• ベストアンサー

江戸時代のお伊勢まいりについて

zozokegatatuの回答

回答No.1

1>お伊勢まいりにいくというのは、三重までの道のりには、尾張や美濃 長野の温泉など、飲んで喰っての風呂に入って歓楽街や湯治場が多く点在していました。 お参りに行くというのは建前で、本来は、旅をしながら名物食って、風呂はいって楽しむことが目的でした。 それに、お伊勢にいくというと、近所中からめったにいけないとこだから 御札貰ってきてと余分に選別くれたので、銭に余裕のある旅でした。交通の便もよかったので 人気になったのです。 2>お伊勢まいりとはやし立てていたのは江戸のほうで、それ以外ではそれほどはやりません。 やはり江戸に住む人間は、他の地方より金銭的余裕のある金持ち庶民だったのでしょう。 3>伊勢までの道のりは、そりゃ金はかかります。万年長屋住まいの人間なら一生に一度いければ 御の字でしょう。なにせ何ヶ月も掛かりますから。 どちらかというと、お店の旦那さんや奥さんとかが供を連れて出かけたほうが多かったんじゃないでしょうか。

krya1998
質問者

お礼

あぁそういう側面もありましょうね。 有り難う御座いました。 聖地は賭博場や悪所とがいつも一緒って言うこの庶民の世界ですね。

関連するQ&A

  • 歴代天皇は伊勢参宮しなかった?

    歴代天皇の中で明治天皇が初めて伊勢参宮を行ったという話をききました。 それ以前の天皇はどうして参宮しなかったのでしょうか? 熊野に詣でるより先祖の神宮に詣でるのが自然と思いますし、 江戸時代にはおかげまいりが庶民に非常に人気があったのに不思議です。 よろしくお願いします。

  • お伊勢参り

    お江戸日本橋 七ツ立ち 初のぼり 行列そろえて あれわいさのさ コチャ高輪 夜明けて 提灯消す (コチャエー コチャエー) 恋の品川 女郎衆に 袖ひかれ 乗りかけ お馬の 鈴が森 (コチャエー コチャエー) 六郷渡れば川崎の 万年屋 http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%8A%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B&tid=ef14ed153affa5b1158ed2978e6a14fa&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1 お伊勢参り 江戸時代中期以降、大坂の町民らの間で、伊勢神宮を目指す旅が盛んになった。参拝者は年間数百万人との史料もある。「ひしゃく一本持てば旅ができた」といわれ、沿道の住民による接待「施行(せぎょう)」も盛んで、「おかげ参り」とも呼ばれた。街道沿いには、参拝者を迎えた石灯籠(とうろう)や宿場町が今も残っている。 質問 :お伊勢参りを主題にしているHPはないでしょうか? 質問2:七つ:午前四時ですね。高輪で夜が明けるのだそうですが何時ごろ何でしょうか? 質問3:行列揃えてという歌詞:そんな団体を編成するのでしょうか?

  • もし、皆さんが徳川家康だったら、どんな江戸時代にしたいですか?

    江戸時代にはいろんな制度がありました。 身分制度もあったし鎖国もあったし、武士、庶民の暮らしもさまざまでした。 飢饉もありました・・・ とにもかくにも、皆さんは徳川家康です。 さて、どんな江戸時代にしますか?

  • お伊勢参りに関連して

    近くの神社に江戸末期(文政十三年)の巻物が保存されていてその一部に村から伊勢参りに出かけた方の名前が記されています。その文書の冒頭に 「恒例之時参り人別但是はおかげにはあらざれども此節上方四国播州泉州・・・・・」とあります。 この時参という意味がわかりません。どなたか教えてください。

  • 武士から見た江戸時代とは?

    武士から見た江戸時代とは? 武士から見た江戸時代とはどんな感じだったんですか?

  • 江戸時代に熊野詣にかかった日数は?

    そもそも江戸時代もしくはそれ以前に江戸から熊野詣に出かけていたかどうかも含めてですが、どのぐらいの日数がかかったのでしょうか?また当時から熊野三山と言われ三ヶ所を回っていたのでしょうか?

  • 江戸時代の旅人

    江戸時代の人はどのくらい旅をしていたのでしょうか? 先祖の墓参りの旅はあったでしょうし、お伊勢詣りなどが有名ですが、どのくらい移動の自由に制約があったのでしょうか。 身分によって旅が禁じられていたりしたのでしょうか。 松尾芭蕉のような旅人は結構いたのでしょうか。

  • 江戸時代最も成功した商人は誰ですか?

    江戸時代には豪商がたくさんいたようですが、 その中で最も成功した商人は誰になりますか? 成功とは蓄財できたという意味です。 札差、淀屋、それとも三井越後屋でしょうか。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代の旅行

    江戸時代、たとえば越後のちりめん問屋が諸国漫遊の旅をするということは、許可されたのでしょうか。もし、正直に申告すると許可されないとなれば、伊勢まいりを主目的にして申告し、寄り道を楽しむという方法をとったのでしょうか。

  • 江戸時代にも「日曜日」はあったんですか?

    江戸時代にも「日曜日」はあったんですか? 江戸時代から「日曜日は休む」という生活スタイルは、庶民の間に存在 していたのでしょうか? それとも、「曜日」という概念はまだ西洋だけのものだったのでしょうか? だとすれば、江戸時代の庶民はいつ休んでいたのでしょうか? もしかして、六曜制で「仏滅は休む」とかそんな感じですか?