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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:お堂の下のお地蔵様)

お堂の下にあったお地蔵様とは?

mashumaro2の回答

回答No.3

こんにちは。  八坂神社の「翁」ですか、観劇なさったのですね。羨ましい~ rupapo様、推理のほどは進展がございましたか?^^ >熊野という名前はやはり熊野信仰の熊野と関係あるのでしょうか。 >六波羅蜜寺~清水寺のあたりは鳥部野の風葬地であったところです。 >熊野は黄泉の国だとする説があるようですね。 いいえ、「熊野」は流派によって「湯谷」とも称し、熊野信仰との深い因果関係は無いと思います。 いくら花見のためとはいえ、あの一帯を通過するのは、えも言われぬ心地がしたのかもしれませんね。(rupapo様のウキウキ感とは好対照?) 熊野が黄泉の国とする説、ご存知でしたらご教示いただけますか。 能は、武家の世である室町時代に洗練を極めるも、「熊野」など平安作品に題材を得ているものが多く、 ご質問との関連性が薄い後世の芸能である、能の醸し出すあの「陰陽」、 それは平安時代に発展し、祈祷や祓いに大きく寄与したと考えられます。 そして後の武家社会の成立と共に、それは日常の表舞台より姿を消す一方、芸能、或いは秘かな民間信仰として、深く静かに根ざしていったのではないでしょうか。 ところで、wikiで調べましたが、閻魔と地蔵菩薩は一体とのこと。 ではいったい、小野篁との繋がりは何なのでしょうね。(わかりませんね~) 平安遷都を行った桓武天皇には早良親王という弟がおり、親王の怨霊化をおそれ鎮魂の儀式を行わせたとされていますね。 「崇道天皇」のおくり名とともに、奈良の地に移送され、早良親王を祀る「崇道神社」が京都にもあるとのこと。 その早良親王の御魂を鎮めるための儀式を執り行った、或いは鎮守の森の主とは、いったい誰だったのでしょう。 崇道神社には小野神社という社があり、かつてその一帯は小野郷と呼ばれていたそうです。 貞観元年(859)従五位下に叙せられ、延喜の制には官社となり、国家の祭祀にあずかった小野氏一族の氏神社とのこと、 「小野毛人(妹子の子)墓碑」のほかに、「出雲高野神社」などが点在するそうです。 仮に、小野氏が代々国家の祭祀に深く関与してきたのであれば、早良親王の鎮魂の儀式においても、大いに力を発揮してきたはず。 その儀式においては、古代に仏教と共に伝来した陰陽思想が習合していったとは考えられるでしょうか。 そして、その小野氏の末裔であれば、魑魅魍魎とした超然的な力を小野篁も相伝したと、周囲から思われてもあまり不自然ではないように思われるのです。 彼の経歴も波乱に満ちたようで、官位剥奪の上隠岐へ流されるも、数年で帰京し、参議の要職に就いたあたりは、 「あの世からの見事な生還」をも予感させたりなんかして。 さらに、rupapo様ご指摘の梅原氏の御説「法隆寺の閂が聖徳太子の怨霊封じの寺」を鑑みると、 小野氏がかなり古くから、何らかの形で怨霊封じにかかわっていたと考えられなくもないのですよ。 ああでも、小野毛人は太政官だったとのこと、祭祀を所管する神祇官ではなかったわけですし、 小野氏が陰陽道との深い結び付きを裏付ける手掛かりがないのです。とほほ。 >岩船地蔵堂という名前からしてそんなイメージがありますね。 >奈良に岩船寺とか大阪交野市に磐船神社というのがありますが、その関連も気になりますね。 >岩船寺では天邪鬼が五重塔のひさしを支えていましたが、サテ? 本当にrupapo様は、詳しくていらっしゃいますね。 鎌倉は眼の前が海なので、「船」と称する地蔵堂があって違和感ないのですが、 逆になぜ奈良に岩船寺があるのでしょうね。 「仏教では人間の煩悩を表す象徴として、四天王や執金剛神に踏みつけられている悪鬼=あまのじゃく」が、何故五重塔のひさしを支えているのです? すみません、拙文が長くなってしまいましたので、「長床」以下は明日以降にします。

noname#163492
質問者

お礼

>閻魔と地蔵菩薩は一体とのこと。小野篁との繋がりは何なのでしょうね。 奈良に矢田寺というお寺があります。京都にも商店街の中にその分院があるのですが。 そこに小野篁の話が伝わっています。 http://www.yatadera.or.jp/cont2.htm 「崇道神社」へは行ったことがありません。 ご紹介いただいたので近々お参りしたいとおもいます。 そこに小野神社があるのですね。 >彼官位剥奪の上隠岐へ流されるも、数年で帰京し、参議の要職に就いたあたりは、 「あの世からの見事な生還」をも予感させたりなんかして。 >小野氏がかなり古くから、何らかの形で怨霊封じにかかわっていたと考えられなくもないのですよ。 >とほほ。 同感です。 しかし、ここに篁と船のかかわりが見出せますね。 「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」 また遣唐福使に任じられたが、故障している船と交換せよ、と命じられたということも篁と船とのかかわりを感じますね。 岩船寺の天邪鬼が何故五重塔のひさしを支えているのかについては、これという話は伝わっていないようです。

noname#163492
質問者

補足

いつもありがとうございます。 >熊野が黄泉の国とする説、ご存知でしたらご教示いただけますか。 詳しくは存じ上げません。 ただ、「熊野 黄泉」で検索するとたくさんヒットします。 初代神武天皇は日向より東征し、はじめ大阪の白肩の津(大阪府枚方市といわれています)より畿内入りしたそうです。 しかし、迎え撃ったナガスネヒコ軍に撃退され、迂回して紀州より畿内入りしようとします。 神武はたいへんな苦労をして熊野を越えて再び畿内入りし、ナガスネヒコが神と奉じるニギハヤヒを服して即位しました。 私は神武が超えた熊野とは黄泉の国をイメージしたものだと思います。 なぜなら、大国主も一度黄泉の国へいき、そこで黄泉の王・スサノオから知恵をさずかって葦原中国を治める王となっているからです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1 詳しくは上記の【根の国の訪問】をお読みください。 また京都の法輪寺では十三詣(13歳になった子供が参拝する)が行われていますが、別名を「知恵もらい」といい、お参りして桂川にかかる渡月橋を越えるとき、決して後ろを振り向いてはいけないといわれています。 これは、黄泉の国へ行ったイザナギが、イザナミに「決して振り返って姿をみてばいけない」と言われたという話を思い出させます。 どうも黄泉の国へいって戻ってくると、ご利益があるというような信仰があったんじゃないですかね? で、六道の辻ですが、六波羅蜜寺の隣に地蔵堂があり、そこではお盆のときに熊野那智曼陀羅図を公開しています。 やはり、六道の辻は熊野と関連づけて考えられていたのではないでしょうか。 能の熊野がお暇をいただくことができたのは、黄泉の国である六道の辻を通ってきた御利益だと、そういう物語ではないかと個人的には思いました。 ついでにいえば清水寺もまた黄泉の国なのだと思います。 あの舞台の上からかつて死体を投げ捨てていたというのは、あまりに有名な話です。 >そして後の武家社会の成立と共に、それは日常の表舞台より姿を消す一方、芸能、或いは秘かな民間信仰として、深く静かに根ざしていったのではないでしょうか。 いや~、全くそのとおりだと思います。

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