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失敗とは何でしょうか

人は、後悔する場合があると思います。また、いくつになっても失敗をする場合があると思います。 失敗とは何でしょうか? あらゆる回答を、お待ちしています。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • koureisya
  • ベストアンサー率16% (57/353)
回答No.11

「はじめに可能性はなくても、努力によって可能性が生まれる その前にまず失敗がある」

noname#3511
質問者

お礼

これはすごい。感動的です。 多くの人に、知らせたいと思いました。 ありがとうございました。 はじめに、可能性はない。ということは、失敗が努力を生み、それが、可能性を生んでいます。失敗とは、初めての努力のことだ、と、いえるようだ。そう、おもいました。

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その他の回答 (15)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.16

追伸まで 自己実現に対する失敗と成功について少し述べます。 自己の志の念いが継続的で、その努力を続ければ必ず志は実現します。 これは法則ですね。年齢には無関係です。ただね。同じような志の方は何人もいますので、どこかで必ず鉢合わせになります。追求すればするほどそうなります。試験でもそうですよね。町一番の上には市一番がいて県一番がいて全国一番がいますね。その上は世界一番がいます。目指せば目指すほど上はあります。競合します。そういうものですよね。どこに志を置こうが自分 を愛して、努力するということなんです。そうすれば失敗はありません。 目標に達しないから失敗したというとこではないのですね。 だから自己実現という観点での失敗はないように思います。 責任の上の失敗というのは、最大多数の最大幸福という考え方にあるのです。最大幸福の観点での失敗ですね。でもいつでもやり直しはききますからね。例えば、ローマの時代、ローマは隣国のカルタゴとの海戦で負けてばかりいたんですね。カルタゴは貿易国でしたから船のそう戦術にたけていました。ローマ軍は陸では強いのですが海ではからっきしだめで負けてばかりということだったんです。負けるたびに船を失ったローマは、また造船して船を用意し前の海戦で生き残った兵を提督にして戦ったんです。 負けて生き残った提督は必ず次の戦いの司令官になったのです。 当時の海戦は船を衝突させる戦いなので兵隊も船もろとも沈んでしまうのです。その状態で生き残った兵ですから運が良いというのと負け戦を知っているということで、抜擢されたのです。このやり方を繰り返して最後はローマはカルタゴを海戦で破るのです。失敗は成功のもとですね。でも志をたてあきらめずに努力した結果ですね。 失敗は反省と学びのの母、成功は感謝と謙虚さを学ぶ母だと思っていると良い人生が歩めるように思えます。 参考程度まで

noname#3511
質問者

お礼

具体的で、わかりやすいお話をありがとうございました。 私のお礼は、組み立ても表現も未熟でわかりにくいのですが、このようなアドバイスをいただけて、ありがたく思っています。 >目標に達しないから失敗したというとこではないのですね。 最もだと思います。 >失敗は成功のもとですね。でも志をたてあきらめずに努力した結果ですね。 失敗は反省と学びのの母、成功は感謝と謙虚さを学ぶ母だと思っていると良い人生が歩めるように思えます。   綺麗にまとまっており、心がけとしては、かなり最適なものであるように思いました。よい人生が歩める、そのための失敗であるという不屈の精神があれば、してはいけない失敗も、よい人生につながるものとできると、信じたいと思います。 ありがとうございました。 失敗は、人生を向上させるチャンスを運んでくるのかもしれません。

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.15

[失敗とは何でしょうか? ] 難しい命題ですね。 若いうちは失敗という経験を重ねますね。失敗を重ねて成長し、責任ある立場になると「失敗が許されなくなりますね。」 国の舵取りという責任の立場になると、失敗は国民をあやうくする場合もありますね。よく若いうちの失敗は恐れるな。といいますね。これは若者の情熱を大切にしているからですね。でも責任ある立場では許されないものなんですね。ものの見方、や知識の不足で失敗が生じますね。人間完全ではないですからね。ということで、やはり努力精進の成果の一つが失敗という経験 なんでしょうか。 参考程度に

noname#3511
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。考えたことを述べます。 NO.1の方の回答を見たときに思ったことと、関連しますが、社会的地位が高くなると、その分責任が重くなります。そのため、失敗は響くわけです。 ゆだねられていると言うことです。だけれども、ストレートに、一人が、国民全体の重みを背負える訳がないので、地位、立場と言うものを、使って、その責任を果たそうとします。   私は、自分に対する果たすべき責任が、自己実現であると考えています。 ゆっておきながら、堅苦しい考えだとは思いますが(笑。 自己実現を果たしていないと言うのは、自分に対して、責任を果たしていないと考えます。 「私のことなんだから関係ないでしょ!」というのは、一理あるように聞こえますが、妄言です。自分を大切にすると言うのは、できるかできないかの問題をべつに、最低限の、その人に課せられた使命であるのです。それができていないのに、社会の中で重役についてしまうと、この「私のことなんだから勝手でしょ!」システムが、社会責任の重みをを凌いでしまうのです。なぜなら、自分と言うのは、実際的に、現実に、最も身近であるゆえに、優先順位が圧倒的に高いのです。   その社会的地位についていることが、自己実現を果たせないままの状態につながっているようであれば、多かれ少なかれ、自分勝手が先行し、どこぞの国の大臣のように、責任を誠実に果たせない人間(迷惑な存在)になるのです。 自己実現が、その社会的ポジションで果たされている人には、失敗を恐れないと言うことはゆるされるのであり、情熱的であることもゆるされるのです。その人は、よく働けるでしょう。 そして、その、かなりよいといえる働き手でも、それでも、失敗は起こるのであり、その失敗は、赦されるべきでしょう。   そして、私は、社会という言葉であらわされる場所に、個が、包み込まれている状況では、本当に、本当の、自己実現というものは、果たされきれないと、言います。   予備ですが、若者に赦されている失敗と言うのは、社会人たちから見て、理解の及ぶことに定められる、狭義の失敗であって、理解を超えるものには、お手上げだと思います。また、謀を持たずに行動すると言うことは、勇気のいることであり、個人的には良しとします。私の考える本来の若者とは、目的が定まらない、けつの青い状態をいうことだと思っています。目的が定まらないゆえに謀もなりたたず、それでも求めている、というのが、若者の姿だと、私は思います。若者は失敗がゆるされるとか、ゆるされないとかという場所で、若者を語るのは、よくない。そういう問題ではないのです。赦されない失敗があるのは、若者も、社会的に地位の高いものも、同じなのです。 最も大切なものを、お互いに懸けて、生きていると、私は思っています。 けつの青い若者は自分であり、おとな的社会人は、家族なども含め、社会であるわけです。 若者は自分的であり、おとな的社会人は、社会的です。 そして、若者のほう(あくまで私の言う若者像)が、正直と言えます。 そして、現実には、けつの青い若者が、けつの青いおとな的社会人になるケースは、すくなくありません。成長を果たさないままに、ライフステージが進んでいくのです。 >ということで、やはり努力精進の成果の一つが失敗という経験 なんでしょうか。 参考程度に   ありがとうございました。

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回答No.14

NO.8の書込みした者です 表現力に乏しくて御迷惑をかけてしまったようで 大変、恐縮です その表現力の拙さを補って余りあるayamati氏の理解力に感謝致します 少しだけ、言い訳?させて戴くとするならば 「それら」は「失敗・後悔」です 「経過」は「選択肢」を考えてます ようするに、ある行動の結果についてだけを後悔したり失敗と捉える前に 結果を導く行動に安易な選択をするな、安易な選択の結果に後悔しても そこからは何もうまれないという私自身に対する戒めみたいなものです 大変、失礼致しました

noname#3511
質問者

お礼

>安易な選択の結果に後悔してもそこからは何もうまれないという私自身に対する戒めみたいなものです   私にも十二分に当てはまります(笑。 日ごろから言われています。「選択を行う前に、すでにお前の失敗は始まっとんねん、気がつかんのか?」 なんて(笑。   これからも、失敗をしていくことがわかっていますが、先に悔いておきたいと思います。 再びのご回答、ありがとうございました。

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  • yottimama
  • ベストアンサー率28% (36/125)
回答No.13

こんにちは。 失敗とはなにか? 私の子育ての中のひとつの姿勢として。 『子どもに失敗はない、全てが経験です』 この経験が、さらなる成長のステップにつながるように心がけています。 だから、失敗とはただただ『経験』ですかね。

noname#3511
質問者

お礼

>この経験が、さらなる成長のステップにつながるように心がけています。 だから、失敗とはただただ『経験』ですかね。   人は、大人になったと思ったときに、失敗するのかもしれません。 ただただの経験、このスタンスが、大人には当てはまらないように思います。就職のための学校、稼ぐための労働、人間関係のための遊び、どれも、子供には当てはまらないものばかりです。 大人は、なにかと、理由を求めますから(笑。 印象のある回答、ありがとうございました。 失敗に、理由は要らないのかもしれません。

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  • taka302
  • ベストアンサー率56% (27/48)
回答No.12

#10で回答したばかりですが、 「失敗とは苦いものである。」より「失敗とは口に苦いものである。」 とした方がいいかなと思いました。 そこで思い出すのは「良薬口に苦し」という言葉です。 であれば、「失敗とは人生の良薬である」というのもありかな、 その方が逆説的でかっこいいかな(笑)と思ったりしました。 良薬もうまく使わないと毒になるし、また好きで飲むわけでもないです。 哲学が究極までに答えを1つに突き詰めることだとするとすると、2つも回答してしまってはまるで説得力がないですね。 哲人とは縁遠い俗人からの回答でした。

noname#3511
質問者

お礼

失敗とは人生の良薬。 失敗が、人生の病気を治そうとしてくれている。 医食同源を考えてみると、日ごろから、よい食生活(経験)を送っていると、病気にもならないのかな、とも思いました。 >哲学が究極までに答えを1つに突き詰めることだとするとすると、2つも回答してしまってはまるで説得力がないですね。   全然そんなことないですよ。二度にわたる説得、三度にわたる説得。幾度にもわたることで、心動くときが訪れると言うのは、少なからずあると思います。視点が変われば、一つのことだと思っていたのが、いくつにも見えたり、矛盾だと思ってみていたものが、じつは、すごく整合のあるものだったりすることは、よくあると思います。 ありがとうございました。

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  • taka302
  • ベストアンサー率56% (27/48)
回答No.10

「失敗とは苦いものである。」というのはどうでしょうか。 苦いものというのは本来人間が口にしたくないもので、毒である場合が多いと思います。 それが猛毒だったりすると取り返しがつかないことになり、死に至る場合もあります。 あと苦いもので思いつくのは薬です。薬も服用の仕方次第では毒になりますが、ちゃんと服用すれば 体に効きます。失敗がいい薬になったという言い方もします。 苦いものは好き好んでで受け入れることはあまりないと思いますが、なかなか避けては通れないのかもしれません。甘いもの、おいしいものも取り過ぎると体に良くないように、失敗がなくて慢心したり、調子に乗り過ぎるのもいいことではないのかもしれません。

noname#3511
質問者

お礼

適度に、失敗を混ぜていくというより、適度に混ざってくるのが、バランスが取れていますよ、ということでしょうか。 調子に乗りすぎれば、それが失敗であり、失敗は、過剰な偏りに拮抗をもたらそうとする、つまり、バランスをとろうとする作用なのかもしれません。 出過ぎないように、引っ込み過ぎないように。あるべきように。 イチローは、米で成功しましたが、あの成功は、特別なことではなく、当たり前のこと(バランスが取れていること)なのかもしれません。   個人的には、調子に乗り過ぎないと、行けない場所もあるだろう、と思っています。いいか悪いかは別として(笑。 ありがとうございました。

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  • ken-ichi
  • ベストアンサー率33% (2/6)
回答No.9

 失敗とは、「無駄なこと」だと思います。失敗したとしても、失敗から学べることは多くあります。こうすれば失敗するのかとゆうことや、こうゆう失敗の仕方があるのかとゆうことなど。これは、経験として自分の糧になっているので、「本当の意味での失敗」とは違うのではないかと思います。  失敗によって得られる経験を得ずに、その失敗を省みなかったり、反省しなかったり。「失敗したけどまあ、ええわ」と失敗から得るものをすべてふいにしたときに、その失敗はすべて無駄になり、何の意味も持たなくなると思います。すべての意味を無くし、無駄にしてしまう。それが失敗なのではないかなと思います。  なお文中では、普通の失敗も、私の考える「本当の意味の失敗」も、同じ失敗で括っているので、辻褄があわないように感じるかもしれません。これは、失敗とゆう言葉以外に適当な言葉が思いつかなかったためです。ボキャブラリー不足ですいません(--;

noname#3511
質問者

お礼

>失敗から得るものをすべてふいにしたときに、その失敗はすべて無駄になり、何の意味も持たなくなると思います。すべての意味を無くし、無駄にしてしまう。それが失敗なのではないかなと思います。   なるほど。その失敗の存在を、無意味にしてしまうことが、糧にできるはずの失敗を、ただのゴミとしてしまう。 これは身近な教訓だと、思いました。 考えたら、われわれの生活は、無駄の多い生活かもしれません。 なぜなら、ゴミが、いっぱいでているからです。 さらに、害を及ぼす悪いゴミが、ほとんどです。 もしかしたら、ただ、良くも悪くもない無駄なゴミなどなく、ゴミも適材適所で、あるべきところにあれば、それでよい(ゴミじゃない)のではないかと思いました。 失敗も、適材適所で、失敗の役に立つ時や、場所が、かならず来る(ある)みたいな、ことかもしれません。それが、意味のあることかなあと、思いました。 ありがとうございました。

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回答No.8

「後悔」も「失敗」もしなくて済むならしたくないもの 適わないのであれば、せめて 「結果」に対するそれらより、「経過」に対するそれらに努力したいですね

noname#3511
質問者

お礼

すいません。文章の意味が、汲み取れていないかもしれませんが、それらとは、「後悔や失敗」のことととって、考えて見ました。 結果に対して、あれは失敗だった、後悔している、というよりも、進行中の経過において、失敗して、それでどうなのか?後悔して、それでどうなのか?という、前向きな思考に努力したい、という姿勢を思っています。 もし、違っているのであれば、もう一度お願いしてよろしいでしょうか? ありがとうございました。

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  • jun95
  • ベストアンサー率26% (519/1946)
回答No.7

失敗はある意味で必然です。失敗することにより、自分の限界や高慢ちきに気づくことができます。 たとえば、優秀な能力を持っておられた精神分析の土居健郎も、自分ぐらいの能力があれば、短期間で精神分析をマスターできるだろうと考えて渡米しました。しかし、受け入れてもらえず、失意のまま帰国します。その後、再び訪れ受け入れてもらうことはできるのですが、その体験により、彼独自の「甘えの理論」などが生み出されたと聞きます。 何かを行うについても、たとえば登山をやってみて、一度も失敗しないなら、逆に危険で、少しだけ失敗した経験のある人の方がよい登山家になれるうえに、それを一生のもにできます。しかし、失敗ばかりしているようでは、到底登山家には向きません。 同じように、自分の職業を決めるときでも、あまりにも失敗ばかりするようだと、適職でないのだと分かります。ノーベル賞の田中さんのように、ちょっとだけ失敗する人は、その仕事が適職なのかもしれません。全く失敗らしい失敗はせずにやれるひとは、独創性を求められる企業では頭角を現すことができません。

noname#3511
質問者

お礼

非常に説得的な回答、ありがとうございます。 >失敗することにより、自分の限界や高慢ちきに気づくことができます。 そのとおりですね。自分という枠は、限界を持つがゆえに、アラームの役割を果たしているのかもしれません。 ありがとうございました。

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回答No.6

失敗とは次のステップに進むためのバネだと思っています。何かの失敗が次の時の参考にもなるし、「失敗は成功のもと」ともいいますし。または何か自分に考える機会をあたえてくれるものだとも思います。辛い事もあればなかなか立ち直ることができない時もあるけれど、そういう事があって強くなっていける。そのための糧でもあると思います。その人の考えようでどうとでもとれるものでもあるとも思います。私は前向き派なのでそんな考えです。

noname#3511
質問者

お礼

>その人の考えようでどうとでもとれるものでもあるとも思います。私は前向き派なのでそんな考えです。   私は上向き派なので、空を見上げて、「なんかいいこと、ふってこないかなぁぁ~」って感じです(笑。きちんと前を向いて歩きましょう!危ないので。 ありがとうございました。

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