解決済みの質問
満州帝国とは、清帝国皇帝・溥儀を君主とした日本による
傀儡政権の国家です。
では、日本はこのような国家を建国するにあたって、その土地を
満州に選んだという地理的な理由とはなんでしょうか?
【仮説1】
満州は清皇帝の先祖の土地であり、大陸内の傀儡政権を正当化して
みせるため。
溥儀皇帝を担ぎ上げて中国のどこかの領土を独立させると考える
ならば、そのルーツとなる土地だと名目が立つと考えた。
【仮説2】
ソビエト連邦の南下を防ぐため。
中国から最もソ連に近い満州地域に日本の傀儡政権の国家を築く事により、
満州帝国がソ連による侵攻の防波堤になると考えた。
上記の仮説1・2を私個人が考えてみましたが、どちらが実情に近いでしょうか?
投稿日時 - 2008-10-19 19:45:36
帝政ロシアは極東で南進策を採り、まず南満州に進出し次ぎに朝鮮進出を図りました。 危機を感じた日本と衝突し日露戦争が起こりました。
帝政ロシアの国内混乱もあり、日本は辛勝し阻止に成功、逆に南満州の利権を得、1910年には朝鮮併合をしてしまいました。
その後ロシアはソ連に変わり、また南進策をとると心配した軍部は朝鮮を維持する為、隣の満州を占領して防御線にしたいと考えました。 (のちのシベリア出兵で撤収を渋り、撤収の最後になった事で見てもわかります。)
併合まで独立国であった朝鮮とは違い、中国国土の一部の東北地区を中国政府の許可なしには占領出来ません。
そこで満州族の多い満州を独立させ、満州族の血を引く廃帝溥儀を立てれば大義名分が通ると思い、満州国建国を策し実行しました。
表面は五族(満州族、漢民族、朝鮮族、蒙古族、日本民族)協和を歌いましたが、実質は日本支配の傀儡国家でした。
人口密度が低く漢民族がすくない土地で、中国側の反発も少ないと思ったのでしょうが、そうはいかず反日運動の高まりから、後の日中戦争につながりました。
投稿日時 - 2008-10-20 15:11:35
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ベストアンサー以外の回答(8件中 1~5件目)
どちらも当たっていると思いますが、もう一つ「理屈付け」として。
そもそも「中華民国」(当時の「中国」の国号)は、清という征服王朝から独立して成立したのです。その領域は、本来の漢民族の居住地域、すなわち万里の長城以南。よって、満州国成立まで、満州を領土として存在している国家は存在しない。いわば無主地であったわけです。よって、どの国のものでもない満州を日本が手に入れても差し支えない。
と書きましたが、当時の関東軍がそこまでの理論を持っていたかどうかは分りません。ただ、「アメリカ合衆国」の成立に比べると、満州国なんて、はるかに「かわいい」出来事ですよ。「アメリカ合衆国」は先住民族の人権など認めていませんからね。一方、「満州国」は、まやかしではありますが、一応「五族協和」をいい、形式的とはいえ日本領とはしなかったのですから。
投稿日時 - 2008-10-20 19:57:26
妄想や偏見ではなく、歴史学的にお答えしたいと思います。
”日本本国を捨てても、満州を手に入れるべし”という東宮鉄男氏が書いた報告書(正確には進言書)の中の言葉がある。1度この報告書は無視されたが、数年後の満州政策はほぼこの報告書が書いたシナリオ通りに展開された。
つまり、あらゆる公式書物を読んでも、当時の日本政府は何としても、 満州を自分のものにしたいと強く考えていたわけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/東宮鉄男
満州を日本の土地として正当化していくためには、何かの口実がほしい
ので、このときたまたま溥儀は皇帝の座から下ろされたため、”しめた”
と日本政府が思ったわけです。
(これに関する経緯は土肥原賢二の書物を読むと良い)
対ソ連の戦略については、このときはまだ満州の戦略的な意義が
考慮されていなかった。
ここで勘違いがあってはならないのでは、日本政府は一度とも
ソ連の南下を防ごうと考えたことがない。南下阻止は無理であり、
もし南下したら、食い止めて時間稼ぎをし、その間は和平交渉へ
持ち込むというのが、当時日本政府の政策であった。
これに関しては市販されている書物に証明となるものはない。
例えば、事実証拠を挙げるとすると、満州境内に対ソ連用の防御
施設は皆無に限る。 (例えば対戦車地雷もなかった。)
投稿日時 - 2008-10-20 13:56:38