• 締切済み

日本での「邑」の使い方について

退職後我が姓のルーツ探しをしております。 古文書や市町村史などに「○○邑」と出てきます。 この邑は古代中国や朝鮮などでは地方行政の単位として使われていたようですが、日本で使われる場合は行政的にどういう範囲をさすのかわかりません。 例えば律令時代の「郷」とも違うように思うんですが・・・・。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数2

みんなの回答

  • webcat
  • ベストアンサー率27% (364/1346)
回答No.4

村邑(そんゆう)のことで、明治以降の大字に相当する。 場所によっては、里、浦、山などにもなるが、村、邑のどちらでも問題ない。 明治以降の村は複数の村が合併して村が出来たので、以前の村は区別する為に史書などでは邑と称する慣例。 明治以降は郡部では、XX県XX郡XX村大字XX字XXの表記が一般的である。 大字XXが江戸期以前の村に相当する。 「住居表示に関する法律」(昭和37年施行)により、市街地は次第にXX市XX町XX丁目XX番XX号に住居表示整備が進行中。 まもなく使われなくなった小字が消滅するだろう。 古い登記謄本を見れば、小字も解るし、大字により江戸期の村名も解る。   旧高旧領取調帳データベースの検索を使えば、江戸期の村(邑)、領主、石高などが解る。   http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/kyud/db_param

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91 自然村として近代初期の段階で 6万位以上あった共同体単位の 1つに言い方。 日本の場合、古代の律令制で制度がためをやったあと、ズルズルっと明治まで「現場で問題なければ それでよし」としてきたので、行政的に・・・と言われても ハッキリせんという感じです。 たぶん古文書やそれを元に書かれている市町村史で 邑 と書かれても、現代で例えてみれば メゾン ○○ 居住 みたいなもんで、各自勝手に名乗っている。 ※ 邑が 漢字国でのかっこいい表現らしいぜというので使ったと言うのりです。

gomennegirou
質問者

お礼

自然村と行政村という使い方があるとは知りませんでした。 有り難うございます。

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.2

「神代紀」には「邑君」とあり、村長を指すので 邑は郡や郷のような大きな単位でなく、後世の 村に相当すると思われる。 「邑」 地方の町や村をいう。 「都邑」の熟語がある。     漢和辞典より。

gomennegirou
質問者

お礼

神代紀までさかのぼれるんですか。 奥が深すぎますね。 有り難うございました。

回答No.1

郷 宿 邑 字 せ 説明できません

関連するQ&A

  • 金さんや朴さんのように、韓国人の姓が1字になったのはいつ頃から? そして日本で最初に姓をもった人は誰?

    今の韓国人の99%以上の人の姓は1字で表しますよね。 ごくたまに日本人のように2字の姓をもった人がいるようですが、ほとんど見かけないようです。 金や朴、あるいは李といった姓が多いと思うのですが、これは数百年前 (?) に当時の中国王朝の真似をして1字の姓をもつようになったから、という話を聞いた事があります。 それ以前にはこのような姓は朝鮮半島には存在しなかったようです。 質問ですが、彼らが姓を1字にするようになったのはいつ頃の事ですか? それ以前の古代朝鮮人の一般的な姓にどのようなものがあったのでしょうか? それと1字だけの姓が、歴史的に日本に根付かなかったのはなぜでしょうか? だって日本も相当、中国の影響を大きく受けていた時代があったと思うのですが ・・  もちろん、一般庶民が姓を持つようになったのは明治以降であるのは知っていますが、たとえば蘇我氏や物部氏など古代日本でもやはり2字の姓が普通だったように思います。 それとすみません、もっと古代の邪馬台国の時代には姓という概念がなかったのかもしれませんが、日本で最初に 「姓」 をもった人は誰ですか? そしてその姓とは? 詳しい人がおられたら教えてください。

  • 古代日本人は漢字を使う前も神代文字という独自の文字

    古代日本人は漢字を使う前も神代文字という独自の文字文化があった。 その神代文字は韓国のハングル文字と同じルーツを持つ。 要するに古代日本人は韓国のハングル文字を使う朝鮮半島から渡来してハングル文字→新代文字→中国文字→漢字に変わった。 ということは古代日本人は韓国の朝鮮半島から来た渡来人が日本を支配したが、その後に古代中国人にやられて1からまた文化が形勢され直したと思われる。 だから漢字も読みが複数あるのだと思う。 訓読み、音読み(呉音、漢音)。 呉音は朝鮮半島のハングル文字文化、漢音は中国の漢字文化から来てる? 3つあるのは最初から日本にいた原住民。訓読みは原住民から来てる?

  • 古代の朝鮮人は二文字姓?

    朝鮮人は今は一文字姓ですが、古代には二文字姓だったという説を聞いたことがあります 鬼室福信なんて名前だったのが、新羅が朝鮮統一する時に唐の援助を得るために、中国式の名前にしたって説です 同じツングース系の日本人や満州人(金の完顔氏や清の愛新覚羅氏(元々は覚羅氏))は二文字姓なので朝鮮人も二文字姓だったていうのも納得できるんですけど、 百済や高句麗の王族も一文字姓だったから辻褄が合わないような気がします 元々朝鮮は亡命中国人が建てた李氏朝鮮があったから、百済や高句麗の王族も中国系かもしれないけど この説は本当なんでしょうか?韓国で研究とかされてるんでしょうか?

  • 日中韓はなぜ、醜い言い争いをするのですか?

    何で、日本と中国と韓国は歴史について、醜い言い争いをするのでしょう。 戦争とかの話ではなく文化とか風習とかについての起源やルーツの言い争いです。 中国の歴史は古く長江文明に遡るから古代中国から始まり朝鮮半島や日本に文化など様々な事を伝授したり伝えたりと大きく影響を与えたんだとかいや、違う、我々朝鮮半島から文明が始まったんだ、周辺国に文化など色々な事をを伝えた影響を及ぼした、世界にまで影響及ぼしたとか世界最古の遺跡はアジアで日本が勇逸だ、それに1万年以上前のものがいくつも日本から出土しているから、日本から人類や文明が始まったとかね。 特に文化など様々な事についての起源やルーツについての言い争いが見っとも無いし、恥ずかしい。 どこの国がもルーツでもいいじゃないですか・・・。 (遺伝子DNAというか民族のルーツについてもです。) それを共有しているんだから、気にすることなのかな・・・。 文明的早いとか遅いとかもそうだけど・・・。 先祖に申し訳ない気持ちになりますよ。 領土問題もだけど、本当におかしい。 (良くない事ですが、さすが、アメリカの東アジア分断統治戦略の成果である。) 特に中国と韓国は言い争う必要ないはず、朝鮮半島の一部は違うかもしれないが、大体は中国と朝鮮半島は出所のルーツが同じ古代中国にあった中原(多民族共生地)なのだから、そして同じ時期に又は近い時期に文化発達、文明開化しているのだから・・・。又、その民族たちの子孫が文化発達させてきた。 李氏朝鮮以前の時代は韓国語ではなく中国語など別言語を使用していた。 だから、古代中国と古代朝鮮は同じ枠に入り、同じ文化圏。 また、日本は部分的に違うため、言い争いが起きてもおかしくないけど、文化含め多くの様々なものが大陸民族と渡来してきたのは事実です。 古代人と現代人とは違うは言いすぎです、子孫に血が混じっているから現代まで受け継がれています。 違うとか否定しすぎではないだろうか・・・。 ホント、日中韓はなんか、見っとも無いです。 欧米人同士はこういった言い争いはしないのに、おかしくないですか・・・。 私が知らないだけで、言い争ってとかしてるのかな。 でも、それにしても、日中韓は言い争いしぎです。 (歴史学者や考古学者などは議論なので良いんですが、国民同士が酷い。) なぜ、日中韓はこんな醜い言い争いをするのだろう。 そう思ったので、疑問を持ったので質問しました。

  • 都道府県の名称の由来について

    都道府県という行政区分上の名称について、何故このように呼称されるようになったのかを調べています。 地方行政単位の区割りである都道府県が、州や郡等ではなくて、どうしてこのように呼ばれるようになったのか。 また、都や府には、漢字の意味として、複数の県を統括するような意味が含まれているのですが、それと現実の行政上役割は関係あるのかも、疑問に思われます。 手元の資料を調べたり、人に聞いたところでは、律令制日本の行政単位に範をとったか、あるいは中国の制度に範をとったものではないかという気もしますが、中には江戸幕府の組織を世襲したという人もあり、どうにも納得の行く回答が得られない状況です。 行政か、伝統か、どちらのカテゴリーで尋ねるのが良いか迷ったのですが、字義的な側面を、より多く知りたいとう考えで、こちらにさせていただきました。 よろしくお願いします。

  • えみしは日本民族か?アイヌ民族か?

    古代の東北地方の住人をえみし(蝦夷)といい、アイヌのことはえぞ(蝦夷)というと思っているのですが、同じ漢字を使って居て、ややこしくなっています。 えみしがアイヌ人のことだとすると、東北人のルーツはアイヌと言うことになります。 えみしが日本民族の一部だったとすると、東北人のルーツは、本州全体と同一民族だった、と言えますので、えみしが日本人だったか、アイヌ人だったか?は、東北人のルーツを考える上で重要だと思われます。 この問題は、えみしが日本語を使って居たか?どうかで決められると思いますが、現在の研究ではどうなっているのでしょうか? 藤原三代の平泉文化をみると、私にはこれは日本民族の文化だと思われます。 藤原氏が日本語を使って居たか?ということを、残っている文書資料で判定できないのでしょうか? こういう考え方全体のどこかに間違いはあるでしょうか?

  • 古代韓国人が姓名を捨てた理由

    韓国人の姓名について質問です。 古代においての朝鮮半島からの渡来人の名前は「画部因斬羅我」や「医博士奈率王有僚陀」など長い姓名が多いです。 しかし、いつの時期から中国風の「李」「金」「朴」などの一字姓に変わっています。 なぜ韓国の伝統ある姓を捨てて、中国化したのでしょうか? 姓名を変えるということは、古くからあるオリジナルの文化を捨てることです。 今でいうならば、日本人が「田中」や「佐藤」を捨てて、「ブッシュ」や「ラムズフェルト」に変えるということです。 よく考えると滑稽です。 当時の朝鮮人はなぜ独自の文化を捨ててまで、中国のご機嫌を伺う必要があったのでしょうか? 新羅が半島統一してから急速に中国化が進んだとありましたが、なぜ新羅は独自の文化を捨てて中国化を進める政策をとったのでしょうか?

  • 「二瓶」という姓について

    近所に二瓶さんというお宅があるのですが、二瓶という言葉にはどういう由来があるのかなと思っていました。調べてみたところ、 律令制で「大戸・上戸・中戸・下戸」の四等戸に分けられていた。 「戸」は課税などの最小単位で、家族の人数や資産によって四等戸が決められていた。 婚礼時の酒の量が、上戸は八瓶(樽)、下戸は二瓶まで許されたことから、酒が飲めない人を「下戸」、大酒を飲む人を「上戸」と呼ぶようになった。 という記述を見つけました。ここに由来するのかと思いますが、では、ここで質問です。 二瓶(下戸)という姓があるなら、八瓶(上戸)という姓もあるんでしょうか? 私は寡聞にして聞いたことないんですが、それ以外にも数字プラス瓶、という姓は存在するんでしょうか。ちなみに、ルーツはどこらへんでしょうか? ご存知の方、お願いします。

  • 資源がある=多民族国家でしょうか?

    最近、世界各国の古代から1900年代までの歴史に興味あるのですが、 その中で主観的に思った事があるのですが、資源が豊富に存在した国、資源が豊富 に存在する国は多民族国家の比率が高い気がします。 アジアだけ述べますと、インドなど東南アジア、中国や朝鮮半島などです。 中国や朝鮮半島は古代頃はかなりの多民族的国家(50以上か100近い又は100 以上の民族)です。 中国は見ての通り多民族的国家です。 また、中国人は顔の系統の種類の多さから多種多様な民族の遺伝子からルーツが 垣間見えます。 そして、朝鮮半島の人々の姿形が整ったのは16世紀頃と言われいます。 高身長で足長くて身体のバランスが整ったスタイル抜群羨ましいですがね。 こういったの見て知っていく度に、資源がかなり豊富だった、現在でも資源はかな り豊富な国は多民族的国家ではないのかと疑問が浮かんだのです。 それで、もしや、資源がある国=多民族的国家ではないのかと考えるよう「になり、 でも、分からないので質問しました。 ※どこのカテゴリで質問したらいいか分からないのでこのカテゴリにしました。

  • 日本と韓国の古代の共通語は?

    天皇陛下は平成13年12月、翌年の2002年サッカー・ワールドカップ日韓共催に関連し「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されている」と述べられた。 古代には日本が百済に援軍を送ったり、明日香地方にに沢山の百済人が住み着いたり、日本と朝鮮の間には言葉の壁がなかったような感じなんですが、大和の言葉と朝鮮の言葉は一応はっきりと別れていて、通訳を介してコミューニケーションを取っていたのでしょうか? それとも、当時は互いにバイリンガルでどちらの言葉も喋ることが出来たのでしょうか? 中国の鑑真和上なども日本に移住しましたが、日本語を理解出来たのでしょうか? 宜しくお願いします。