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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:お堂の下のお地蔵様)

お堂の下にあったお地蔵様とは?

mashumaro2の回答

回答No.7

こんばんは。 いつもrupapo様の歴史に対する造詣の深さに頭が垂れます。 ありがとうございます。 昨日は節分でしたね。 私は国立能楽堂で、狂言『節分』を鑑賞してまいりました。 以下「鑑賞の手引き」を抜粋、引用させていただきます。 ──蓬莱の島からやって来た鬼は、害を及ぼす恐ろしい悪鬼ではなく、宝をもたらした祝福の存在。 古来より新春に外界からやってくる異人は、新年を予祝する存在という考え方がありました。本曲はこれからやって来るあたたかな春をも予感させます。(「国立能楽堂」p4 第318号より)── 異界から「宝=春=祝福」をもたらすなんて、この鬼は何て洒落ているのでしょう。 うっかりよその女房に惚れてしまい、つい譲ってしまった宝の中には「打ち出の小槌」もありました(笑) 結局その女房に「鬼は外~!」と豆を撒かれて退散するハメになり、ちょっとほろ苦い笑いだったりして。 >交野が原(平安時代にはこう呼ばれていたようです。)を流れる天の川を天空の天の川に見たて >機物神社はベガ、牽牛石はケンタウロスに喩えられているようです。 う~ん、地元にそのような社があるとは、本当に面白いです。 七夕は日本の神道と混淆し、神霊が降臨して依りつく「依代」の役目を笹が果たしているのでしょうか。 たしか学校では織姫星の一等星ベガ、牽牛彦星のアルタイルのはずなのに、ケンタウロスとは変わっていますね。 >古の人々が建物を建物以上のものとして見ていたのと同じく、 >地理にも地理以上のものを見ていたのですね。 >呪術的な仕掛けがしてあるみたいです。 たくさんの嬉しいご教示、真にありがとうございます。 仰る通り、やはり綿密な計画のもと、建立されたのでしょう。 呪術的な仕掛けをする「理由」としては、いったい何が考えられるでしょうか。 仏教には本来ない概念である「怨霊封じ」や「不浄=穢」を忌み嫌うため?それとも? >特に古い神道は神殿がなく、拝殿より山そのものを拝するというスタイルだったりしますね。 はい、何でもない山にも、思わぬところに小さな社があったりしますね。今まで特段気にも止めませんでしたが。 >奈良の大神神社とか。 >うちの近所は磐座信仰の神社が多いです。 >物部氏の本拠地だったというので、神殿がないのは物部氏の祭祀スタイルなのでしょう。 そうですね、きっと仰る通りなのでしょうね。 磐座と書いて「いわくら」と読むのですか、はじめて知りました。 rupapo様は物部氏の末裔でしょうね、だから歴史探訪がお好きなのではないかと^^ >阿修羅は称徳天皇16歳像だという説があるようです。 そのような説があったとは! 知りませんでした!! 称徳天皇って、大宰府の主神が「道鏡が皇位に就くべし」と宇佐八幡の託宣を報じて、和気清麻呂が勅使として赴いた件と絡んでいたはず。 たしか彼はその後「別部穢麻呂」と改名を賜ったのでした。 当時の人々の「言葉」に対する思い入れとは、いったい。 そうそう、高千穂→湯布院のあと、私達は宇佐神宮も訪れました。 http://www.usajinguu.com/ 七月末でしたが、庭の古代蓮がそれはもう綺麗に咲いていました。見事でしたよ♪ あそこは上宮、下宮、それぞれ御殿が3つずつあり、お賽銭箱が合計6つもあるのです。 義母が「お金が幾らあっても足りないわね。」と、しきりとボヤいたのが印象的です(笑) 興福寺の阿修羅像は「両性具有の美」の筆頭に挙げられると思っておりましたが、まさか称徳天皇似とはね。 「隻眼」? ああ、たしかに左目が黒く塗りつぶされています! すごいすごい! それにしても、最近阿修羅像を画像ながらみているうちに、下瞼が腫れぼったく、妙に人間味を帯びているような気がしてまいりました。 能面の「見えざるものが角度によってあらわれ見える」に例えると、 私にとって阿修羅像のそれは「涙」であり、 そして「怒り」も「褐色の肌」同様に「色褪せてしまっている」かのように思えるのです。 この点につき、rupapo様はどのようにお感じになられていらっしゃるのでしょうか。 よろしければお聞かせ下さいますようおねがいします^^ 称徳天皇16歳説、阿修羅像はやはり若そうですね。 今日「節分」のあとに観た能「朝長」も、若干16歳で腹を一文字に割いて自害し果てる壮絶な舞でした。 能には珍しい「平治物語」の題材でして、誉れ高く勇ましい武将でも雅な貴公子でもない、残恨の想いをこめて舞いを舞って掻き消える少年の霊が救いようもなく。 そして異界の霊に対峙する漂泊の僧等が唯一出来ること、それは、 亡霊の語りに静かに耳を傾け鎮魂することなのでした。 古来「ものがたり」とは「もの(霊魂)をかたる(鎮める、なだめる、だます)」というものであったならば、 古の人々の心の中に意識されてきた「想い」というものを、もっと私は汲みとりたいなあと願わずにはいられません。 むろん、無理を承知で、なのですけどもね。

noname#163492
質問者

お礼

阿修羅像についてですが 『東日流外三郡誌』でによれば、称徳天皇は蝦夷の安倍一族の出身であり、 大野東人の率いる朝廷の軍隊が蝦夷に大敗した際、講和の条件として、安倍氏の血を引く彼女が次期天皇になると取り決められた。 奈良の東大寺の大仏建立に用いられた黄金は、彼女の縁で奥州から送られた。 と記されているようです。 『東日流外三郡誌』後世の偽書であるとされているので どこまで信用していいかわかりませんが、 阿修羅の片目が潰されているというのは、興味深いですね。 それに称徳天皇は阿倍内親王という名前でしたが なぜ阿倍内親王というのでしょう。 安部氏は阿部とも記すようですね、 やはり何か関係があるのでは、と思わされます。 >妙に人間味を帯びているような気がしてまいりました。 確かに、とても人間味があります。 阿修羅は元はインドの戦闘の神アスラであったようですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%BF%AE%E7%BE%85 上記サイトの「戦闘神になった風景」のところに 帝釈天との確執の物語について触れられています。 これを読んだときに、鎮護国家の仏教の教えとはこういうものだったのか、と思いました。 現代人なら帝釈天も悪いやん、と思うことでしょう。 http://www.kohfukuji.com/property/cultural/001.html 上記サイトには アスラとは「生命を与える者」「非天」の意味、とあります。 日本の蛭子が日子から転じたもの、というのを思い出します。 阿修羅は戦闘の神であったが、仏法の守護を誓って八部衆に入れらたそうです。 これって、陰が陽に転じたということではないでしょうか。 >私にとって阿修羅像のそれは「涙」であり、 >そして「怒り」も「褐色の肌」同様に「色褪せてしまっている」かのように思えるのです。 仏法守護を誓った阿修羅は無理やりその怒りを像の中に閉じ込められたのではないか、と思ったりします。 それがあの憂いた表情として表現されているように思います。 >古来「ものがたり」とは「もの(霊魂)をかたる(鎮める、なだめる、だます)」というものであったならば、 あー、そういう意味でしたか。 気がつきませんでした。 ナットクです!

noname#163492
質問者

補足

いつも拙い私の文章を読んでくださり、ありがとうございます。 話が横にずれますが、マシュマロさんは文章をお書きになるのが とても上手いですね。 マシュマロさんみたいに文章が書ければいいのに、と羨ましく思っています。 私はいつも四苦八苦して文章を書いています。 文章を書くのは好きなんですが、なかなか思うようにかけません。 国立能楽堂で節分をすごされるとは、なんてお洒落なのでしょう。 >蓬莱の島からやって来た鬼は、害を及ぼす恐ろしい悪鬼ではなく、宝をもたらした祝福の存在。  なるほど。 私は昨日、奈良の元興寺の節分会にいってきましたが、これと同様のことを放送で言っていました。 それで、外国からこられた方々が「まれびと」として豆撒きをされていました。 しかし、「まれびと」とは本来は異界(根の国)から来た人のことなのだと私は思います。 陰陽道では強力な怨霊は祀れば多大なご利益を与えてくださる神に転じる、というふうに考えるようです。 スサノオは根の国の王ですが、竜宮の海神と同一神とされることがあります。 竜宮の海神は陰である根の国のスサノオが陽に転じたものじゃないかな、と。 >牽牛彦星のアルタイルのはずなのに、ケンタウロスとは変わっていますね。 あっ!! すいません、アルタイルが正解です。 うろ覚えで確認せずに書いてしまいました。 >仏教には本来ない概念である「怨霊封じ」や「不浄=穢」を忌み嫌うため?それとも? 交野ヶ原に呪術的なしかけをしたのは空海だといわれています。 密教って怨霊封じの概念があったんじゃないでしょうか。 >rupapo様は物部氏の末裔でしょうね、 そうだったら嬉しいですが、このあたりには最近越してきたので 称徳天皇は別名高野天皇というそうですが 私は称徳天皇の別名と同じ姓です。 藤原氏族一覧にも同じ姓がありますが、まー、違うでしょう。 別部穢麻呂、って面白いですね。 今なら子供の喧嘩レベルです。 これも一種の言霊信仰だったのかもしれませんね。 宇佐神宮にはも古代蓮が咲くのですね。 古来、皇位継承の神託を下す神。 一度行ってみたいと思い続けていますが、行くなら7月にします♪

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