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江戸時代のお伊勢まいりについて

jkpawapuroの回答

  • jkpawapuro
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回答No.6

1すでに出ていますが、正確にはお伊勢参りの目的は必ずしも伊勢神宮ではありません。 東海道旅行が実際の目的ですが、参詣目的じゃないと通行手形がおりないのでお伊勢参りとなったわけです。 つまり単なる旅行が本来の姿です。 2概ね江戸を中心とした関東の天領の住民です。 3豪商の二男三男や隠居した元武士などの暇で経済的に恵まれたものも、当然下と思います。 すでに講が出ていますが、江戸時代の庶民は貯金の習慣がないため、多くの人間が集まってお金を出し合い抽選をし、当選したものがお伊勢参りに行きました。現在のわれわれの宝くじみたいなもので、お金に余裕があるとき夢を買うような話で籤を買い、当選したものが参詣という名目で旅行したのです。 逆に言うとそれができたのは、時間に余裕のある(というかその日暮らしの)日雇い人夫や内職で暮らしてる職人、隠居者、富裕層の二男・三男などです。

krya1998
質問者

お礼

そうですか。 そういう側面もあったのですね。 ありがとう御座いました。勉強になります。

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