努力という言葉は禁句?

このQ&Aのポイント
  • 努力という言葉を使うと従業員から反論されることがあります。
  • 能力や才能の格差よりも努力の格差で人は成長するという信念を持っています。
  • 努力の大切さを伝えるために話すことがありますが、敬遠されることがあります。
回答を見る
  • ベストアンサー

努力という言葉は禁句でしょうか?

うちの従業員に努力という言葉を使うとやんわりと反論します。 自分は常日頃、能力や才能の格差より、努力の格差で人は成長すると信じています。 自分はあんまり能力がないと思ってるような人に励ます意味で努力の大切さをさらりと話すのですが、敬遠されてしまいます。歯がゆいです。なぜ努力を人に言われるといやなのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • utyatopi
  • ベストアンサー率49% (1127/2257)
回答No.5

おばさんです。 >努力の格差で人は成長すると信じています。 正論だと思います。 ですが・・・正論すぎることだから…ではないでしょうか。 貴方は経営者(上司)側として、純粋に努力の大切さを<さらり>と話しているつもりでも、雇用されている立場の従業員(部下)側としたら、その言葉は<努力しろ>と<押しつけ>になっているのです。 同じ対等の立場なら、貴方の言わんとすることは伝わるでしょう。 ですが、立場が違えば、意味合いは大きく違ってくるんです。 経営者(上司)側が努力の大切さを話せば、そんなつもりは全くなくても、従業員(部下)側は努力が足りないと言われている…と、捉えます。 従業員(部下)側の仕事に<満足していない>から、努力が大切という言葉になる…と、捉えられるんです。 言われた従業員(部下)側にしたら、やった仕事は<認めてもらえず>もっと<努力しろ>と、経営者(上司)側から<命令>されているようなものなんです。 考えは正しくても、立場を考えて話すことや、話す相手を考えることも必要だと思います。 また、話をされる時には、最初に相手を<充分に認めてから>にされた方が、良いかと思います。 ただ、残念ですが、その人その人の考え方、取り方もあります・・・。 ご参考までに…。

syoupenhaua
質問者

お礼

>貴方は経営者(上司)側として、純粋に努力の大切さを<さらり>と話しているつもりでも、雇用され >ている立場の従業員(部下)側としたら、その言葉は<努力しろ>と<押しつけ>になっているので >す。 そうかもしれませんね、難しいですね。 本気でよくなって欲しくていっているのですけどね。 もう少し私が辛抱しないといけないのでしょうね。

その他の回答 (5)

  • kae531274
  • ベストアンサー率26% (12/45)
回答No.6

こんにちわ^^ 質問者がおっしゃるとおり、「能力や才能の格差より、努力の格差で人は成長する」 という点では、私も同感です。 NO.1の方の意見と少し似ていますが、相手がそういったタイプの人であれば、自分の 働きや成果を否定されたと誤解したり、劣等感が強まったりと、プレッシャーになるだけ のような感じがします。 正論だからこそ、人によってはそれが圧迫に感じることもあるのではないでしょうか。

syoupenhaua
質問者

お礼

難しいですね。 私が努力を語る相手は選んでいます。 それは人の格差は生まれ持った「能力や才能の格差」だと思ってるような人に話します。 もとより努力している人には話す必要もないし、努力家はすぐ受け入れてくれます。 なかなか受け入れてくれないのは、家庭や社会や学歴や能力のせいにしている人達なのですね・・・・。

  • twbb
  • ベストアンサー率42% (76/179)
回答No.4

私にとって努力というのは苦手な分野ですので、従業員の方の気持ちもわかる気がします。 努力ということばからは、目標や具体的な内容が消えていて捉え難いイメージがあります。 言葉としては、努力よりも挑戦や研究、あるいは試行錯誤などの言葉の方が より積極的で具体的で達成感を期待できる楽しいもののように感じられて好きです。 人は自分を認めてくれる人の為に働くものです。 自分を認めずに努力ばかりを求めてくる人の為に働こうとはしないものです。 「あの人の喜ぶ顔がみたい」そんな気持ちの結果が努力です。 本人の成長の為に努力は必要であると言いたいのかと思いますが、 自然と努力するような環境を与えてあげることが大切だと思います。 結果には必ず原因があるのなら、努力を原因にするのではなく結果を努力にするべきかと思います。

syoupenhaua
質問者

お礼

>自然と努力するような環境を与えてあげることが大切だと思います。 いいお話ですね、そうですよね努力せざるを得ない環境に放り込むこと大事ですね。

noname#205122
noname#205122
回答No.3

 「自分は常日頃、能力や才能の格差より、努力の格差で人は成長すると信じています。」……おっしゃるとおりだと思います。  「自分なりに努力しているつもり」の人は、その言葉に反発する意味で、あるいは「努力をしていない」と自覚をしている人は、図星を突かれたという意味で、「努力しろ」と言われると嫌な気分になると思います。  「自分はあんまり能力がないと思ってるような人」は、自分の能力のなさを努力ではカバーできないという意味で、やや自嘲気味に、敬遠してしまうのではないでしょうか?  人間の心理として、誰でも「嫌」ですよね。特に、職場で上司から言われるのは尚更ではないでしょうか?原因は分かりません。「格差社会」……努力しても、どうにもならないという閉塞感、現代に豊臣秀吉は生まれないという思い……が生んだ弊害の一つと言えるかも知れません。「時代」のせいにしてしまうのは、簡単ですが、社会のいろいろな現象、事象に、日本の社会や人間が崩れてきているのを感じます。  解決策は私の能力、経験からは、残念ながら示せません。あなたの人間性と、言っていることの正しさを理解してもらうまで、「諭し続ける」以外に方法ははないのではないでしょうか?  

syoupenhaua
質問者

お礼

>努力しても、どうにもならないという閉塞感 この言葉あたりになにか努力の無意味さを感じる人が多いのかもしれませんね。 僕の持論は努力って楽しいことだよと思っていまして、大抵のことはこの努力で成し遂げられることを 体験してきていますから、余計強調したいんですね。 少し話しを下げると、19歳のとき26歳の年上美人を1年かけてベットインまで持っていったことを今でも努力が奇跡を起こしたと思っているのです。 結婚願望が強い女性でしたので、はなから相手にされなかったし、もてていた女性でした。 いやがられない距離間を維持し徐々に距離をちじめていく努力の過程がとても楽しく、並居るライバルに勝ちました。抜群の努力をしたからでそれ以外ないと思っています。 恋愛でさえ努力でなんとかなる、ましてや仕事なんてたやすいと解いても、いい反応がありませんね。

回答No.2

その答えは至極簡単です 努力する気がないからです

syoupenhaua
質問者

お礼

そうかもしれませんね。 馬の耳に念仏ですか

  • JqqF
  • ベストアンサー率24% (159/656)
回答No.1

誰かから、努力をしなさいと言われることは、今のあなたは努力していませんよ、と言われているのと同義なので、否定として受けれとれます。つまり本人が、今している努力を認めて貰えなかったと感じるのです。すると、言われた人の自己評価が落ちるので、その悩みが行動力を低下させるのです。 では、どのような言葉がその人の状況の対処に相応しいかと言うと、難しいですね。その状況を的確に掴み取るセンスが必要です。提案として、「ドンマイ」は如何でしょうか?

syoupenhaua
質問者

お礼

>提案として、「ドンマイ」は如何でしょうか? 久しぶりに出会いました。 自分が期待している人物に「努力って努力そのものに幸福を感じるとと思うんだよね」とメールしたら、 「私の好きな人の言葉に(努力は賞賛に値するが評価に値せず)というのがあります」と返信してきました。反発してんのか!この野郎!もう目かけないぞ!と思ったものです(狭量なのでございます)。

関連するQ&A

  • 「努力する」って「才能」???

    『努力するのに才能がいらないと思うのは、努力する才能を持っているからじゃないですか? 才能ってのは、いわば能力なんで、それを持っている人は持っていない人のことなんて分からないものですよ。』 どう思います???

  • 努力できることも才能?

    前に先生が「努力できることも才能なんだよ」といっていたのですが本当でしょうか? 自分の中では 才能=生まれつき持っている能力 のように捉えています。 だから先生の言っていることが本当だとしたら、「努力ができるかできないか」ということも生まれつき決まっているということになり、人は生まれた時にできることが決まってしまうような気がします。 皆さんは正しいと思いますか?

  • 人間、努力さえすれば何でも報われる?

    漠然とした質問ではありますが、人間努力さえすれば報われるのでしょうか?身体的なことは不可能だとは思いますが・・・。 例えば司法試験を何年していても受からない現実があるのは、やはり努力だけでは無理ということでしょうか? 素質や才能、やはり人それぞれであり、能力と言う意味では限界があるのでしょうか?

  • 努力という言葉

    世の中、努力しない人には厳しいです。それは理解できます。 努力しても結果が出ない人にも厳しいです。 僕は努力が報われず、最後の最後で駄目になったことがありました。 報われない努力。 世間は結果が出なければどんなに努力をしていても認めない。 それがわかっているからこそ、僕は自分が情けないと思ってしまいます。 結果が出ない努力など無意味…という。 でも、僕自身はダメでも、誰かが努力していて、それでも結果が出ていないことを情けないとは思えないんです。 なんというか、ミスっても、空回ってても、一生懸命やってる人は僕は認めてあげたい。 こんな考え、甘いですか?

  • 努力は何のためにあるか

    努力はなんのためにあるかと訊けば、「うまくなるため」とか「夢を叶えるため」と言う人が多いと思います。 確かに努力しないと成長はないでしょう。夢をかなえるには努力は必要です。 しかし、努力すれば必ずうまくなるとは限らないし、努力したって夢はかなわない方が多いです。 なので、努力の意味はうまくなるためや夢をかなえるためが本質ではない気がします。 僕は努力の真の意味とは「かっこよくなるため」だと思います。 逆上がりができない子が練習して逆上がりができるようになるとその子はカッコいいと誰でも思うでしょう。 上手くなろうとして夢に向かって頑張っている人はみんなキラキラしています。 たとえ上手くなれなくても夢をかなえられなくても努力してきた人はそれだけで輝いて見えます。 誰でもどんな人でも努力すれば絶対今よりもかっこいい自分になれます。 「今の自分にかっこよくなるため」が努力の真の意味だと思います。 こんな僕の考え方について皆さんはどう思いますか? 皆さんならば、努力は何のためかと訊かれたらどう答えるでしょうか?

  • 人生は努力?才能?運?

    人生で成功するためには、要するに勝ち組になるためには 何が必要であろうか? 努力、才能、運とも必要な要素であることは間違いないだろう。 その中でも一番重要なのは何であろうか? 恵まれた国の人の感覚であれば、【努力】と答える人が多いかもしれない。 それは、誰にでもチャンスがあるからだ。 が、しかしチャンスにも恵まれない、生きていくのにも過酷な国の人なら 【運】と答える人が多いのではないだろうか? 僕も最近テレビをみてて、実感することがある。 AKB48のような低俗で幼稚なアイドルが売れているのをみると、世の中は つくづく運だな~と思う。 はっきりいって彼女らは、才能もないしそれほど努力もしていない。 しかし、これだけ売れるのは彼女らの能力ではなく、運がよかったのだと思う。 ちなみに、僕が考える人生の努力、才能、運の割合は、努力10%、才能20% 運70%でしょうか。 みなさんはどーおもいます?

  • いわゆる「格差」と言うのは努力の差なのでしょうか?

    「格差座性を!」と言う人は 今まで自分が努力してこなかったことに対する 僻みや妬みや負け惜しみみたいなものなのでしょうか? 本人の努力次第でとりあえず自分だけは格差を無くすことができますよね?

  • 努力が出来ない

    コツコツと努力することがとても苦手です。 自分に甘く、すぐにだらけてしまいます。 今正社員になる事を目指していますが、その為に何かしら仕事に関係のある事の勉強等をした方がいいのは重々承知ですが、どうしても家で自主的に努力することができません。 努力出来ることも才能だとよく言いますが、本当にその通りだと思います。 私には才能がありません…。 また同じ待遇の人がいて、その人も社員を目指していますが、その人がどんどん進んでいくのを見て心が苦しいです。嫉妬や焦燥感が生まれて気が狂いそうになります。 その人の事を嫌いになりたくないので、情報を入れないようにイヤホンしてシャットダウンしたりしています…。 私だけ会社で一番仕事が出来なくて、社員でもなくて…となりそうで、最近仕事をしていてとても惨めです。 努力すればいいのは分かっています。 でも出来ない…とても苦しいです。

  • 「人間の能力が平等なら、こんなに不平等なことはない」

    一流のプロの音楽家演奏家で、努力して一流になれる人、才能に恵まれず、どんなに努力しても無理な人など、人の能力才能について語ったことなのですが、 「もし人間の能力才能がみな等しければ、こんなに不平等なことはない」 という言葉があります。この言葉は私はどう解釈していいのかよくわかりません。なにかピンと来るところがありましたら教えていただきたいです。

  • なぜ努力不足と言い切れる?

    一年くらい前の話ですが、お笑い芸人のドランクドラゴン鈴木さんが下のような発言をし、記事になっていました。 「僕は『才能がない』のがトラウマです。中高時代6年間ずっとサッカー部で誰よりも練習し努力していましたが公式戦に一度も出れず最後まで補欠で終わりました。才能のないことは努力しても時間の無駄だと感じて、サッカーボールはもちろん、柄が似ているシマウマも見たくないぐらいになりました(笑) それ以来、才能がないものはやっても意味がないと決め、努力するのをやめたんです!」 これに対してネット上でのコメントに「努力不足の言い訳だ」「誰より練習したなら試合に出してもらえるはず」「ライバルはもっと練習しているのを隠していただけだ」「努力の仕方が悪かったんだ」…等のものがけっこうあり、また、同意されてもいました。 私としては、鈴木さんの才能と努力の程度、学校のレベルを含めた環境がわからない中、自己評価を終えた人に対して「努力不足」とコメントをする人達が、どういう考えに基づいてコメントしているのかがわかりません。 努力すれば何でもできると思っている人なのか?努力の限界を見たことがない人なのか?とりあえず否定して優越感を感じたいのか? どう思われますか?