向が見られます。一日一日、ご自分とご自分の宗派との密接な関係を認識してもいいのかなとも思いますが…。 仏教に関心のある方から見れば、その辺はどうお考えになりますか?
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- 「般若心経」や「法華経」の作者は?
仏教では、「般若心経」や「法華経」とかの経典の名前をよく聞きますが耳にしますが、これらの経典はいつ頃どこでつくられたのでしょうか? またその作者や翻訳者は明確にわかっているのでしょうか? お経は、サンスクリット語あるいはパーリ語を耳で聴き、聴いたままの音を中国人が漢字に当てはめただけのものや、その文脈を理解した上中国語に翻訳したものがあると聞きました。 「般若心経」や「法華経」も同じことが言えますか?
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 仏教のお経の意味について
仏教のお経は遥かインドの方から来てるんですよね? と言いますのは、般若心経ぐらいしか知りませんが、色即是空 といった文面には日本語の深い意味がついています。でも、これはもとは中国から来た中国語です。 だから日本のお坊さんが本格的にお経を読んでいるようでありがたいようでいて、実は漢字を日本語で「しきそくぜくう」と読んでいるだけなんです。 中国のお坊さんは「スージーシーコン」と読むんです。これが本当の(耳で聞く意味で)お経なのか? いえ。 どうやらこの中国語でさえも サンスクリット語だかヒンドゥー語だか、なんだか知らないですが、それに漢字を当て字したものらしいですよね。 当て字したような漢字が流れ流れて日本に来てなぜこうまでに一文字一文字ありがたい意味を持っているのでしょう。 でないとすれば、色とか空という漢字の意味自体がこのお経が出どころで意味がついてきたことなのでしょうか?
- ベストアンサー
- 中国語
- お経についての素朴な疑問があります。
お経に 書かれている サンスクリット語は、古代インド語、 パーリー語 は、 現在も使われている タイ語で あっているでしょうか? まだ、信仰の期間が短い 仏教徒の友人からの 質問です。 もし、間違っていましたら、 よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- その他(社会)
- お経の和訳、しなかったのかできなかったのか
日本に入ってきてるお経は漢字で書かれてて普通の日本人にはすんなりと意味が取れず、さながら呪文のようですが、これは仏教導入時にわざとそうしたんでしょうか?それともただ翻訳能力が欠けてたからでしょうか? 例えば「南無妙法蓮華経」はナンミョーホンレゲキョーでなんのことやら。 英語にしたら Glory to the Sutra, Hail Lotus Sutraになってよっぽどこっちのほうが意味が分かりやすいように感じます。 あと、今の日本の仏教界でお経をわかりやすい現代の日本語に訳すプロジェクトはありますか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 仏教のお経や、神道の祝詞はなぜ分かりにくいのか。
神道の祝詞は、上代日本語がもとになっていると思いますが、当時の発音に合わせるならは、ぱふぁぱふぇぱ(適当)みたいな発音で読むべきです。 仏教のお経も意味がわかりません。般若心経は、漢文のように読むなら理解できないことはありませんが、意味を理解して唱えているのかすら疑問です。まして聞いている人は意味を理解していないでしょう。 それなら現代語訳で唱えたほうが、分かりやすくて良いと思うのですが、そういう考え方のお寺や神社はないのでしょうか。
- 締切済み
- 伝統文化・風習
- 仏教のお経について
ずっと疑問に思ってたのですが、お経って漢文ですよね。昔の人は漢文がわかってたからいいと思いますが、今の日本でお経を唱える意味は昔よりないんじゃないかと思うのですが。みんな呪文だと思ってます。漢文のまま 唱えるのはいいのでしょうか? もうひとつ疑問、そもそもお経を唱えて意味があるのでしょうか?お釈迦様が今の葬式とかを見たら、これが仏教の延長だとは思えないと思うのですが。もちろん落ち着くとか、先祖に供養の意を表すとかあると思いますが。根本的になんだろうと思います。
- 締切済み
- その他(カルチャー)
- お坊さんとお経について質問
今日、浄土真宗の葬儀に参列しましたが、次の素朴な疑問に答えてください。 1)今回のお坊さんは、頭髪を剃っておらず、常人と全く同じヘアスタイルでした。浄土真宗では頭髪を剃る習慣がないのでしょうか? そもそも仏教の坊さんが頭髪を剃るのは、規則ではないのでしょうか? 2)通夜では阿弥陀経(?)が読まれましたが、鼻にかかったあまりカツゼツのはっきりしない読み方をされました。なんで、あんな発音をするのでしょうか? それともたまたまあのお坊さんのくせだったのでしょうか? 3)キリスト教の葬儀なら、参列者に式次第(文章・賛美歌)が配られ、参列者一同で読みあげたり、歌ったりするのに、なぜ仏教では、意味不明の(現代日本語でない)お経がお坊さんだけに読まれ、我々はしびれ足をこらえて、聞いているしかないのでしょうか? (私は、般若心経などを声を挙げて読むのが大好きなのですが・・・)
- ベストアンサー
- マナー・冠婚葬祭
- なぜ日本の仏教は教えるのではなく唱えるのですか?
子供のころから、仏教やお経というものに触れる機会がありますが、常々不思議に思っている事があります。 それは、どうして翻訳して教えるという発想が無いのかという事です。 基督教など他の外来の宗教は翻訳して教えを広めていますが、経典を完全翻訳して日本語で教えを広める仏教は存在するのでしょうか? インドで始まった時にはインドの言葉で経典が書かれたと思います。 見れば、あるいは聞けばインド人は内容を理解できたのでしょうか? インド仏教はお経を唱えるのでしょうか? 意味の分かる教えとして口伝しているのでしょうか? 日本の仏教のように一般の人には意味不明な呪文のようなものとして唱えたのでしょうか? 中国に伝わった仏教は中国語に翻訳されたと理解しています。 その経典は見れば、あるいは聞けば中国人は内容を理解できるのでしょうか? 中国仏教はお経を唱えるのでしょうか? 意味の分かる教えとして口伝しているのでしょうか? 日本の仏教のように一般の人には意味不明な呪文のようなものとして唱えるのでしょうか?
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
お礼
なーるほど、いままでの疑問が解決しました。 ありがとうございます。