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エリートを応援してしまう理由

人間には頑張っている人や負けている人を応援するという心理があると思います。こういう事は誰に教えられる事でもなく、本能的にある程度人には備わっているのではないかと思っていました。 ただ反面、エリートや強い者を圧倒的に応援したいという心理もあります。 高校野球でも結局の所、高校生なのにもかかわらず膨大な資金でプロ並みの設備をしている優勝校がもてはやされますね。プロ野球でも他球団から見れば汚いと言われるようなことをしている球団が一番の人気を博しています。 有名大学と言うだけで諸手をあげて素晴らしい人と認識され、テレビでは実力のない二世タレントが活躍しています。 この2つの心理が同居できているのはなぜなのでしょう。弱い者を応援するという心理は、単に同情していることで自分を高めるという自己満足なのでしょうか。なぜ人間は最終的には雑草を見捨てるのでしょう。

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  • sowow
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回答No.5

#3のsowowです。 ちょっと、補足をば。 たとえば、スネオが大人になってスネパパの会社を継いで、社員(スネからみれば弱い者)に「良く施し」たとすると、その恩は自分にかえってくるでしょう(それは物に限らず「忠誠心」なんかに変わったりして)。 するとスネオの力はさらに強まりますよね。他社との競争で潰されにくくなります。 つまり自分の保存のためです。 そうゆう大切な心理は、多かれ少なかれ人類みんなに備わっていますから、弱い者を見るとほっとけなくて助けたり応援したりしてしまい、時に「自己満足ではないか?」とか思っちゃうんじゃないでしょうか? 母性愛については、子供は自分の半身です。 半分は自分ですし、しかも[自分よりも新しい自分]ですから、自分のことよりも大切に思ってもそんなに不思議じゃないです。 これも自分の保存です。 なんか寂しくなってきますが・・・ これが、僕らが助け合ったり、時に自分の危険お省みず正義を成せるようなすばらしい精神の持ちえる者だとゆう事実をおとしめているとは思えません。 長くなってしまった、すみません、、。

noname#234180
質問者

お礼

わざわざ補足して頂いて感謝いたします。 弱い者を応援する事は結局の所恩返しのようなものを期待している、というご意見には私も納得いたします。私自身を振り返ってもそうですが、人に親切にしたときお礼を言われないとムッとすることがあります。無償の愛というものは、やはり血縁にしかないのかもしれません。 しかしその血縁の子供もまた、死んでいく自分の分身を残すため、いわゆる自分のため、ということですね。寂しいですがよくわかってしまいます。 >僕らが助け合ったり、時に自分の危険お省みず正義を成せるようなすばらしい精神の持ちえる者だとゆう事実をおとしめているとは思えません 私ももちろんそう思います。しっかりした教育を受け親からもしつけられた子供ならば、少なからずそういう雑草を応援する気持ちは湧くと思いますし、最終的に雑草を見捨てることになっても生物なら仕方がないこととも思います。 私が寂しいのは、その事実を見ようとせず、強いものを応援する自分は美しいと思っている人に対してなのかもしれません。巧く表現できませんが、ある程度自分の悪い部分を受け入れつつ、それを成長に繋げられる人間が理想的なのかもしれませんね。難しいことですが。

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その他の回答 (4)

  • seiso
  • ベストアンサー率20% (73/352)
回答No.4

難しい問題ですね。専門家ではありませんし、いつも言われていることですが、これと言った正解はないと思っていますので、私なりの考えを述べさせて頂くということで・・・。 今の世界は、大きく分けて物質世界(見える)と精神世界(見えない)にわかれていると思います。この両方の世界に共通して、相対的、二元対立になっています。 たとえば、「善、悪」「高、低」「上、下」etc・・・といった常に比較されるようなことがあるわけです。 上記したことを少しふまえて頂いて、ご質問は心理=精神に関する方ですので。 <<人間には頑張っている人や負けている人を応援するという心理があると思います。こういう事は誰に教えられる事でもなく、本能的にある程度人には備わっているのではないかと思っていました。 人間は、生まれた時(赤ちゃん)は「本能」のままだといいますね、そしてどの子供も平等で生まれてくると。 しかし、成長する間に環境に置いて、いろいろな影響を受けて、持ってるその本能に想念(恨み、嫉妬、同情、嫉み、喜び、悲しみ等)がくっついていきます、これは社会生活を営む上、人と接する以上、当然なことではあるといえます。 この点、私が言う「本能」と、hayaさんの仰る「本能」の少し、とらえ方が違っているかなという風に考えられます。 簡単に言えば、生まれたばかりの赤ちゃんに負けてる、勝ってるなどとそういう想いなどないですから。 勝ち負け関係なく、平等にどちらも応援する(頑張りを見せてるから)という人もいると思います。 人間本来は、この二元対立など本当はないものなのでしょうが、「ある」と無意識のうちに、またそういうふうにさせられてるのが人間の「常」みたいになってるのでしょう。 ですから、「勝ち」に対して「負け」と相反する、そして逆に <<ただ反面、エリートや強い者を圧倒的に応援したいという心理もあります。 これも、人それぞれだと思います。その人が持ってない、願望がそうさせるのかもしれません。自分を相手に投影さす心理とでもいうのでしょうか。 人の心(本心)の中に、劣等感があるとこういう心理も生まれるのではないかと思います。 つまり、自分にはないもの、地位を得たい、ああなりたい、こうなりたいというのが成就せず、満たされない部分があって強すぎると。エリート意識などは劣等感の裏返しであると言われています。 ものごと、逆に考えてみると意外とわかるというのか、見えてくるものです。 <<有名大学と言うだけで諸手をあげて素晴らしい人と認識され、テレビでは実力のない二世タレントが活躍しています。 ここも、前半をかなり割愛させて頂きましたが、どの人もそう思ってるわけではないと思いますよ。 事実、私自身もマスメディアはどれもとは言いませんが、関知しないのもありますし、信用してないのもあります。 要は、メディアなら、その書き手とそれを読む、読み手の次元の差とも言えるんじゃないでしょうか。 それから「同情」はすでに書かれていらっしゃる方もおられますが、人を上から下・・というふうにもとりかねませんね。 この、「同情」を嫌がる人もいるし、その人の価値観によるのではないでしょうか。 hayaさんのお考えとは違うかもしれませんが、私なりの意見を書かせて頂きました。 ご参考になれば。

noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。色々な方の考えをお聞きできて参考になります。 弱い者を応援するという本能があると私が思ったのは、たとえどんな育てられ方をしてもほとんどの人間がそういう考えを持つようになるからで、生まれたときには無い感情ですが、必ず出てくる動物の本能ではないかと思ったのです。 自分が持っていないエリートなものを応援することによりエリートと一体感を持ち、自分も偉くなったように感じ喜びを得ているというのは間違いないと思います。そして確かに誰もがこう思っているわけではないというのはわかります。野球ファンも万年弱い球団を応援している人もいますし。ただやはり世間的に見て強い者を応援している人間が多いのは事実のような気がします。 やはりそれだけ、エリートではない自分に無意識にでも不満を感じている人が多く、それをエリートを応援することで補完しようとしている人が多いのかもしれませんね。

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  • sowow
  • ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.3

これは生物学の一説ですから、答えになってるかは分かりませんが、、、 Jzamraiさんのとこにもありましたが、生き物とゆうのは[自分]の生存が最優先です。 とゆうか、他より強かったりずる賢かったりしぶとかったりした者が、今存在を許されています。 だから、強いのもに付くのも、弱いものを助けるも、最終的に見捨てるのも「[自分]保存作戦」のようなもんです。 相反する価値観がなんこ同居してても矛盾はありません。 多分そのほうが有利だからでしょう。 自分の中の矛盾による悩みが尽きない人は、自分に対してはもちろんですが、他人に対して誠実であろうとする方だろうと思います。またそれも作戦かもしれませんが、、、 ややこっしいです(-_-;) そしてこの悩みから完全に開放されてる人は僕も含め殆どいないんじゃないかな?と思います。もし開放されちゃったらヤバそうな予感もします。 さらに自己犠牲行動(心理)さえもこの例外ではないといってる学者さんもいます。どうゆうことでしょう。 かなり受け入れがたい説ですが(しかも細かい所はかなり端折りましたが)、、、こんな考え方もあるようですよ。

noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。 弱い者を助けることも自分保存の為なのですか。強い者の庇護のもとに安心を得るという事は非常にわかりやすいのですが(ドラえもんのジャイアンとスネ夫君のようなものですね)、弱い者を助けることが自分に与える影響という者は、優しい自分が愛らしいという精神的なものなのでしょうか。 矛盾は尽きませんね。しかし矛盾があるからこその人間なのかもしれません。

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回答No.2

強者応援も弱者応援も実は同じ心理ではないかと思います。「圧倒的に強い」と「圧倒的に弱い」の共通点は、「普通ではない」という事ですから、そこに興味が行く。実は相反していない。人は常に「異常」を好むのではないでしょうか。「異常」=「ニュース」ですからね。東北の高校を応援してしまう心理と、松井を応援してしまう心理は実は同じなのではないかと。ともにニュース性の高い方を好む。弱者の勝利はそれだけでニュースですから。実はニュースを求めているに過ぎない。普通の横綱と前頭の対戦では前頭が勝った方がニュース性が高いからそちらを応援する。しかし、これが、その横綱が69連勝中だとしたら話は別で、同じ対戦でも横綱を応援するでしょう。70連勝は新記録ですから。 強者と弱者を応援する二つの心理は同居できていません。だってどちらかしか応援できないんですから。別に同情とかしてないと思いますよ。雑草を見捨てるとか言ってるけど、われわれが高校野球で見捨てても何の影響もない。面識ないんだから。それを見捨てるといえば見捨てるでしょう。ニュース性がなければ。そもそも興味本位なだけですから。

noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。 異常なものに注目し、興味本位だけだからというのは間違いなさそうですね。もっと自分自身に降りかかることならば真剣な選択をするかもしれませんが、いい加減な気持ちだからこその偏りなのかもしれません。マスコミ主導の興味本位ならば当然ですね。 弱い者を愛するという母性本能のような気持ちは、実際に自分に影響がないと出てこないものなのかもしれませんね。

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noname#14035
noname#14035
回答No.1

hayaさん、こんばんは。 「長いものには巻かれたい」←→「判官びいき」の心理、これらはいずれも人によって程度の差こそあれ、どんな人間にも存在するものだと思います。 「社会」という枠の中で生活する(せざるを得ない)人間の場合、「いい・わるい」ということは関係なく、これら両面の気持ちを併せ持っているものなのではないでしょうか。 我々が受ける第一印象やイメージは、「権威」や「ブランド」によって大きく左右されるのは事実だと思います。(中身を良く見るべきだと言う”べき論”はさておき、人間とはそういうものなのでしょう。) 例えば、面接に行くとき、”短パン・サンダル”という格好で行くよりも、”スーツ”で行ったほうが心象は良くなるに決まっていますよネ。(判断基準がイメージしかないですから。) 社会の中で生活している限り、より強い集団に属して身の安定を確保したいと思うのも当然のことでしょう。 自分の意見を貫き、人や権力に頼らず”自由”に生きるためには大変な痛みと強さを必要とするものです。 一方、「弱いものを応援する心理」や「理性」については、人間がもつすばらしい一面だと思います。 ただし、おっしゃるように他社に対する同情や応援は、自らに”余裕”や”優越感”があることの裏返しと言う面も否定できないと思います。 ただ、世の中には「自分なりの正義」や「人の命のために自分の命を犠牲にする」ような、崇高な死に方をする人も大勢いますよね。 もしこれらが「自己満足」による結果だったとしても、十分に美しく、誰一人批判などしないでしょう。 明らかな売名行為などにために偽善的な同情を利用するのでなければ、たとえ「自己満足」であったとしても、人がとやかく言うものではないと思います。 お互いに同情や助け合いが出来ると言うことは、結果としてすばらしいことなのではないでしょうか。 ただし、人間(生物)の究極の目的は「生存すること(種の保存)」だと思いますので、究極の状態に置かれた場合、生存のために他を切り捨てるのは”本能”ともいえるものでしょう。 もしそれが全ての努力をし尽くした上での決断だったとしたら、他人にとやかく言う権利はないのではないでしょうか。 結局のところ、「社会における自分の評価は、最終的に周りの人々が判断するものであり(何を思ったか・言ったかではなく、なにをやったかで決まり)、自分の幸せ(自分にとって正しいかどうか)を決めるのは”自分自身”にしかできないこと。」なのではないかと、私は考えています。 難しい問題ですし、「正解」というものは無いのかもしれませんが…。 それでは。

noname#234180
質問者

お礼

ありがとうございます。難しい問題ですね。 強い者に惹かれるのは生物として当然のことだと思います。結局の所自分が大事というのは綺麗事を抜きにすれば間違いないことだと思っています。 ただ種の保存に関してだけは違いますね。子供のためには自分が大事という気持ちが無くなります。(ただ最近の若い親には自覚が減ってきているようですが。) しかしやはり種の保存以外は、たとえどんなことがあろうとも強いものを崇拝するということは、人間にとっては止められないことなのかもしれませんね。結果がすべてなのでしょう。 先日映画ロッキー4を見ていて、この疑問を感じました。結局現実の人間は、圧倒的なお金をかけられた精密機械の冷酷なライバルボクサーの方を応援しているようなものではないかと。そしてロッキーが勝ったから観客はロッキーに鞍替えしている。 何か映画の本分とは違う見方だとは思うのですが、そういう虚しいものを感じました。

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