• ベストアンサー

旗本と大名

titelist1の回答

  • ベストアンサー
  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.3

それぞれが『殿様』と呼ばれていた階級です。大名は石高1万石以上で、格の高さは大名が上です。旗本から出世して大名になった者として吉宗時代の町奉行・大岡忠相です。綱吉時代に柳沢吉保も下級藩士から側用人を経て大名になりました。 江戸初期では旗本にはなるには直参であることが必要でした。しかし、幕末になると旗本株をお金で売買するようになりました。江戸城の無血開城談判で有名な幕格の勝海舟は祖父の代に旗本株を買った家系です。 旗本の中では書院番や幕格の旗本は格が高いのです。将軍のお側近くにはべるので特別なのです。外様大名は将軍に近づくことも出来ませんでした。江戸城松の廊下で『殿様』同士が出会うと格式の差でいろいろとあったでしょうね。 格から言うと徳川御三家、徳川御三卿家、松平家、親藩大名、外様雄藩大名、幕格旗本、外様小藩大名、旗本の順です。

関連するQ&A

  • 大名・旗本

    特に仲の良かった大名同士(旗本同士)・特に仲の悪かった大名家(旗本)を教えて下さい。

  • 大名・旗本

    大名・旗本の屋敷は家格に応じて門の造りなどが違ったそうですが、具体的にはどんな差異があったのでしょうか?

  • 大名・旗本の婚姻

    大名・旗本が婚姻する際、相手側の家の家格はどれくらい重視されたのでしょうか? 例えば、伺候席が大広間の国持ち大名が、柳間の大名の子弟子女と婚姻するといった事はよくあったのでしょうか。

  • 外様大名と旗本・御家人疑問

    荒木又右衛門や大久保彦左衛門等 江戸初期を扱った時代劇ドラマで 外様大名と旗本・御家人は 反目していて 仲が悪かった 特に旗本は外様大名を目の敵にしていた と言うのがあったのですが 質問(1) 当時、外様大名と旗本・御家人が 実際に対立したり反感を持っていたり していた事があったのでしょうか? 質問(2) (1)があったとしたら 両者が両者が対立したり 仲が悪かった原因は どんな事でしょうか? 質問(3) 外様大名の分家で 旗本に取り立てられた家がありますが そう言うのは 外様大名、旗本・御家人 どちら派になるのでしょうか?

  • 大名・旗本

    大名同士はどう呼び合っていたのでしょうか? 例えば島津修理太夫と伊達陸奥守は互いにどう呼び合っていたのでしょうか? 「陸奥殿、薩摩殿」でしょうか?「薩摩守殿、陸奥守殿」と「守」をつけて呼んだのでしょうか? 「島津殿、伊達殿」と苗字で呼ぶ事もあったのでしょうか? 守名乗りをしない旗本同士だとどう呼んだのでしょうか?

  • 大名・旗本・御家人

    大名・旗本・御家人の次男・三男以下は、他家の養子となる以外にはどんな身分で生きていったのでしょうか? 農民の次男以下の場合はどうだったのでしょうか?

  • 大名・旗本と養子

    大名・旗本が無嗣で養子を迎える際、親戚に相応しい男子があっても持参金目的で他家から養子を迎えるという事はよくあったのでしょうか。 それとも持参金より血統の方が重視されたのでしょうか。

  • 旗本

    旗本で、大名の姫を妻に迎える事はあったのでしょうか?逆に、大名が旗本の姫を正室に迎える事はあったのでしょうか? 吉良少将の妻が上杉家出身だったり、附家老や吉川家の正室が大名の娘だったりしますが、旗本や万石以上の陪臣が大名の姫を妻にするのは一般的だったのでしょうか?

  • 仲介者としての旗本

    大名は幕閣に大して何か述べる際に、直接老中に物言わず親密な旗本を介して老中と内々にやり取りすることがあったようですが、大名が旗本に頼んで幕閣との仲介役をやってもらう事は一般的だったのでしょうか? そういった旗本は老中とも接する機会の多い、ある程度の要職に就いている人物を大名家も頼みにしたのではないかと思うのですが、旗本側からしたらどういったメリットがあって仲介の労を担ったのでしょうか?

  • 大名が減封により一万石未満になると自動的に旗本になるの?

    大名が減封により一万石未満になると自動的に旗本になるの? 「安芸福島(正則)家は度重なる大減封で三千石の旗本にまで身を落とした」 そうですが、旗本とは大雑把に言って知行一万石未満の“直参”ですよね。 明確に外様である福島家が直参というのは非常に違和感がありますが、 ともかく福島家は以後旗本として続いたようです。 大名が減封により一万石未満になると自動的に旗本になるということなのでしょうか。 一万石未満の“外様小名”(とでも言えばいいのでしょうか)という家はありえないのでしょうか。 頓珍漢な質問でしたらごめんなさい。