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旗本と大名
titelist1の回答
それぞれが『殿様』と呼ばれていた階級です。大名は石高1万石以上で、格の高さは大名が上です。旗本から出世して大名になった者として吉宗時代の町奉行・大岡忠相です。綱吉時代に柳沢吉保も下級藩士から側用人を経て大名になりました。 江戸初期では旗本にはなるには直参であることが必要でした。しかし、幕末になると旗本株をお金で売買するようになりました。江戸城の無血開城談判で有名な幕格の勝海舟は祖父の代に旗本株を買った家系です。 旗本の中では書院番や幕格の旗本は格が高いのです。将軍のお側近くにはべるので特別なのです。外様大名は将軍に近づくことも出来ませんでした。江戸城松の廊下で『殿様』同士が出会うと格式の差でいろいろとあったでしょうね。 格から言うと徳川御三家、徳川御三卿家、松平家、親藩大名、外様雄藩大名、幕格旗本、外様小藩大名、旗本の順です。
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