国家間で戦争はなぜ起こるのか

このQ&Aのポイント
  • 国際平和のために設立された国連やEUが戦争に関与する現実とは何故なのか?中国のチベット侵略という逆説も存在する中で、科学の発展にも関わらず戦争が必要とされるのはなぜなのか?
  • 2つの仮説を立てて考えてみる。仮説1は国家の役割であり、国家は国民の生活保障や環境作りに責任があるとする。仮説2は紛争のメカニズムであり、政権維持のために紛争が起こるというものである。
  • この仮説は明治政府の征韓論を例に考えると納得がいくものであるが、米国が戦争を行う必要性を説明するには不十分な理論である。皆様のご意見をお待ちしています。
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国家間で戦争はなぜおこるか。

私はなぜ現代国家間で戦争が起こるのか分かりませんでした。 国連ができ、EUができたのは国際平和のためと理解しています。 しかし、現実はアメリカがイラクやアフガンを攻撃し、 EUはリビアへ軍事介入をしてます。中国はチベットを侵略しており、 言ってる理念とやってる行動が全くあべこべです。 これだけ科学が発達したのなら戦争など必要ないでしょう。 それとも、これだけ科学が発達したから戦争の幅が広がったのですか? 色々と意見があると思いますが、最近ある仮説を建てることができました。 この仮説をたたき台にしてご意見がもらえると有り難いです。 仮説1 国家の役割 国家の役割は国民に生活を保障し、子供を作り、子孫を残す環境作りにある。 仮説2 紛争のメカニズム 政権に仮説1のノウハウがない時に、政権を維持するために紛争がおこる。 明治政府の征韓論はまさに仮説2の方法だそうです。 当時、江戸幕府から政権を奪ったものの国家維持の方法は全くなかった。 有り余る失業者対策として韓国を併合したというものです。 これは現在の中国や北朝鮮のような小国にも当て嵌まり、納得がいく理論です。 しかし、米国が戦争をしまくる必要性を説くのに不十分に思われます。 皆様方のご意見をお待ちしております。

質問者が選んだベストアンサー

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  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.5

国家権力は、歴史的に言えば大規模治水にはじまるとか習った覚えがあります。 確かに、権力の本質は各個人の権益の一部(税金・労役・兵役など)を為政者に譲られるという点にあると言えます。 そして、ただで譲るのを嫌がるのが人間の性質であり、そのために洪水や戦争、私闘、犯罪、疫病から護ることを対価として約束するわけです。 いわゆる国民の生命と財産を護るという国家と国民の約束です。 アメリカの場合、国民の生命を護るという国家の役割に9.11で疑問符をつけられましたから、的外れだったにせよアフガン攻撃をしなければ国民が混乱し国家が瓦解していたでしょう。テロ対策とか一朝一夕でできませんから。 さらに、アメリカは覇権国ですから有形無形の覇権国の恩恵を国民に還元することで求心力を保っています。そして、その恩恵のひとつに軍事力に裏付けられたドルや米国債の強さがあります。 となれば、当然、定期的に軍事力を誇示する(&生意気な適性国を潰す&同盟国に見せ締める&兵器在庫一掃セール&権益の獲得&兵器テスト)のは当然なことです。

flyingbee
質問者

お礼

契約説ですね。ご回答有り難うございます。 契約説はよく引き合いに出されていて、国益論より前進した意見です。 私の仮説もどちらかというと契約論の立場からです。 その方法(特に仮説2)があまりにも拙いために 腑に落ちない面もあるわけです。 MOG777さんの意見は現実的で説得力があります。 一方で、未熟さ故に懐疑的な部分もまた存在します。 では、軍事力を誇示することが本当に当然のことなのでしょうか。 皆様の意見を拝見していて、それが人間の欲望と深く結びついていると 改めて気付かれる気がしているのです。 この辺に私の疑問に対する解があるのかもしれません。

その他の回答 (7)

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.8

お礼も拝見させて頂きました。その上で私見を述べさせていただきます。 個人的には「国益論」でしかないと思います。 ただし、このスレッドでの「国益論」には重要な観点が抜けているように思います。 質問者様の考える「国益」とは経済的に国民の生活が成り立てば国益がほぼ叶えられ、現在の科学技術はそれを上回る水準であり、欲として「それ以上」を望まなければ平和的に解決できるし、それができないのは「仮説2」による政府の機能不全によるものだとお考えなのではないでしょうか。 しかし私は「国益」といった場合に、文化的要素と宗教的要素忘れてはいけないと考えています。また現状の米国が戦争を行うのは、この二つの要素を満たすためであり、逆にEUがまとまることが出来たのも、同じ要素が影響していると考えています。 そもそも「国家」が成立し、運営できるのは質問者様の「仮説1」にあるように >国家の役割は国民に生活を保障し、子供を作り、子孫を残す環境作りにある。 というのは私も賛同します。 しかし「生活を保障する」というは、必ずしも衣食住が満ち足りている、という意味ではないと思います。そこには、先祖代々の墓を守るために必要なこと、先祖から受けついでいる田畑を守ること、自分の家系が信奉している宗教を信じることができるようにすること、なども含まれているといえます。 特に宗教的な要素は大きく、例を挙げてみれば ・インドとパキスタンの分離 ・マレーシアからのシンガポールの独立 ・ユーゴスラビアの分裂 ・北アイルランド紛争 ・スペインのバスク独立問題 など現代でも解決していない問題が山積しています。 これらを見る限り「仮説1」は以下のような修正が必要になると思います。 仮説1 国家の役割 国家の役割は国民に文化的・宗教的に継続制のある生活および、国民の総意としての文化的・宗教的価値観が保障された社会を維持し、子供を作り・教育し・価値観を共有し、その価値観に沿った子孫を残す環境作りにある。 というようなことです。 これをもって米国の戦争をみると、まさに「米国の価値観を守るための戦争」であることが浮かび上がってくるといえます。 現在までの米国が参加した戦争は時代によって意義が異なります。朝鮮戦争・ベトナム戦争・キューバ危機・パナマ侵攻までは明らかに米ソの冷戦構造を意識したイデオロギー対決であったといえます。イデオロギー対決は同時に経済的な理由による戦争ともいえますが、文化的・宗教的な意義はほとんどありません。 しかし、1989年のベルリンの壁崩壊とそれに続くソ連の崩壊により、冷戦が終結すると、すぐに宗教的にな側面が顔をのぞかせるようになります。 1991の湾岸戦争においては、宗教的な対立よりも、冷戦終結後の構造変化による戦争という側面が強いですが、1980年のイラン・イラク戦争などで元々この地域に特有な宗教的不安定さが露呈する事態にもなっています。 これらに対する米国及び西側諸国の介入が、共産国というカウンターパートナーが居なくなったこともあり、中東の各国とその国民に「不当な介入」であり「自分達の価値観を脅かす」脅威だとみなされる原因を作ります。 実際、アルカイーダなどのイスラム原理主義勢力によるテロ行為は1990年前後を境にして頻発するようになり、特に1993年2月26日、世界貿易センタービル爆破事件は米国に「新しい形の脅威・新しい形の戦争」という表現で、冷戦構造の終結と新たな脅威への対応を促すことになります。 その結果、アメリカは中東の原理主義組織とそれを裏で支える国家(アメリカ的に言えば犯罪国家)に対する戦争(冷戦同様、戦闘行為だけでない戦争)にシフトしていきます。 これが引き金となって9.11が起こり、その結果アメリカは泥沼の戦争状態に突入していき現在に至るわけですが、アメリカの言い分としては「フリーダム:freedom」でありfreedomとはアメリカの建国理念である「何人も自由に信仰することが出来る自由」のことといえます。 ブッシュ政権においては「仮説2」の「政権に仮説1のノウハウがない時に、政権を維持するために紛争がおこる。」と疑いも免れませんが(そのため9.11は国家陰謀説がいつまでも燻る) 現在の戦争継続状態に対するアメリカ国民の意識は「アメリカの価値観を守るための戦争であり、正しい戦争である」というものです。もちろん、その裏に石油利権などがあることも否定はしませんが、それ以上に宗教的価値観の違いによるテロとテロ対策という側面のほうが大きいといえます。 アメリカ以外の国を見ても「この国が隣の国と合併せずに、独立国である理由」を見てみると、大体が歴史的な経緯を含めた文化的・宗教的価値観を維持するための国家であり国境である事が見て取れます。 また、不幸にして自分達の民族的価値観を反映した国家を持つことが出来ず、所属国家と対立しているクルド民族や侵略されたと主張しているチベットなどもあります。 チベットなどは現在の経済的発展を考慮すれば、中国の自治領として存在したほうが明らかに発展できるにも関らず、宗教的な弾圧を受けるために独立を望むという構図に成っています。(個人的にはチベット独立が正しいと思っていますが、経済的利便性を別に考えると中国の自治領のほうがいいはずです) このように「国民の生活の保障」といっても、単に衣食住が整って不自由なく暮らせれば保障された、ということにはならないのです。米国は現在「自分達の価値観がテロにより脅かされている」と考えており、そのための戦争を実行しているといえますし、日本を含めて海外に派遣する米軍兵力は「自国の経済的安定性と共に自国の文化的価値を守る」ための予防的行為といえます。 日本の場合、海外から侵略されることも無くほぼ単一民族が1000年以上も独立国としてやってきていたため「文化的価値観・宗教的価値観」という部分での他国との対立が争点になったことがなく、経済的な対立もせいぜい黒船来航以来の160年程度の歴史しかありません。 ですので、日本人には「文化的・宗教的な国家の役割」が意識されることはほとんどありませんが、むしろ世界では「文化的・宗教的な国家の役割」が先であり、国民(という概念ですら近年のもの)の経済的安定はそれよりも価値が低いと考えれてきた経緯があります。(今の北朝鮮がまさにそうですね) 残念ながら人類は経済的・科学的な方法で人類の生活を安定させる方策を持ちながら「価値観の違い」で戦争をする未熟な存在なのです。

flyingbee
質問者

お礼

ご丁寧にご回答有り難うございます。 やはり国益論というよりも社会契約説で考えた方がいいようです。 仮説1はあまり詳しく書いてもゴチャゴチャするので端折った部分もあります。 中東や北朝鮮はさすがに不安定要因が大きく、対象には入っいません。 これらの途上国は先進国によって、いずれ生活水準を引き上げることでしょう。 強い者が弱い者を力で押さえつける時代は WW2で各国の植民地が消えたことにより、終結したと見ることができます。 現在問題になっている中国のチベット進行や北朝鮮の独裁などは それが取り残された部分ですね。 人類は新たな到着点に向かっていることは向かっているが、 未だに国家と国民の契約が果たせない時には 戦争しか解がないという未熟な存在とはいえそうです。

flyingbee
質問者

補足

皆さん、どうもお疲れ様でした。 特に新しい投稿もないようなので一旦締めます。 今回は大雑把な区切りができましたので 次回からは個別の質問に焦点を移していきたいと思います。

回答No.7

NO,4です。 >st_augustinusさんは国益論の立場でよろしいのでしょうか? ⇒近いのですが、国益ではなく、為政者、権力者の私欲によって国家の方向性が決まっているという立場です。国家という枠組みは、その為政者の欲求によって利用されていますから、人間の欲求がいつの時代も変わらず原始的である以上、民族の優位性の証明(隣の芝生は青い的発想)から戦争は起こります。 >人類は平和を望んでいる筈です。 ⇒前提として、これが答えとなる解を探されているのであれば、話がかみ合わなくて当然ですが、何を根拠として、人類は平和を望んでいると思われているのでしょうか。flyingbee さんもおっしゃっている通り、歴史はそれを否定しています。 >その源泉は人の欲求・・・これは仮説2と同等ですか。それとも異質ですか。 ⇒異質です。仮説2は、国家の機能が稚拙な場合という前提ですが、国家の機能が高度になろうとも、トップの欲求の方向性の問題で、戦争は起こります。 >小国はともかく、米国、日本、中国、EUのような大国はできるだけ戦争を少なくするように尽力すべきなのでしょう。 ⇒それは建前としては全うな意見ですし、平和信仰の強い日本人としては信じたい限りですが、現実はいつまでたってもそうではないと証明しています。   国益を武力で解決などという野蛮な植民地時代の考えなどは 既に終了していると思ってますが、これは私の錯覚なのでしょうか? ⇒錯覚のようです。 国益を追求する時代は後100年ぐらい続きそうですか? ならば竹島も・・・奪い返せますが、尖閣は失いそうですね。 ⇒歴史を振り返ると、何千年も続きそうですね。  今のままでは、竹島も政治的配慮とかいって、日本の為政者の志向性では、譲ってしまいそうですが・・・

flyingbee
質問者

お礼

私の各個の疑問に明快に回答して頂き、どうも感謝いたします。 まだ、国益を武力で解決する時代が続いているということですね。 >近いのですが、国益ではなく、為政者、権力者の私欲によって >国家の方向性が決まっているという立場です。 皆様の返信を拝見していて、一番しっくり来るのはNo5の方の契約説です。 このご回答も契約説の観点からするとうまく収まるようです。 少なくとも絶対王政の頃よりは進歩的でしょう。 ただ、やはり世界大戦を経験して、無駄な消耗戦を避けようというのは 世界共通な流れのわけです。そういう目的で国連やEUもあります。 古代の戦争に明け暮れた時代から、世界を動的に接続できるようになったのは 言うまでもなく科学の進歩です。 つまり、今のいびつな国家間のいざこざも更に科学が進めば、自然消滅します。 これは私が読んだ本に書かれていることです。 ところが現実社会は仰るようにこれを否定する行動ばかりです。 そのことに数年悩んでいたわけですね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.6

"国益論は私も一時期傾倒していたことがあるんですが、 それで考えると人類は進歩してないことになってしまうんですよ。 欲しいものは力づくで手に入れる。そういう時代ではないのですよ”   ↑ そういう時代でないことは確かですが、現実には そうなっていると思いますが。 事実と当為を混同していませんか? 現在の国際政治学者の間では、 国家は自国の利益の為に戦争を起こす、てことに なっているようです。 ”勿論、国益論は大切ですが、こと戦争の動機付けとなると 植民地時代の前近代的な未熟さを感じます”   ↑ 人間はそう簡単に変わらないのでは。 flyingbee さん。こんにちわ。 1,ちょっと納得できない部分もありますが、  言わんとすることは、解るような気もします。  そんで米国についてですが。 2,”政権を維持するために紛争がおこる・・・   米国が戦争をしまくる必要性を説くのに不十分に思われます”      ↑ 国際政治学者の高橋和夫教授が説明していました。 「米国人にとって、石油は人権みたいなものだ。 これを潤沢に提供できない政権は、国民の支持を失う。 だから、米国は石油確保に血眼になるのだ」 私見ですが、米国は移民の国です。 背負う文化や歴史はバラバラです。 そんな国を一つにまとめるのに、戦争は非常に 便利な道具です。 まして、米国は世界最強の国家です。 やれば必ず勝ちます。 勝てば、国民の団結力が更に強まります。 そういう背景があるから、チャンスさえあれば 米国は即、戦争に踏み込むのではないか。 私はそう考えています。

flyingbee
質問者

お礼

再度のご投稿有り難うございます。 現実世界でその様に解説している方々も大勢いるのですね。 私は未来展望の社会学系の本を読んでいるので、 だいたいはNo3の方と同様なことが書かれています。 現実を混同というよりも、分からんといった方が正解でしょうか。 で、数年色々と考えている間に2chで仮説に出会い、 ここで質問する契機になったわけです。 取り敢えず、国益論というよりも契約説の方がしっくり来るようですよ。 少なくとも17世紀よりは進歩した感じはします。

回答No.4

国家の役割は、国民をしてその国の繁栄に寄与させるということです。 そして、戦争は単に外交の一手段ですから、外交上武力に打って出た方が良いと判断した国が戦争を起こすということです。 根本的に戦争が起こる原因は、自分の種族(今では国民)の優位性を証明するためです。 人類が、色で分けられ、言葉で分けられている以上、自分達の民族をさらに他の民族よりも良いものにしたいという単純な欲求が、いろいろな形で現れています。 実際に、冷戦では人類史上では珍しくイデオロギーの戦いで、共産主義か、資本主義かで分かれて争っていましたが、それが終わったといわれてから、歴史は繰り返すということで、再び世界各地で民族紛争が多発しています。 また、科学が発達したから戦争の幅が広がったのではなく、戦争が起こったから科学が発達したのです。 古くは火薬の発明から、現在のインターネットにしろ、原子力にしろ、すべて戦争の手段として最初に考案されたものを『平和利用』という形で民間に普及させただけです。 ということで日本は戦争を放棄している時点で、すでに外交上非常に不利な立場にいます。 アメリカは、外交上有利に進められると判断した際に、戦争をするという、国家としての当たり前の戦略をとっています。 現代国家と言っても、人の集まりですから、人の欲求は、昔も今も変わりません。

flyingbee
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 st_augustinusさんは国益論の立場でよろしいのでしょうか? 一人であれこれ悩んでいるよりも多くの方の意見が聞けた方が やはり有意義ですね。 ご回答の見方は既に私が通った道です。 既にNo2の方に返信したように、その観点からでは未熟にみえるのですよ。 人類は平和を望んでいる筈です。しかし、戦争は起こり続けています。 その源泉は人の欲求・・・これは仮説2と同等ですか。それとも異質ですか。 小国はともかく、米国、日本、中国、EUのような大国は できるだけ戦争を少なくするように尽力すべきなのでしょう。 国益を武力で解決などという野蛮な植民地時代の考えなどは 既に終了していると思ってますが、これは私の錯覚なのでしょうか? 国益を追求する時代は後100年ぐらい続きそうですか? ならば竹島も・・・奪い返せますが、尖閣は失いそうですね。

回答No.3

「科学が発達したら戦争は必要ない」というより、 『科学が発達したから』なぐり合いのケンカが、 大量殺戮兵器による「戦争」になったのである。 人類に限らず、自然界の中でも、あらゆる生命が 生存競争をしている。 「助け合い」がメリットを生むのは、異なる機能を もって分業化した場合であり、同じ機能を持った ものが情緒的に妥協し合っても、厳しい争いを 切り抜けた、より強い者によって淘汰されるだけだ。 太古は、種の維持の最小単位であるファミリーで 争っていた人類が、農業や牧畜、縄張り争いに於て、 共同作業が出てくると、集落単位で争うようになり、 やがて農機具や衣類が発達すると分業化が進み、 日本国内でも県(藩)単位が“国”として、争うように なり、近代になって工業化し、分業と物流がさらに 盛んになると、やっと国家単位で戦争をするように なったのだ(「発達した」からケンカが戦争になった)。 しかし、もっと「発達」すれば、今や東京が儲け過ぎ だからといって静岡が攻め入る事など考えられない ように、更なる国家間の分業化とグローバルな物流 に於て、国境は実質を失い(一国家のみの繁栄が 持続性を持たなくなる)、自ずと戦争はなくなっていく。

flyingbee
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 現在は科学の進化の方が速度が進みすぎている・・・ 兵器の性能が先に来て、人類規模の助け合いが置き去りにされている。 つまり、現在の戦争は国益が元で起こるのではなく、 兵器が高性能だからでいいのでしょうか? こう置き換えるとラビ=バトラとかの説と一致してくるようにも思えます。 もっと科学が発達すれば国境は実質を失い・・・同感です。 だから竹島だの尖閣だので騒いでいるのがバカらしいのです。 共同開発していけばいいだけの話で、実際にそうなるでしょう。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

1,歴史を見てみましょう。  戦争の原因は、ほとんどが領土や資源の争奪戦です。  この傾向は30年戦争後は、特に顕著になっています。  例えば、EUは、石炭と鉄鋼を争う戦争を止めるために  造られた団体が元になっています。  イラク戦争は、石油利権が原因であることは国際政治学者の  間では通説になっています。  つまり、戦争は国益、国家の利権を目的として  起こされるものです。  勿論、その他の、例えば国内的な理由もありますが、  それは二次的だと思います。 2,国家の役割は、国内と国外とで分ける必要があります。  国内的には、国民の生命財産を守るためですが、国際的には  生き残るため、国家の利益を少しでも増やすために存在します。 3,征韓論は、朝鮮が日本防衛の要だからです。  日本が韓国を併合しなかったら、韓国はロシアの領土になって  いた可能性が高いと思われます。  そして、韓国にロシアの軍事基地が出来たら、日本の安全保障は  大変なことになります。  日清日露戦争も、結局は朝鮮半島を巡る戦争であった、という  基本的事実を押さえておく必要があると思います。  元寇は、半島を足がかりにして、日本を侵略したのです。  キューバにミサイル基地が出来る、というので米国は第三次大戦  覚悟で海上封鎖に出ました。  隣国に敵の軍事基地ができるということは、とんでもないことなのです。 4、米国が戦争をしまくるのは、国益の為です。  

flyingbee
質問者

お礼

hekiyuさん、どうも回答有り難うございます。 私も政治カテは見てますし、何回かご一緒になったこともありますね。 国益論は私も一時期傾倒していたことがあるんですが、 それで考えると人類は進歩してないことになってしまうんですよ。 欲しいものは力づくで手に入れる。そういう時代ではないのですよ。 勿論、国益論は大切ですが、こと戦争の動機付けとなると 植民地時代の前近代的な未熟さを感じます。 そこで別の観点からの理由付けを探しているところなのです。 それが私の掲げた仮説だと思って下さい。

回答No.1

 米国が戦争を仕掛けるのは国内の不満をそらすためです。  そうしなければ貧富の差や国内の問題で政府は叩かれ、内乱が起きるかもしれません。  定期的に熱狂と夢から覚めるを繰り返して欲求不満のガス抜きをし、政府への攻撃の矛先をそらしている、と私は思っています。  米国は未だ成熟した国家ではないのです。

flyingbee
質問者

お礼

早速のご回答有り難うございます。 なるほど・・・実は米国も仮説2を満たしている状態とは予想外でした。 米国も西欧諸国も、日本さえも実は成熟していないと。 政権を維持するために紛争というのは少々下らないと思うのですが・・・ 実際に人間の行動や心理学をみていると、そうなってしまうのでしょうか。 日本でも嫌韓エネルギーは凄いですし。

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    永続的な平和は理論的には不可能ではないが、現実性に欠ける。 仮に達成できたとしても、それが安定した社会の最良の選択肢ではないことは確かである。 戦争は社会を安定させるための特殊な方法ではあるが、それに代わるほかの手段が開発されない限り、「戦争システム」は維持され、強化されていかなければならない。 「戦争システム」は、独立した政治システムとしての国家の存在に必要なだけではなく、政治の安定という面においても不可欠である。戦争がなければ、政府が国民を統治することの『合法性』に』問題が生じてくる。戦争勃発の可能性は、政府が政権の基盤を維持することを十分可能にする。歴史上幾多の例からもわかるように、戦争の脅威がなければ、個人の利害の拡大、社会不正に対する怨念といった要因によって、政権は最終的に崩壊してしまう。戦争勃発の可能性は、社会の組織構造を維持する最大の政治的安定要素である。 戦争は社会の中の階級を維持し、国民の政府への服従を保障する。 戦争中、あるいは戦争に脅かされているときのみ、国民は文句を言わず政府に従う。 敵に対する憎しみと、征服され略奪される恐怖から、国民は重い税の負担と犠牲に耐えられる。 戦争は国民感情を方向付けるための触媒である。 愛国と忠誠と勝利を崇める精神状態の中で国民は無条件に服従し、どのような反対意見も裏切り行為とみなされる。 しかし、平和な時には、国民は本能的に高い課税政策に反発し、政府が私生活に干渉することを嫌う。 しかし伝統的な戦争方式では、歴史的に見て限界がある。とりわけ核戦争時代では、戦争の勃発が予測できず、リスクが大きすぎる。 伝統的な戦争に代わるものとしては、経済上必ず消費され、毎年少なくともGDPの10%が消耗され、大規模で深刻な脅威である必要がある。また、国民が政府に奉仕するための説得力ある理由が必要である。 何が考えれれるか?

  • 戦争に代わりうる都合の良い統治システム

    別のカテゴリーで質問しましたが、改めて。 永続的な平和は理論的には不可能ではないが、現実性に欠ける。 仮に達成できたとしても、それが安定した社会の最良の選択肢ではないことは確かである。 戦争は社会を安定させるための特殊な方法ではあるが、それに代わるほかの手段が開発されない限り、「戦争システム」は維持され、強化されていかなければならない。 「戦争システム」は、独立した政治システムとしての国家の存在に必要なだけではなく、政治の安定という面においても不可欠である。戦争がなければ、政府が国民を統治することの『合法性』に』問題が生じてくる。戦争勃発の可能性は、政府が政権の基盤を維持することを十分可能にする。歴史上幾多の例からもわかるように、戦争の脅威がなければ、個人の利害の拡大、社会不正に対する怨念といった要因によって、政権は最終的に崩壊してしまう。戦争勃発の可能性は、社会の組織構造を維持する最大の政治的安定要素である。 戦争は社会の中の階級を維持し、国民の政府への服従を保障する。 戦争中、あるいは戦争に脅かされているときのみ、国民は文句を言わず政府に従う。 敵に対する憎しみと、征服され略奪される恐怖から、国民は重い税の負担と犠牲に耐えられる。 戦争は国民感情を方向付けるための触媒である。 愛国と忠誠と勝利を崇める精神状態の中で国民は無条件に服従し、どのような反対意見も裏切り行為とみなされる。 しかし、平和な時には、国民は本能的に高い課税政策に反発し、政府が私生活に干渉することを嫌う。 しかし伝統的な戦争方式では、歴史的に見て限界がある。とりわけ核戦争時代では、戦争の勃発が予測できず、リスクが大きすぎる。 伝統的な戦争に代わるものとしては、経済上必ず消費され、毎年少なくともGDPの10%が消耗され、大規模で深刻な脅威である必要がある。また、国民が政府に奉仕するための説得力ある理由が必要である。 何が考えれれるか?