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音楽とは 郷愁である。
音楽とは 郷愁である。(今道友信) こう言えば 分かりやすいのでしょうか? つまり われに還ること あるいは わたしがわたしであることの固有の時を垣間見させるしらべだと言えるかと思って来ましたが ふるさとと言うと 分かりやすい。 ふるさとに帰ろうかなといったおもむきなりと。 あるいは人によっては いくつかの故郷があるかも知れない。或る程度稀有な経験をして第二・第三の故郷も出来ているかも知れない。 あるいは その帰郷の旅をオデュッセウスよろしくいくつかの回り道を通らねばならないかたちで その曲が現わしつつ調子を奏でているのかも知れない。 こう捉えると 曲に標題があろうとなかろうと いづれもともに普遍的な感覚を醸し出していると見ることも出来る。 ちょっとまとめすぎなんですかねぇ。 そう思うと 現代音楽には この郷愁が皆無ですよね? お考えになるところを述べてください。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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>音楽とは 郷愁である。(今道友信) そんな言葉を言ったひとが居たのですね。非常にいいところをついて居るように思います。 いいメロディを聞くと感じる懐かしさ、これは何なんだろうといつも思います。既視感が美を連想させると足穂が書きましたが、それと共通の(ような)何か。 何度か聴いて記憶に残る音楽が強い感動を与える(また聴きたい)のと同じ種類の構造的な脳の働きなのでしょうか。 ふるさとというはかなげで懐かしいいろんなものを連想させる言葉、短いフレーズの詩文が心に残るのとも近いことかもしれません。 心のふるさとはいくつもあります。地理的なものだけでなく、文学の中にも音楽にも友人関係にもあります。美の壷? 懐かしいという感情がどこかで美の感覚につながるそのあたりを以前からいろいろ考えていたのですが、 ブラジェロンヌさんの言いたかったことから離れてしまったでしょうか。ね
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音楽・・・ 「音を楽しむ」・・・訳なので 郷愁があるか無いか等 関係無いのでは!? 例えば 笛で ドレミを繰り返して吹いてるとしても 楽しい時は楽しいのだから・・ ドレミドレミドレミドレミ・・・・これには 郷愁等 微塵も無いでしょ・・・
お礼
ギルティ2221さんですか いえ こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 「音を楽しむ」・・・訳なので ☆ そうですかねぇ。つまり 知りたいのは その《たのしむ》の内容は いったいどういうことなのか? なんです。 自分が自分でいられればたのしいですよね。そういったことを思っていたものですから。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 例えば 笛で ドレミを繰り返して吹いてるとしても 楽しい時は楽しいのだから・・ ドレミドレミドレミドレミ・・・・これには 郷愁等 微塵も無いでしょ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ あぁ そういう意味でしたか。つまり 聞いているときにも当てはまるように思うのですが そのとき音楽に浸っているという事態のことを取り上げておられる。浸っているのだから たのしいはずである。と。 つまり そのあとと言いますか 果たしてその浸っているときというのは どういう状態なのか? なのですが。 つまりそういう意味で 音楽とは何か? になるとは思うのです。哲学としてと言いますか。・・・ どうですかねぇ。
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お礼
こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ そんな言葉を言ったひとが居たのですね。非常にいいところをついて居るように思います。 いいメロディを聞くと感じる懐かしさ、これは何なんだろうといつも思います。既視感が美を連想させると足穂が書きましたが、それと共通の(ような)何か。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 稲垣足穂ですか。しぶいですね。いっとき読んでいました。でも もう忘れたかも知れません。 わたしもまだ必ずしも今道の文章として分かっていないところがあるので そのくだりをかかげておきます。: ▼ (今道友信:想念の断章性と思想の体系性) ~~~~~~~~ [* ・・・脈絡を切るかのごとくに勝手に中略しますが・・・]私は内容のないテーマなどありえないと思うから 作曲者の意図ではなしに楽曲のテーマの内容を探索しなくてはならないと思う。 ジャンケレヴィッチも言うとおり 音楽には l'indicible (言いがたきもの) l'ineffable (脱=言表的)という《言語に絶する思い》を奏であげるところがあって それこそが実存の自己開示や神秘の自己啓示やいずれにせよパトス( πάθος )につながる思いの包摂された《音のフレーズ》の時間的展開である。 [・・・] それゆえ たとえばブルックナーの第五を聴くときそれがどのような脱言表性であるかを聴取することができるときもある。それらの経験の集積が象徴的に構造化されるとき 音楽的時間の展開の相には精神の回遊の軌跡が刻まれてくる。それを持つ人びとの意見交換によって音楽の figura (姿態)が定められてくる。 形相( forma )の時代が去ろうとするとき 音楽的思考の形相的一義性が求められないからといって テーマの内容を求めることが無意味であるとはいえないだろう。ブルックナーの第五交響曲のテーマの重い高さの重圧と悲痛な響きの深さには光を包む神秘の雲のもとに佇む人間の実存の姿が浮かぶのである。 ある人は海の竜巻の旋回する近くに度を失った船の像をみていた。それらはいずれも不完全であるがあの重厚な そしてこれでもか これでもかと説きかけるような謎の呼びかけの不可思議を何かのイメージでつかみながら その脱言表性の音楽を聴きつつその表現的塑性の根本に帰ろうとしている。それはひとつのノストス(帰郷的回帰)なのである。音楽は郷愁である。 (今道友信:思想の自己呈示としての音楽 in 今道友信編:『精神と音楽の交響 西洋音楽美学の流れ』1997 pp.38-39 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ いえいえ。次のような表現は 実感をあらわしつつ 共通の内容としても分かりやすいと感じます。そのまま再掲します。: ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 何度か聴いて記憶に残る音楽が強い感動を与える(また聴きたい)のと同じ種類の構造的な脳の働きなのでしょうか。 ふるさとというはかなげで懐かしいいろんなものを連想させる言葉、短いフレーズの詩文が心に残るのとも近いことかもしれません。 心のふるさとはいくつもあります。地理的なものだけでなく、文学の中にも音楽にも友人関係にもあります。美の壷? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
補足
デルポイの神託にて BAとさせていただきました。 もっともっとエピソードが聞かれるかなとも思っていました。 またの機会がありましたら どうぞよろしく。 みなさん ありがとうございました。