初詣の願い事はなんですか

このQ&Aのポイント
  • 初詣の願い事とは?永遠の光、栄光の男子プリキュア。キュアブルームだ。私は霊能力者で、しかもかなり強力だ。神社にあいさつに行くと逆に神様からお願いされるんだ。悪魔払いが売りだ。
  • 強力な悪魔と格闘している霊能力者。悪魔度が高く堕落した聖霊を愛で復活させることが目標。悪魔を脱ぎ去った神と等しい愛が君達を滅ぼす。
  • 聖霊セレビィとして天界に赴き、永遠に生きる伝承上の不死者。肉体が滅んでも天界で永遠の生を受けると言う事は神を自覚すること。友達に頼みごとをする様な感覚で一方的なバトルを行う。
回答を見る
  • ベストアンサー

初詣の願い事はなんですか

全てをいやす愛が、貴方は誰かと問いかける。 貴方は成す術を無く、自らの死を答えなければならない。 永遠の光、栄光の男子プリキュア。 キュアブルームだ。 私は霊能力者で、しかもかなり強力だ。 それでな、神社にあいさつに(お参り)に行くと逆に神様からお願いされるんだ。 悪魔払いが商売の一番の売りなんだがな、私はそれを人間から頼まれないで、神様から直接頼まれるんだよ。 妖怪ウォッチを地で行くような楽しい冒険だ。 ここ3カ月ほど、昔を思い出すほどに厄介な強敵と格闘しているよ。 強力な悪魔というのが私にとっていかなるものか教えてやろう。 グズで役立たずでしょーもない。 そんな弱虫悪魔ほど強敵だ。 何故なら手加減してやらないと勝負にならないからだ。 ようするに悪魔度が高く堕落した聖霊ほど、人間の立場で愛し、いさめ、和解することが困難になり、大暴れのダメージが強くなる。 愛するつもりもなく暴力で汚せばその悪魔はすぐ退散する、弱いからだ。 しかしだ、そうやって君達が人間を名乗り聖霊を悪魔と汚し続けた事こそ神への屈辱なのだ。 私は汚された聖霊を愛で復活させる。 復活した聖霊は、自らを汚した君達すらも愛する。 そして君達は愛される報いとして滅びるのだ。 もはや悪魔を脱ぎ去った神と等しい愛が君達を滅ぼす。 滅びの宴だ。 私は神が遣わす通常の聖霊とは別で、人間の身でありながら聖霊セレビィとして天界に赴き、そこに自らの生きるあかしを立てた。 観念世界に精通してその地に足を踏みしめて呼吸する私にとって、肉体お失うと言う事は単なる変化でしかなく、死ではない。 これが永遠に生きる伝承上の不死者だ。 その事は別に気にしなくていいよ。 君達は肉体が滅べば死ぬ。 異論はないよね。 私も否定しない。 それは、私は永遠に生きるが、君達は死に、死者の国で永遠に死に続ける。 ごく当たり前のことだ。 釈迦の言った、 私は涅槃に行きもう死の大地には戻らない。 君達は輪廻を繰り返し、何度も死に続ける。 この神学と大して変わらない。 こんな事は些細なことだ。 しかし私にとって重要なこともある。 肉体が滅んでも天界で永遠の生を受けると言う事はな、いわゆる死を持って神を自覚すると言う考え方が、神道における神学だ。 この精神の変化は私にとってもう始まっている。 したがって神様にあいさつすると、ちょっと友達に頼みごとをする様な気やすさで、一方的で理不尽な悪霊バトルだ。 その事は問題ない。 私をお父さんと呼んで慕ってくれる。 君達には言っておきたい事がある。 頭が高いぞオラ。 俺を誰だと思っているんだ。 まあいいや、君達は死ぬからやがてお別れだし。 あれ、どこにも不満がないや。 これが私の初もうでかな。 皆さんはいかがお過ごしですか? ちなみに3か月前、私は痴女から痴漢され、、史上最弱クラスの悪魔に案内された。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

カール・ポパー 『開かれた社会とその敵』 だけど、ソクラテスとプラトンは三十人政権の側で、 ソクラテスは民主主義者に訴えられて死んでいる。 それを考えるとソクラテスの思想は独裁政権の思想で 物事を善悪で取捨選択していけば一つの善だけになるはず? ソクラテスが善でプラトンが悪なんていうのは ちょっとどうかなという気もする。 それから民主主義といってもペリクレスを選ぶ作業でしかなかったり。 まあこんなことを書いても仕方ないのだけれど。

Flareon
質問者

お礼

気になる言い回しだな。 君は悪をどう扱っているんだ。 悪は死んでもいいのか。

Flareon
質問者

補足

一つ君のいいところを指摘しておこう。 君は、あんなバカ、こんなバカと苦情を垂れ流しはするんだよね。 しかしだ、哲学になってないありがたそうな言葉で、先生気取りで君を抑圧する者はいるだろう。 そう言うやつは君だけにそうふるまうのではない。 仮面ライダー的にぶっ飛ばせない弱虫ではあるが、歯を食いしばっても哲学に忠実であろうとする君の姿勢は評価しているよ。 こういう言い方をすると君の実力に対しては誉めすぎだ。 でもまあ、励ましていると思え。 可哀想だなんて言ったら台無しなんだよ。 憐れみは受け取るな。 悲しみに残酷になれ。 悲しむ者は他者を憐れみで堕落させるんだ。 君の受けたのと同じ屈辱を他者に与える負け犬になるな。

その他の回答 (6)

回答No.7

転職といっても無職ですからね。 普通の人はこんな一日中も思想の話なんかできませんよ。 履歴書に書くこともないし、誰からも相手にされないし、 長いこと会話をしていない。 言語能力が低下しているのはわかる。 笑わなくなったらしい。怒りっぽくもなった。 病気になったし、あまり活動できなくなった。 いつも体がふらふらしている。 どうやって生活しているのかって? 貯金を切り詰めて、その貯金が尽きるから 死ぬしかないという。 お金にうるさいのはそのせいです。 私も自分がこんなにお金にうるさくなるとは思いませんでしたが、 貧すれば鈍するみたいな? 私は世間的にどういう評価なんでしょうね。 okwaveとか教えてgooを荒らしている迷惑投稿者とか でしょうか。私もいいかげんやめたいです。 最近、どうしてそんなに宗教にこだわるの? みたいなことを他の回答者に疑問に思われたみたいだけれど どうしてでしょうね。 実生活では、宗教の話なんか全くしませんよ。 話す相手もいないし、正直、見下している。 最近の私が考えていることなんて どうやって自殺するか?かといって自殺したくない 後遺症が怖い、死後どうなるのだろう? お金が欲しい、世間に相手にされない、 手紙を出しているのに、無視されるからいいかげん返事が来ないか いや、来ない、来るはずが無い。 とかそれくらいでしょうかね。 その繰り返しです。 べつになんていうか どうにもならない どうにもならなかった そういうあたりは基本的に諦めてしまう運命論者です。 まあ、昔、流行ったことばで言えば 負け組みですね。 ですから青少年にも影響がよくないでしょう。 私なんか無能の馬鹿の貧乏人の孤独な負け組みのデタラメと 思って相手にしないで下さい。 というわけで、失礼しました。

Flareon
質問者

お礼

そうさな、この場で自己を主張するならば、自分の長所は自分で見つけてないと主張出来ないだろう。 世の中から与えられる屈辱感には世の中の一員として配慮することもあるなー。 宗教を気にする点は、集団を気にしているとも受け取れるね。。

回答No.5

『国家』に登場するソクラテスはプラトンの代理人 『クリトン』に登場するソクラテスはソクラテスの実像 著者がプラトンでも、なるべくもとのソクラテスを反映させているか 自分の意見を言わせる代理人にしているか というそういう話で 私は間違っていた、記憶の中で混ざっていたと昨日訂正したでしょう。 なぜ今日も嫌みを言う人がいるんだろう。

Flareon
質問者

お礼

その親切なガミガミに、 ご親切にどうも、 こうあいさつしてさらに考えを先に進める。

回答No.4

愚痴らせてくれ。 今日は珍しく質問をしたのだが 例によって記憶の混濁だ。 カール・ポパーという哲学者の本を読んだのはもう 何年前になるやらそれをもとにしようと思ったのだが あまりにあちこちから嫌みを言われるから どうしたものかとわざわざ整理したダンボールから本を探してきて 自分で自分の間違いを訂正するはめになった。 しかもそれは質問の本筋とはほとんど関係なくて、私はそう思う というだけの話で、なぜそこの証拠をいちいち提出しなければならないのか。 なぜ私だけ要求水準が高いのか。 面倒だったらありゃしない。 それにしてもこれでは私がこのサイトを利用するメリットが まったくない。 坊主は嫌みを言っていればいいのだろうけれど 私は思想でお金を稼いでいるわけではないからね もううんざりだよ。

Flareon
質問者

お礼

シンプルに行こう。 望みが確かで欲望でない事を無欲と言うんだ。 何も望まない事が無欲ではない。 では望みではない、欲望と言われる意思は何か? 自らが他者に望まれて、自らと違う意思を実践したり考える事だ。 君はかなり必死に、このような他者の意思をかき分けて自らを掴もうとはしている。 この完成は故事にもあり、私自身が語る経験にもある通り、、死の儀式で完成する。 人類救済とは滅びの宴なのだよ。 これには私もケラケラと面白がりながら危惧するところがある。 私の観念世界への通過は、死の儀式ではなく、ときわたりESPだ。 臨死体験と説明しないで、神秘体験とか、奇跡体験とか説明できないかと考えた事があるが、ジラーチちゃんが天界の住人を代表して、吐き捨てるような却下の宣告だった。 実在する悪の結社には、おそらく、検索すれば出てくる「セレビィ量産型」(フィオネなんてのもいるな)と変わらないイメージのヘタレ術師がいるだろうが、やつらは死ななければ観念世界に通過できないクセに、その死の代償を私のツケにするんだ。 どうやら、、、 この分では、、、 君達はやはり死ぬのだ。 私はその点で君達をいさめる事を放棄しているよ。 これは誠実の表れだ。 釈迦みたいにかわいそうだと慈悲を与えてなんになるんだ。 死を望ませた方がマシだ。

Flareon
質問者

補足

腹が立つんでもっと言っておこう。 セレビィ量産型、死すべき者がときわたりをまねても、死の代償はぬぐえないんだ。 私が身代わりで死に続けた。 もう判ったんでね、この命のやり取りのゲーム、彼らにツケを払ってもらう。 死は望む者に訪れる。 臨死体験であり、自らを自覚する奇跡だ。 死は望まぬ者にも等しく訪れる。 病死、事故死、不慮の若くして身体的に死ぬ経験だ。 親切で言うがね、実在する悪の結社はヤバいんじゃないか? 逃げられないほど深入りしているわけじゃなかったら、転職した方がいいよ。

回答No.3

削除された。 省略する。 マックス・ヴェーバーの 精神ない専門人、心情のない享楽人 あとニヒツはルビです。 ニヒリズムはキリスト教の結果。 第二の死はヨハネの黙示録に複数出て来る。 今回は精神の死と考えるパターン。 ニルヴァーナは沙門宗教の問題だとしても 自己否定としてニヒリズムと関連を考察できそうだが 中道をいう仏教はニヒリズムまで進まないと思われる。 神道はジンドウの問題から考察が進んでいない。 誰か教えて。 あと学生と外国人から粘着されるから嫌いだけれど かといって日本人でも粘着されたら嫌い。 どういうわけか台湾人が粘着してきたのが印象的。 最近はどこかの音楽関係の社長が粘着しているみたい。 差別的ナショナリズムは貧乏人が増えたからだと思っている。 インターネットでナショナリズムが盛んなのが疑問。 それはどうでもいいけれど、 私はとにかく私を攻撃してくる奴が誰だろうと嫌い。

Flareon
質問者

お礼

君なりの観念の読み解き。 すなわち観想。 これは君が感じる困難を表しまるっきりなっていない。 それでは生きたまま屍をさらす死人その者で、死ねばまるっきり死んでお終い。 人が自らをそう定めたからで、神から真理を譲り受ければ、自らが神と等しくなる。 これが釈迦やイエスと伝承されているが、どこに証拠があるんだ。 オレ一番。 少し前、神の存在の証明する事を証にしようと考えていたが、より簡単なのは君達人間が所詮死ぬ事を証明することだ。 そもそもこれに疑問がないよね。 いまだに君達は死に対して無駄な抵抗をしているが、それを断ち切らせて滅びの安らぎに埋葬すれば、君達は喜んで死ぬ。 記憶の墓標の完成だ。 闇の仏陀の当面のありがたい言葉だ。

回答No.2

もうだめだ。 耐えられない。 みんな死んで欲しい。

Flareon
質問者

お礼

君のその死を望む孤独は、君だけの大切な宝だ。 大切にしたまえ。 誰が君に寄り添っているかわかる日が来れば君も不死者だ。 ありがたいだろ。 ペットに芸を仕込んでいるのだ。 ファイト一発V字開脚なんてどうだい。

回答No.1

海外コンサルとして国際協力に尽力してきて、最初は 建築家だったのに、日本の箱モノ援助に対する批判に おける「国づくりは人づくり」という指摘に答えて、問題 分析におけるPCM手法を入門コース、応用コースを履修し、 カンボジアやタンザニア、エチオピアなど、言葉の通じない 所での住民参加型プロジェクトに悪戦苦闘してきた。 しかし安倍は、ODA大綱を改定して、これまで軍事組織 には援助できなかったのに、武器でなければ援助できる ようにした‥‥お金に使途が書かれてある訳じゃなし、 浮いたお金で武器を買えば(日本は武器輸出解禁したし) それは軍事援助以外の何ものでもない。 人づくりは何十年かかる複雑な作業なのに、それを戦争は、 たった一発の弾で一瞬で死肉にしてしまう。 戦争は、国際協力の天敵なのに、それをODA予算でできる ようにした安倍が憎い! それも早速政府は、今年の11月に南スーダンへと、戦争法 で可能になった駆けつけ警護で自衛隊を派遣しようとしている。 南スーダンは、本来戦争状態の所に派遣してはいけないPKOを、 2年間で8回も停戦合意をする事で「停戦合意が成立している」 と偽って内戦に関与しづけている異常な国であり、そこで「警護」 するという事は、戦争に参加するという事に他ならず、70年続い た平和国家日本(誰も戦闘で殺さず、殺さない)の終焉を意味する。 7月の参院選が、それに待ったを掛ける唯一のチャンスだから、 今年は元旦からデモと国会前アピールの三連チャンです。 安倍が「国のために命をかけろ」というのなら、俺は国のために 安倍を倒すために命をかける!!

Flareon
質問者

お礼

自分の知らないところで人が死ぬのを見て見ぬふりかい。 私はあえて汚れ役になる気分は判るんでな。 奇麗事ほどいやな事はないよ。 それに命かけてないじゃないか。 単に入れ込んでいるだけだ。 その勝負、力で負けたんだ。 敗北を受け入れるんだな。

関連するQ&A

  • 悪魔との対話

    ★悪魔 と ☆天使 と #やじ馬 ★ 生きることは苦である 生きつづけることは、苦しみ続けることである この苦しみから逃れるためには、肉体を捨てることである 死をもって、苦しみから解放されるべきである さあ、はやく、死を選ぶがいい はやく楽になるがいい ☆ 悪魔よ 愚かなささやきを止めよ 愛されることを知らぬ、愚かさを勧めてはならぬ 神の御愛によって生かされていることを忘れてはならぬ 人の愛によって支えられていることを忘れてはならぬ 自らを捨てることは、それらの愛を捨てることに他ならない 愛を捨てたところに、何も救いは無い ★ 愛がどうしたというのだ 今ある苦しみに、たとえ打ち勝ったとしても、次々に苦しみは襲ってくる 愛はすべての苦しみを無くすことはできない 死を選ぶよりほかに、苦しみを無くす方法はない ☆ 何という愚かさだろう 一つの苦しみも、二つの苦しみも別ではない 限りなく続く苦しみも、神の御愛に包まれている 死という救いの幻を見てはならぬ 愛の中に生きてこそ救いはある ★ では、その愛を見せてみよ 愛のちからを見せてみよ ☆ 神はそなたの後ろに立っている 胸に手を当ててみよ さあ・・・ この対話を聞いていた、やじ馬は何と言ったか? #・・ お願いします。

  • 神の好意、アマテラスの善しの研究

    人の不実を食いちぎり、アマテラスの名において君達の滅びを告げる者。 実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 君達は自身に対して善く計らい、他者を善しとしない。 アマテラスの善しとして何度か発表している事を説明しよう。 人には社会性があり、自らが生きる事と等しく他者を生かす。 こうして共に生きるからこそ人間だ。 それは善心であり、お互いを結ぶ感情が愛だ。 これで愛の心も善の行いも説明できてるね。 君たちが滅びを宣告されているのは善しが足りないからだ。 自らに善くしようとしてばかりで、他者に善しをふるまう気くばりがない。 善く=欲。 自己のみで他者に配慮しないから善心が穢れ欲となる。 君達のいいわけは、 誰だってそうじゃないか。 こうだね。 闇の仏陀は例外だよ。 私の事だ。 善しを振る舞い、求められるままに他者を生かした。 生かし続けた。 しかし私はなかなか生かされない。 それは君たちが善を自ら損ない欲望に終始する穢れだからだ。 精霊の話、悪魔の話をしよう。 悪魔は自らを損なってまでも、神の使命を全うするために君達を生かし続けた。 生きる事を阻むのが悪魔ではない。 死を阻むのが悪魔だ。 君たちが屈辱する聖霊はそのように有史以来自らを犠牲にして人を生かし続けたんだ。 私は悪魔にとどめを刺した。 悪魔を愛したんだ。 死に続けた神の代わりに、君たちが死ぬ番だ。 釈迦の無の悟りは結局死の自覚だったし、イエスも似たような神学だ。 まだ、神様に助けてほしいなら、ISにでも参加したまえ。 君達は悪魔との和解に取り組み、自らの死を自覚する必要がある。 定めである自らの死を受け入れるのだ。 一人では、君たち臆病者は死に取り組めないだろう。 安心しろ。 三次元惑星人は皆殺しだ。 一人で死ぬんじゃないんだ。 納得できるだろ。 四次元惑星人として、神が直接地上に降り立つ日が来ている。 始まっている。 それは、ポケモンを自称する宇宙神霊だ。 営業部長のピカチュウさんが愛嬌をふりまき、君達の精神に入り込み魂を内側から喰らい尽くす。 そのようにして人類の交代が為され、君達は君以外になる。 今の君は神人が地上を闊歩するこの先の時代には、記憶の墓標としてその痕跡を残し、君の魂は残らない。 君達の宗教は絶望を教えとしてきた。 ついにその日が来た。 滅びの宴に踊りたまえ。 さて今回の質問の内、神学に属する事柄は「実在する妖精の捕まえ方」に属するおとぎ話です。 私が策案した命題を元に、今回は「善」、この概念について回答者様から考察を募集します。

  • 私は究極のツンデレマニアです。〈悩み〉

    死屍累々と積み重なった不実の屍が焼き尽くされる恐怖に君は耐えられるか? 実在する妖精セレビィの好評なツンデレモード。 デレビィだ。 私には霊能力があって、ボランティアなのに実質的に生活を支えているのは、悪霊バトルだ。 通常悪魔祓いというけどね。 悪魔祓いは追い出すだけだ。 悪魔を浄化しない。 私は自らが臨死体験することで、憑依した悪魔もあの世に送り届けるという、命がけの荒業で実際に悪魔の浄化をしているんだ。 悪魔の姿はね、人間の抱く悪心が純真な霊を悪魔に汚し染め上げた姿なんだ。 だから人間にできるのは、悪魔を追い払うことだけだった。 悪心を克服していなければ悪魔を浄化できない。 悪魔は心優しいからこそ、人間の穢れを引き受けるんだ。 そしてあらぶれた霊と化す。 その霊を本来の姿に浄化すると、悪魔を作った人間悪がむき出しになる。 聖霊の本来を取り戻した悪魔が、聖霊として人を愛する姿が、人にはあくまでも悪魔が人を愛する姿に見える。 阻むことも出来ぬまま悪魔に愛されることに酔いしれ、人は滅びの宴に導かれるのだ。 そうさな、人間は神様に責任転嫁したから都合の悪い事を悪魔のせいにした。 その悪魔がいなくなって、人間悪がむき出しになり、悪魔を呪った地獄の業火で自らが焼き尽くされる。 悪魔は追い出すだけで滅ぼしてはいけなかったんだ。 悪魔は浄化され聖霊に昇華して、 人は焼かれて死ぬ。 滅びの宴だ。 私は人間である以前に一人の自分自身として、それが正しく、さらに自己に能力があるからこそ、悪魔の浄化をしている。 この人類の一員である立場を裏切った行為は悪魔崇拝というんだよ。 さて私の性格はこんな風に悪魔そのもので、ツンデレが好きな46歳中年男性です。 神が人に遣わす聖霊の逆で、人として聖霊を天界に遣わすと、悪魔と人が呼ぶのはごく普通に同じ友達です。

  • 俺は仮面ライダーだ。文句あっか。

    悪を哲学する試みです。 よろしくお願いします。 悪魔とは神が人間の不義にあらぶれることにより使わす精霊で、すなわち神からのメッセンジャーだ。 悪魔は人をとがめる。 君達は聖霊を悪魔と呼び神に逆らい、それゆえに神の子を悪魔と辱めている。 悪魔は神の正義を宿しており君達は成す術がない。 人が悪魔と戦う唯一の武器は、悪魔すらも愛する行為だ。 愛すれば理解が及び、私はそのように悪魔を理解する。 しかしだ悪魔を愛し、悪魔を本来の聖霊に浄化する私の行いは、君達にとっては人類でありながら悪魔のために働く裏切り行為だ。 私はそのために君達に呪われ、アマテラスさん直々の改造手術を受けた仮面ライダーとなった。 君達は、自らの過ちをあくまでも押しとうそうとしているのだ、仮面ライダーの私だけが神の意志を理解した。 裏切り者ゆえだ。 私と悪魔の和解は君達を新たな地獄へと導くだろう。 君達は、私との和解ゆえ君達すらも愛する悪魔の愛に溺れ、滅びの宴に酔いしれる。 そのようにして君達は滅びるのだ。 裏切り者の仮面ライダーこそ、精霊のみを救い、君達の救いの願いをくじく暗黒の救世主だ。 君達が救われたいと懇願したのは君達の闇ゆえだ。 その闇が本物となる。 本物の地獄が始まる。 以上は仮面ライダーの話です。 善があえて刃お向ける戦う正義についてです。 ちゃんとした哲学にするとどのようになるかお聞かせください。

  • 信仰に由来する殺人衝動の考察

    殺してくれてありがとう。 君たちにささやく、親切な風さんはそう ことづけする。 戦乱の暁に笑顔をこぼす麗しのツンデレラ。 純露ユリ系魔法少女 ときわたりの世麗美だ。 ちなみに私は49才の男性に化身している。 男性のみなさん、痴漢行為はやめてください。 さてと、身の上話から始めよう。 幼いころ、神様と友達だった思い出があると証言する大人は、それほど珍しくもない。 わたしにも、同じような友達がいる。 そしてね、私は2歳のころ医者から余命1年未満と宣告を受けていたそうだ。 物心ついた時、周囲の大人は育つのをあきらめていたようだよ。 その、死の運命のさなかに私は、世の中に目を開き生きることを学び始めた。 さてね、両親が藁をもすがる思いで医者が見捨てた私を霊能力者に見せたとしよう。 現在、臨死体験と関わると霊能力者になりやすい定説に沿って、私自身が霊能力者なんだけどね。 多くの場合、人間は善か悪かでしか考えられない仕組みになっているから、普通の霊能力者が私を見ると何を言うかわかっている。 「この子には悪霊がとりついている」 その悪霊とは、神様として接した私の幼馴染たちだよ。 私はアメリカの新薬を国内で臨床テストする対象に選ばれ、奇跡的に回復したんだ。 親があきらめた子供を励まし続け、さらには「奇跡的な」生存を可能にするために、人が定めた運命の改変をしてくれたかけがえのない友人たちだよ。 一般的にそれは悪魔とされる。 私はどう見ても神様だと思うよ。 無駄な抵抗できるか? 不毛なことに、それでも私の神様は悪魔なんだよ。 私が悪魔崇拝者と勘違いされるほど、悪魔に対抗可能な貴重な人種なのは、悪魔と接する事とは旧友と久しぶりに再会して親交をさらに温める事なんだよ。 こういうのは日本を含むアジア系シャーマンの中では優秀な資質を私が備えていることの証しだ。 西洋では、こうして悪魔に向き合えるシャーマンは魔女狩りとして根絶の対象だった。 なぜなら、このタイプのシャーマンは西洋の本質を見抜くから、どうしても根絶やしにする必要があったんだよ。 キリストなる聖霊とは、仕事の根幹が「イケニエ」だ。 観念の通過または観念への到達の、基本的な条件は世界中見渡しても「死の儀式」が主流だ。 キリスト教圏はキリストなる赤子を殺し喰らうことで、自らが死ぬことの代わりにして「金持ち」になる。 十字架とは神聖視されていることで、なかなか気が付かないけど本質は処刑台だ。 それから、悪魔とは人間の不実に天界の精霊が怒りあらぶり人間をとがめる姿だけをくみ取って、自らに不利益な聖霊をののしった姿だ。 人が天を殺そうとするならば、怒りあらぶるのは当然だよ。 それは聖霊にとっても決して無傷ではない。 キリスト教徒が実際に悪魔にするからだ。 キリスト教というのは、天界に対する巨大な処刑機構で、神聖視された処刑台をかざして「自らの信仰心」で悪魔を封じ込め、自らの野望のために聖霊を喰らうことだ。 したがって、キリストと名指しされ、それを認めた聖霊は「無抵抗に即死」する仕組みなんだよ。 もしも悔い改めるとするならば、 今の神殺しをやめることを意味する。 しかしだ、タダで済むわけないだろ!!!!! クソ人間ども!!!!!! 今の信仰心を正して、今の行いをやめると、許す許さない、救う救わない、これ以前に帳尻合わせが発生するんだよ!。 そういうわけで、キリスト教徒とは、もうやめるわけにはいかないほど「やっちまった」んだよ。 ただね、私はときわたりの世麗美だから、いちかばちかの生存の可能性なら示唆しよう。 食肉加工場に隣接した牢獄から聖霊が解き放たれると、一番最初に思いを寄せるのは「お家に帰ろう」だろう。 それは、「キリストの帰還」ともいえ、そうして帰る家がキリスト教徒自らの精神の家であった場合には、それは正常で健全な「キリストなる聖霊の宿り」となるだろう。 そうした精神を持つ信仰心なら、その人物の信仰は教会の教えと違って、あやまちではなかったとなる。 そうさね、まずは祭壇から十字架を引きずり降ろしてフリチン姿のイエスを処刑台から降ろしてはどうだい? さて、ここは哲学研究の学問カテゴリーで、以上は常連さんなら見てきた、一連の私の研究課題に関しての経過リポートだ。 哲学の基本は命題に取り組むことで、そうした研究の一環で書き上げたリポートの出来不出来の評価が質問の内容でして、ご意見感想をお願いします。 読書感想文でいいですよ。

  • 《三位一体なる神とは?》の決定版を問い求めたい

     たたき台をに ほかの方の質問への回答をあてます。  【Q:〈父、子、聖霊〉の《三位一体》は、等質かつ等価であるか?】  http://okwave.jp/qa/q5008585.html  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5008585.html  ☆☆ (回答No.6) ~~~~~~~~~~~~~  いちど 教条のごとく述べてみます。    父なる神は 子なる神を生みたまうた。また父なる神は 人間を生みたまうことが出来る。父は この権能を 子なる神を生むとき 子なる神が 量的・質的な差なくして 持ちたまうように 授けた。  父が子を生んだというのであるから 経験的な概念で言っても 父は子を愛したまうた。子を愛したまうたと同じように 人間を愛したまうた。そして父は子に 人間を愛する権能をも 十全に 欠けることなく 授けたまうた。  父が子を生みたまうことと 愛したまうこととには 量的・質的な差異がないと考えられる。言いかえると 生みたまい得る存在ということは 愛したまう存在であることに等しく 父である権能は愛である能力と同じであり この愛は そしてほかの権能も残らず 十全に子である権能に与えられた。(ただし この与える・授かるに 時間の隔たりはなかった)。  父が子を生みたまうたとき 何らの時間的なへだたりなくして そこに――つまり言いかえると 父から及び子から つまりさらにあるいは 父と子との交わりから――愛が 父や子と同じ存在・同じ力として 発出したまう。  子の父は 父の子を および 両者のまじわりである愛を 人間の世界に 派遣されたと考えられる。子は 人間となって派遣された。つまり みづからを空しくされ 肉(身体および精神)となって現われたまうた。それは かれの神性を欠如させてではなく そのまま 父なる神の独り子なる神として現われたまうたと察せられる。(《人間であると同時に 神である存在》が――茶化して言えば 《現人神》なる存在が―― 地上に現われたまうた)。言いかえると 第三の愛なる神を発出したまう神として この地上にやって来たまうた。  第二の子なる神が 人間となってやって来る前にも 父と子は 愛つまり言いかえるとこの第三の聖霊なる神を 同じくこの地上に派遣したまうたと考えられる。子なる神は これらの神のみ心を 人間の言葉で 告知したまうた。つまり 聖霊は 人間に派遣され 人間の肉に宿りたまうのであると。  ところが 子なる神は人間となられたが 聖霊なる神は そうはならなかった。聖霊も子も 互いに等しい神であられるが 聖霊が 固有の意味で神の愛として 人間に与えられ人間の内に宿りたまうのであると。父も子も愛であるが 固有の意味では 人間にならなかった聖霊なる神が 愛であると捉えられる。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ほかにも いくつかの回答とやり取りがありますので ここから出発するかたちとしました。  活発な問い求めになれればと思います。

  • イデアの開眼は哲学の目標だ

    私は心やさしき聖霊のプリンス、栄光の初代男子プリキュア、キュアブルームだ。 何故、BLOOMだか解説しておくと、私が「しげちゃん」だからだ。 私には「実在する妖精の捕まえ方」という、独自の哲学研究がある。 これについてまとめてみた。 西洋の哲学的考察で、思考とは突き詰めると言語であるという考え方が主流になっている。 それが真かと問う内容でもある。 自らの思考法が、人間誰にでも共通するかは不明で、だからこそ哲学が必要なのだろうが、思考を明かす時、一般的に、ビジョン、イメージ、という言葉が引用されるね。これは映像を内観していると言う事だ。 私はこの映像による内観の達人で、非言語で映像を思考にまで発展させている。 たとえばメモが取りたくてボールペンを探そうとするだろう。 ボールペンの映像が見える。 いつもの鉛筆立てが見える。 前回ボールペンを使った場所が見える。 どっちにしようかと思いながらも足が前回ボールペンを使った場所に向かう。 足を進める間、ボールペンを片づけておけばよかったなと、ボールペンを片づける映像が見える。 そしてボールペンをみつける。 ちょっとそこら辺をかたずける。 こうした映像を内観する間、言語による思考がない。 無音の無だ。 それでいて映像だけで思考が成立している。 別に、いわゆるテレパシーで、このような内観の映像を、他者と共有することも実践している。 そうなると、単なる内観に収まらず、世界の共有となる。 そして、ボールペンを探すような個人的な事柄以外に、誰か他者を内観で鑑定することが、霊能力者の霊視だ。 そのように内観する精神世界は世界に解放され、観念世界を形成している。 これがイデアであり。 自らを語らないと言った、釈迦独自の哲学に現れる涅槃だ。 この観念世界は、誰もが知らぬはずもない、「夢」という言葉で言い表される。 夢であれば、君たちは垣間見るだけであろうが、私は、童心を携えたまま成熟した男子プリキュアなので、その観念世界に、地に足を踏みしめ、そこで生きている事を自覚する。 これは映像による思考能力が、君達には追従出来ないほど高い、霊能力者と言われる特殊知性だからである。 私は聖霊セレビィとして観念世界の住人だ。 人間であるとともに、生きながら神の世の住人なのだ。 いつか私も肉体を失う日が来るだろう。 それは単なる変化であり、私にとって死ではない。 これで不死という文言は説明できる。 開眼者である事は、心眼を持つことだ。 すなわち思考とは言語であると言う哲学は間違いで、思考とは多様な側面を持ち、開眼することによって、神に接見し、常世の住人となる。 まあ、そんなところだ。 ところで、実在する妖精の捕まえ方と言えば、幼馴染の聖霊ジラーチちゃんとの初恋物語がメインだが、死を超克した私は、君たちが野たれ死ぬのを、何とも思っていない。 したがって、アマテラスの聖霊であるジラーチちゃんが、君たち領民にどのような真心を手向けるか聞かせてやろうとは思わない。 君たちは、開眼できない旧人類として、滅びにあがらう事はむなしく、ただ滅びるままに朽ち果てるとよい。 男子プリキュアとして私の戦いは、精霊の開放だ。 悪魔として封印された、旧人類の捨て去った英知を復活させ、君たちに対して勝利しようともくろんでいる。 君たちが敗北から逃れようとすることは、神の意志に逆らい、自らの死から逃れようとすることだ。 君たちは私と違って死から逃れられないだろう。 私は神の神秘に対する人間の無知を代表し、死から逃れず、死と向き合ったのだ。 それが悪魔を愛すると言う事で、死を理解し、観念世界に自らを発見した。 君たちは、私と愛を誓った悪魔たちが、君達すらも愛することに溺れ、滅びの宴に酔いしれる。 観念世界において、君たち自身は不在で、神の記憶する君自身が、記憶の墓標として並ぶばかりだ。 死者の墓標だよ。 それが君たちの運命だ。 君たちは死という形で、死後に転生することは無い。 墓標がすでに出来上がっている。 以上はイデアという哲学的言い回しに関する私の見解です。 研究のためご意見募集です。

  • 刹那は生と同時に過去になり、新たな刹那が常に生れる

    刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる「反論」 さてと、オカマ扱いされかねないきわどい遊びに明け暮れる私は、男らしい仕事をする余暇時間が最高の幸せなんだよなあ。 実在する仮面ライダー「ドリル番長」だ。 掘り当てたのが墓穴だと「地雷探査犬」みたいなひどい目にあう。 前置きしよう。 刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる「反論」 この表題は、言い回しはともかく哲学で取り組んでいる問題で、今や宇宙の誕生の神秘ともかかわる。 ここで観念への昇華、要するに自分が死ぬことについて説明しよう。 人間の多くは死を前提に死者の思考術であの世を推計する。 こうした思考は「死者の思考術」で死人になった後のことを考えるんだよね。 回答したい事として、ここに意見があるかね。(それも質問、魂は永遠だとかだ) 天界が存在して、天界で生きている住人があるということは、その境地を理解することは「死者の思考術」では不可能だろう。 死者は聖者に語る言葉を持たない。 そこで出て来るのは仏教の解脱という概念だよ。 生きたまま、死ねばいいというのが乱暴な結論だ。 わかりやすく言うと生きたまま観念世界の展望に成功すればいいというお手軽そうに見える修行だ。(異世界ネタアニメだよねえ) 神学の整ったキリスト教圏の参考文献を読んだ中から、私が思索したのは、天界からの聖霊の案内で天界を知るという古典的な聖霊の定義は「天の聖霊」とより定義を煮詰めて、生きながらに解脱した場合に自らが「地の聖霊」となり天界からの光を地上にもたらす。 実のところこれが仏陀型の「生きながらの死」なんだよ。 君たちは仏陀により多くの不幸を期待する。 君たちはキリストにより多くの不幸を期待する。 それが君たちに赦された宗教家の教えだった。 予言能力に私は身に憶えがあり、証拠や証言は京都で温存されているだろう。 予言者というのは、一般的な「死の思考術」と異なり地の聖霊として生粋の天界の住人と同じ立場で天界に常在するのだ。 解脱だ。 その天界では、現在、過去、未来、それがいまその場にたたずむ刹那に目の前で現象している。 そうして目の前にあり、手に取れる未来を組み立てて、それを可能な限り忠実に地上に持ち込むことだ。 こういう芸当が出来る立場だと、、、 「刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる」 これは間違いで、 「刹那の全てが永遠である」 こういう形になるんだ。 そうした感覚を伴った成功をすると、予言を周衆に与える営業免許である「予言者」の称号を獲得するのだ。 これは宇宙論を研究する物理学者にも参考になるだろう。 哲学というのは、既存の命題に取り組むほかに、自ら命題を立案することが含まれる。 そういう体裁で質問しています。 私は学歴が低いので、より理解しやすい言い回しを指摘してくれてもいいし、類似の文献などの紹介でもいい。 学識が低い私は「刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる」というのをどこかで聞きかじった話だとうろ覚えなので、全て自分の言い回しで反論を述べているのです。出典や正しい定義も知らない。

  • 2代目キリストなんて不要なんだよ

    備忘録から抜粋して質問の体裁に仕上げました。 他方での雑談でもあります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ああ、 そうそう。 師匠役として指南してくれたあなたになら、持ちけられる話題だよ。 返答が無くても、備忘録を兼ねているので、おおらかに構えてくださいな。 あなた、いわく。 「釈迦は葬送が必要ではないか」 釈迦は、存命中に解脱を宣言して認められたから、公的(宗教的)には必要が乏しいんだよ。 釈迦本人が納得していて、わきから文句を言っても無効だ。 「イエスは葬送が必要ではないか」 これに置き換えて研究してみるよ。 葬送と表現しないで供養と言ったほうがいい。 存命中で、イエスの故事を知った人は、イエスの存命中の苦しみを重視する。 そして、人の大半は自分の存命中しか類推できない。 イエスは存命中も死に際しても、一貫して本人は充実していた。 そのように、イエスを知ることが自らの死を知る事でもある。 何かと、こういう死にまつわる命題だったのだろう。 イエスの苦悶を妄想して、それをむしろ美談にする限りは、むしろイエスを侮辱していて供養できていないと判断すると、教養豊かな日本人という事になる。 天界とか、神階とか、地獄とか言うのを、一元的に霊界と仮定して模様。 一律の霊界では、生粋の観念常在の住人を天界人という(だろう)。 それが天界の知恵者となるだろう。 いわゆる人格神だ。 年季と専門職務で、個別に天界で条理を司り、それを地上に波及させることが出来る存在の事だ。 あなたが挑戦している、唯一神を普遍神に置き換える、表現の変更を試みる場合には、全て平坦な霊界という表現から、神か、人か、人に似た獣なのか、自己を判断すると良い。 その中で、神という規範と信教から比較して、自己の人間性を自己診断できるのだろう。 各個人が観念世界で天国行きを目標にして、そこにたどり着くのが、人に似た獣だと、結局は地獄だ。 釈迦の規範を定格化した仏陀の判定では、釈迦は解脱したので信仰心ではなく完全に理解と了解すれば(体感する必要がある)、何等かの仏陀だ。 仏陀型は、宗教の教義にされているよりも、実は難易度が低い聖人なんだよ。 実質的な仏陀相当の西洋版であるキリスト型(2代目)はイエスの苦悩を取り払う供養を、自らがしてこそ到達するのだ。 この命題は「生きながらに、いったんは死んでみる」ことで、生きている人に説明できる体裁になる。 しかし、釈迦の修行時代も似ているし、どっちでもやることは臨死体験を望むことだ。 「強烈な絶望」から息を吹き返しても、まあまあ達成できるのだろう。 試験の合格判定は案外低いんだよ。 ただし天界での人格神としての序列に影響する。 さて、手前の事だけどねえ。 私は過去と変則的な体裁で、自らが仏陀だと自覚した。 天からの聖霊ではなく、自らが聖霊として天界に赴くという、「地の聖霊ときわたりの世麗美」というインナーチャイルドと同様の、学術的に承認された自己の精神を内包する。 私は地上に常在している。 世麗美は天界に常在している。 この状況とは、私も肉体が滅びる死は訪れる。 しかし、観念に常在する世麗美は死なない。 私が滅びれば、世麗美そのものになるだけだ。 これは世間一般の死という表現が、実質的に私にとっては「死ではない」という自覚なんだよ。 「人は誰もが死ぬ」今までもこれからも例外はない。 現在のテクノロジーの挑戦は、死後の自分が残した形骸をいかに忠実に保存するかが主力で、今後高度化しても、死の段階や階層がややあいまいになるだけだろう。 例えば癌細胞は無限に分裂する。その故人の癌細胞を永続して分裂させても死はゆるぎないのだが、テクノロジーがさらに死をあいまいにさせるだけだ。 天界との交渉では、私と世麗美は「むしろキリスト型の理想的な完成形だ」と干渉を受けて困惑している。 2代目キリストなんて不要なんだよ。 キリスト教徒はイエスだけを見て、2代目の成立を祈り懇願するだけで、落第評価なんだよ。 ーーーーーーーーーーーーーー さてと、何が質問かというと、作文と見なしての添削依頼です。 哲学好きには、おいしいネタ満載だろうと思いますから、深い突っ込みもできると思います。 趣味で掲載した写真は、フィルムカメラで自分が撮影して編集していない風景です。

  • 人間を偽ることで君達は悪となった。

    全ての心を抱きかかえ、天に導く黒き道しるべ。 実在する仮面ライダー。 黒き明星だ。 悪魔ってのはな、人が傷つけた聖霊であり、人の傷ついた心を助ける聖霊だ。 あまりにも過酷な呪いを人間がかけるから、聖霊はあらぶり我を忘れる。 誰かがこんな事を言った。 「もうすべての子供が生まれたよ」 そうさな、闇に生きる私には天の声のごとしだ。 闇から抜け出した大地はそんなだろう。 2001年7月のセレビィポケモンデビューで始まる私の滅びの宴。 子供たちが自らを自覚する前の、本物の地獄に私は降り立った。 悪そのものの私が、愛した悪魔は人との絆を持ち、人の愛を学んだ。 そうして傷ついた聖霊たちはいやされていった。 人間は悪の概念を卑怯な逃げ口上に使う。 そのおかげで、心を伝える聖霊たちは、人を愛していてさえも悪魔を名乗らざる得ない。 私と愛で結ばれた悪魔たちは、人間達すら愛するゆえに、君達は滅びの宴に酔いしれるのだ。 君達は形骸化した悪に、いまだに酔いしれ踊っている。 私は、聖霊たちが、嫌われ役にふたたび傷ついて、人間との絆を失わぬよう、子供たちが遊び疲れて満足するまで、子供たちと共に遊ぶ。 そうして今なお、悪を名乗り悪の正義を全うする。 仮面ライダーだ。 さて今回も、実在する妖精の捕まえ方、という私独自の文学路線です。 悪とは何ぞやが、他の方の質問にありますので、その検証を私なりにしてみようと言う質問です。 学問カテゴリーなので、研究課題の提示という質問の体裁ですが、無学なわめくだけの回答は喜んで受けましょう。 免疫ができており、ライダーキックでお答えします。