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律令について

奈良時代の律令について質問です。 ・律令はいつなくなったのか。 ・律令が今も生き残っているとしたら、それはどこに見出せるだろうか。 私は律令は今も形を変えてはいるものの、奈良時代の流れを汲み取って続いていると思います。 それは刑罰や官僚制度、地方行政制度などを考えたうえでのことです。 いろいろと検索もしてみたのですが、定説ばかりで革新的(?)な意見がありませんでした。 ぜひ皆様からの回答が欲しいです。

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  • buchi-dog
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回答No.1

「律令はいつなくなったのか。」 大日本帝国憲法ができるまでは、日本は形式的には律令制度に基づく国家でした。 「律令が今も生き残っているとしたら、それはどこに見出せるだろうか」 「位階制度」が律令の名残です。 正三位とか従五位とかいったもので、使われる用語は律令制度下のものと今でも基本的に同じです。 戦前は、位階制度は重要なもので、例えば「宮中席次」と密接にリンクしていました。 http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/sekiji.htm 位階は、戦後は故人にしか与えられませんので、名目的な意味しかありません。

hatsulu001
質問者

お礼

ありがとうございました。 リンク先も合わせてレポートの参考にさせていただきました。

その他の回答 (1)

noname#21649
noname#21649
回答No.2

たしか.養老律令の元で交付された法令(太政官布告)がまだ結構生きていたはずです。 公図(不動産登記法24条ふず?)の作成を命じたのは.太政官布告だったような気がしますが.記憶があいまいです。 宮内省関係も結構生きていた(天皇の墳墓関係とか.冠婚葬祭とか)と記憶しています。省令として口語に修正しただけという形です。例としては「摂政」。 ただし.太政官布告に興味を持ったのがかなり前で記憶があいまいです。

hatsulu001
質問者

お礼

ありがとうございました!

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