• ベストアンサー

自分を好きな人の心理。

自分を好きな人の心理。 最近、癒しや自己啓発関連、子育てなどの本を読んだりしていて、 自分を愛する事の重要性を知りました。 私は、自分を好きなつもりでいるけれど、本当は自分を愛せていないんじゃないか?と疑問が湧いて来ました。 種々の葛藤はそこに起因するのでは無いか、と考えています。 自分を好き、愛している、とは、どのような思考・感情で、どのような状態が生み出されるのでしょうか? 例えば、人とぶつかる事を恐れる事無く自分の意見を言える様な人はとても羨ましいです。 そのような人は、人から否定されても揺るがない自分への愛を持っている様な気がします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.5

自分の大きさを知ること。 自分ができること、できないことを知ること。 できないところは上手な人に任せていいということを自覚すること。 上手なことは自分に任せてもらう自信を持つこと。 人と比べないこと。 自分の人生は自分にしか生きられないことを自覚すること。 自分にふりかかる火の粉は自分の力で振り払う勇気を常に持つこと。 人を理解すること。 人がその人自身を大切にしていることを尊重すること。 できることを先延ばしにしないこと。 怖いものは怖いと表現しても負けではないことを自覚すること。 身体を壊す前に、限界のサインを自分が理解して対処すること。 自分との対話の時間を作ること。 人の言うことが常に正しいわけではないことを自覚すること。 自分の感性を大事にすること。 「普通」にとらわれないこと。 生まれてきたことに感謝できるような、楽しい思い出をつくること。 自分にあるほくろの位置、癖、思い出・経験、積み上げてきた努力、さぼってしまった事実、など自分が所有する全てのものを一番に理解しているのは自分しかいないのだということを自覚すること。 これらを経験を通して身に付けると、自分の大きさ・等身大で生きることの心地よさにたどり着きます。 そして自分に愛が生まれるとともに、他人に対しても愛が生まれます。 人それぞれその人が一生懸命、自分の足で生きている、お互い頑張ろうという愛。 本当はできることを怠けてやらないと、心の底にある罪悪が自分を嫌いにすることあります。

lisaaya
質問者

お礼

とても参考になりました。 >本当はできることを怠けてやらないと、心の底にある罪悪が自分を嫌いにすることあります。 そうかも知れません。 挙げて頂いた項目を、自分と話し合ってみます。 仰られた様に心地良く生きられるように日々努力して参りたいと思います! 実践的なお答え、有り難う御座いました!

その他の回答 (4)

noname#120631
noname#120631
回答No.4

私の経験です。 自分のいいところと認識できなかったところを 褒めてもらえたとき/評価してもらえたとき 自信につながり自身への愛情が深まりました。 どんな関係の人でもいいのですが 私は偶然知り合った人でした。 衝突を恐れず意見が言えるというのは 自己への愛というよりは性格によるかもしれません。 衝突もせず自分の意見をやんわり通せる人 というのはたしかに存在します。

lisaaya
質問者

お礼

参考になるお答え、有り難う御座いました。

noname#136337
noname#136337
回答No.3

 心理のカテゴリーで、自分の経験を話すのは、どうかと思いますが、さまざまな葛藤を乗り越えて、自分を愛せるようになった私のことを、話してもいいですか?  自分を好きということは、自分の不完全さも含めて、それを個性だと認識し、全肯定して、なおかつ前を向いて前進している、といった心境です。加えて、他の人たちに対しても、敬意を払い、どんな個性を持った人であろうと、それを尊重し、その人の成長を見守っていく、という姿勢は欠かせません。  人とぶつかることを恐れることなく自分の意見を述べる、という行為では、ある意味、人と自分との考え方の相違が出てくるわけです。そこでは、自分の意見だけに固執するのではなく、人の意見も尊重すること、それは相手の考え方を受け入れ、そうして自分の意見も合わせてより良い結論を導き出すための、提案であることをふまえたうえの、意見が重要になってきます。揺るがない自分への愛ではなく、むしろ相手のことを思い、場合によっては相手に学ぶところを見つけたら、即自分を変えることのできる変幻自在な自分でなくてはなりません。根底は、自分と人に対する、完璧さを求めない寛容です。  人間というのは、必ず、未完成な部分があります。いわゆる光と影は、聖人でもなければ、必ずあると認識することが重要だと思います。自分に対しても、人に対しても完璧を求めない・・・人は自分のことを棚にあげていろいろというものですが、それは、人は自分と同じ考え方をすべきだ、自分は正しいと、心のどこかで思っているからでは、ないでしょうか。だから、むしろ自分の未熟さを受け入れるのが恐ろしいのです。人は、残念ながら自分の感じていることしか認識できないので仕方のないことだと思います。しかし、自分を上等だと思うからこその自分への愛は、劣等感の裏返しであることも多く、破綻します。そうではなく、逆に未熟な自分を受け入れ、認めること、人もまた、そうであることを受け入れ、認めることが重要になってきます。  そこでは、人と人を比べることは役に立ちません。むしろ、個人をクローズアップさせることが、鍵になります。世界にひとつだけの花です。経験上、人というのはあまりにも、常識的な理想というのが、高すぎるのだと感じます。自分に対しても、人に対しても。明るく積極的で、勉強もできて、運動もできて、人柄も良くて、という理想像を子供には押し付けがちで、そこから外れていると子供のことを心配する、というのは典型ですね。学校教育の弊害です。個性が、たった一つなら、この世はとうに滅びてますよ!現実を見て、現実をそのまま、受け入れる。生物多様性ではありませんが、性格多様性がこの社会を支えていること(職種には適した性格がある)を見て、自分なりに自分としてやっていくことが、大切だと思います。  参考までに。

lisaaya
質問者

お礼

とても参考になるお答え、有り難う御座いました。 私もそのような境地に到達したいので、お答え頂いた事を参考に、努力して行きたいと思います! 丁寧でとても勉強になるお答え、有り難う御座いました。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.2

こんにちは。 自分を愛するというのは自分を受け入れることだと思います。それが満足のできる結果であるならば受け入れるのは容易いことです。ですが、世の中全が満足できる結果に終わるとは限りません。 ひとを愛するというのはそのひとを受け入れることです。多少満足できない結果であってもそれを受け入れることができるのは、我々は自分の愛するひとを理解しようと勤めるからです。ならば、自分を受け入れようとするならば、そのためには自分を理解してやらなければなりません。 堂々と自己主張のできるひとは元々自信家ですから、それを難なく受け入れてしまうのだろうと想像します。これに対しまして、質問者さんは自分というものを冷静に評価することができるのですが、それを無条件で受け入れることは中々できません。 人間も動物である限りその選択は必ずや自分の利益に基づくものであり、性格が違うからといって本能的な欲求に差があるというわけではありません。ただ、利益・不利益の価値判断に個人差があるというだけの話です。ならば、結果の良い悪いに関わらず、何びとといえどもそれは自分を愛するがために行ったことに違いはないわけです。ですが、何れの結果であれそれを受け入れなければならないとしますならば、最低でも自分の価値観はきちんと理解していなければならないということになります。 自分がどんな人間なのか知らないなんてひとはいませんが、実は「本当の自分」というものに巡り会うのは人生まだずっと先のことになります。多くのひとが平均してだいたい40代ぐらいです。良く、「40代のたそがれ」なんて言いますよね。 ところが、この「自分探しの旅」はそこで終わりではありません。本当の自分というものを知ったならば、次はそれを結果として受け入れなければならないのです。人生半場で過去の結果の全てを受け入れる、口で言うほど容易いことではないです。その先また何年掛かるかは分かりませんが、少なくともここで本当の自分というものを理解していなければ、それを受け入れるなんてことはどうやってもできないわけです。そのためには、でき得る限りの正直な選択を行い、ひとつひとつ、後悔のない結果を積み重ねてゆくしかないです。果たして、日々の葛藤といいますのは、その日のためにあるのだと思います。

lisaaya
質問者

お礼

なるほどです。 お答え頂いた内容、とても納得出来、勉強になりました。 40代で本当の自分と出逢うというのは驚きました! そんなに遅い(遅くても良いんだ、というか。)なんて。 「日々の出来る限りの正直な選択」 して行こうと思います!! 丁寧でとても勉強になるお答え、有り難う御座いました。

  • townsppp
  • ベストアンサー率13% (10/75)
回答No.1

自己愛と社会性は違うと思う

lisaaya
質問者

お礼

なるほど、少し混同して居たかもしれないですね。 健全な自己愛を持っている人の心理を、自分とはどのような違いがあるのか知りたくて、お聞きしてみたいのです。

関連するQ&A

  • 自分が大好きな男の人

    自分のことが好きではない私は、よく自分を好きになりなさいと言われたり、そのような自己啓発本を読んだりします。 しかし私が付き合ってきた男の人をみると『自分が大好き』で『自分の欠点はどこ?』と聞くと答えられない男の人は、難有りだと思うのですが、いかがでしょうか。 そのような方は一見自信があってかっこよくうつるのですが、結局自信のなさや劣等感から(本人は自覚なし)くる曲がった自己愛に思えます。 自分を好きになることを薦めることは正しいのでしょうか。また、そういう男の人たちの『自分を好き』という感情は、目指すべき感情なのでしょうか。 ご意見を聞かせてください。

  • 何も考えない人の心理

    「何も考えない人」の心理がわかりません。 生きていれば考えさせられる事に必ずしも出会います。 なぜ「何も考えない」のか、わかりません。 すみません、人間分析するのが好きでして。 考えた結果 「何も考えない」=「向上心が無い」→「逃げている」 で あってますでしょうか? 何も考えない=逃げている の図式も 成り立つでしょうか? 逃げていることすら 気付いてないのでしょうか? 何も考えない人って あまりにも 自分放棄=関わってくれてる周りの人間への気遣いの無さ と思ってしまい 人間的にひどい(自分を見つめず、自分放棄が) と思ってしまいます。 人間分析ばかりしてすみません。 何も考えない人の親も似たような思考回路でしょうか? それとも できないことがたくさんあったら 挫折感で「何も考えない」思考回路になってしまうのか もともと「何も考えてない」のか どうなのでしょうか?

  • 会ったことのない人を好きになる心理

    会ったことのないネット上の人を好きになる文化に、10代の頃に出会ってから、今までずっと「会ったことのない人を好きになる人」への強烈な違和感があります。 あれはどういう思考回路で恋に落ちているのでしょうか? 和歌送り合ってる平安時代の人が進化して…とも思ったのですが、出会いが制限されている時代ではないので、当てはまらないかと思います。 こういうものに、否定的なわけではなく、会ったことがないのにどうして好きになるのだろうと、ただ単純に疑問に思っているだけです。 またアイドルや俳優などに、本気になってしまったり、同じ人のファン同士を嫌う人もいます。 そういう人に出会うと言いこそしませんが、「いやいやあなたに関係ないでしょう…仲良くすればいいのに…」と思ってしまいます。 私自身も10代の頃にアイドルやモデル、タレントがかっこいいな、かわいいな、と雑誌やCDを買った時期もありました。20代後半の今でもアイドルがテレビに出ていて可愛いなあ~と応援したくなる気持ちもあります。アイドルなどを好きになる、応援する文化や心理は理解できます。 ただ「会ったことのない人を好きになる人」と「自分と完全に無関係な人(有名人など)を本気で好きになる人」は近いかと思います。 このような感情になぜ発展するのか、どういう心理状態なのでしょうか? 好きだから仕方ないとかそういう漠然とした理由ではなく、学術的であったり、理論的な解説を探しております。

  • なぜ多くの人は心理学に興味を持つのか

    いつもお世話になっております。 【質問内容】 ふと思ったのですが、多くの方が「心理学」と聞くと興味を持たれる方が多いように思えます。この理由がはっきりしないためここで明確にしたいのですが、その理由は何だと思いますか? 【質問の背景】 ちなみに私の場合は精神的な病(うつ病)を経験してから心理学に興味を持ち始めました。おそらく私の考えでは、誰もが心の事を気にしていると同時に自分自身の事を知ることが出来るからではないかと思います。 また、現代社会は変化が速くなっていると同時に慌ただしくなっているため、葛藤やストレスといった心理的負担の対策(癒し・ストレス対処法)も心理学の中に存在していることを私達は知っているからであることも十分考えられます。 以上、御回答よろしくお願い申し上げます。

  • 自分を変えた一冊

    僕は大学4年生なんですが、自分の性格や考え方を変えたくて、自己啓発本を読んでいます。最初に読んだ加藤諦三氏の『はずかしさの心理』で、まるで自分のことを書かれているのかのようで感銘を受けました。それで加藤氏の本を他にも読んだのですが、どれも同じ内容が書かれているような気がしました。  自己啓発本は数え切れないほど出ていますし、万人向けのため、内容が薄くなっている優しいだけの本もあります。そこでみなさんが読んで、自分の考えや、性格をまでも変えてしまったような自己啓発本、またはそれ以外の本を教えてください。参考にしたいです。お願いします。

  • わざわざ自分の選択肢を伝えてくる人の心理

    子供の学校選択を例に挙げて相談させて下さい。 私の子供は私立小へ通っているのですが、そのことでわざわざ聞いてもいないのに 自分の意見や選択肢を言ってくる人が何人もいます。 例えば、「私立小へ通っているの?」と唐突に質問され、余計な事を一切言わず 「そうなの。」と答えれば、「うちは子供が弱い子になるのが嫌だから公立を選んだの。 だって、色々な人を見ずに育って社会へ出た時に対応できないと思うから。」 と正直言われて腹立たしい言葉をかけられる事があります。 私としては、自分の選択肢が世の中で一番良いとも思っていないし よその家庭がどんな学校を選択しても、聞かれてもいないのに自分の選択肢や 意見を異なる選択肢を持つ人に言いに行こうなどと思いません。 他にも私立小(異なる学校)を選択した友人から 「○○学校(私の子供の学校)は、うちの子にはあんな雰囲気は合わないって思ったから 候補から外したの。疲れちゃいそうだなと思って」など… 「合格おめでとう。良い学校に入れて良かったね。」と伝え、返ってきた返事がそれで驚きました。 受験の話も受験校も伝えた時には特に何も言わなかったのに、 合格後にその言葉が出てきたときには、心理が分からず考えてしまいました。 こちらが、○○学校はどう思うかと聞いて言われるのなら分かりますが、 合格後や入学後にわざわざ自分の意見を言っている人は一体どのような心理なのでしょうか? はっきり言って、私は他の家庭でがどのような学校に入れようが全然気にしませんし、 否定するような意見を直接言ってやろうなんて思った事がないので全く理解出来ません。 皆、感じ方や考え方はさまざまなので一緒のはずがありません。 自分が選んだ道を否定するような言葉を伝えられて良い気持ちがする人は あまりいないと思いますし、心配をして言ってくれているのとは明らかに違い、悪意を感じます。 今回は子供の学校を例にあげての質問ですが、他にも私の職業に対してや住まいなどに ついても同様な事が度々あります。 心理的に詳細なお答えをして下さると助かります。 よろしくお願い致します。

  • ものすごく自分勝手な人の心理

    それほど親しくはないのですが、身近にすごく自分勝手・自己中心的な人がいます。 その人はやや年配の男性ですが、年齢性別問わず異常とも思えるほど自己中心な人が結構いると思います。 誰に何を言われても自分の気に入らない事には頑として動こうとせず、周りから気遣われて当然と思っているようです。 また、悪い事については全て人のせいにします。(客観的に見てその人が原因であることが明らかでもです。) 指摘されれば当然のごとく逆ギレです。 私も出来た人間ではありませんが、あまりにも自分勝手な性質に対しては憤りを感じます。 このような人の心理には「信頼、憐れみ、同情、お互い様精神、罪悪感、ワガママを言うことへの恥ずかしさ、相手の立場になり考える、他人の気持ちを理解しようとする考え」などは無いのでしょうか。 「自分が大切、自分の気持ちに正直である事は時に必要」という事はわかりますが、あまりにも度を超えている人をどうしても理解できません。 また、理解しようとするのは難しいのかも知れませんが、どのように付き合うのが得策でしょうか。 皆様の見解をお聞かせ下さい、よろしくお願いいたします。 短文でも構いません、たくさんの意見をお待ちしています。 人から「自己中」と言われる方の意見も歓迎します。

  • 相手を「守りたい」という心理

    初めて、男性に「この人を守りたい」という感情を持ちました。 産まれて初めてです。 彼の方が後から、その場に入ってきました。 初対面で、懸命に頑張ってる姿を見て、「私が入った時のような苦しい思いはさせたくない。この人を守りたい」と思いました。その後10ヶ月経ってもその思いは変わりませんでした。彼の引っ越しとともに会う事はなくなりました。好きとか愛とかむしろ、そんな単純なものではありません。今でも心の奥底でそのような感情があります。 この「守りたい」という心理はどこからくるのでしょうか? 自分でも困惑しています。よろしくお願いします。

  • 自分のために死んでほしいという人の心理

    私の父はかつて母に「自分のために私と母に死んでほしい」と言ったそうです。父は平気で他人を自分のために利用し、父にとって女性は自分を幸せにするための道具のようなものみたいに見えます。このように、自分のために人に死んでほしいと願う人間の心理とは何でしょう?依存心や甘えでしょうか?ゆがんだ愛や憎しみでしょうか?父は子供である兄に生命保険までかけています。このように家族の命を自分のために利用さえする父の心が私にはわかりません。父は外面は至って良く、友達には優しい人と評判で無理しておごったり人付き合いのよすぎる人です。父の母親は優しい人で父親は厳しい人で、特に不幸というわけでもなさそうです。ただ養子に高校生の時出されて、中退した以来ひとりで生きてきたみたいで、親に見捨てられた気もちが、女性に転換した憎しみや過度の依存心となって現れるのでしょうか?ただ人を愛せない寂しい人間なだけなのでしょうか?  ビート武の「教祖誕生」という映画で、救世主に信者のために死んでほしいと願われる教祖の青年の話がありましたが、誰かに自分のために死んでほしいという思いは人間の根本にある願いなのでしょうか?確かに自分のために命を懸けてくれる人の愛は疑いようがありません。信じられるものです。何も信じられない人間は誰かを信じたくて、愛する人に死をねがうのでしょうか?それは愛でしょうか?残酷な法悦でしょうか?

  • 心理相談のもって行き方

    はじめまして・・・ではないですね。 過去にこのカテで、自己愛と自己否定のダブルバインドの様々なバリエーションのついての質問をしてきました。 何人かの方には複数の質問に丁寧な回答を頂いています。 正直以前に比べ、「自分は誰よりも劣った存在である」という意識が心なしか希薄になって来ているような気がします。 もっともそれは一過性のものかもしれませんが。 もともとカウンセリングを受けたかったのですが、 経済的な問題で諦めざるを得ず、 その代わりと言っては失礼ですが、 ここで皆さんに無料で相談に乗ってもらっています。 近々、大学の心理相談室というところに行く予定です。 50分2000円とか・・・ 先方の技量など未知数ですが、 私は自分の考えを表現することが出来れば 相手は黙って聴いててくれるだけで構わないとさえ思っています。 そこで、お聞きしたいのですが、 皆さんの異口同音の指摘によって、私は「自己愛」 (プライド。自尊心・・・)が高いということは判明したようですが、 自己否定感に比べて、実感としては非常に乏しいのです。 人に指摘されて「そうなのかなぁ・・・」 という程度にしか実感できていません。 このことを踏まえて、心理相談室に赴いた際、 どのような問題提起をしたらいいか思案しています。 何かお気づきの点などありましたら、糸口を教えていただけませんか? 無論人様にお伺いを立てずともよいかもしれませんが、 過去の質問でのやり取りから、わたし自身より皆さんの方がよく見えている という感じがしています。 いい気なものですが、アドバイスいただければ幸いです。