--国語の問!--暇潰しに参加頂けますと幸甚です

このQ&Aのポイント
  • 読解の態度と現象についての説明
  • 読解の段階ごとの特徴と意味
  • 読解の究極的な目標と共通の結合
回答を見る
  • ベストアンサー

--国語の問!--

暇潰しに参加頂けますと幸甚です ᖤ(_ _)ᖢ 問に回答を付けてみてください ↓の文章を読んで、後の問に答えてみて・・ ----------------------------------------- 読解の働きは、便宜上これを分析的に考える時、その第一段階においては、もっぱら我れを抹殺して他を読むのでなければならない。しかしこれは単に読解皮相面にすぎないのであって、我れが書を読むというよりは、むしろ我れが書に読まれるのである。この段階において把握せられる意味は、吾人のいわゆる語のロゴス(合理性・普遍性)的契機を出ないものであって、未だ単に抽象的な普遍性の域を脱する事ができない。われわれはこの表層を超えて、さらに我れを読む深層に徹して行かねばならないのである。しかしながらこの自我への転換が、いまだ中道にとどまる限り、それはもとより読解の究極ではなくて、かえって人々をして個人的恣意の世界に孤立せしめることとなるであろう。一人よがりの解釈、得手勝手な解釈がすなわちこれである。われわれはさらに我れを読むの底に徹し、我れの体験の中に他の体験を行じ、他の体験の中に我れの体験を発見しつつ、もはや我れもなく他もない自他合一の境地にまで透徹しなければならない。これが読解の第三段階である。 ------------------------------------------ 問1.次に示す読解の態度、またはそれにともなう現象は、前述の三段階のうち、それぞれどの段階に属するのであろうか。その段階を数字(1・2・3)で答えてみて a おのれを忘れて他を読む。 b 他を忘れて我れを読む。 c 虚心坦懐に客観的な意味を受容する。 d 客観的な文献の背後にひそむ体験と同一の体験を探索する。 e 言語の持つ普遍的な意味や、文法の法則を承認し、これにしたがって与えられた文章を読解する。 f 自己の主観の城郭にとじこもって読解に努める。 g 人はこの段階において、抽象的普遍性の把握にとどまる。 h 人はこの段階において、具体的な客観性と普遍性を把握する。 i この段階にとどまることは、本来社会を成立せしむべき言葉が、かえって人々をして社会から分離させる。 j 人々はこの段階において、いちおう個々に分離する。 k 人々はこの段階において、すでに自他共通の事実、または道理のもとに結合される。 ---------------------------------- 回答欄 a - b - c - d - e - f - g - h - i - j - k - -------------------------

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9728/12102)
回答No.1

いつも興味ある問題をありがとうございます。 迷ったところが数か所ありました。特に、hは、2か3かなかなか決められませんでしたので、最後は「占い風に」決めました! (^o^!) 回答欄 a -1 b -2 c -1 d -3 e -1 f -2 g -1 h -3 i -2 j -2 k -3 -------------------------

EH1026TOYO
質問者

お礼

Nakay702 様 国語の問にご参加いただきありがとうございます。 採点結果:11点/11 凄い・・!! パーフェクト・・!! 他に参加者が出てこないのでこれにて〆切といたします。 有難うございました。

EH1026TOYO
質問者

補足

補足欄をお借りします 勝手乍ら・・各1点の11点満点で採点させていただきます ・・とは言うものの、小生にその能力は無いので(「問いの答」として記載されているもの)と照らし合わせます。 暇潰しの「お遊び」と割り切っていただいて、ご容赦くださいませ <(_ _)>

関連するQ&A

  • どなたか出典をご存じないでしょうか。

    古い大学入試問題で見た文章です。全文を読みたいのですが、どなたかご存じないでしょうか。 読解の働きは(中略)、その第一段階においては、もっぱら我を抹殺して他を読むのでなければならない。しかしこれは単に読解の皮相面にすぎないのであって、我が書を読むというよりは、むしろ我が書に読まれるのである。(中略) 我々はこの表層を超えて、さらに我を読む深層に徹していかなければならないのである。しかしながらこの自我への転換が、いまだに中道にとどまる限り、それはもとより読解の究極ではなくて、かえって人々をして個人的恣意の世界に孤立せしめることになるであろう。一人よがりの解釈、得手勝手な解釈がすなわちこれである。われわれはさらに我れを読むの底に徹し、我れの体験の中に他の体験を行じ、他の体験の中に我れの体験を発見しつつ、もはや我れもなく他もない自他合一の境地にまで透徹しなかればならない。これが読解の第三段階である。

  • 一般人の読解力

    このgooに質問しまして、あるいは他の質問回答を読んできまして、やはり感じますことは、読解力に問題はないのか?ということです。 質問文にわかりにくいものとか、質問の内容がなっていないものとか、聞くべきではないこととか、そういう問題外質問は例外として、ちょっと読み込めば取り違えることはないような質問に、多くの人が取り違えて勝手な解釈で答えている、そんな状況がよくあります。 これは、いろいろな解釈があるかと思いますが、私としてはやはり「読解力」が大きな要素ではないかと感じます。なぜなら、心にバイアスがかかっていて、質問が「こういうことだろう」という自分よりの解釈をしがちな場合でも、文章そのものを把握する力が十分であれば、それをカバーして勘違いを防ぐことができるのではないだろうか。 もちろんほかの要素もあります。心をまじわすことをしないとか、一方的な解釈意見を押し付けがちとか、所詮gooにまじめに答えることなどばかばかしいとか大いにあると思いますが、しかし、斜め読みしたって、質問文がかなりの悪文であり誤文であっても、なお「読解力」が聞いてくるのではないかと。 そういう意味で、日本人一般の読解力と言うのは、かなり危ない状況になっていないでしょうか?

  • --国語の問!--

    暇潰しにお付き合い願えますと幸甚です ᖤ(_ _)ᖢ ↓の文章は、一つの文章を五分し、その順序を前後してA~Eの符号をつけたものである。 ------------ A: 端的にいえば、幸福いわゆる快楽に背いて、かえってそれの超越において求められねばならぬこととなります。 B: したがって、衝動的な快楽の欲求を高尚な精神的欲求に従属させることが必要になりますから、幸福へ至る近道はいわゆる快楽への衝動を抑制すると共に、何人の生涯をも脅かすさまざまな不幸に動じない精神を涵養するにあります。 C: 快楽はいつも苦痛と結びついているもので、純粋な快楽というものはありません。言わば苦痛の代償なしには快楽はえられないのであります。食欲の快楽にはお腹のすいている事が必要であり、休養を楽しむには先ず働かねばならない。純粋な快楽というものはなく、それは苦痛との関係において成り立つものですから、快楽を追及すると快楽でなくなってしまいます。 D: かくして、快楽論者といわれる哲学者の抱いた賢者の理想が外部から累されざる、静かな快楽とならざるをえなかったわけであります。 E: 又、一時的快感では幸福とはいえず、幸福といわれるのには少なくとも永続的で全生涯を通じて在るような静かな種類のものでなければならない。そうすると、重 点は身体的快楽にではなくして、精神的快楽に在ることとならざるをえません。 ------------------------- これをもとの文章にするには、どのような順序にすればよいか。 正しいと思う順序を(例:A-B-C-D-Eのように)並べてみてください。

  • --国語の問!--

    暇潰しに参加頂けますと幸甚です ᖤ(_ _)ᖢ 問に回答を付けてみてください ↓の詩を読んで後の問に答えてみて --------------------------- 1  冬の夜道を 2  一人の男が帰ってゆく 3  はげしい仕事をする人だ 4  その疲れきった足どりが 5  そっくり 6  それを表している 7  月夜であった 8  小砂利を踏んで 9  やがて一軒の家の前に 10 立ちどまった 11 それからゆっくり格子戸を開けた 12 「お帰りなさい」 13 土間に灯が洩れて 14 女の人の声がした 15 するとそれに続いて 16 何処か部屋の隅から 17 一つの小さな声が言った 18 また一つ別の小さな声が叫んだ 19 「お帰りなさい」 20 冬の夜道は月が出て 21 随分とあかるかった 22 それにもまして 23 ゆきずりの私の心には 24 明るい一本の蝋燭が燃えていた --津村信夫 「冬の夜道」より-- ------------------------------ 問1. この詩の表現形式にはいろいろの要素が含まれていると思うが、その主とした傾向は次のうちのどれか。 イ) 強い抒情的傾向 ロ) 明細な叙景的傾向 ハ) 平明な叙事的傾向 ニ) 高度な象徴的傾向 問2. 6行目の「それを」は何をさしているか イ) 冬の夜道 ロ) 一人の男 ハ) はげしい仕事 ニ) 足どり 問3. 11行目の「ゆっくり」にいかなるものを感ずるか イ) 疲労 ロ) 家族への心くばり ハ) 格子戸の重さ ニ) 疲労と安堵 問4. この詩は内容的に二つに区切るとしたら、どこで区切るか イ) 19と20との間 ロ) 6と7との間 ハ) 12と13との間 ニ) 10と11との間 問5-1. 24行目の「明るい一本の蝋燭が燃えていた」は恐らく作者の主観を象徴したものと思われるが、その内容とするところは何か イ) 労働者生活のうちに営まれる人間的なものの発見 ロ) 労働と人生との撞着を断ち切った喜び ハ) 自然と人生との偉大性を身内に発見した喜び ニ) 労働者生活のうちにある貧困性への同情 問5-2. 24の句が生まれる主とした動機は次のうちのどれか イ) 月 ロ) 声 ハ) 夜道 ニ) 部屋 ホ) 足どり -----回答欄----- 問1 : 問2 : 問3 : 問4 : 問5-1: 問5-2: --------------

  • --国語の問!--

    暇潰しにお付き合い願えますと幸甚です ᖤ(_ _)ᖢ --------------------------------- ある人は科学をもって現実に即したものと考え、芸術の大部分は想像あるいは理想に関したものと考えるかもしれないが、この区別はあまり明白なものではない。広い意味における仮設なしには成立しえないと同様に、厳密な意味での現実を離れた創造は 不可能であろう。科学者の組み立てた科学的系統は畢竟するに、人間の頭脳の中に築き上げ造り出した建築物製作品であって、現実そのものでないことは哲学者を待たずとも明白なことである。また一方において芸術家の製作物は、いかに空想的のもので も、ある意味において皆現実の表現であって、天然の法則の記述でなければならない。俗に絵そら事という言葉があるが、立派な科学の中にも、厳密に詮索すれば絵そら事は数え切れぬほどある。科学の理論に用いられる方便仮設が現実と精密に一致しなくてもさしつかえないならば、いわゆる絵そら事も少しも虚偽ではない。分子の集団から成る物体を連続体と考えて、これに微分方程式を応用するのが不思議でなければ、色々の斑点を羅列して物象を現すことも少しも不都合ではない。 ------------------------------- 上の文を読み以下の要旨のうち最も適当なもの(A)とそれに近いと思うもの(B)一つを選んでそれぞれ番号で答えてみて 1. 科学は現実に即したものであり、芸術は想像を主とするものである。 2. 仮説なくして科学は成立し得ないと同様、想像なくして芸術は成立しえない。その点両者互いに相一致するものがある。 3. 現実的な科学の中にも多分に空想が含まれ、空想的な芸術の中にも多分に現実味が含まれているものである。 4. 科学と芸術とは、それぞれ現実に即する仮説・想像によって成立するものであって、その点互いに相一致するものがある。 5. 科学において現実をはなれた創造がないと同様、芸術においても現実をはなれた空想はない。 6. 科学と芸術とはそれぞれ現実を超越した仮説・想像によって成立するものであって、その点互いに相一致するものがある。 (A): (B):

  • --国語の問!--

    暇潰しにお付き合い願えますと幸甚です ᖤ(_ _)ᖢ どの様な回答を付けますか・・? 回答案を示してみてください・・! ---- (高村光太郎 「道程」 より) 黙って刃物を研いでいる     ・・・1 もう日が傾くのにまだ研いでゐる ・・・2 裏刃とおもてをぴったり押して  ・・・3 研水をかへては又研いでゐる   ・・・4 何をいったい作るつもりか、   ・・・5 そんなことさへ知らないやうに、 ・・・6 一瞬の気を眉間にあつめて    ・・・7 青葉のかげで刃物を研ぐ人。   ・・・8 この人の袖は次第にやぶれ、   ・・・9 この人の口ひげは白くなる。   ・・・10 憤りか必至か____か、    ・・・11 この人はただ途方もなく     ・・・12 無限級数を追ってゐるのか。   ・・・13 ------------------------------------------------ 問1. 下線部に入れるのに最も適切な言葉は? ア)悲嘆 イ)無心 ウ)偶然 エ)哀惜 オ)邪念 問2. この詩の主点となっている行(1~13)を一つ選んで番号で・・ 問3-1. 全体として何をうたったものか、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)研ぎつづける人 イ)永遠の時間 ウ)ゆるぎない信念 エ)労働のはげしさ オ)下町情緒 問3-2. それをどんなふうにうたったか、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)説明的 イ)理知的 ウ)象徴的 エ)絵画的 オ)暗示的 問4. この詩を読んでどの様な感じを受けるか、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)憤りをこめ、いらだった感じ。 イ)さわやかな、新鮮な感じ。 ウ)きびしい精神力を秘めた、静かな感じ。 エ)けだるく、無気力な感じ。 問5. 無限のおもいをこめて研がれるのは何か、最も適切なものを選んで記号で・・ ア)刃物 イ)作者の技能 ウ)作者の錆びた心 エ)作者の憤怒の心 オ)作者の芸術意欲

  • --国語の問!--

    暇潰しです・・! 回答頂けますと幸甚です・・ᖤ(_ _)ᖢ (俳句問題) 流れ行く大根の葉の早さかな --------------------------------------- ↑の句に関する以下の問いについて、回答案を示してみてください・・? 問1. 季語と、その示す季節を答えてください 問2. 鑑賞・批評をして適当と思われるものの記号を選んでください a) 大根の枯葉が浮きつ沈みつしている b) 印象鮮明な写生の句 c) 作者は小川の辺で大根を洗っている d) 小川の水の早さが目に浮かんでくる e) 大根の葉をかりて時の流れの早さを嘆いた句

  • 《貴様ぁーっ!》と《おのれぇーっ!》との違いは?

     二つとも 一般に怒りを伴なって叫んでいる場合のせりふです。  《個人》という人間の問題であり 《自己同一性》のそれです。なぜなら いづれの場合も 相手に向かって     その相手よ。あなたは《自己の同一性》を見失っているではないか?   我れに還れ! そうすれば このような事態を引き起こしておいて 平   気でいるわけがないはずだ。  と訴えていると考えられるからです。(いま その正否は別とし得るでしょう。つまり 表現の問題だということにもなります)。  そして 《自他の区別》の問題にもかかわります。  【Q‐1】 前者の《貴様ぁーっ!》の場合は そのように叫ぶ自分と相手との区別がついていると言うべきでしょうか?  【Q‐2】 後者の《おのれぇーっ!》というのは 《貴様》と呼びかけるだけではなく 《相手自身》のことを言ってその自己意識を呼び起こして 事態を明らかに見てみろとでも言っているのだと考えられます。ならばこれは 自他の区別がついているでしょうか?  【Q‐3】 ただしつまりは いづれの場合も 《自分自身》を基準にして《人間》を捉えており その《おのれ》にもとづくなら 《わたしがわたしである》アイデンティティは守られるはずだという前提を置いているようです。このとき 自他の区別はついていますか?   ついているから しかも人間にとっての普遍的な人間性(自然本性)のことを大事にしようとしているのでしょうか?  【Q‐4】 近頃 このように怒りの感情を顕わにして叫ぶ人を見かけなくなったように思いますが どうでしょう? そしてもしそうであるなら それは どういうことが起こっていると言うべきでしょうか?  (α) 個人が確立し自他の区別がきちんとつくようになったから ことさら声を荒げて叫ぶ必要がなくなったのではないか。  (β) いやいやそうではなく 人びとに共通の人間性――あるいは飛躍して神の霊? あるいは仏性?――が信じられなくなったので 《おのれ》を共有することもなくなった結果なのではないか。  (γ) あるいは その他その他(?)。――《貴様ぁーっ!》と《おのれぇーっ!》とに違いがあって その違いによって事情は異なると言うべきなのだろうか?

  • 韓国語の参考書

    お詳しいかた宜しくお願いします。 韓国語の勉強を始めたものです。 日本語の古典のように、品詞と意味、接続など文法的な理屈を把握しながら、解釈したいと思っています。 接尾辞とその意味、直前にくる語の活用形? など、分かりやすく載っている参考はありませんでしょうか? 辞書を引くにも、現段階では、原形も分からず途方に暮れています。 宜しくお願いします。

  • 英検2級 勉強方法

    英検についての質問です。 もうすぐ2級を受けるのですが、2級はすでに3回も受けていて次こそは合格したいと思っています。 英検の問題は問1の空所を埋める問題とリスニングの正答率で合否が決まると聞きました。 そこで問1の勉強方法についてお聞きしたいのですが、単語よりもやはり熟語を勉強して文全体の意味を把握できるようにしたほうが良いでしょうか? それとも単語を重点的に勉強したほうが良いでしょうか? 皆様の体験談をお聞きしたいです。 よろしくお願いします!