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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:お堂の下のお地蔵様)

お堂の下にあったお地蔵様とは?

mashumaro2の回答

回答No.2

こんばんは。 身にあまるお礼に感謝申し上げます。 このたびもrupapo様の推理をひたすら愉しみにしております。 >六道珍皇寺の開基とされる寺に千本閻魔堂がありますが >ここでも「鬼は内」と言っていました。 >で、千本閻魔堂狂言「鬼の念仏」が演じられます。 >死者を裁く鬼が改心して念仏を唱えるようになるお話 まあ、「鬼の改心」とは…鬼が人間みたいでとても面白いですね~ 是非一度観てみたいです!  東京の国立能楽堂でも、二月三日に『節分』が上演されます。 こちらも、一目ぼれした女房に鬼が蓬莱の島の宝を取られてしまうという、少々情けないあらすじです。  狂言の鬼は、どうやら播磨の印南野あたりで産出が多いみたい。 能の「熊野(ゆや)」はご存知でしょうか。 以下のサイトの現代語訳8頁目に「六道の辻」の場面がございます。 よろしければ、どうぞ。 http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_016.html 平家物語に題材を得た作品で、若い女性用の赤い色の入った「紅入(いろいり)」の装束をつけます。 女面もクリックしてご覧になれます。ご参考までに。 http://www.noh-kyogen.com/story/na/yuya.html 脱線ついでに申し上げますと、私達の顔同様に、面も左右対称ではありません。 寂しげな「陰」、華やかな「陽」という、左右の微細な差が存在するのです。 平置きで静観すると左右対称に見える面ながら、 光の陰影を受け緩急織り交ぜることにより、面に血が通い生き生きと情感豊かに映るように思え、 この左右非対称が生み出す変幻を愛でる文化、 これは現代にも充分受け継がれているに違いありません。 >神様のことを「柱」と数えることからして。 はい、仰る通りですね。 諏訪大社の御柱祭もそれに該当するのでしょう。面白い数え方ですね。 >千本閻魔堂の近くにある千本釈迦堂には >大工の棟梁の妻・阿亀の物語が伝わっていますし >近所には釘抜き地蔵なんてのもあります。 なるほど、たくさんのご教示、とても参考になります。 「釘を打ち」にも色々ありますね。 画像ながら阿亀桜は素晴らしい! 京都のお寺の桜は本当に美しいと思います。 その寺院建築について、少々。 平安遷都には、大和の寺院勢力から政を分離させる狙いがあり、 その後の最澄、空海等の活躍も含め、仏教が広汎に拡がるにつれ、寺院建築も多様化していきました。 平安時代の主な特徴としては、仏堂の「土間→≪床≫式への推移」、屋根形式の変化、 さらには仏教芸術との融合による華麗で装飾的な内部空間の成立などが挙げられます。 また、崖や岩にもたせ掛けるように床部が長柱で支えられる建築を「懸造」と称し、 かの清水寺も、岩座を信仰するアニミズムと山岳仏教との習合によるものと言えましょう。 ──桜の時期とはいえ、熊野がとおったであろう当時の近辺の光景には、何ともうら寂しい風情があったことでしょうね。 >我々の先祖が「床」に何を見たのか、 >常世、というのが面白いなあ、と思いました。 床板1枚ならぬ、船板1枚隔てた下には、数百~数千メートルの底知れぬ暗く深い闇/地獄(=海)が待ち構えています。 海底探査の無かった時代、昔の船乗りたちは、さぞかし心許なく思ったことでしょう。 「船」も古今東西、とても重要な乗り物だったはずですよね。 鎌倉には「岩船地蔵」というお寺がありまして、そちらの床下にお地蔵さまがあったという記載を見つけました。 「鎌倉二十四か所地蔵めぐり」と打っていただき、第15番霊場をご覧くださいませ。 また、『日本書紀』の記載では、常世神がまつられ祖廟が建てられたと記されている箇所があるそうですね。 次はご指摘の「長床」と神社建築についてもふれたいと思います。 >篁・閻魔堂に安置されている篁や閻魔様が地獄の住人であり >ソレを護るかのようにお地蔵さんがいるということがなんか不思議。 はい、三者がどのように結びついているのか、気になりますね。 平安遷都に伴い、怨霊信仰も飛躍、発展したということでしょうか。 さらに、仏教とともに古代の日本に伝来した「陰陽思想」などの影響も見逃せないと思われます。 だって、あの能が垣間見せる凄まじい気迫と情炎ですらも、「陰陽」の攻防なくしては、決して生まれ得ないのですから。

noname#163492
質問者

お礼

いつもすばらしいヒントを下さり、ありがとうございます。 えーと、今回は推理するだけのソースを持ち合わせておりませんで、申し訳ないです。 ですので、いただいた回答を読みながら、ひたすら「ナルホド~」と思っております。 mashumaro2さんは能がお好きなのですね。 私は八阪神社で行われた翁しか見たことがありませんが、興味あります。 ですので「熊野」、とても楽しく拝読いたしました。 去年の春、桜の季節に六波羅蜜寺から愛宕寺跡、六道の辻をへて馬留、清水寺へとお参りしました。 その記憶を辿りながらまるで熊野とともに歩いているような気分に。 ところで熊野という名前はやはり熊野信仰の熊野と関係あるのでしょうか。 六波羅蜜寺~清水寺のあたりは鳥部野の風葬地であったところです。 そして熊野は黄泉の国だとする説があるようですね。 >私達の顔同様に、面も左右対称ではありません。 京都に伝わる壬生狂言・閻魔堂狂言などは少し見たことがありますが、確かに少し違うようですね。 で、演者さんの演技力のせいなのか、お面が泣いたり笑ったりするように感じられました。 >床板1枚ならぬ、船板1枚隔てた下には、数百~数千メートルの底知れぬ暗く深い闇/地獄(=海)が待ち構えています。 海底探査の無かった時代、昔の船乗りたちは、さぞかし心許なく思ったことでしょう。 海には海神が住む竜宮がありますね。 海神はスサノオと同体ということですので、死の世界ですね。 すると船乗りたちにとって床というのはまさしく生死を繋ぐものだったわけですね。 で、岩船地蔵堂ですね。 床下に舟形光背の地蔵石像があったと書いてありました! うーん、やっぱり何か意味があっておいてあるんでしょうね。 >『日本書紀』の記載では、常世神がまつられ祖廟が建てられたと記されている箇所があるそうですね。 ちょっと調べてみましたがよくわかりませんでした。 mashumaro2さんは、船の床下が海であることと床下の地蔵を結びつけておられるのですね。 なるほど、スルドイ、と思いました。 岩船地蔵堂という名前からしてそんなイメージがありますね。 奈良に岩船寺とか大阪交野市に磐船神社というのがありますが、その関連も気になりますね。 岩船寺では天邪鬼が五重塔のひさしを支えていましたが、サテ? (なんにも見えてこない。とほほ。)

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