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奥州藤原家の子孫について

私の家では昔から自分達は奥州藤原家の一族の血を引いていると教えられました。 けれど調べてみたところ奥州藤原家は源家に滅ぼされたと書いてあります。私たちは本当に藤原家の血を引いているのでしょうか? ちなみに住んでいるのは宮城県亘理町です。そして代々長男の下の名前に「藤」という文字を入れるというしきたりもあります。

  • 歴史
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回答No.6

奥州藤原氏で,名前に,藤の文字というと,俵の藤太氏や,俵の藤太のムカデ退治なんかを思い出しますが,戦国時代には,安土桃山時代に活躍した,会津の領主で,武将の,蒲生氏郷氏なんかが,俵の藤太の子孫を,名乗っていたということなどで有名のようです..奥州の伊達氏なども,藤原北家藤原秀郷流を,名乗っていたのでしょうか,東北地方や,中部,関東地方には,藤原北家の,俵の藤太こと,藤原秀郷流を名乗る武家が多いようです..戦国時代なんかは,武将などの,本姓の名乗りなどは,ほとんど仮冒ですから,信憑性は,低いと思いますが,奥州藤原氏が,源頼朝氏の奥州征伐で,滅ぼされたとは言え,古代~中世初期にかけて,長年,奥州で,勢力を伸ばし,繁栄していた家系ですから,奥州藤原氏の縁戚や,子孫などが,居てもおかしくはないかもしれません..安芸の小早川氏も,江戸時代初期に,断絶しましたが,小早川姓の名字の方は,現在も,けっこう居られます..徳川家康氏なんかも,家系図を,こじつけて,無理矢理,清和源氏の河内源氏の支流,新田氏などを,先祖にしていますし,なかなか,古代や,中世などから始まる,先祖の歴史を探るには,やはり,大きな姓氏や,名字に関する事典なんかを,見ないと,わからないかもしれませんし,そういった事典でも,完璧には,わからないようです..質問者様のお家の,家紋や,お宝(刀や鎧,掛け軸,古文書,手紙,着物などなど)があれば,質問者様のご先祖の,何か手がかりになるかもしれませんね‥‥菩提寺なんかにも,何か手がかりがあるかもしれませんが,NHKの,『ファミリーヒストリー』の番組なんかに,先祖について調べてもらえるよう,投稿・応募してみても,いいかもしれません..

  • jkpawapuro
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回答No.5

3代目藤原秀衡の代は頼朝に皆殺しにあったので有名ですが、初代清衡の4男清綱が亘理郡に移り住んでその末裔も生き残ってることでしょうから、亘理町にその末裔が居ても何ら不思議はありません。傍系ですが初代藤原清衡の血を引いた末裔ということになりますね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10469/32923)
回答No.4

一族全員が皆殺しになったわけでもありませんからね。都から遠く離れているのもあるわけですから、一族郎党全員というわけでもなかったと思います。 また、傍系の血筋であるってことはよくあることだと思います。NHKで「西郷隆盛の一族の末裔」という人が紹介されていましたが、西郷どんの奥さんの一族だったようで、それってつまり遺伝子的には他人ですよねという話です。 また、昔は家を買うってこともありましたし、養子などを入れることもありました。歌舞伎の市川團十郎は途中でちょいちょい養子が入っているので、初代の團十郎と現在の海老蔵(そのうち團十郎)の間にDNAの繋がりはありません。 家系図がどうなっているかだと思いますが、江戸時代から上手に家系図を詐称してくれる屋さんというのもあったそうですし、まあそういうことでもいいんじゃないかって気がします。

回答No.3

伊達政宗って奥州藤原氏の末裔だから 伊達さんの子孫は藤原氏の子孫でもあるんじゃない? それに滅びたとされる「奥州藤原氏」は「秀衡」の一族であって「奥州の藤原氏」自体は存続してます

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 質問者さんが本当に奥州藤原氏の血を引いているのか、いないのか、判断はできません。  少なくても、「滅んだ」と言われている一事をもって、「質問者さんは奥州藤原氏の末裔ではない」とは言えないのは確かです。  例えば、平氏は壇ノ浦で滅んだことになっていますが、鎌倉幕府を運営した北条氏は「平氏」です(浅学のため、北条氏が本当に清盛と血がつながっていた平氏なのかは知りません)。  あのころから今までの年数を考えれば、直系だ傍系だと言ったところで大した違いはありません。血族内だけで婚姻を繰り返すというわけにはいかないのですから、直系だと言ったところで、その血はあるかないかわからないほど希釈されています、科学的には。  最近のNHKの「姓名」をテーマにした番組によると、思い込みや口伝に誤解があったりもするようですが、一応でも口伝があり、「藤」を名前に入れる伝統があるなら、血を継いでいると言っていていいのではないでしょうか。  私なら信じます。そして、その名を貶めないように生きよう、さすがは、と言われるように生きようと努めますね。  因みに我が家は、上杉謙信に命令され、○○丸という刀を一振りもらってこの地に来たという口伝が残ります。 (^_^)

回答No.1

事実かどうか分かりませんが、秀衡の三男忠衡は兄泰衡に殺されずに平泉を脱出、北海道に渡ったという伝説があります。 奥州藤原氏は嫡流(秀衡の子)以外はほとんど記録に残っていません。 秀衡の兄弟・伯叔父の子らに関しては曖昧だったりします。 またこれも事実かどうか分かりませんが、泰衡の次男は生き延び、子孫は近世まて続いていたとのこと。 泰衡には消息不明の子が何人もいるようです。 ちょっと資料のページが検索できないので記憶が曖昧ですが、平泉を逃れた人々が主君の姓である「藤原」を名乗ったという集落があるそうです。 その中には傍流だけど奥州藤原氏の血をひいた人もいたでしょうね。

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