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天皇から「姓」を賜るということについて

中臣鎌足が死の直前に天智天皇から、「藤原」の姓を賜っています。以後藤原氏は大きく繁栄していきました。 教えていただきたいのは3点です 1 当時、「姓を賜る」ということに、他の貴族や豪族に「すごい」と思わせるような特別の意味がすでにあったのでしょうか???それとも天智の独自の発想だったのでしょうか??? 2 「藤原」の姓を賜ったことと、それ以降の藤原氏の繁栄と関係があるでしょうか???それとも「姓を賜ったこと」とは関係ない要素で繁栄したのでしょうか??? 3 藤原氏のほかに、天皇から「姓を賜った例」というのがあれば教えてください。

  • 歴史
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  • ベストアンサー
  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2182/4833)
回答No.5

>当時、「姓を賜る」ということに、他の貴族や豪族に「すごい」と思わせるような特別の意味がすでにあったのでしょうか? 深い意味は、ありません。 あくまで「大王の正式な臣下」と認められたに過ぎません。 ※天武天皇までは、天皇でなく大王(おおきみ)と呼んでいた。 >「藤原」の姓を賜ったことと、それ以降の藤原氏の繁栄と関係があるでしょうか? 日本には「政府が決めた正しい歴史」が存在しません。^^; ですから、関係があると言えば関係がある。無いと言えば無いですね。 ※百済の王子であった中臣鎌足の、帰化を認めたとの説もあります。 藤原一族が栄えたのは、歴代の子孫を皇族に嫁がせたからです。 つまり、天皇家と親族になったからですね。 簡単に言うと、小室圭が秋篠宮眞子内親王と姻戚関係になったのと同じ。 小室圭さんは、将来の天皇の義兄になる訳です。 既に、不思議な忖度が多いですよね? 年収以上の家賃を払えたり(一般的には、賃貸契約が出来ない)、一気に400万円を現金で支払ったりね。 >藤原氏のほかに、天皇から「姓を賜った例」というのがあれば教えてください。 源・平・橘・菅原・大江・清原・中原などですかね。 一番新しいのは「豊臣」です。

5555www
質問者

お礼

ありがとうございました。 深い意味は、ありません。 あくまで「大王の正式な臣下」と認められたに過ぎません。……そうですか。なんだか鎌足がえらく感激したかのように表現されているものを読んだものですから。 日本には「政府が決めた正しい歴史」が存在しません。^^; ……存在しなくても良いような気がします。そもそも「正しい歴史」自体が胡散臭いものになるような気がします。「何が正しいか」をめぐって、議論百出ですね。笑 ですから、関係があると言えば関係がある。無いと言えば無いですね。……この質問については、考えすぎないようにします。 百済の王子であった中臣鎌足の、帰化を認めたとの説もあります。……興味深いですね。鎌足が百済の皇子であれば、納得できる部分もありますね。 藤原一族が栄えたのは、歴代の子孫を皇族に嫁がせたからです。 つまり、天皇家と親族になったからですね。……そうですね。忘れていました。 既に、不思議な忖度が多いですよね?……私個人的には、割り切れない気持ちはありますが、仕方がないですよね。お二人に何か不祥事が起これば、日本国や日本の国民の信用にかかわることなのでしょうから。また、お二人も日本国からの援助が前提でのご結婚であり、渡米なのだと思います。日本国民から助けてもらっているというご認識がお二人にあるとはとても思いませんが。これからの皇室はどうあるべきか、国民は皇室とどう向き合えばいいのか、一石を投じた事件になったと思います。 藤原氏のほかに、天皇から「姓を賜った例」というのがあれば教えてください。 源・平・橘・菅原・大江・清原・中原などですかね。……菅原・大江・清原・中原というのは、現在でも時々お目にかかりますが、「元をたどれば」ということもありなのですね。

その他の回答 (4)

  • D-Gabacho
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回答No.4

1.そもそも姓というものは天皇から賜るものなので、姓を賜ること自体に他の貴族や豪族から「すごい」と思われるような特別な意味があったとは考えにくいです。日本書紀には、天智天皇の「藤原」賜姓以前にも、孝徳天皇のとき渡来系氏族の吉士長丹が遣唐使としての任を果たした褒美として「呉」姓を賜ったとか、欽明天皇のとき渡来系氏族の王辰爾が船の税の記録をとった功績によって「船」姓を賜ったなどの記事があります。たしかに「中臣」のような由緒ある名門の姓をもつ者に、恩賞的な意味合いで新たな姓を与えた例は、鎌足への「藤原」賜姓以外に見当たらず、異例であり、特別だといえますが、それは由緒ある名門の姓を変えられたくないと思うほうが普通だからです。 2.天智天皇との特別な関係を示す「藤原」賜姓が、天智天皇の重臣たちを朝廷から一掃することになった壬申の乱後に、藤原氏の繁栄につながっているとは思えません。藤原不比等が日本書紀に登場するのは持統天皇三年(689年)のとき、判事になった(当時31歳)という記事で、判事は司法・法律関係の実務官僚と考えられており、当時の不比等は名門エリートコースからは外れた経歴を歩んでいたとみられています。 3.前述の通り天皇から姓を賜った例はたくさんあります。

5555www
質問者

お礼

ありがとうございました。 1 そもそも姓というものは天皇から賜るものなので、……そうなのですか。そんな認識はまったく持っていませんでした。 たしかに「中臣」のような~~それは由緒ある名門の姓を変えられたくないと思うほうが普通だからです。……ということは、「すごいこと」だという解釈も成り立つのでしょうね。 2.天智天皇との特別な関係を示す~~当時の不比等は名門エリートコースからは外れた経歴を歩んでいたとみられています。……私の理解の及ぶところではありませんが、藤原氏は、天皇の外戚になることによって繁栄を築いたと考えるのが素直な考え方なのでしょうね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10482/32971)
回答No.3

歌舞伎俳優や噺家は、代々名前を継ぎます。歌舞伎は親子で引き継がれることが多いですが、噺家は基本的に師匠から弟子へというようなスタイルです。 「誰がどの名前を継ぐのか」なんてのはその業界にとっては重要な出来事です。落語界では「三遊亭圓生」の名前を誰が継ぐかで揉めています。歌舞伎界では我々は「香川照之」の名前で知られている役者さんが実子である市川團子が歌舞伎界に入るために一緒に歌舞伎界に入り「市川中車」をもらいましたが、歌舞伎ファンの間で「なんで途中から入ったやつが中車なんていい名前をもらっているんだ」という異論が少なからず出ました。 同じく歌舞伎界では、片岡孝夫という役者さんが大変な人気になりましたが、片岡仁左衛門という大きな名前を襲名できるようになるのは大変な苦労がありました。彼は血筋が悪かったのでいい名前をなかなかもらえなかったのです。大変な千両役者になったので、実力で仁左衛門という大きな名前を襲名できるようになったのです。 歌舞伎界でも落語界でも、襲名のルールが明文化されているわけではないです。長年の伝統で暗黙のうちにそういうものだと理解されているのです。 皇室に関するところはそういった和式伝統行事の総本山みたいなところですから、みんながその権威を認めれば権威になるのです。 藤原氏が凄くなったのは、藤原氏が平安時代の政治を牛耳っていたからです。平安時代になるまでは藤原氏より橘氏のほうが歴史がありましたが、平安時代が進んで藤原氏が政治の中心になると橘氏は没落してゆきました。 藤原氏の時代のピークが過ぎると平氏全盛期になります「平家にあらずんば人にあらず」の権勢を誇りましたが「奢れる平家は久しからず」になり、その後は源氏の時代となります。 で、姓に関してはある時代から「ご先祖が藤原、橘、平、源のどれなのか」でその人のもらえる官位なんかが決まるようになりましたので、そこからわざわざ姓をもらう必要はなく、ルーツを変えてしまうというやり方になりました。 どういうことかというと、三河の国にいた松平氏は藤原氏の末裔ということになっていましたが、色々と都合上源氏の末裔というほうが都合がいいということになり源氏の末裔である得川氏の末裔に鞍替えして、漢字を変えて「徳川」を名乗りました。藤原氏の末裔だと摂政、関白、太政大臣にはなれますけど征夷大将軍にはなれないので、征夷大将軍になるためには源氏の末裔じゃないといけないのです。 秀吉さんは、あの人は非常に困ったことに「農民の出」になるので然るべきルーツがないのです。公家の価値観からすると「そもそもアイツは人類ではない」のです。出自となる家が存在しませんから。 なのでどこの家に紐づけるにしても公家としては「アイツは人間じゃないからどれも与えたくない」というのがあるわけです。なので、だったら豊臣という姓を与えることで「ここ始まりの家を作ればいいや」となったのです。二代で終わってしまいましたけどね。 「秀吉には指が6本あった」という伝説がありますが、稀にある多指症だったという説と、秀吉を人間扱いしない公家や武士の差別を象徴した話であるという説がありますね。

5555www
質問者

お礼

ありがとうございました。 歌舞伎ファンの間で「なんで途中から入ったやつが中車なんていい名前をもらっているんだ」という異論が少なからず出ました。……そうなんですか。歌舞伎界のことなんかまったく分からないので、「途中から入ったから中車なんじゃ」なんてつまらないことしか思いつきません。 歌舞伎界でも落語界でも、襲名のルールが明文化されているわけではないです。……明文化されていないことのほうが「上」にとっては都合が良いということはありますよね。 平安時代になるまでは藤原氏より橘氏のほうが歴史がありましたが、~~その後は源氏の時代となります。……権力の世界というのは「並び立たず」というのは大原則なのかも。 そこからわざわざ姓をもらう必要はなく、ルーツを変えてしまうというやり方になりました。……ということは家系図なんかも……。うすぼんやりと分かります。 征夷大将軍になるためには源氏の末裔じゃないといけないのです。……何かで読んだ記憶があります。 秀吉さんは、あの人は非常に困ったことに~~二代で終わってしまいましたけどね。……興味深いお話、ありがとうございました。「農民の出」であるが故の苦労は人一倍だったのでしょうね。ますます尊敬しますね。 「秀吉には指が6本あった」という伝説がありますが、稀にある多指症だったという説と、秀吉を人間扱いしない公家や武士の差別を象徴した話であるという説がありますね。……伝説なのですか???「6本指」だと信じることにしていました。でも「6本指」だったら、本当に人間扱いされていなかったかも。桜木紫乃の「ブルース」という小説にも、「6本指」の主人公が登場しますが、この小説を読んで、ふと、秀吉もやはり「6本指」だったのではないかと信じるようになりました。小説とは全く関係ないのですが。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (378/1169)
回答No.2

姓を賜るのは制度としては無いでしょう。 部下操縦の処世術として天智天皇が考えたものと思います。 領地を与えないので、懐は痛まなくて、忠誠心への効果は甚大かと。 姓を下賜する例は極少ですが、自分の名の一字や家紋を与える、等々 部下の忠誠心を繋ぎ留めるのにトップは苦心してますね。 これらの、最初の例が「藤原」の姓を与えた事の様に思えますが。

5555www
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (378/1169)
回答No.1

1.格別の功績が有った人に、姓を与えられます、当然、凄い事です。 2.元々、実力が有った上に姓を賜ったのですから、鬼に金棒です。 3.豊臣秀吉の豊臣。

5555www
質問者

お礼

ありがとうございました。質問の仕方が悪かったのかもしれません。すみません。文字で表現するのが難しいです。 1. 格別の功績が有った人に、姓を与えられます、当然、凄い事です。……「格別の功績が有った人に、姓を与えられる」という制度が、当時、あったのか???そして、そのことが「すごい」と周囲に認識させるようなことだったのかという疑問なのです。 2.元々、実力が有った上に姓を賜ったのですから、鬼に金棒です。……そうですね。愚問だったかも。でも、藤原氏の繁栄は、そんなに単純ではないような気がしての質問でした。 3.豊臣秀吉の豊臣。……そうでしたね。まったく、知識がないので、思いつきませんでした。でも、「豊臣」の場合は、「下賜された」というより、「もぎ取った」という印象が。

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