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ここまで条件が揃っていながら植民地化されなかった史実を考える
- なぜ日本は列強の植民地にならなかったのか、その理由を探ってみました。
- 要因として、英国の戦略上の利益、火力の差、幕府の政策転換、日本の資源、そして幕府倒壊と明治維新のタイミングが挙げられます。
- これらの要素が組み合わさった結果、日本は植民地化を免れたのかもしれません。
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お礼
ご回答ありがとうございます。非常に理路整然としたご説明で、お蔭様でだんだん分かってきました。 疑問点が2つあります。まず、(2)で、回答者様のおっしゃる「懲らしめ程度の戦闘で済んだ」との点です。回答者様は私が質問文に掲げておいた、Wikipediaの薩英戦争のページはお読みになられましたでしょうか?確かに現実には薩英戦争は回答者様のおっしゃる通り「懲らしめ程度の戦闘」で終結したわけですが、そこに記されている英国側の軍事戦略(但し実行は断念)を読む限りにおいて、英国はまさに「本気で」戦闘をすることも考えていたようです。すなわち、関門海峡、大坂湾、江戸湾の封鎖による日本の海上封鎖と、京都、大坂、江戸占領計画があったということです。もっとも最後にある、天皇や将軍を別の場所に移してゲリラ戦になることを想定して断念したという記述は、私にはあまり説得力がないように感じますが、それはさて置き、懲らしめ程度の戦闘で終結したのはあくまでも結果論であって、薩英戦争や、さらに詳しく言うならばその契機となった生麦事件や東禅寺襲撃事件を契機として本格的な日英戦争の勃発とその結果としての植民地支配という可能性はゼロとは言い難かったのではないでしょうか。 次に、(5)で「日本の国力……が…強かった」と回答者様はおっしゃっていますが、果たしてそうであったかは疑問です。ご存知の様に当時は尊皇攘夷派と開国派で国論が二分されていました。もし日本国民全員が、あるいは少なくとも政治支配階層である武士・貴族の全員が海外の情勢に精通していたならば、例えば全員が勝海舟並の知識を有していたならば、少なくとも攘夷などという無茶な考え方は出なかったのでは、というのが私の考えです。井伊直弼も桜田門外の変で暗殺されることなどなかったでしょう。例えば孝明天皇は攘夷派でしたが、それは異国人とはどのような人種かというご下問に対し、側近が、娘の生き血を飲む(実際はワインを飲むことなのですが)人間でございますと答えたのを真に受けていたためだと言われています。当時は一握りの人間に情報が偏在していていたとしか考えられません。 (字数制限の関係でこの欄に書ききれませんでしたので、補足欄に続きを書きました。)
補足
この様な状況下では、仮に正確な情報が存在していたとしても的確な情報分析が行えたかどうかは疑問ですし、少なくとも組織の末端に至るまで、外交上の重要な意思決定とそのプロセスが正確に伝達されていたとは言い難い状況にあったのではないでしょうか。