• 締切済み

--国語の問!--

暇潰しにお付き合い願えますと幸甚です ᖤ(_ _)ᖢ --------------------------------- ある人は科学をもって現実に即したものと考え、芸術の大部分は想像あるいは理想に関したものと考えるかもしれないが、この区別はあまり明白なものではない。広い意味における仮設なしには成立しえないと同様に、厳密な意味での現実を離れた創造は 不可能であろう。科学者の組み立てた科学的系統は畢竟するに、人間の頭脳の中に築き上げ造り出した建築物製作品であって、現実そのものでないことは哲学者を待たずとも明白なことである。また一方において芸術家の製作物は、いかに空想的のもので も、ある意味において皆現実の表現であって、天然の法則の記述でなければならない。俗に絵そら事という言葉があるが、立派な科学の中にも、厳密に詮索すれば絵そら事は数え切れぬほどある。科学の理論に用いられる方便仮設が現実と精密に一致しなくてもさしつかえないならば、いわゆる絵そら事も少しも虚偽ではない。分子の集団から成る物体を連続体と考えて、これに微分方程式を応用するのが不思議でなければ、色々の斑点を羅列して物象を現すことも少しも不都合ではない。 ------------------------------- 上の文を読み以下の要旨のうち最も適当なもの(A)とそれに近いと思うもの(B)一つを選んでそれぞれ番号で答えてみて 1. 科学は現実に即したものであり、芸術は想像を主とするものである。 2. 仮説なくして科学は成立し得ないと同様、想像なくして芸術は成立しえない。その点両者互いに相一致するものがある。 3. 現実的な科学の中にも多分に空想が含まれ、空想的な芸術の中にも多分に現実味が含まれているものである。 4. 科学と芸術とは、それぞれ現実に即する仮説・想像によって成立するものであって、その点互いに相一致するものがある。 5. 科学において現実をはなれた創造がないと同様、芸術においても現実をはなれた空想はない。 6. 科学と芸術とはそれぞれ現実を超越した仮説・想像によって成立するものであって、その点互いに相一致するものがある。 (A): (B):

みんなの回答

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9717/12085)
回答No.1

最初、「4. 科学と芸術とは、それぞれ現実に即する仮説・想像によって成立するものであって、その点互いに相一致するものがある。」がどちらかに入るのではと迷いましたが、最終的には、これは「落とし穴」であろうと考えて、次の回答となりました。 (A):「5. 科学において現実をはなれた創造がないと同様、芸術においても現実をはなれた空想はない。」 (B):「3. 現実的な科学の中にも多分に空想が含まれ、空想的な芸術の中にも多分に現実味が含まれているものである。」

EH1026TOYO
質問者

お礼

Nakay702 様 国語の問にご参加いただきありがとうございます。 採点結果:0点/10 今回の問は、深読みしすぎちゃいましたでしょうか・・!? 他に参加者が出てこないのでこれにて〆切といたします。 有難うございました。

EH1026TOYO
質問者

補足

補足欄をお借りします 勝手乍ら・・、 (A)(B) 各5点の10点満点で採点させていただきます ・・とは言うものの、小生にその能力は無いので(「問いの答」として記載されているもの)と照らし合わせます。 暇潰しの「お遊び」と割り切っていただいて、ご容赦くださいませ <(_ _)> 点数はお気になさらぬ様・・!

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  • --国語の問!--

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  • --国語の問!--

    暇潰しにお付き合い願えますと幸甚です ᖤ(_ _)ᖢ ↓の文章は、一つの文章を五分し、その順序を前後してA~Eの符号をつけたものである。 ------------ A: 端的にいえば、幸福いわゆる快楽に背いて、かえってそれの超越において求められねばならぬこととなります。 B: したがって、衝動的な快楽の欲求を高尚な精神的欲求に従属させることが必要になりますから、幸福へ至る近道はいわゆる快楽への衝動を抑制すると共に、何人の生涯をも脅かすさまざまな不幸に動じない精神を涵養するにあります。 C: 快楽はいつも苦痛と結びついているもので、純粋な快楽というものはありません。言わば苦痛の代償なしには快楽はえられないのであります。食欲の快楽にはお腹のすいている事が必要であり、休養を楽しむには先ず働かねばならない。純粋な快楽というものはなく、それは苦痛との関係において成り立つものですから、快楽を追及すると快楽でなくなってしまいます。 D: かくして、快楽論者といわれる哲学者の抱いた賢者の理想が外部から累されざる、静かな快楽とならざるをえなかったわけであります。 E: 又、一時的快感では幸福とはいえず、幸福といわれるのには少なくとも永続的で全生涯を通じて在るような静かな種類のものでなければならない。そうすると、重 点は身体的快楽にではなくして、精神的快楽に在ることとならざるをえません。 ------------------------- これをもとの文章にするには、どのような順序にすればよいか。 正しいと思う順序を(例:A-B-C-D-Eのように)並べてみてください。

  • --国語の問!--

    暇潰しにお付き合い願えますと幸甚です ᖤ(_ _)ᖢ どの様な回答を付けますか・・? 回答案を示してみてください・・! ---- (高村光太郎 「道程」 より) 黙って刃物を研いでいる     ・・・1 もう日が傾くのにまだ研いでゐる ・・・2 裏刃とおもてをぴったり押して  ・・・3 研水をかへては又研いでゐる   ・・・4 何をいったい作るつもりか、   ・・・5 そんなことさへ知らないやうに、 ・・・6 一瞬の気を眉間にあつめて    ・・・7 青葉のかげで刃物を研ぐ人。   ・・・8 この人の袖は次第にやぶれ、   ・・・9 この人の口ひげは白くなる。   ・・・10 憤りか必至か____か、    ・・・11 この人はただ途方もなく     ・・・12 無限級数を追ってゐるのか。   ・・・13 ------------------------------------------------ 問1. 下線部に入れるのに最も適切な言葉は? ア)悲嘆 イ)無心 ウ)偶然 エ)哀惜 オ)邪念 問2. この詩の主点となっている行(1~13)を一つ選んで番号で・・ 問3-1. 全体として何をうたったものか、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)研ぎつづける人 イ)永遠の時間 ウ)ゆるぎない信念 エ)労働のはげしさ オ)下町情緒 問3-2. それをどんなふうにうたったか、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)説明的 イ)理知的 ウ)象徴的 エ)絵画的 オ)暗示的 問4. この詩を読んでどの様な感じを受けるか、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)憤りをこめ、いらだった感じ。 イ)さわやかな、新鮮な感じ。 ウ)きびしい精神力を秘めた、静かな感じ。 エ)けだるく、無気力な感じ。 問5. 無限のおもいをこめて研がれるのは何か、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)刃物 イ)作者の技能 ウ)作者の錆びた心 エ)作者の憤怒の心 オ)作者の芸術意欲