将軍の有能と無能を分ける要素とは?

このQ&Aのポイント
  • 将軍の性格や個性はあると思いますが、将軍の有能と無能を分ける要素は何でしょうか?
  • 一般的に有能とされている将軍でも失敗がある理由は何でしょうか?
  • 将軍には得意な戦いと苦手な戦いがあるのでしょうか?
回答を見る
  • ベストアンサー

将軍の無能!?有能!?意外な批判?将軍の特性につい

歴史上では様々な軍人としての将軍や司令官がいますよね? ・質問1 その将軍の性格や個性はあると思いますが将軍の有能と無能を分けるものはなんですか? ・質問2 判断が難しい将軍について。一般的に有能とされている将軍でも汚点(失敗)がなぜあるんですか? 例 ロンメル、山下奉文→大胆だが兵站を軽視する傾向 マンシュタイン→政治的判断で保身に走る  モントゴメリー→マーケット・ガーデン作戦など無謀な作戦計画 パットン→攻撃重視 モーデル→慎重すぎる チュイコフ→ノモンハン事件で戦果を誇張 南雲→功を焦りミッドウェーの大敗を喫する ・将軍にも向き不向きはあるのでしょうか? 例 この戦いは得意だけどこの戦いは得意じゃない

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mizukiyuli
  • ベストアンサー率34% (1109/3227)
回答No.2

質問1) ・世渡りの上手さ ・冷静沈着、客観的に物を見る事ができる ・他者を上手く動かす事ができる あたりが有能の条件かなと思います。 将軍はいわゆる中間管理職ですので、世渡りの上手さは必須です。 質問2) 戦局の読み間違えでしょう。 有能だからといって完璧とは限りませんし、敵将が更に有能である可能性もあります。 また、将軍が有能でもアホな国主や上司が横槍入れてきたらどうしようもありません。 このあたりは歴史には残らず、ただ将軍が敗北をしたというように書かれると思います。 (真実はわかりません) 向き不向きはあると思います。

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございます 大変勉強になります!なるほど軍事も政治的能力が必要ですね 確かに相手がより優秀かもしれませんし、横槍を入れられば仕方ないですね 負けた戦いもちゃんと調べないと、敗将も死に切れませんね 向き不向きはありますか…

その他の回答 (2)

noname#126576
noname#126576
回答No.3

国民の税金で組織された近代の軍隊の将軍と土着した豪族の古代の将軍 とは分けて考えなければ、ならないと思います。 古代の将軍は、家族をはじめ一族、郎党、何千人の命を守らなければ ならないので、外交能力をはじめ、あらゆる能力が必要になってきます。 将軍に掛かる比重が非常に大きく、判断の是非は一族の存亡に係ります。 戦国時代の真田家は、あっちに行ったり、こっちに行ったりで乱世を、 行き伸びました、忠臣蔵の浅野家は改易になり、家臣は・・・ 近代の将軍は分業制の組織の一員ですので、敗戦の責任は、将軍だけでなく 不向きな将軍を任命した、上層部にも、あります。 でもです、将軍を更迭するのは容易な事ではないのです特に功績の有る将軍 なら、なおの事です、この結果、最期に大敗を喫する事例は多数有ります。 明治の軍隊は人事移動が多く、将軍達も個人のエゴを捨てて国の為の名目の元に 受け入れました。 その中でも特筆すべきは、陸軍大臣だった児玉源太郎です、彼は格下の乃木将軍 の参謀として配下に入りました、明治の人は凄いですね。 だから大国ロシアに勝利したのですね。 いずれにしても国の命運が掛かっているのですから、将軍を任命するのは難しく 永遠のテーマーだと思います。 性格が正反対の人をペアーで将軍と副官を任命してるらしいです。

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございます 勉強になります! なるほど人事は難しいと思います >性格が正反対の人をペアーで将軍と副官を任命してるらしいです。 大変勉強になります!喧嘩になって支障がでたりしないんでしょうか 世の中知らないことばかりです

  • Yodo-gawa
  • ベストアンサー率14% (133/944)
回答No.1

戦略と戦術の面から判断するべきだと思う。 現場の勝ち負けは、始める前からある程度決まっており、あとは運です。 また、若い時に成功しても、結局、後年になって現状を見据えられなくなって 失敗した者もいます。どんな人間でも見倣うべき点とそうでない点を併せ持っています。 関羽やナポレオンなんて、その典型ですな。

gookou666
質問者

お礼

回答ありがとうございます なるほど将軍も人間ということですか、曰く上手の手から水が漏る…

関連するQ&A

  • 太平洋戦争でのインド洋での海戦と台湾での航空戦

     ミッドウェイ海戦よりも前にインド洋で数隻の正規空母が参加した戦いと、末期に台湾沖で実施された航空戦があったようなのですが、どういった戦いだったのかを教えて頂けないでしょうか。  後者は「戦果を過大に評価したために後の作戦を誤った」というような文脈で出てくることが多いように感じますが、前者はその存在すら出てくることが無いように見えます(勝ち戦の時期だったから?)。  実家あった丸スペシャルで「最上」を「さいじょう」と読んでしまう程度の噛りでしかありません(今考えると最上型の特集だったような)が、よろしくお願い致します。

  • なにをもって、有能・無能というのか?

    よく、他人を指して「あいつは仕事ができる」「こいつはバカだ」とか、使える・使えないで他人を判断するひとがいます。 しかし仕事ができて使えると言われてるひとが悪事を働いたりするケースも少なくないし、僕からみてそれほどでもないと思うこともあります。逆に、バカだとか使えないと言われてるひとの中に宝のように光るものを見ることがあります。 霞が関の官僚たちは確かにものすごくキレモノ達です。が、彼らとさして離れてないところにいる六本木や広尾の起業家や投資家が起こすうねりに翻弄されてます。霞が関にいる人達からすれば六本木の住人は「やりたい放題」ですが、逆から見ると「愚の骨頂」でしょう。 どちらも優秀でしょうが、人は何をもって優秀といい、何をもってけなすのか、最近、分からなくなりました。みなさんは、どう思われますか?

  • 有能と無能

    有能と無能の違い。 著名人やプロと言われるスホーツは別に、私たち一般人で有能と無能の違いを分ける基準はありますか? 上司でも無能と言われるご時世。 逆に、契約社員でも正社員でも管理職以上に有能と言われる人もいます。 実話でも、管理職に説教や力説、突っ込みを入れる正社員。 正社員以上にキレのある契約社員。 一般人で有能と無能の違いの境界線はどこにありますか?

  • 牟田口廉也は無能なのか?

    牟田口廉也は無能なのか? の質問があったので以下投稿しました すると不支持の方がいた 具体的に何が不支持なるのか意見を下さい 興味のある方願います 少し加筆しました インパールの失敗は 戦後しばらくは罷免された3人の師団長(佐藤、柳田、山内)が無能とされてた 現在は牟田口廉也軍司令官が悪者となっている そして独断撤退した佐藤幸徳第31師団師団長が英雄になってる この東部インドへの進行作戦は、昭和17年に南方軍が第二段作戦として準備を発令 この時、第18師団長だった牟田口は兵站困難の為反対している その後は、ガダルカナル、ニューギニア線があり、保留に その後ビルマ周囲に英中軍が兵力増強してきたため、日本軍も師団を増強 第15軍の一軍だけでは手に追えなくなるので、上部のビルマ方面軍を新設 同時に大人事異動が行われ、この時、牟田口は第15軍司令官に昇進 牟田口は師団長時代とは違い、今度はこの作戦を進行させる立場になった この異動で西ビルマ方面の地理地勢敵状に通じているのは、牟田口軍司令官のみとなる その為、参謀達を一般論として受け付けず、自ら作戦計画書を加筆したとも伝わる 作戦反対の参謀、参謀長を更迭も行った 牟田口は、陸士陸大で恩賜ではなかったものの、省部勤務が長く、部隊勤務も近衛部隊長を経験し、かなりプライドが高かった だから、特に歩兵科出身者にありがちな皇軍精神論の持主であった だから、気合と根性で人を判断し、人事をないがしろする一面があったようだ その結果は、一介の軍司令官が前代未聞の親補職の師団長解任を3人も行なった。 また、支那事変は自分が始めたので何か自分でカタをつけなければ、という思いがあった だから、牟田口はビルマ方面軍、南方軍、大本営に、インパール作戦を強く要望している 牟田口には、全体像の日本国、全陸軍の情報がなく、自分の担当範囲のビルマ、インドが全てで、そこに猛進していた それでカタをつけた事になると思っていた 大本営の思惑としては、南東方面、中部太平洋方面が押されているので、 絶対国防圏外郭での作戦成功で、戦果の自負と国民の戦意高揚を欲していた一面がある これは大陸打通作戦にも期待されていた また、たった3コ師団くらい現地軍まかせて、どうでも良いと考えていた インパール作戦は日本陸軍が大好きな攻勢防御 と言うか 陸軍大学でそういう教育をしている 日本軍勢力下の外郭要地を望むのは当たり前の事 現在の牟田口廉也像は、生還者、作戦に反対派だった参謀、部隊長達が、一部の牟田口の言動をとらえたり、生還した士官に皇軍士官としての敬礼、軍装品の不備を叱責された事を恨めしく思った一部の極端な一面のようだ また牟田口は作戦にあたり、自動車、輜重兵中隊、合わせて300コを南方軍に要求している その数は全陸軍が保有する中隊数を超える数であった 要求数は、ビルマ方面軍により減らされ、減らされたその数も南方軍の手持ち数を超えており、 南方軍の答申は要求数の2割りだった しかし、この兵站部隊が減らされたのに作戦は実行しなければならなかった ここは、牟田口の責任ではなく、ビルマ方面軍、南方軍の責任である 苦悩の末、参謀のアイデアを採用して、物資を水牛に駄載運搬、必要時に食料に使う、一石二鳥のジンギスカン作戦を採用する 結果はこの地方で徴発した動物は物資運搬には適さずアイデアは成功しない 良く誤解されるが 上部司令部の作戦命令に、第15軍には兵站の不足の状況があったが、命令を達成するために苦悩の末、採用したアイデアである 牟田口が個人的に先走った作戦ではない 日本陸軍は与えられた兵力で目的達成しなければならない 開戦時のフィリピン作戦の失敗が良い例だ 実際問題として、作戦中の3個師団の報告、命令、事務を一人の人間が行うことは不可能だ 作られた作戦計画は、奇襲により短期で敵地を抜き、敵根拠地で食料を得るという、日本陸軍の通例の作戦だった 特に牟田口だけが採用した特殊な作戦ではない 結果の敗戦は牟田口が軍司令官でなくても大同小異 たまたま、そこに牟田口が居ただけ 特に牟田口だけ能力が劣っていたわけではない 第15軍司令官という職責がそうさせた 牟田口自身は、後年作戦失敗を、天皇に詫びる気持ちと、戦死戦病死した将兵に詫びたい気持ちだったようだ ただ、戦後に英軍が危機だったことを聞き、自分の作戦は正しかった事の主張が多くなった。 これが嫌悪感を高めているようだ ただ、出身の北九州では兵を可愛がる良い将軍と人気があった 牟田口は、司令部に家を建て、芸者を呼んで宴会をしていた これが戦場帰りには不快に感じられたようだ 命令違反退却して英雄視されている佐藤幸徳第31師団長は、 食料不足で苦しんでいるときに、前線に慰安所を設置しようとしたり、 兵達がテントを過ごしている中、師団長の為の豪華な家を建てさせている 軍司令官、師団長という親任官は、感覚がズレていた たとえ戦場においても、そういうものなのだ 特にビルマだけ、おかしいものではない 兵隊と同じ兵食を食べたり、減食すること等、庶民の兵隊と同じ生活をすること自体、おかしいと考えられていた 上官ほど良いものを食べ、良い生活するのは、高等官は当たり前の事 特に親任官は、戦場においても、それだけの格式、優雅な生活をしていなければならなかった これは、現在の官僚体質や、国会議員、大臣と同じと言えるかもしれない 戦場で刺身を作らせた事や、担当兵に梅干樽を担がせて移動したこと事を、大問題と投稿されている方もいるが、この戦場の生活スタイルは、当時は当たり前のもの 平等という考えは存在しなかった 軍司令官、師団長は親補職であるから兵にとっては天皇と同じ 兵と一緒にとか、同じなんていうのは、映画で作られた虚像 ただ、100%そうだったかと言うと、一部にはそういう考えの人もいたのは事実 でも内容は違った 感覚はズレていた 本当に兵の生活を理解している人は居たかどうか…。 少尉だって学校出ただけで奏任官であって、それだけの待遇があって当たり前 戦時国際法でも、捕虜の兵は使役に使っても良いが、少尉の士官は免除された これが当たり前 まして、軍司令官、師団長の中将なら当たり前 捕虜になっても、軍司令官、師団長の中将は、その格式の食事給養がされる 捕虜収容所の所長が中将より階級が下であったら、たとえ相手が捕虜でも、所長から先に敬礼しなくてはならない 参謀は作戦に反対意見を述べる事はできるが、どの意見を採用するかどうかは軍司令官の判断 実際米軍と違い、日本軍の主義として、司令官が直接主導権を取らず参謀長が決定するのが通例 これは師団長も同様 司令官自ら決定しなければならないのは、参謀長をもたない旅団長まで 軍司令官により決心された作戦を、細部計画を立案するのは参謀の仕事 これも師団長も同じ 決定に逆らった参謀は罷免、更迭されるのは当然 同じく、決定、命令に従わない師団長が罷免、更迭されるのも当然 また、部下は意見具申はできるが決定事項に従うのは当然 米軍は、作戦が計画通り進まないのは戦意が欠けると、戦場で師団長解任が行われている 日本の場合は、師団長が親補職だから大きな問題として注目されている 実際は、本当に牟田口司令官個人から発せられた解任かどうかも不明 日本軍は、米軍と違い、参謀、参謀長を無視して軍司令官が直接命令を発する事は不可能 師団長に命令伝達するのは軍参謀長 師団長が報告行うのは軍参謀長宛 結局、慌てた南方軍が解任された佐藤師団長を精神異常として処理、予備役編入されている 同じく、牟田口廉也も作戦失敗の責任を取らせる形で予備役編入されている ただ直ぐに召集されて予科士官学校長になっている また佐藤幸徳もすぐに召集されている 陸軍の評価としては、作戦失敗の責任で予備役編入しているが、それ以上のおとがめ無しですぐに召集している これは親補職であったからと言われる 牟田口の予科士官学校長は、軍司令官経験者としては格下、かなり責任を取らされた形である 戦後の評価は、佐藤ら3師団長だったが、現在は牟田口軍司令官に変わっている しかし、牟田口廉也が無能で佐藤幸徳が有能とは一概に言えない 失敗=最終的な作戦立案した参謀の問題 第15軍のインパール作戦失敗は結果論 更に言えば、一番の問題は、作戦開始を命令し作戦中止命令の遅れた上部のビルマ方面軍司令部 個人を言うならビルマ方面軍司令官の河辺正三大将 だから牟田口個人を一概に無能とするには当たらない 誰が司令官でも結果は大同小異 内容はガダルカナルやニューギニアと同じ 問題は3人の親補職の師団長が作戦中に解任になった事 親補職であることが問題 ガダルカナルでも川口清武旅団長が戦場で解任になっているが、親補職でないので全然問題になって無い 牟田口廉也無能論は、戦後随分たってから発生した結果論 当時の一般的な軍司令官 中将で師団長のあとに予備役にならず、軍司令官に昇進できただけで大したもの。 結局、日本の軍司令官の資質ってこんなもん そういう教育しか受けていない だから牟田口廉也個人を無能とするには当たらない どうでしょう? 私の意見 師団長時代と違い今度は進行させる立場になった 自動車、輜重兵中隊、合わせて300コを要求 与えられた兵力で目的達成しなければならない 敵地で食料を得る通例の作戦 牟田口だけが採用した特殊な作戦ではない 個人的に先走った作戦ではない たまたま、そこに牟田口が居ただけ 職責がそうさせた 当時の一般的軍司令官 誰が司令官でも大同小異

  • この社員は有能?無能?

    建設会社で現場監督兼安全責任者の立場で仕事をしている20代後半の男性社員は、半年おきとかによく現場が変わるみたいです。 (1ヵ所の現場に1ヶ月くらいしかいないこともあり、ホテル暮らしになることもあるらしい。引っ越し代やホテル代や部屋の家賃は会社が負担している。 仕事は週6日。朝早くから夜遅くなるときもある。) この男性社員は、会社から期待されている出世の可能性高い将来性がある有能な社員でしょうか? それとも、会社から見捨てられ出世の道はもう無い会社からすればできればクビにしたい無能な社員でしょうか?

  • 正誤問題

    (1)1605年、徳川家康は秀忠に将軍職を譲った。これは全大名に対して将軍職が徳川氏によって世襲されるものであることを明示した上で、徳川家の世がこの先も続くことを知らしめるためであった。 (2)関ヶ原の戦いで西軍方についた領地は改易・転封され、その結果譜代大名が出現する契機となった。 (3)大名統制のために定められた法令を武家諸法度に違反した大名は改易・転封・減封の処分がなされた。幕藩体制確立期においては城の無断修築など多くの大名がこの法度の違反による改易である。 (4)幕藩体制下においては、有能な大名であれば親藩や外様でも幕府の役職に就く例は存在した。 この中で正解が2つあります。どれでしょうか? また、間違っているものはどこが違っているのでしょうか?

  • 有能な者を潰しても無能な者が有能になる訳ではない

    ”有能な者を潰しても無能な者が有能になる訳ではない”といった意味の言葉を残した歴史上の人物が居たように記憶しているのですが、正確な言い回しと言った人物が思い出せません。 何方かご教示下さい。

  • 高学歴は無能で、低学歴は有能?

    学歴の話で、次のような意見をよく見かけます。 ・高学歴は勉強しか出来ず、頭でっかちで融通が利かず仕事が出来ない ・低学歴は勉強は出来ないが、柔軟で素直だから仕事が出来る この理屈からいくと・・・ 学歴が高ければ高いほど無能になっていくということでしょうか?

  • 有能な移民を入れたら、無能な日本人はどこへ行くの?

    経済的に有能な移民を入れていくようですが、そうなると、日本人の中でも経済的に無能な無職やニートは、経済的には労働力予備軍にすらなり得ず、日本にいるだけ無駄になりますが、どこへ行くことになるのでしょうか? 安楽死ですか?それとも外国にも仕事はあるよ、と移民の受け入れ先を探すのでしょうか?各自の自殺を待つのでは無く、政策が必要になりますよね?

  • 有能な人でも出世すると無能になるのでしょうか

    ある程度の地位で有能な人でも、出世すると、自分の社会的地位に自分の能力がついていけず、無能な人になるのでしょうか?

専門家に質問してみよう