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江戸時代のお伊勢まいりについて

FEX2053の回答

  • FEX2053
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回答No.4

>1. 江戸庶民の間にどうしてお伊勢さんの人気があった >のでしょうか? 「伊勢講」ってのがありまして、言えば「旅行積立」ですな。 これを村落や長屋などで行い、代表者1名が伊勢参りに行く というシステムが出来上がっていたんです。 さらにそういう「旅行積立システム」を伝授する「御師」という 一種のセールスマンが居まして、「御師」に従って(別に一緒 に行かなくても口実で構わない。ただ、伊勢滞在時には自分 の所の御師に世話になる)伊勢参りに出立すると、通行手形 を容易に入手できるということもあったんです。 こういう「旅行システム」があるのは「伊勢神宮」が大手でした ので(長野善光寺や日光東照宮にもシステムがあったらしい けど、全国的なのは伊勢だけ)ので、伊勢神宮が有名だった んですね。 >2. ここで江戸庶民というのは、お江戸にいる庶民という意味で、 >他の地域の庶民は含まれていないのでしょうか。 ということなので、御師の廻った地域=ほぼ全国です。単に 経済力が江戸が一番大きかったので、「講」も江戸が一番 多かった・・・というだけです。 >3. 庶民とは“高禄の武士や豪商を除く”という意味でしょうか? ということで、「伊勢講」は基本的に武士商人ではなく、いわゆる 一般庶民で、農民や職人のシステムでしたから、「その通り」が 答えになります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E8%94%AD%E5%8F%82%E3%82%8A 更に伊勢参宮には「お陰参り」という、独特な一種の自然発生的 カーニバルがありまして、これが発生すると、庶民が奉公先から 抜け出し、資金も無いのに伊勢参りに出かける人が急増したん です。そうなると庶民を中心に数百万人が伊勢に殺到したわけで、 沿道の大商人などは、そういう人たちに無料でふるまいを行う 事が通例でした。 ですので、無一文でも「お陰参り」の時期には伊勢参宮が出来 ちゃったんですね。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%88%E3%81%88%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B 伊勢参宮と、一般的な江戸時代の旅行は、かなり異質なものです。 江戸庶民文化を考える時、「伊勢講」や「お陰参り」は非常に面白い 事象だと思いますよ。

krya1998
質問者

お礼

たいへん江戸時代の風俗と生活文化についての貴重なご知見を玩味したいと存じます。 有り難う御座いました。

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