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江戸時代の金貨の価値について

昔は金本位制だったと思うのですが、日本だと米本位制?・・・ よく、時代劇で金貨とか出てくると思うのですが、 金貨1枚で米何キロ分買えたのでしょうか? 要は、今と昔とで金貨の価値も違うと思うのです。 ただ、江戸時代には日本から金が流出もしていたし、銀の方が価値があったそうなので、 金の価値無かったのでしょうかね? 江戸時代で、金貨1枚=米?キロ=?円 ?はどうなるでしょうか? 金貨の大きさでも違いますが・・・。

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

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  • pmmp
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回答No.1

小判一枚で、家族4人が1ヶ月生活をしていけるだけの価値がありました。 今の額に換算したら、約25~30万の額になるそうです。

その他の回答 (4)

回答No.5

金貨は常に純度が減らされていて、時代を追うごとに悪貨となっていきます。要するに、金の高騰ですね。金山の産出量が頭打ちになっていたこともあると思います。 確か、一両で10万くらいにはなったともいます。 関西は銀本位制だったようです。 金が本格的に流出したのは幕末の諸外国との条約締結後で、外国商人が日本の通貨制度の欠陥を利用して、大量に金を流出させたことから、大暴騰がおこってしまいました。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (674/1409)
回答No.4

 あえて江戸時代の制度を規定すると、金銀本位制だと思います。  (東[江戸]は、金が貨幣の基準となっていまいしたが、西[大阪]では銀が基準となっていました。)  本来の本位制だと、中央銀行などが自国の通貨価値を保障するために、自国通貨の交換比率を規定したものです。  (日本で法整備されたのは、1871年(明治4年)の「新貨条例」で定められました)  本位制には、異なる国の通貨であっても、金への規定の交換比率が規定されていれば、貨幣価値の比較が可能になるという利点があります。  (1円=純金1.5グラム 後に 1円=純金750ミリグラム)   ちなみに、小判(1両)は、重さの単位である両(37.3グラム)だけ砂金が入っていますという決まりが有ったのですが、時代が経つごとにその量が減っていきます…。よって価値は、時代によって激しく変わります。  (江戸末期には、貿易決済の為に、海外の金本位制に合わせた小型の小判もできました。[万延小判])

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%9C%AC%E4%BD%8D%E5%88%B6
vantice
質問者

お礼

色々な情報ありがとうございました。 金に価値があるというのがよくわかりました。 おおよそ1枚、10-30万ということで、逆に考えれば それだけ価格変動の少ない安定したモノと言うことに納得。 単純ですが、米と小判を交換できた、というのは重要と思いました。 結局は、信頼されるかされないかですね。 金貨の画像を見ても、「欲しい」と思ってしまったし、 アクセサリーとしても人気は女性にもありますよね。

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.3

江戸ではお金で買える量で表し、 関西では米の量に対し幾らと唱え方が違っていました。 宝永7年(1710年)で 江戸では米一石(100升、寛文9年(1669年)に新京枡に統一され、現在に至る、大体150kg) 春が銀80.6匁(約1両20.6匁)です、 江戸初期では1両が今の約10万円 ですので宝永辺りでは10万円で計算するとして 150kgの米が12~13万円で買えたということです。 慶応1年(1865年)では 米一石が江戸で258匁(4両18匁) 大阪では304匁(5両4匁) 慶応3年(1868年)では 江戸で586匁(9両46匁) です。 米価換算で計算すると、 慶応年間では1両が4千円くらいになります。 文政年間(1818~1829年)の 上大工(腕の良い大工)の賃金が 1日銀5匁4分(工賃4匁2分、飯米料1匁2分)、 1年354日(現在と年間の日数は違いました)で 盆暮れ正月雨風等で60日を抜かして 年間294日働くとして、 約銀1,588匁(26両28匁)。 1両10万とすれば260万円です。 長屋住まいで親子3人の1年間の場合 このうち米飯が3石5斗4升(大体400kg)で 354匁(6両54匁) 家賃が120匁(2両) 味噌、塩、醤油、薪炭代で 700匁(11両40匁) 道具、家具、衣服で 240匁(6両) 祭祀・仏事、通信代等で 100匁(1両40匁) 大体1514匁が必要で、 余るのが74匁(1両14匁) 子供が二人いるか、何か臨時の出費があれば足りないです。 これでは毎日お父さんが帰りに一杯というわけにはいかなかったようです。

回答No.2

一両=四分=十六朱=四〇〇〇文 原則は一両=一俵ということになっていましたが、実際は変動しました。 江戸時代の商人は、米の需要と供給を予測して事前に買い付けました。その際に行われた取引が先物取引です。現代経済で先物取引は当たり前(石油やら鉱物資源は全て先物取引です)ですが、このシステムを考えたのが堺の商人です。

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