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例えばですが放射線が体に悪いという学者と良いという

例えばですが放射線が体に悪いという学者と良いという学者がいるとして、最終的にこれからの対応を迫った時に多数決による決定になるのですか?または首相の判断? 大体が世の中は多数の主張が認められる傾向ですが、もちろん多数イコール正解とは限りません。こういう状況になったらどうするのだろうと、ふと思ってしまいました。

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回答No.1

ちょっと文意がつかみにくかったのですが、簡潔に回答するのであれば「誰が判断するというものではなく社会が風潮を作り出す」というものではないでしょうか。 煙草が「病魔を撃退する」と信じられてパイプ喫煙が流行した時代 (百年以上も前のことですが) もありました。 「風邪をひきたくないからマスクをする」というのと似たような発想ですね。 風邪の菌はマスクのガーゼなどいとも簡単に通過するほど微細なものですのでマスクをしたからといって風邪の菌を吸い込まなくなるというものではありません。 ただ、風邪をひいた人がくしゃみをした際、大量の菌を保持しているであろう唾はマスクに捉えられ、湿った呼気もマスクを湿らせて呼気水分に含まれる風邪の菌を水分ごとマスクに付着させますので「風邪をひいた人が周囲の人に迷惑をおよぼざないようマスクを着用する」という用法は誤りではありません。(逆に湿ったマスクをしていれば風の菌を吸い込みにくくなるとも言えますが、普通は呼吸しにくくなるのであまり湿らせたくないものでしょう) 放射能に関しては短時間に浴びる大量放射線量と健康被害との関係は解っているものの、微量の放射線を長時間にわたって浴びることが身体にどのような影響を及ぼすかということは全くといって良いおど解っていないのが現状のようです。 例えば社会的には放射線療法の一種とも受け取られ、医者も学者も政治家も殆どの人が悪いとは言わないラジウム温泉やラドン温泉に毎日浸かっていると健康になるのか、放射線障害で健康を害するのか・・・今のところ「社会は健康に良い」という風潮になっていますよね。 誰も責任を持てませんので、結局のところ個人個人が判断して社会の風潮を形作って行くというものなのだろうと思います。(その意味では多数決かな・・・)

nki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 専門家でさえ意見が分かれる事柄について、私たちが個人で判断していかなければならないのは難しいものですね。 それが後に少数派の意見が正しかったらとなれば恐ろしいですね。 そうやって昔からの公害や風評など、時代は繰り返してきたのかと考えさせられ現在の社会が成り立ってきているんだなと考えさせられます。

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  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.2

日本の国家は民主主義を取り入れています。民主主義は多数決で成り立っています。つまり、国として何かを決める場合は、(おおざっぱに言うとですが)賛成か反対かの決をとり、多数のほうが採用されます。首相が判断を下すこともありますが、基本的には、首相の判断に多数の政治家が猛反対すれば、判断したことが実行されない仕組みになっています。 そのためにこそ、国民は選挙の時に、自分が信頼できる政治家に投票しています。ただし、これは選挙権のある人ではないとできません。しかし、選挙権がなくても、日本では、誰もが自由に意見を言ったり、世論を起こしたり、議論をしたり、他者を説得したり、政治家の事務所に連絡して話を聞いてもらったり、デモをしたり、ストライキをしたりできます。 つまり簡単に言うと、「世の中のひとりひとりが、自分が正解だと思うことが実現されるよう、日々、努力をし、最終的に日本の政治においては、政治家がそんな国民の意見をくみ取って、多数決で決める」ということになります。もちろん、政治以外の場では必ずしも多数決ではありません。例えば、社長の鶴の一声で物事が決まる民間企業もあると思います。しかし、放射線の基準値の決定や、それを上回る品物の流通に関することは、たいてい政治で決めます。 というわけで、変な意見を持つ人が多数派にならないよう、私たちひとりひとりが、日々、努力をしないといけないのです。

nki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 多数決の裏には少数派の正しい事も実は多くあるのではないかと言う疑問から質問しました。 専門家でもわからない事柄を私たちが判断するのも難しいですね。 そういう中で自分の意見が正しいと信じて日々生活していかなければと 改めて感じました。

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