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パラダイムとエピステーメー

パラダイムとエピステーメーの共通性と違いについて教えていただけませんでしょうか。 中山元さんの思考の用語辞典を参考にしましたがエピステーメーの方の記述が少ないのでもし詳しい方がいらっしゃいましたら宜しくお願いいたします。

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回答No.3

> 何か思いつかれたことがありましたら 何か思いつくかなあと思ってほかの回答をしてみましたが思いつきませんでした(笑)。 ただ、このご質問がマイケル・ポランニーをあいだにおいてみると、なんとなく前のご質問とも微妙につながってくるかと思いました。 ただ、わたしはポランニーを読んでいるわけではないので、「暗黙知」が「パラダイム」や「エピステーメー」とどのような位置関係にある言葉かというのはよくわかりません。 『言葉と物』の序文にはこのような箇所があります。 ちょっと長いんですけど、重要な場所だと思うので引用してみます。 -----(p.18-19)----  文化の基本的な諸コード――すなわち、その言語、知覚の図式、交換、技術、価値、実践の階層的秩序を支配するもの――は、最初からひとりひとりの人間にたいして、彼がかかわり、そのなかに自分自身をふたたび見いだすような、経験的秩序というものを定めている。 また、思考の対極的なところには、学問にかかわる諸理論、もしくは哲学者の諸解釈というものがあって、なぜ一般に秩序というものがあるのか、それは、どのような一般的法則にしたがうか、どのような原理がそれを説明しうるか、設定されたのがむしろこの秩序であって他のかくかくのものでないのはいかなる理由にもとづくか、そういうことを説明してくれる。 けれども、このひじょうに隔たった二つの分野のあいだには、…ひとつの領域がよこたわっている。それは、はるかに錯綜し、晦冥で、むろんのこと分析も容易ではない。そしてその領域においてこそ、文化は、諸コードによって指定された経験的諸秩序から知らぬまに離れ、…目に見えぬ直接的力を脱したうえで、それらの秩序がおそらくは可能な唯一のものでも、最上のものでもないと認めるほどに自由となる。 こうして文化は、その自然発生的諸秩序のしたに、それ自身として秩序づけられるべき、ひとつの無言の秩序に属するおおくの物がある、つまり、どのようなものにせよ筒所というものが《ある》という、生のままの事実と向かい合う。 ----- ここでフーコーが、カントがやろうとしたことを、まっとうに引き継ごうとしていることがわかります。 『言葉と物』の巻末索引に「認識論的」という項目があって、通常の「認識論的」という語は「認識論」に対応する形容詞として使われるのですが、フーコーの場合は[epistemologique] を、エピステーメーに対応する形容詞として用いることが多い、とあります。 「パラダイム」という語はたいていの哲学辞典に「用語」として載っています。つまりクーンによる新しい概念です。一方で、エピステーメーというと、ギリシャ語の「知」、「実践知」や「技術知」に対応する「理性知」などという語義的な説明がまずあって、そこからプラトンのエピステーメー、アリストテレスのエピステーメーと、さまざまな哲学者によって定義づけられた、いわば基礎的な概念であったことが述べられ、そのうえで、フーコーはどう定義づけたかと続いていきます。 この用語の性格そのものの違いが、概念のちがいと言えるのかもしれません。 つまり、「パラダイム」という概念が、新しいものの見方を提示するものであるのに対し、「エピステーメー」は正統な知の系譜である、ということです。 質問者さんのおっしゃる「制度」は、ここでいう「秩序」と同じものなのかどうか、わたしにはよくわからないのですが、フーコーのいう「秩序」すなわち「秘密の網目」「視線、注意、言語といったものの格子をとおしてのみ実在するもの」というふうに考えていくと、「ある」ことと「知る」ことの綴じ目がこの向こうに見えてくると言っていいのかもしれません。 かなり怪しい回答ですが(笑)、なんらかの参考になれば。

noname#68627
質問者

補足

>ただ、このご質問がマイケル・ポランニーをあいだにおいてみると、なんとなく前のご質問とも微妙につながってくるかと思いました。 どうも無理やり誘導しているようで(笑)申し訳ないです。 >ここでフーコーが、カントがやろうとしたことを、まっとうに引き継ごうとしていることがわかります。 >「ある」ことと「知る」ことの綴じ目がこの向こうに見えてくると言っていいのかもしれません。 流石に上手くまとめていただいたようで非常に感心いたします。 カントについてもだんだん忘却の彼方なので、 多分次回の質問は、この「ある」ことと「知る」ことの綴じ目、になりそうです(笑。

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その他の回答 (3)

回答No.4

お邪魔します。 パラダイムとエピスメーテーの事は良く解らないのですが、偶々、マイケル・ポランニーの暗黙知に関する本を最近読みました。 本のタイトルは「暗黙知の次元」で、 1)暗黙の知 2)創発 3)探究者たちの社会 の三つのタイトルから構成されています。 話題に登っている、暗黙知に関しては、最初の項目でおよそ40ページの論文です。 内容としては、三つほどの心理学的実験から、知っていながら、本人が気付かない知識の事を、暗黙の知として取り上げています。この論文は短いですが内容が濃いため、簡単に此処で説明するのは難しいですし、二三度読み返しても、回答に記入できるほどの理解が得られたかははなはだ自信の無いところです。全体としてもそれほど厚い本ではありませんから、ご一読されては如何でしょうか。 とは言え、ついでですから、いい加減な感想を書いておきます。 パラダイムとエピスメーテーに関する理解も不安ですが、暗黙知は前者の二概念がどちらかと言えば「歴史的・社会的制度」に近いのに対して、暗黙の知の方は生物学的な構造に近いといえるのかもしれませんね。 理論的な説明が難しいので、比喩を使うと「自律神経的知識(なんじゃこりゃ)」と言った苦しい表現しか思いつきません。あるいは、ベルクソンの「本能と知覚」という区分で言うと、知でありながら本能に近い部分と言った例えが可能かもしれません。また蜜蜂は仲間に餌の在処を知らせる為に、8の字ダンスをするらしいですが、蜂はそのダンスで、仲間に知らせる事ができる、餌のありかを知っている、と言う二項の知識を持っていますが、蜂自身はその知識を知っているとは言えませんね、仮定として蜂に意識がないのならば、これも不出来な比喩でしかありません。 興味深いのは、道具や視角に言及するくだりで、身体自体を道具として見ると、う~む・・・考えさせられます。さらに、自ら知っている事(経験)を自分では解らないとなると、アプリオ・アポステリオの境界が怪しくなってしまいます。困った本ですね(笑。 ちなみに、マイケル・ポランニーの兄は、経済人類学のカール・ポランニーですが、弟はマイケル・ポラニーと表記される場合が多いようです、ご紹介した本の著者としても「マイケル・ポラニー」と表記されていますからお間違えのないように。

noname#68627
質問者

お礼

久しぶりにfishbowl66さんのお名前を拝見いたしましたがどうしてらっしゃったのでしょうか(笑。 私もマイケル・ポランニーの暗黙知は読んでませんで、あわよくは詳しい方にご解説いただければとむしのいいことを考えていたわけですが、丁度そんなところへご回答いただいたわけで、たいへんありがたいことです。 >「自律神経的知識」という比喩は非常によくわかります。 ベルクソンで言うと直観的認識能力ですかね。 アナバチはアオムシを刺すときにあたかも昆虫学者のごとき正確さでアオムシの急所を刺すようですが、これは一種の直観的能力であって、すなわち、アオムシの生命形態を内側から把握するが故に、一挙に急所を捉えるのだと説明されておられます。だから本能的認識能力は、無意識のままに留まるが故に、生命についての本能的把握は自覚化されない、つまり認識にはならないのだと。 8の字ダンスも人間の言語におけるようなシンボル的表現の随意性はないようで。 こんど二読も三読もしてみます(笑。

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回答No.2

あらっぽくいってしまえば「知の枠組み」というのが共通点。 相違点は「科学的成果の集合」か「歴史的《ア・プリオリ》」か、という点にあるんじゃないかと思うんです。 こういうふうに問題を立てると、かなり見通しがよくなりません? 少なくともわたしはそういう理解の仕方をしています。 まず、パラダイムについて、基本的な点をおさらいしておきましょう。 このあいだのウィーン学団にせよ、あるいはポパーの批判的合理主義にせよ、彼らは科学の発展を、科学的真理がつぎつぎに積み重ねられる、直線的・累積的な過程と考えます。そしてまた、科学と非科学を区別する規準を論理的に確立しようとします。 それに対してクーンは科学の歴史のなかに劇的な転換点がある、と指摘するんです。 たとえばアリストテレスの目的的自然観から、近代科学への転換は、ひとつひとつの事実の積み重ねで形成されるものではなく、劇的な転換、科学革命が起こっている。このときに転換していく「それ」がパラダイムです。 『哲学の木』では、「科学革命」の項を河本オートポイエーシス英夫さん(笑)が書いていらっしゃるんですが、「パラダイムは、研究に手引きをあたえる先行事例の集合であり、ひとつの時代に広く共有されている。通常の科学研究は、先行事例のひとつをさらに増やすことしかできないが、時として事例そのものの集合を組み替えてしまうような画期的な事例が生じることがある。これがパラダイム転換である」(p.155)とまとめてあります。「集合を組み替え」る、という指摘は非常に重要だと思います。 ただ、このパラダイムという概念は使いやすいところがあって、科学を離れて広義に解釈されてきた。そのことから逆に、パラダイムという概念そのものが「台無し」にされた、という指摘が続いていて、この部分はおもしろいですから、ぜひ質問者さんもご一読なさってください。あの辞典はほんとにおもしろくて好きなんですよね(ちょっと高いんですけど)。 さて、エピステーメーに関しては、フーコーの『言葉と物』を読むのがやっぱり一番いい(クーンだって『科学革命』を読んだのがいいんでしょうが、わたしは読んでないので)。 ----(p.20)--- …いかなるところから出発して認識と理論が可能となったか、どのような秩序の空間にしたがって認識と理論が可能となったか、どのような秩序の空間にしたがって知が構成されたか、あるいはただちにほどかれ消え去るためだったかもしれないが、どのような歴史的《ア・プリオリ》を下地とし、どのような実定性の本領内で、観念があらわれ、学問が構成され、経験が哲学として反省され、合理性が形成されるということが可能だったのか、そのようなことをあらためて見きわめようとする研究なのである。 だからここでは認識というものを、結局のところ今日のわれわれの学問の姿がそこに認められるであろうような、客観性をめざしての進歩のうちに描きだすことが問題ではない。あきらかにしようとしているのは、認識論的な場、すなわち、合理的価値や客観的形態に依拠するすべての規準のそとにあるものとしての認識が、そこにおのれの実定性の根をおろし、そうやってひとつの歴史、みずからの漸次的完成化の歴史ではなく、むしろみずからの可能性の条件の歴史といえる、ひとつの歴史を明確化する、そうした場としての《エピステーメー》なのである。 ---- 「認識と理論」を可能にするためには、認識に先立って、ひとつの知の枠組みが必要です。それをフーコーはギリシア語で「知」を意味するエピステーメーと呼ぶのですが、これは学問の基盤にあって、学問を可能にする条件である。その可能性の条件の歴史をフーコーは、エピステーメー、あるいは「歴史的《ア・プリオリ》」と言い換えるのです。 この程度ならわかっている、というのでしたら、また補足ください(笑)。 わたしの能力の及ぶ限り、おつきあいします。

noname#68627
質問者

補足

つい先日お世話になったばかりだと思ったらまたまたお世話になる羽目に。 決して暇つぶしで質問しているわけではないのですが、どうもこれは癖になりそうです(笑)。 それで補足というほどの補足でもないのですが、 >その可能性の条件の歴史をフーコーは、エピステーメー、あるいは「歴史的《ア・プリオリ》」と言い換えるのです。 フーコーはカントのアプリオリの概念をつかっている、と中山さんの本にかいてありましたが、この知の枠組みと関連して「制度」とか「暗黙知」という言葉で何か思いつかれたことがありましたらお教えいただけますでしょうか。

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noname#117439
noname#117439
回答No.1

知ったかぶりをして知識をひけらかす人を探してもなかなか見つかりませんよ。 もったいつけて自分の考えをひけらかす人のほうがよっぽど頼りになります。 なぜなら概念の咀嚼とはそういうものだからです。 パラダイムwiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0 エピステーメーwiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%BC 前文をチラッとななめ読みしただけでエピスメーテーの勝ち。 パラダイムは撤回されています。 エピスメーテーの項目のほうにも要するに混同され易いのはとことん誤解だからこだわるなと真っ先に指摘されています。 この質問を要約するとパラダイムはなぜ撤回されたのか。 そしてパラダイムシフトなんていうひょうきんな死語がテレビや雑誌で氾濫するのはなぜか そんな話でしょうね~ 補足要求なのでご回答ください。

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