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既出ですが「生きる意味」について

mas-georgeの回答

回答No.10

明らかなことは、 誰一人、それを分かって生まれてこない。 価値観は全て後付け。人類の歴史。 人間は、自分のからだひとつさえ、思い通りにならない。 息を止めても、心臓までは止められない。 何時の間にか人が存在してて、誰もその意味を知らない。 ここから先はわたしの意見 宇宙は自然に出来たにせよ、神さまが創作したにしても、空間と時間は相対的、完全なのは神だけ。 ビッグバン以前は神しかいなく、宇宙が終われば、神だけが残る。 その間にみんなが夢見たいなものを共有している。 そんな気がします。

KOMATA333
質問者

お礼

ご意見聞かせていただきありがとうございます。 ”息を止めても、心臓までは止められない” ここに何か真理が潜んでいそうですね。 ただ、集団自殺をするような異端(社会的には)も時折 発生する(させられる?) 回答者さんの 「宇宙が終われば、神だけが残る。」という持論が好きです。 私が考えていた宇宙の起源は(ばかばかしかったらごめんなさい) すごく巨大な何かが存在しているその世界(宇宙、地球も含まれる)は いまだ夜で(またはくらい室内)、時間の流れが想像をはるかに超えて 地球(宇宙)よりも遅い。 そしてそこに存在する巨人のような生命体が「おなら」をして それがただ広がっているだけ。 宇宙の起源は巨人の肛門で ただくらい「その空間」でおならが徐々に広がっているだけ。 その中にある塵や細菌みたいなものが銀河系や惑星で 単なる化学反応を起こしている・・・ だからしばらくしたら朝が来て、または広がりすぎて薄くなり 存在すら忘れられ消えていく。 宇宙なんて考えてもわからないから このくらいが頭も心も楽になるかな、、なんて思ってもいます。

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