- ベストアンサー
方丈記と論語
方丈記:鴨長明 【行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。】 論語: 子罕第九;09:16 子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜、 子、川の上(ほとり)に在りて曰わく、逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎めず。 質問:鴨長明はこの方丈記の出だしの著述にあたり、論語の上記のくだり(件り)を意識していたでしょうか?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- お礼率100% (4030/4029)
- 文学・古典
- 回答数2
- ありがとう数4
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日本古典文学全集(小学館)の『方丈記』の注釈では、万葉集1269の訛伝で拾遺和歌集・哀傷部所収の柿本人麻呂の歌「巻向(まきむく)の山辺響きて行く水の水泡(みなわ)のごとに世をばわが見る」が出典かもしれない、としています。 鴨長明は歌人ですから、論語よりそっちのほうがあり得そうな気がします。 ただ、わりと誰でも直観的に思いつきそうな言葉にも思えます。
その他の回答 (1)
- ichikawa2017
- ベストアンサー率54% (452/836)
>論語の上記のくだり(件り)を意識していたでしょうか? 意識していたかどうかということになりますと本人に聞かないと分かりませんが、おそらく意識はしていなかったでしょう。 詳しい経歴は分かっていませんが歌人として朝廷の人達との付き合いはあったようですが余り恵まれた人生ではなかったようです。 論語というのは為政者のあるべき姿を説いた書籍ですので経歴からすると恐らく関心はなかったかと思います。 当時の知識人の間では論語などよりも仏教の方か広く行き渡っていました。 方丈記と前後して生まれた平家物語の出だしも無常観に基づいて記述されています。 方丈庵に引き篭もる前に出家していますので恐らく仏教の無常観の方が論語よりも影響していたと考えられます。
お礼
ありがとうございました。 それにしても内容がとても酷似していますね。
関連するQ&A
- 鴨長明
鴨長明を神道の方かなと思って居ました。 でも、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。」という書き出しの文章が神道に関係があるのかなとも思いました。 でも、似たようなものとしては、論語第九:子罕:17「子在川上曰 逝者如斯夫 不舎晝夜」(子、川のほとりにありて曰く、逝くものは斯くの如きかな、昼夜をおかず:・・ちょいと視点と意味がちがいはするのですが)というのもあります。 鴨長明の法名があって蓮胤申されるそうです。 1.法名っていうのは、仏教のなまえでしょうか? 神道ではそういう法名はないのでしょうか? 2.鴨長明は何宗に帰依されたのでしょうか? 3.方丈記の書き出し文章は、仏教的というべきでしょうか? 神道にはこういう思想はないのでしょうか? どうかよろしくお願い申しあげます。 義理の親族の慶弔で、明日よりしばらく、初めての海外渡航を致します。対応が遅く為りますが、どうぞご寛恕いただけますように。
- ベストアンサー
- 歴史
- “来る者拒まず”
“来る者拒まず 去る者追わず” というフレーズは時折使われます。 その使われ方は使う側の何か心理決定状況を表明するみたいです。 でも本来、このフレーズはどういう意味(ニュアンス)で、どういう場合に主として使うのが適しているのでしょうか? 孔子の河のほとりに立って、ゆくものはかくのごときかな、昼夜をおかず とか 鴨長明の方丈記のようなニュアンスではないですよね。 どうかよろしくお願い申しあげます。
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 中世古典文学について質問です!
私は今レポート課題について悩んでいます。 範囲は中世時代の作品についてです。 物語、軍記ものを除いた、和歌、日記、紀行等が範囲で、私は『方丈記』について調べようと思ったのですが、先生いわく、『方丈記』はほとんど調べつくされているそうです。レポートも広がらないし、鴨長明の一生を書くのも、何か面白くないような・・・。 そこで質問です。中世文学の中でおもしろい作品や、これをレポート、論文で調べたら面白い、奥深いなど、そんな作品があったら教えていただけませんか?また、もしよろしければ、どのような事を調べたらよいか等教えていただければ幸いです。 『和泉式部日記』もどうかな?と思ったんですが、他の生徒から人気が高く、内容がかぶってしまうので・・・。(+_+) よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 文学・古典
- 方丈記
方丈記にある有名な文 「仮の庵もややふるさととなりて,軒に朽ち葉深く,土居に苔むせり.」 の「苔むせ」についてお尋ねします. 手もとの本では四段動詞「苔むす」の命令形となっているのですが,私には「命令」というニュアンスがまったく感じられず,納得できません. これはどういうことなのでしょうか. 已然形ではいけないのでしょうか. よろしくお願いいたします.
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 方丈について
曹洞宗では寺の住職さんを「方丈さん」と呼んだりしますが、本来「方丈」の意味は、Wikipediaによると、「1丈四方の面積を指す。もしくはその広さの部屋や建物の事」とあります。なぜ、この意味の方丈が、住職の意味で使われるようになったのでしょうか?ご教授よろしくお願い致します。
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- “in waters”とは何か。水か河か
O Son of Kunti, I am the fluidity in waters; I am the radiation in the moon and the sun; I am the Aum, pranava in all the Vedas. *ここで“I”といって、自己を指示しているのは創造の神としてのクリシユナです。 私達は、こういう東洋的哲理で、日月星辰や宇宙音が出てくると、水とあれば『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。』というフレーズや、『子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜』を連想します。 1. “in waters”を“in 河”と理解する事は英語でも可能ではないでしょうか? 2. もしそうだとしたら、“in waters”は複数の河になるでしょうか?
- ベストアンサー
- 英語
お礼
ありがとうございます。 論語よりも、柿本人麻呂の歌「巻向の山辺響きて行く水の水泡のごとに世をばわが見る」の鑑賞から来ているのかもしれませんね。 それにしても論語の言葉と言い回しの方のが酷似していますね。 鴨長明の分野としては論語を踏むとか、言い換えるということは蓋然性は低いのだろうとは思いますね。