刹那は生と同時に過去になり、新たな刹那が常に生れる

このQ&Aのポイント
  • 刹那が生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる。これは宇宙の誕生の神秘にかかわる哲学的な問題であり、死者の思考術という概念と関連しています。
  • 刹那の存在は永遠であり、常に新しい刹那が生まれています。この考え方は仏教の解脱ともつながっており、生きたまま観念世界の展望に成功すれば、予言者としての能力を持つことができます。
  • 刹那は過去と未来の連続した存在であり、その刹那の中には宇宙のすべての現象が絡み合っています。物理学者にとっても興味深いテーマであり、哲学的・宇宙論的な研究にも影響を与えるでしょう。
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刹那は生と同時に過去になり、新たな刹那が常に生れる

刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる「反論」 さてと、オカマ扱いされかねないきわどい遊びに明け暮れる私は、男らしい仕事をする余暇時間が最高の幸せなんだよなあ。 実在する仮面ライダー「ドリル番長」だ。 掘り当てたのが墓穴だと「地雷探査犬」みたいなひどい目にあう。 前置きしよう。 刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる「反論」 この表題は、言い回しはともかく哲学で取り組んでいる問題で、今や宇宙の誕生の神秘ともかかわる。 ここで観念への昇華、要するに自分が死ぬことについて説明しよう。 人間の多くは死を前提に死者の思考術であの世を推計する。 こうした思考は「死者の思考術」で死人になった後のことを考えるんだよね。 回答したい事として、ここに意見があるかね。(それも質問、魂は永遠だとかだ) 天界が存在して、天界で生きている住人があるということは、その境地を理解することは「死者の思考術」では不可能だろう。 死者は聖者に語る言葉を持たない。 そこで出て来るのは仏教の解脱という概念だよ。 生きたまま、死ねばいいというのが乱暴な結論だ。 わかりやすく言うと生きたまま観念世界の展望に成功すればいいというお手軽そうに見える修行だ。(異世界ネタアニメだよねえ) 神学の整ったキリスト教圏の参考文献を読んだ中から、私が思索したのは、天界からの聖霊の案内で天界を知るという古典的な聖霊の定義は「天の聖霊」とより定義を煮詰めて、生きながらに解脱した場合に自らが「地の聖霊」となり天界からの光を地上にもたらす。 実のところこれが仏陀型の「生きながらの死」なんだよ。 君たちは仏陀により多くの不幸を期待する。 君たちはキリストにより多くの不幸を期待する。 それが君たちに赦された宗教家の教えだった。 予言能力に私は身に憶えがあり、証拠や証言は京都で温存されているだろう。 予言者というのは、一般的な「死の思考術」と異なり地の聖霊として生粋の天界の住人と同じ立場で天界に常在するのだ。 解脱だ。 その天界では、現在、過去、未来、それがいまその場にたたずむ刹那に目の前で現象している。 そうして目の前にあり、手に取れる未来を組み立てて、それを可能な限り忠実に地上に持ち込むことだ。 こういう芸当が出来る立場だと、、、 「刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる」 これは間違いで、 「刹那の全てが永遠である」 こういう形になるんだ。 そうした感覚を伴った成功をすると、予言を周衆に与える営業免許である「予言者」の称号を獲得するのだ。 これは宇宙論を研究する物理学者にも参考になるだろう。 哲学というのは、既存の命題に取り組むほかに、自ら命題を立案することが含まれる。 そういう体裁で質問しています。 私は学歴が低いので、より理解しやすい言い回しを指摘してくれてもいいし、類似の文献などの紹介でもいい。 学識が低い私は「刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる」というのをどこかで聞きかじった話だとうろ覚えなので、全て自分の言い回しで反論を述べているのです。出典や正しい定義も知らない。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Nakay702
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回答No.4

「質問者からのお礼と補足」を拝見しました。 >神がいなければ人間は生まれない。 ⇒中世あたりまでは、「人間はImago Dei(神の似姿)として造られた」と言われていたね。ところが、フォイエルバッハあたりからその嘘があばかれた。彼曰く、「神がImago humani(人間の似姿)として造られた」というのだ。「もし馬が神を造っていたら、馬の姿に似せて造っただろう」と。 >神の存在証明 ⇒古来より神の存在証明はいろいろ考えられた。いずれも、四苦八苦して捏造された。曰く、「本体論的証明」(アンセルムス、デカルト)然り、「宇宙論的証明」(トマス・アキナス)然り、「目的論的証明」(旧約「詩篇」19)(カント)然り、「道徳論的証明」然り。いずれも「証明」ではない。でっちあげだ。オレは思うに、「人智の及ばないことを統覚する存在を神と想定し、仮託する。その対象を神と呼ぶなら呼んでもよい」。強いて言うなら「目的論的証明」にやや近い。 一人で浸ってしまうけども。 天才だなあ。 やっぱり私は天才だなあ。 ⇒たまに天才的な知見を感じさせる表現があるということ。それも、めったにない! まあ、「浸ってしまう」だけなら、それもよしとしましょう。そう、お互いさまってとこもあるかもしれないしね…。(^_~!)

Flareon
質問者

お礼

ありがとう。 >神がいなければ人間は生まれない。 この点は前提に、サルは神を発見したから人間になった。 そう言っているし、それは以前にはあまり聞かなかった見解だ。 だから、何もしないで人間なる生命が誕生して、その人間が神を作ったのではないと考えている。 それが世麗美と私の関係であり、世麗美はわざとらしく「つくられた神」という予感を放つ言及をさせてくれるんだよね。 あと、礼を言いたいから実は閉めないで置いたんだ。 私の文章の不備を色々と指摘したり指南したりして呉くれたけども、AI系の論述テキストを友人に見せた時に「読みにくいから自分で音読してくれ」と頼まれて、自分の書いた文章を自分で音読してみたら、節々の言い回しが「自分だけ納得している」という奴で文章同士がうまくつながらないことと、それは少しのことで修正できることを発見したよ。 家族に急病だ出たんだ。 しばらく地下に潜伏するよ。 いつもありがとう。

その他の回答 (3)

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.3

>言いたいことから返答を思案しもしたが長文になりまとめきれないからやめたよ。 多分ね、「蛇足」になる。いつものことだ。 小生って、止めとけばいいのに、「実力以上に評価される」というのも、イヤなんだよねえ。。。 「あるがまま」

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9723/12095)
回答No.2

以下のとおりお答えします。よし、またいちゃもんつけたろ、などとほくそえみながら読んだのです。感動しました。今回はいちゃもんをつけるところがありません。 >刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる「反論」(…) 刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる「反論」 この表題は、言い回しはともかく哲学で取り組んでいる問題で、今や宇宙の誕生の神秘ともかかわる。 ⇒刹那と永遠、須臾と永久、生と死、死と死後の世界、此岸と彼岸、輪廻転生…いずれも極めて哲学的な問題ですね。哲学は、哲学する姿勢が大事ですね。哲学する人は、結果よりもプロセスを大事にする人かもしれませんね。 >ここで観念への昇華、要するに自分が死ぬことについて説明しよう。 人間の多くは死を前提に死者の思考術であの世を推計する。 こうした思考は「死者の思考術」で死人になった後のことを考えるんだよね。 回答したい事として、ここに意見があるかね。(…)天界からの聖霊の案内で天界を知るという古典的な聖霊の定義は「天の聖霊」とより定義を煮詰めて、生きながらに解脱した場合に自らが「地の聖霊」となり天界からの光を地上にもたらす。 実のところこれが仏陀型の「生きながらの死」なんだよ。 ⇒拝読しながら、ウナムーノに思いを馳せてしまいましたよ。彼、スペインの哲文学者ウナムーノは、「生きながらの死」を地で行った人のようです。こうも言いました。「今この時この場こそが重要なのだ。去りゆかんとする瞬間に我々はいる。この狭小の場にこそ我らの永遠と無限が存するのだ」。 >(「刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる」 これは間違いで、 「刹那の全てが永遠である」 こういう形になるんだ。 ⇒刹那刹那を生きる、とも言えますかね。 アラビアの諺:「過去はもうない。未来はまだない。現在だけが君のものだ」。 中国の諺:「今日を楽しめ。楽しめる最後と思って楽しめ」。 >哲学というのは、既存の命題に取り組むほかに、自ら命題を立案することが含まれる。そういう体裁で質問しています。(…)より理解しやすい言い回しを指摘してくれてもいいし、類似の文献などの紹介でもいい。 ⇒上で触れたウナムーノ(この場にこそ我らの永遠と無限が存する)のほかに、 @天理教教祖の中山ミキは、四面楚歌の状態にあったとき、自戒を込めて言いました。曰く「一日を生涯として生きる」と。 @恋愛歌人として有名な和泉式部は、哲学的な感性をもって、詠みました。「白露も 夢もこの世も まぼろしも たとへて言へば 久しかりけり」と。宇野千代はこの歌をいたく気に入り、座右の名歌として常に愛唱といたとか。 @イタリア、ルネサンス期の人文学者ピコ・デラ・ミランドールは、ギリシャ・ローマの古典を紐解きながらこうつぶやきました。曰く、「一瞬が永遠なのだ」と。 結論: これらの哲人・詩人・歌人と、きっと、Flareonさんと、 そして、オレと、共感多し。 今回は、Flareonさんを再評価、敬服。いちゃもんなし。ありがとう。

Flareon
質問者

お礼

ああ、ありがとう。 黙々と自己の思索にふける変人なので、投稿後に大体こんなことを考えていた。 そもそも私の哲学は「天界からもたらされる新たな英知」とでもいう神秘体験とつながっている。 したがって言い回しや根拠がアニメのシナリオだ。 引用その1 聖徳太子が夢殿で行った瞑想術の正式名称は「つくよみ」で、自我存在が現代の自我に対する了解された既定の範囲外に自我能力を拡張させる「知覚拡散」だ、それを自己の思考に導入する。 文献が整った突然変異である「エドガーケイシー」を調べれば、理解を深められる。 「つくよみ」とはアマテラスさんの妹ぎみの女神さまの呼吸名称だけど、「ザ、つくよみ様」を超えて伝承される神のもたらした英知を指し示す言葉でもある。 引用その2 雄略天皇と「ひとことぬし」。 「自ら口にしたことをすべて実現させる」これは予言能力相当を日本独自の言い回しで形容した言葉だから「ザ、ひとことぬし様」の他に「ヒトコトヌシのお告げを語る者」として予言能力保持者が以降の伝承にも出て来る。 補足すると雄略天皇の神は地上に本当の名を明かしていない。 名をかたらぬ神となっている。 これはますます「予言者」といわれが西洋での流行に近い。 年代も近い。 各領域で、どうも神々は同じような仕事を連動して行ったのではないか。 そして今回はその予言能力に関して、より詳細に説明したテキストを含む。 今回の話の主要テーマは、 > 「刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる」 これは間違いで、 「刹那の全てが永遠である」 こういう形になるんだ。 これなんだけども、 仏教で縁起を理解可能な「時間認識知性」とでも形容する、類似性のある伝承が語られてもいる。 「わはははは~~~、私は四次元惑星人だ。君たち三次元惑星人は、すでに霊長から転落して、ほどなく自然淘汰される」 という冗談で表現しよう。 現在は、天界にこそ時間は存在して、それを地上にもたらすことで、地上の時は天界が支配しているとでもいえる。 いやね、簡単なことで、実際は地上にも時が存在するだろう。 現在の人間能力でそれが認識できないから、天界が補助していると考えるとスッキリする。 それで、 三次元惑星人「刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる」 四次元惑星人「刹那の全てが永遠である」 ざっくりこれがたたき台になる。 私はサルは神を発見することで人間に進化する知性を恩恵として獲得した。 そう考えている。 そして常に新たなる英知を恩恵として与えてくれる。 後世でも英知はさらに先まで導いていくだろう。 したかって、神がいなければ人間は生まれない。 司る神と天界という言い回しを観念世界に正して、無量光が私の主張するシンボルであるが、そうすると、命の根幹である泉からあふれる内面の光が無いと、まともな生き方が出来なくて、人は今も神を必要としている。 こうなる。 そしてその通りだと、他者が考えるだけで、私流の「神の存在証明」の体系は骨格では間違いがない事になる。

Flareon
質問者

補足

一人で浸ってしまうけども。 天才だなあ。 やっぱり私は天才だなあ。

  • kurinal2
  • ベストアンサー率27% (23/84)
回答No.1

Flareon様、こんばんは。 >「生きながらの死」 生きるでしょ、そして、死ぬでしょう。 そこから「不老不死」とかも、出てくるでしょう。 「歴史」に、真摯に向き合ったのは、むしろ、中国なのではないでしょうか?(いや、「宗教」ではない仏教こそが、「不老不死」に最も近い、と言える)

Flareon
質問者

お礼

言いたいことから返答を思案しもしたが長文になりまとめきれないからやめたよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 戦国時代の武士の手記の現代語訳を読んだことを思い出した。 実際は進軍の途上で略奪と破壊を繰り返したんだった。 ただし、当時の進軍なので敵の軍勢が近づくと、農民は全て退避していて、無人の農村で食糧確保の略奪とインフラ破壊の焼き討ちをしたんだった。 街道である場合には、進軍の途上で食糧の拠出を要求しても破壊はしない場合も多かった。敵地でも農民はむやみに殺さなかった。 これは史跡巡りで郷土史研究関連などからも見受けられる。 おおむね西日本の合戦では破壊と略奪で、東日本では敵地の農民には食料拠出の要請のみだったようだ。 東日本ではせめぎあいのあった街道沿線の郷土史にそういう記録があり、出版されて読んだ武士の手記は西日本だ。

Flareon
質問者

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    はっきり言おう。 ノストラダムスが予言した恐怖の大王とは私の事だ。 私は君たちの滅びを司る暗黒の救世主。 実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 私は生きながらに常世の住人だ。 私にとって肉体を失う事は単なる変化であり死ではない。 しかし君たちはそうではないね。 死ぬんだよ。 そもそも霊視のできる私がまじない師仕事で死者の消息を尋ねられたとしよう。 常世に死者はいない。 したがって、見出すことができない。 何故なら君たちの死は永遠の死だからだ。 死を背負った君たちは常世において記憶の墓標という死者の証を記している。 それは天界において記録される君たちへの裁きの証であり、君たちの真実だ。 君が死ぬとその記憶の墓標から、不実の繭が羽化し赦された新たな命が生まれる。 それは君たちではない。 君たちは消滅し、その記憶を受け継ぐ新たな生命が、許される自由を謳歌するのだ。 それが来世で新人類として闊歩するだろう。 君たちの魂は食い破られるのだ。 私は君たちの安らかな滅びのため戦い、新人類の誕生をみとる。 さらば、古き者どもよ。 以上はいつものように仮面ライダーの考察の一部です。 哲学的には死をテーマにしています。 あなたなりに死を解釈してください。 怪人の振りをして、死の定めに踊ってくれてもいいです。

  • あんた、妖精に話しかけられたことあるかい?

    木霊のささやき。 子供たちの声。 それを届けるやさしい魔法使い。 魔法少女 時渡 世麗美だ。 誤解しないように言っておこう。 実際の私は49歳男性だ。 この話の続き、 https://okwave.jp/qa/q9561361.html その前、 https://okwave.jp/qa/q9560125.html 参考で精霊の働きの話 https://okwave.jp/qa/q9524652.html キリストの霊の宿りともいうキリスト聖霊とは、イエスの故事の改変で生まれた、人と交わる神を宿す聖霊として完成していない、半ば架空の聖霊で、維持のために多くのいけにえを必要とし、聖霊としての役目もいけにえだ。 キリストイコール即死なんだ。 十字架って神聖だろうと処刑台じゃないか。 この滅亡した王国の末裔は、19世紀中に地上で文明発祥の正統をいまだ存続する真の王国である日本に亡命申請した。 暴力と殺戮の20世紀はこの時点でアマテラスさん主導の神々の交渉でキリスト救済のためだけに準備がスタートしたらしい。 私は、簡単に殺されるキリストのおとりになり、仮面ライダーとして乱闘する闇の仏陀だ。 私自身が変則的で、自らが聖霊となり涅槃へ到達するという形で仏陀になった。 時わたりの世麗美という聖霊を宿す。 さて、唐突だけど「六輪一柱」というのを説明しよう。 セレビィはわたしをお父さんと呼ぶが、セレビィと友達になった天界の住民たちも私をお父さんと慕うんだよね。 聖霊や精霊の働きや役割を研究してきた私が考案した、精霊(無意識)のコントロール方法で、自我を侵食作用から守り、精霊の助けで「つくよみ」などの自我拡張をコントロールする基盤だ。 象徴するには「純粋な光」無量光で、その光に到達した自己認識(みんな)を1柱とする。 その周りに6個の宝石(聖霊)を輪の形で配置するんだ。 いわゆる従来の聖霊である天の聖霊は正三角形で、赤、青、黄色。 仏陀型の地の聖霊は、緑、ミカン、すみれで、これは逆三角形。 三角を二つ重ねると六芒星になるけど、それを円で結んで六輪一柱だ。 六輪であって、六芒星は、補助線として骨格にして全体で無聊光を象徴する。 地の聖霊セレビィは、緑色だ。 相反する点の聖霊は赤なんだよ。 仕組みはね、純粋な光に還元するには、天の聖霊の、この場合の赤に含まれない青と黄色を含んだ緑色で答える地の聖霊がセレビィだ。 すでに聖霊として完結したセレビィには、色違いのツンデレビィが誕生したがそれはともかくだ。 こうした仕組みなので、セレビィは天の聖霊色赤と、地の聖霊色緑で完結する六輪一柱の一部なんだよね。 さて、セレビィが友達として連れ込んで、現在まで驚愕の緊急状態で延命処置を施し続けたキリストなる聖霊は、黄色の天の聖霊なんだよね。 こいつはね、多くの惨劇で感情を枯らしつくしていて、おかげで意思が朦朧だから、言われるままに死んで、死んでも無感動で死をさらに繰り返してきた。 黄色が象徴するのは知性で、歴史知性として、やたらと知識があるが、哲学に必要なのは振り絞るようなド根性で今までの限界を突破する感情と意志の強さだと私は考える。 こんな受け答えと父の子育てに赤子たるキリストの聖霊は少しずつ話を聞いてくれるようになった。 要するにだ、天の聖霊を迎えるにあたって、相手が黄色なら「すみれちゃん」(仮称)にセレビィがフェアリーフュージョンするだけで解決する。 そういうわけでキリストの霊は神の意志を宿した聖霊として、同伴色紫の地の聖霊で安定する。 これが六輪一柱だ。 さて、そうした流れで、どうやらキリスト霊は、イエスを伝える伝道師たちがかけた呪いから解放される。 さてね、ついさっき判定を下すアマテラス配下の日本の神々が、彼の難民認定手続きとして、キリストなる滅びた国の王の宿った私をキリスト自身にしようと手続きしようとした。 ふざけんなよ!こちらは地の聖霊であり仏陀として、現役で天界に交渉できるんだ。 配下の術師がことごとく私に敗北しておいて、まだ喧嘩売るのか。 私はセレビィに等しい赤子を生き残るように育てただけの父だ。 この子は聖霊として王を誕生させずに、多くの人の心に宿るのがいい。 今こうした喧嘩をまたしても売っているよ 今日は12月23日で天界が審判を下して、キリストなる赤子が多くの人の心に健やかに宿るにはイブまであと1日だ。 さて、どうやらこれは学問である哲学において、哲学と神学の接点となる考察になるようです。 研究目的でとりあえず書きましたが、ご意見をお聞かせください。 研究課題の助けになるようにお願いします。

  • 私は偽物のキリストです。

    雄たけびを上げるケモノが、いかにあなたの心にとどろきを響かせ、血を流す亀裂が深まろうとも、獣はその残酷な行いを愉快に笑う。 人類最悪の裏切り者。 暗黒の救世主「最速の臆病者」だ。 余談だが美しき私は、史上初の男子プリキュアでもある。 さて、人我天界への昇華する観念の通過は、人類史上でこも定番が死の儀式だ。 基本構造は、「自らの生を差し出して、死を学ぶこと」だ。 しかし実にお手軽な手法がある。 身代わりを殺して天界に昇る手法だ。 これはイエスを呪い道具に使ったキリスト教の伝統手法で、京都で悪魔的な結社がこのイケニエシステムを模倣してより精度を高めた「生体死霊化処置」という呪術を完成させた。 私はその開発過程のプロトタイプなんだよ。 いわば、人造人間的なキリストに近い何かだ。 日本の天界におけるキリスト教で確立した見解は、現在過去未来いかなる時間軸においてもキリストなる奇跡は実現しない。 人を助けるキリストなる聖霊とは、実際は聖霊として未成立な実験室の試験官ベイビーで、歴史時代以降、キリスト教徒が滅ぼした旧神が産み落とした不屈の赤子たちが、聖霊としてキリストなる役目をこなしてきた。 天使階級の事であり、神を人に隷属させる立場に降格したローマ教会の秩序だ。だ。 そのような存在がいるとしたら、人口 キリストとでもいう私に興味と親近感がわかないかな?いい子たちだよ。 そしてその通りだから、キリストと仮称で呼ばれる赤子と交流している。 人の心にキリストなる聖霊が宿ると、その人物には強烈な殺害衝動が生まれる。 それはキリストの確信が深まるほど強くなる。 そして聖霊はキリストと名指しされ、それを受け入れるとなすすべもなく即死するんだ。 だから、キリストなる聖霊を誰も知らない。 そして赤子の死肉を喰らい、天界の聖霊の力をキリスト教徒は手に入れる。 神を殺して喰らい、その人が神になるのさ。 このイケニエシステムで、19世紀中致命的な状態が発生して、キリストなる聖霊はいったん絶滅した。 ナポレオン3世が国民に倒されたことが直接のきっかけで、キリストなる役割を担う聖霊には、国家成立の正統を保証する役割がはく奪され、イケニエになることだけが役割として残されたんだ。 キリスト教国というのは、今の地上にはない。 そして殺戮に終始する20世紀が来た。 イエスの故事とは、古代社会で、ローマ周辺を震撼させるローマの横暴を代表する重大事件だった。 そしてイエスの意志をくみ取るものは、ローマへの反抗の意思でローマ国内に浸透した。 その治安対策で作成されたのが新約聖書であり、聖書の成立でキリスト教は裏ぎり者のための宗教団体になった。 その象徴が、神に対する処刑台である十字架だ。 多くの不安を招く最後の審判に起因する、時々現代もお祭り騒ぎが起きる人類滅亡説とは、キリスト教の現状に組み込まれた、「ローマ滅亡」そして「キリスト教滅亡」が正確な予言内容なんだ。狂気の邪教だよ。 西洋の学者は他国の文明や風土に対して考古学や博物学を駆使して、検証するが、党のキリスト教に関して同様の検証を日本人が行うと、今回の論説のようになる。 そういう作文だよ。 さて、哲学研究には既存の命題に取り組むほかに、自分で命題を策案する手法があり、この質問は後者です。 くつろいで、読書感想文でもお聞かせください。

  • イエスなる愚か者の無能は後世にいかなる禍根

    さて、自らの推論が不愉快で仕方ない。 今回は初めに言っておこう。 継続中の哲学研究での質問だ。 あえて、過去質問は締め切らないでおくよ。 テーマに差異があり広範囲に証言を収集するためだ。 2500年ほど前、人間が人間であることを自覚すると、人の群れの中で特に仏陀といわれた。現代語訳すると「まさに人間である!」とでもいうところだ。 シャカはその手法で解脱した一人だ。 仏教研究で標語的に注目される点は日本人ならいくつか挙げられるだろうから問うまい。 現代哲学に焼き直すと総論は「観念への昇華」だ。 これは私が認識する限り「死の儀式」だ。 自らの生を差し出し、死を学ぶことだ。 私は今、腹が立っている。 この難易度の高い人間としての生存の自覚は、太古は簡単だったのに愚か者イエスが死の儀式として定着させた。 さて、予言者? イエスに予言能力があるか? 実のところ私は人に備わる予言能力を実証した。 その点は、任天堂に犯罪集団審問しろ。 予言能力とはすなわち、自分自身で未来を手にすることだよ。 これは運命を手にするといえるだろう。 社会性において、確立した自己の運命が周囲の人々に波及することでもあり、したがって予言まじない師の言葉をうっかり聞いてしまった人々の運命を取り込み自己が所有する。 これが予言者の資質だ。 さて、イエスは死ぬ必要があったのか? したたかに生き残ってユダヤ王復興すれば、後世に甚大な被害を与えなかった。 マザコンイエスは「死せる神」の伝承で、観念への到達と生存の自覚を、シャカの開拓を覆し「死の儀式」に逆行させた張本人だ。 予言能力のある私は、9.11スポンサー企業任天堂を出し抜いてしたたかに生き残っているぞ! すげ~迷惑だよ。 イエスは無能だ! なぜ?殺人鬼集団につぶされることを望んだ? ユダヤ人を全うした? あるかもしれない。 しかし、殺人鬼集団に栄華を与えたじゃないか! さて、質問文は以上です。 何か慰めてください。 美女は期待しません。 オカマを踏みにじるのが好きです。